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下町の鶴  作者: 瀧ヶ花真太郎
12.先発列車の尾灯
118/121

118.鬼顧問

下町の鶴

12章-先発列車の尾灯-

☆Episode.118「鬼顧問」


今日最後の休み時間、明希は少し疲れた表情を浮かべる瑞希の存在に気づいて声をかけた。

「みっちゃん...?」

彼女は呼ぶ声に気づいて微笑みかけるが、零れる翳りまでは隠し切れていない。それを突いてみると瑞希は諦めた様子で言う。

「明希には敵わないな。分かったよ」

苦笑いと共に彼女は軽音部員との話を悩ましそうに話した。明希はそれを聞くと、申し訳なさそうに視線を落として言った。

「ごめんね。巻き込んじゃって」

「明希は悪くないよ。いや、誰が悪いって話でもないんだけど...」

「とりあえず早く書くよ。それで部員さんも曲作りやすくなるはず」

「気にしないで、大丈夫だから。無理しないでね」

明希はこれを気に留めた。

それから放課後、明希は少しばかりの焦りを感じ始めていた。これ以上のんびりしていると色んな人に負担をかけてしまう、と。そこで彼女は詩鶴のもとを訪ねることにした。彼女の店で仲良くなった千春という女性がこの頃毎日のように訪れるという。その人の話をもっとたくさん聞きたいと考えていた。鞄を机に置いたまま、詩鶴を探しに教室を出ると

「よしゃあ、一肌ぱあっと脱いだらあ」

ちょうど目の前を通りがかった。ちょうどよかった、と思って呼び止めると、彼女は何も問わずに

「明希も参戦かあ。良か良かー!」

と変な口調で明希の手を引いた。

「わあっ、なになに、何で!?」

「この世の不条理に対する啓蒙活動だあ。これ正に社会貢献なりーっ!」

まるで何を言っているのか分からない。頭でも打ったのか、と心配になる。明希の胸にはだんだんと物言えぬ不安が込み上がってくる。そして詩鶴は音楽室の扉の前に着き、雄々しいくらいの仁王立ちでそれを勢い良く開けた。

「じゃじゃじゃじゃーーーーん」

「何だこいつ!?」

放課後の音楽室に颯爽と現れた詩鶴は、困惑する軽音部員など気にも留めずに元気をばら撒く。本来ならそこにいるはずの瑞希がいないことを疑問に思っているようで、部員の一人がそれを尋ねると詩鶴は答えた。

「瑞希様はご多忙にあらせされる。代わりに参謀の私が出向いてやった。感謝するが良い。ははははは」

部員たちは状況が読めず、扉の枠からフェードアウトで立ち去ろうとする明希を呼び止めた。

「何がどうなってんだ?これは」

「こっちが聞きたいくらいですよ!」

明希は即答かつ、その焦り具合が見て取れる程の早口で部員に返答した。その勢いに圧倒され、聞いた聞いた部員も思わず

「えぇ...」

と言葉を失う。滅茶苦茶な空気にようやく詩鶴も悪ふざけを抑え、仕切り直しを図ろうとする。

「おっほん...。あんたらさ、ここ最近毎日のように矢原ちゃん呼んでるでしょ」

「え、ああ。それがどうした」

「それがどうしたじゃないんだよ。用もないのに呼びまくってるらしいじゃん。本人お困りだよ」

「用はある。ただ...」

「ただ?」

部員は返答に詰まって黙り込んだ。詩鶴はそれを鋭く突く。

「それだよ。案もないのに手伝わせようとして。あんたら音楽やってんじゃないの?何でそう全部丸投げなのよ」

「それは...!こっちにも事情が」

「事情は向こうにだってあんの。まあ、そんなこんなで今日は私が代行するから」

「おいおい、お前音楽分かるのか?」

「良し悪しくらいは分かる」

けろっとした様子で物を言う詩鶴に部員は思わず

「素人かよ」

と苦言を呈するが、それに動じることなく反論する。

「素人感動させてこその卒業制作でしょうが」

「それっぽいこと言いやがって...」

堂々たる彼女の態度に折れたのか、部員たちは詩鶴の手を渋々借りることにした。瑞希が来ないというならこちらも制作がどん詰まりのまま。それなら猫の手も借りるという思いで、彼女の腕がどこまで信用に値するかを試そうというつもりなのだろう。

「分かった。なら手伝って貰おう」

「よし、じゃあ今現段階で出来てるのを聴かせて」

「...それなんだが」

そこからは酷い嵐だった。悪びれもなく“何も出来てない”と言った部員の一言で詩鶴の雷が落ちたのだ。先ほどまで彼女を素人呼ばわりした彼らも、その怒号に萎縮して敬語よりの喋り方をし始める始末。

「何でも良いからやってみろってんだ。ええ?このド素人が」

「えっと、こんなのとかどうでしょうか」

「やれば出来んじゃねえか。最初からやれよそれを!」

鬼指導が繰り広げられる中、部屋の片隅では明希が居づらそうに身を埋めている。部活が終わるまで待つには長く、いっそのこと今日は諦めて帰ってしまおうかと考えていたくらいだった。

「出来たんじゃないか?」

「うーん、何か春って感じしないんだよなあ。やり直し」

「何だよもおおおおおお!!」


蒸気で蒸されるような長い時間を乗り越え、ようやく春の涼風に疲れを脱ぎ捨てられた明希はすっきりしたような顔をしていた。音楽なのに空気感が体育そのもので、詩鶴ときたらあんなにハキハキと動いていたのに未だ元気だ。

「これで少しは良くなるでしょ」

お陰で止まっていた卒業制作を無理やり動かせたが、随分と手荒な手段に明希は困惑気味だった。

思っていたよりもずっと遅い時間に詩鶴の店につき、中に入るとそこには詩鶴の母と千春の姿があった。千春はカウンター席のテーブルに蹲り、だいぶ酔っているように見える。空のグラスの底を寂し気に見つめては、まだ飲み足りないと泣き言を垂れている。その光景に詩鶴は店に入ろうとする明希の前に腕を伸ばし

「明希、今日は帰った方が良いかも」

と苦笑いを浮かべる。しかし何を思ってか、明希はまんざらでもない様子で店に入りたいと言った。ここまで来て引き返せないと言いたいのか、それにしては落ち着いた目つきで千春を見ている。

「悪いことは言わない。今は近づかない方がいいよ...」

「良いの、平気」

詩鶴が気を遣って遠ざけようとするも、珍しく言うことを聞かない。彼女が子供じゃないことくらい理解していたから、これ以上無理に止める必要もないと感じた詩鶴は仕方なく明希を店に通すことにした。

「もっと吞ませてよ。歩ける距離だから」

「そんなこと言ったって、歩けなくなるまで呑んでどうするのよ」

しかしながら、一歩ずつ進む度に詩鶴の足どりは重くなる。この酔いどれに絡まれたらさすがの私でも庇いきれない、そう思って後ろを振り返ると明希の姿がない。額の冷や汗を振り払う勢いで辺りを見回と、...何ということだ。千春の真横に座っているではないか。

「ばっ...!!」

何してる。馬鹿か、馬鹿なのか。絡まれたら数時間は帰して貰えないぞ。そうだ、私より居酒屋歴長いんだからお母さんも何とか言ってくれよ。

そう胸の内に叫ぶが、詩鶴の母ときたら物凄い平常心で明希を迎え入れている。

「いやいやいや」

詩鶴のツッコみの声が漏れる。その声で母は今さら気づいたかのような反応を向ける。

「あらお帰り。明希ちゃん来てるよ」

「いや一緒に来てるんじゃあ!?」

千春もこれに対してだるいノリを始めだし、詩鶴の頭はあまりの情報量にオーバーヒート寸前だった。赤点回避が精一杯の彼女にとっては情報と許容の量が吊りあってない。

「お母さん、お水...」

「そこ出してるから、自分で取りな」

よろけながらコップに注ぎ、ぐいっと飲み干す。思い切り深呼吸をすると頭がくらくらしてきた。よろけながら目線を上げてみると皆して楽しそうにお喋りしているので、詩鶴は心配して損をしたと机に突っ伏した。


つづく。

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