16.抑止力
【二週間前】
梅山先生の不祥事が藤島に見つかってから一週間と数日が経った頃、先生はまた彼女による苛めの現場を目撃する。
「ほら、ちゃんと謝りなさいよ。」
他の先生に言いつけないというのを条件に藤島の支配下に置かれていた彼は、今回の現場も見なかったことにするしかなかった。
しかし、苛められている生徒の助けを求める眼差しを受ける度に強い罪悪感と、自分の犯した過ちによる後悔が先生を苦しめた。
許されざる犯罪に手を染めた彼もまた人間で、良心の呵責や、正義感が欠如した訳ではない。バレたくないという思いと共に、藤島の苛めを止めなければいけないという思いを、まるで使命感の様に強く抱いていた。
彼の心は限界に達していた。そしてとうとう彼は決心した。
手下らがその子の服を脱がそうとした時、先生は声を上げる。
「やめろ。」
周りがみんな先生の方に振り向く。
「みんなこんなことをして恥ずかしくないのか。」
咄嗟に出た言葉に先生は、自分が冷静さを失くしたことに気づく。
そんな彼に藤島はほくそ笑み、声を大にして反論する。
「先生こそ、女の子を隠し撮りなんかして恥ずかしくないのかしら。」
それを聞いた全員が驚愕した。
「え、今何て?」「え、こいつそんなことしてたの?」
狭い倉庫の中に響いた言葉に混乱する中、先生はもう負けを分かりきった上で、ただひたすら苛めを咎めることに尽くした。
しかし、あっけなくこてんぱんにされ、やがて倉庫には苛められた子と、先生とで二人っきりになった。
「友達が苛められてたんです。隠し事みんな吐いてやるって脅されてて、後で「やめてあげて」って言ったらこんなことに。」
「そうだったのか。」
「それより....本当何ですか...?」
「え?」
「その、と...盗撮のこと。」
「....あ、ああ。愚かなことにね。」
しばらく沈黙の時が流れた。
そのあと、その子は先生に
「誰にでも間違いはありますよ。」
と、声をかけたが、先生は直ぐに反論する。
「いや、僕のした行為は間違いでは済まされない。」
その子は口を噤いだ。先生は続けて
「僕はもうすぐここを出ることになるだろうな。」
と、弱音を溢す。苛められっこは言った。
「....悔しくないんですか?」
「そりゃあ勿論悔しいよ。でも見てみぬふりをしてしまうよりは、自分のやりたいことができて良かったと思っているよ。」
「そうですか。」
彼はしばらく思い悩んで、先生に提案した。
「先生は...録画の知識と技量をお持ちなんですよね。」
「そんな堂々と聞かないでくれ...。」
「....先生。彼女らの苛めを止められそうです。」
「本当か。でもどうやって....?」
「カメラを使うんですよ。苛めの現場をそれに収めて職員に報告するんです。」
「そんなこと....。」
「協力しませんか。」
先生は困った顔になったが、それで解決に繋がるならばと、それに了承した。
バレるのも時間の問題と分かった二人は、それを前提とした作戦を話し合った。
そして、お互いのアドレスを交換し合い、連絡手段を得た。
最後に二人が倉庫を出るとき、先生が彼に声をかけた。
「本当にこれでいいんだな?―――
―山岸君―」
下町の鶴
3章-策略-
☆Episode.16「抑止力」
梅山先生から映像データが送られてきた頃に、応接室には河島と、藤島の手下らも来て騒然としていた。
「四季乃、何がどうなってんだよ!?」
手下らが真っ先に藤島に状況の説明を求めたせいで、彼女との繋がりがあることが教頭に伝わる。
藤島は鋭い目線で彼女らを睨み付けた。
「恐れるべきは脳ある敵じゃなかったみたいだな。」
と、河島が小声で馬鹿にする。
そしてようやくこの部屋で、隠し撮りされた映像が流された。
そこにははじめに名取が暴行を受けている所が映され、その加害者がここにいる手下らの犯行であることが確定した。
その命令を下していた藤島は肝心の顔が映らなかったが、そこに入っていた声と、彼女らとの関わりにより犯行を否定することはできなかった。
ここに映されていた関係者に処分を下すには保護者への情報開示や、議論を必要としたため、即決はできなかった。
加害者等には、この件についての処分が決定するまでの間、生活指導担当の教員による監視の対象になり、この間での脅迫、暴行の阻止を強化した。
又、盗撮の共謀が疑われた山岸と、河島には今回の件の証人となったため、処分についての議論は簡単に終わるものではなかった。
結果、今日はここに関わった人達への厳重注意によって解散となった。
「言い返したい気持ちは良く分かるが、ここは厳重注意という意味で素直に叱られてくれ。」
と言わんばかりの態度で説教をする生活指導の先生に、山岸と河島の二人は快くそれを受け入れた。
一番の被害者として証拠に上がった名取は既に下校していたことが分かり、翌日には証言と、居残り脱走についての叱責が待ち構えている。
一方、名取は友達の帰りを見送ったあと、自分の仕事を進めていた。
彼女らとお茶をしている間に開店時間は過ぎていたが、たまたま他のお客さんが来なかったため、ゆっくりと支度ができた。
ドタドタ!ドタドタ!
お母さんが階段をかけ降りてきた。
キッチンに飛び出して私を見つけると
「ああ....良かった。詩鶴、ありがとう。」
と、ひと安心した様子。
「何してたの。」
と聞き返すと
「いや、ごめん...。お昼寝してたら時間過ぎてて...。」
と、一言。
「お母さん...もしかして洗濯物干してた...?」
「あ...!!」
「....ここやっとくから。」
「直ぐ戻ります...。」
そう言ってまたかけ上っていった。
小さくため息を吐き出し、しばらくぼーっとしていると、店の扉が開く。
「いらっしゃー...。」
「よーう、詩鶴ちゃん。」
入崎のオッチャンだった。
「お、どーもー。」
オッチャンはカウンター席に腰かけるなり、早速
「珈琲おくれ。ブラックで良いよ。」
と、一言。
「あいよ。」
いつもの定番を注文する彼に、特に表情を変えることもなく承諾し、作業を始める。
私が生まれる前にこの店に寄付してくれたらしいやたらアンティークなミルに豆を入れ、挽き始める。
ゴリゴリと音を立てながら奥に消えていく珈琲豆を見つめながら、私はふとオッチャンに声をかける。
「ねえ、オッチャン。」
「お、どうした。」
「オッチャンって本当に探偵やってるの?」
「おう、そういう設定だ。」
半分戯けながら私にそう答える。私は今日のことを思いだし、それを持ちかけてみた。
「じゃあさ、調べてほしい人がいるって言ったらやってくれる...?」
「なんだ、恋愛相談か?」
「苛め集団への抑止力が欲しい。」
オッチャンは少々驚いた様子で言葉を探した。
「それは...つまり。」
「大丈夫だよ、校外で何をしてるのかを収めてくれれば良いから。」
「.....。」
「こいつなんだけど。」
私はさっきまでポケットに入れていた藤島の顔が載った新聞の切れ端を彼の前に差し出す。
「おいおい、マジかよ。」
「女子高生 尾行るのはお嫌い?」
「んー....まあ、経験はないな。いや、そういう意味じゃなくて。」
「今まで酷い事いっぱいしてきたの。私も、私の友達も、抵抗できないままでね。殴り返して事が済むならもう解決してるから。」
「もうこの他に方法は思いつかないか?」
「私の頭じゃそうだね。」
お湯を注いだビーカーからポタポタと珈琲の雫が落ちていく。その音が鼓膜に触れたその時、オッチャンは答えた。
「分かった。やれることはやろう。」
「ありがとう。」
「ただし、学割はあまり期待するなよ?」
「大丈夫。貯金はしてる。」
それを聞いてオッチャンは苦笑いを浮かべる。私は彼に珈琲を渡した。
オッチャンが一口飲むと、呟くように言った。
「いつの時代も無くならないもんだなぁ。こういうのって。」
「おっちゃんも"された"事あったの?」
「ああ、もちろん。"した"ことだってね。」
「ああ.....そう。」
「それは誰にだってあることだよ。」
私は少し考えたあと、オッチャンに尋ねた。
「...ねえ、オッチャンは私が悪者に見える?」
「いや?人間らしいことをしてるって思うよ。」
「そうなのかな。」
「苛めたい気持ちも、やられて復讐してやりたいって気持ちも、どっちも人間らしいよ。」
「苛めたい気持ち....?」
「ああ、例えば心に穴が開くと、それを埋める何かが欲しくなるんだよ。人によってそれが「誰かを傷つけること」だったりするわけさ。」
その言葉に困惑する。見方が変わることへの戸惑いというよりは、自分の辛さを分かってくれていないのかという感情に近かったけど。
オッチャンは顔を上げ、私を見て言った。
「今回の件で分かることは、少し君には刺激が強いかもしれないよ。それでも良いかい?」
言葉の意味が分からなかった。私はすぐに頷く。
「良い。何を見ようと、私の気持ちは変わらない。」
それを聞いて彼は笑みを浮かべる。しかし、目は笑ってなかった。
「そうか、分かった。」
決心したような目と、何かを見据えたような目をした二人の間に流れる空気は如何なるものであっただろうか。
まるで冷たい風と、暖かい風の間に真っ暗な雲が立ち込めているようで。
お母さんが洗濯物を干し終わったのか、下にかけ降りてくる。
「ごめんごめん。」
私を見つけるなり、謝ってくる。母がオッチャンを見つけて
「あ、雅っち。いらっしゃーい。」
と、声かけた。
「おう、お邪魔してます。」
「いえいえ。ゆっくりしてって。」
オッチャンは珈琲を嗜む。母も、私も特にやることがなくて、この場に流れる空気に心を泳がせてみたりしている。
「最近どう?探偵さんのお仕事は。」
母が聞く。
「おう、順調だよ。まあ、ほとんど浮気調査だけどね。」
「へぇ~。事件調べたりとか、そういうのは来たことないの?」
「ドラマの見すぎだよ。そういうのは大抵警察が解決してしまう。あ、でもそういう機関が隠蔽してるようなパターンの依頼は来たことがあるな。」
母は小さくため息をつく。私は興味津々に耳を傾けた。
「署内で上司の行き過ぎた嫌がらせによって自殺まで発展したってのがあってね、その親御さんからの依頼だったんだ。」
【当時】
「黒塗りの報告書が送られてきたんです。何度も署にその説明を求めて電話したんですが、ちゃんと答えてくれなくて、最近では名乗ると切られるんです。」
「なるほど、無かったことにしようって魂胆ですか...。」
「そうなんです...。何を聞いても「話せない」とか「答えてはいけないことになっている」って。」
「「我々としても組織で動いているんですよ。決まりとかで動いている訳ですよね。貴方の言う通りにしたら規則を破る、要は犯罪を犯すしか無いんです。」」
「規則ですか。」
「私はやったことを素直に認めて欲しいだけなんです。」
「分かりました。何としてでも吐かせます。」
―――――――――――――――
「どうなったの?それから。」
私は聞いた。
「ああ、俺からも聞いたが意地でも口を開かなかった。だから――」
「だから....?」
「証拠を集め、週刊紙や新聞に情報を売った。」
「お....おお。」
「それでも足りなかったんだ。否定し続けた。」
「そうなんだ...。」
「仕方ない。街を歩けないようにしてやったよ。」
「何をしたの....?」
「普段の言動、品行、表沙汰になってない不祥事も話してやった。外を出歩けばそいつらの餌食になるように。」
「ちょっとやりすぎなんじゃ...。」
「元々俺を邪魔者扱いしてた連中だしな。自分なりの仕返しも兼ねてだよ。」
「...それで、そいつらはその後どうなったの...?」
「詳しくは言えないが、その時の当事者はもう居ない。」
「え....待って、殺したの?」
「いや?勝手に辞めただけさ。そこから先のことまでは知らない」
「.....。」
母が苦笑いで聞いた。
「雅っち、初めて会った頃はそんな人じゃなかったよね...?」
「はは、俺は今も昔も変わらないよ。いや...気を悪くしたならすまない。」
と、軽いノリで笑ったあと
「色んな人間ドラマを見すぎちまったんだな、きっと。」
と、両手でコーヒーカップを包みながら意味深な言葉を放った。
「オッチャンって何か復讐ものの主人公みたいだね。」
「主人公?はは、よせよせ。俺は脇役の方が好きだよ。中立の立場が一番楽しいんだ。」
「その台詞は昔のままだね...。」
母は苦笑いのまま答える。
「オッチャン...これ作り話じゃないよね?」
「本当だよ。」
母から即答が出る。
「え....?」
「詩鶴が生まれる2年前。当時、警察としてあるまじき行為だとかいってニュースになった。」
「え、オッチャン、テレビに出たの!?」
「ばーか、黒子が顔出しちゃマズいだろ。」
「あぁ....そう。」
母は答える。
「本当雅っちってホワホワしててね。当時、飲みに無理やり連れてったんだけど「あー、最近ちょっと大変でなあ。」くらいしか話してくれなかったしね。」
「え、そんなことあったっけ。」
「はあ....。」
オッチャンが珈琲を飲み干し、微笑むと
「あの時飲まされたブラッディーメアリーは強烈な味だった...。」
「そう?あの時の貴方には一番合っているお酒だったわよ?」
「ありゃあ野菜ジュースだよ、なんで酒にセロリが刺さってるんだ...。」
―つづく―




