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下町の鶴  作者: 瀧ヶ花真太郎
11章.魅力
110/121

110.幸せになる


「あのっ...!」

私は声をかけた。放課後のひっそりとした廊下に二人きり、緊迫した空気が流れる。戸惑いと勇気が交じりあい、心臓の鼓動はだんだんと加速度を増していくばかり。声に反応して振りかえるあの子に私は

「ごめん、待たせてしまって」

と謝った。何故かぽかんとした表情をしている。

「えっと、この前の答えなんだけど...」

ここで唇を止めたらおしまいだと思った。パニックになりそうな心を押し殺して自分の気持ちを伝える。

「私ね、あれからいっぱい考えて、自分の気持ちと向き合って、やっと答えをだせたの。時間をかけすぎちゃってごめんね。大変な思いさせたよね―――」

「それなんだけどさ....」

彼は言葉を遮って戸惑いの表情を浮かべた。私は胸に手を当て、次にどんな言葉が放たれるのか恐る恐る待ち構える。口から心臓が飛び出そうなのを必死に堪えていると、漸く彼の口が開いた。

「.....え」


下町の鶴

9章-魅力-

☆Episode.110「幸せになる」


四十分後....


「あいてる....? 」

「おお!....お?」

帰宅して一息ついていると扉の開く音がして、店の方へ行くと死んだ魚の目をした瑞希が立っていた。どういう状況だ。何があったんだよ。なんとなくだが、放っておくには危ない空気を放っていたので取り敢えず店に通すことにした。それからというもの、瑞希はカウンターのテーブルに突っ伏して泣き言を垂れている。

「一番強いのを....」

「あの...みっちゃん...?」

確か放課後、あの同級生に告白の答えを言いに行くって言ってたよね。だとしたら尚更なぜこうなってるのかが読めない。

「何で....何でこんな思いしなくちゃいけないのよ...」

「あの....詳しく話してくれなきゃ分かんないって。何で告られたはずのみっちゃんが撃沈してるの」

「いいの。どうせ私に魅力なんてないんだから」

どうしたものか、とテーブルに頬杖をついて彼女に目をやる。何か面白い話題はないだろうか。楽しい空気に出来ないだろうか。色々考えては見るものの、瑞希はかける言葉に悩むほどに表情が死んでいる。

「言ってスッキリしようよ。このままじゃあ辛いままだよ」

「.....。言ったら私、絶対泣く」

「泣いていいじゃんかよ。重荷は脱いでけ」

私は辛さの原因を話すよう促した。今のままでは私がしてやれることも見つからないだろうから。瑞希はゆっくりと顔を上げ、五センチほど動いたところで止まって話し始めた。

「待たせたのは悪いと思ってるよ、本当に」

「待たせたってのは―――」

「告白の答え。イエスかノーか」

「ああ」

「でもね、これって恋愛でしょ。就活じゃないでしょ?」

「は、はあ...」

「第二志望とか第三とか、そういうのあっちゃいけないと思うの」

一瞬体が固まって考察する。じわじわと話が読めてきて、理解できていくのと同じ速度で私の顔は青ざめていった。瑞希の無理に作った笑顔が次第に壊れていく。

「えっ、嘘だよね。まさか...」

「その"まさか"だなんてね...」

「....まじ?」

「つるりん...」

「はい...」

「殺して」

「一旦落ち着こうか」

激坂を前に転がりだした彼女の心は一瞬にして速度を上げ、私一人じゃあどうしようも出来ない程に荒れ始めた。

「告白を取り消されるほど価値ないんだって私は。早く刺して、グサッといってよ...」

「待て待て待て!!どう考えたってフった方が悪いじゃん。みっちゃんは被害者だって」

「ははは...フラれるような女だったんだよ」

駄目だ。背中を押すと谷底に落ちていく。これじゃあどんな言葉をかけても逆効果じゃないか。誰か、誰か助けてくれ。胸の奥で救難信号がまばゆく光る。するとその瞬間店の扉が開いた。

「名取ちゃーん。やって....る~....?」

混沌と化したこの店の空気に触れて戸惑う河島家の長女。私は心の底から安堵したよ、ありがとう。今日この場の犠牲者になってくれて。

「お...お取り込み中みたいなのでまた今度来ま―――」

後退りする彼女をぎゅっと後ろからホールドし、店内に引きずり込む。巣に足を踏み入れた獲物をそう簡単に逃してなるものか。

「お姉ちゃ~ん♡良かった~来てくれてぇ。ちょっとお願いがあるの~♪」

「離せええ!!面倒事は御免じゃあああ!!」

一歩、一歩と巣の奥へ運んでいく。成人女性がじたばたと抵抗する異様な光景を前にしても、瑞希は気に止めることすらなかった。

やがて河島のお姉ちゃんこと千春が諦めて席に着くと、彼女にことの経緯を話した。するとずっしりと重い顔色で笑いだした。

「ねね、最低じゃない?そいつ。自分から告白しといて"掛け持ちの一人でした"とか」

「残忍なやつだねえ、そいつも。よっぽど彼女欲しかったんだな」

「みっちゃんが欲しいんじゃなくて、彼女が欲しいってだけなのも汚いんだよ。そんなの純愛じゃない」

「ははは。純愛じゃ叶わないのかもね、恋は。誰だって最初は取り繕って、騙すことから始めるんだもの」

「最低。みっちゃんも良かったじゃない。そんなのと付き合わずに済んだんだから」

瑞希に声をかけるも反応がない。じっとテーブルの木目に注視して黙り込んでいる。千春はそんな彼女に柔らかい声色で話しかけた。

「初恋だったの?」

数秒ほどして瑞希がこくっと小さく頷く。

「辛かったね。でも、みんなそんなもんだよ。初めては失敗するように出来ている」

ふと考えもなしに私は

「千春さんもそうだったの?」

そんな質問をなげかける。

「もうボロボロもボロボロ。初恋の人には「お前だけは無い」って言われたし、初めて出来た彼氏には遊ぶだけ遊ばれて捨てられたし」

千春も茨の道を歩いてきたんだな...。

「何か想像してたのと違う。もっとドラマチックなものだと」

「まあでも、悪いことばかりじゃないよ。最初はきらきらしてるし、期待に満ち溢れてるっていうかさ」

暗い恋の話に三人は黙り込んだ。瑞希は砕けた恋の痛みを、千春は過去の青春を、私は崩れた幻想を思って。

この静寂に気まずさを感じたのか、千春は無理くりに作った明るさを私たちの前に見せた。

「ええい、暗い恋バナは終わりじゃい。忘れるためにパァーッといこうや、パァーッと」

テーブルにペシっと音を立ててお札を叩きつける千春。瑞希に向け、好きなの頼んでけ、と居酒屋らしいノリをし始める。食欲ないです、と瑞希は首を振るが、千春は顔色を変えず

「名取ちゃん、何か取って置きのジュース作ってやってくれい」

と、こちらに笑みを見せつけた。

「と、取って置き...?」

「そ。嫌な気持ちを吹っ飛ばすには酒とつまみと笑える話。楽しくいこうや」

そんな空気を取り戻すには重たすぎる雰囲気のなか、千春は瑞希の側に体を寄せて言った。

「分かるよ」

「....?」

「気持ちに寄り添おうとした相手に裏切られるなんてあんまりだ。私でもそんなことされたら暫くは立ち直れない」

「.......」

「でも、塞ぎ込まずに誰かに会いに来てるじゃんか。強い子だよ、それが出来るのは」

千春はどこか少し寂しい目をしながらそう言った。その瞳の奥を見ていると、何だか千春のことも悲しく思えてくる。しかしここで私まで感化されてしまっては誰も明るい雰囲気を取り戻せなくなってしまう。こうなったら思いきって気持ちを入れかえてしまおう。

「分ぁったよ。パーっとだろ、今日は潰れて貰うからね」 

袖をぐいっと捲りあげ、ねじり鉢巻のごとく腰エプロンの紐をぎゅっと締めて気合いを入れる。さあ、何でも頼んでこい。居酒屋娘に出来ることはこれくらいしかないから。

早速千春は焼酎と摘まみを何品か注文し、分けて食べられるようにと小皿を瑞希の方にも流した。

調理の準備をしながら瑞希に声をかける。

「気落ちしないで。私はみっちゃんの魅力、いっぱい知ってる」

「...ごめん。こんな気ぃ遣わせるつもりじゃ...」

「ははは、もう手遅れだよ。ここまで来たらもう腹ぺこじゃ帰さないからね」

「いま小銭しかなくて。何か軽いものあればその――」

「大丈夫だって。今日は千春さんが全部奢ってくれる」

「おーいおいおいおいおい。まじか」

千春は慌てた態度を取るが、何を言うかと思いきや突き抜けた表情で

「奢らせてくれんの?まじで?店長ー、砂肝ひとつ!」

などと声を上げ、ノリノリで札束を叩きつけた。ここぞって場面で気を利かせてくれるね、千春は。さすが河島と姉弟なだけある。それと相変わらずチョイスが渋い。

さて、二人の飲み物が出来たところでお摘み作りに移る。食べやすいように一口サイズにしてみたり、味付けを変えてみたりと工夫して、二人が喜ぶ姿を思いながら手を動かした。料理が届けられるまでの時間は千春がトークで場を繋いでくれていた。私がそれに合いの手みたいに返事を返していく。そんな風に小さな屋根の下でバラエティのような空気が流れていた。

「まあでも、たまに本当に救いようのない奴もいてね」

千春が鼻高々に男語りをしている。作り話かと思うくらいの外道が話中に出てくると、仮に嘘でも可笑しくて思わず笑ってしまった。

そんな千春が焼酎のグラスを口へ傾けた時、彼女から出た言葉に私はピタリと身動きが止められた。

「あれ、これお酒じゃなくない?」

「え...」

単純に間違えたのか、取り敢えず新しくお酒を作り直そうとしたその時

「人の心弄びやがって...くたばっちまえ、んな野郎...」

瑞希がむくっと起き上がり、唸り声を上げた。一瞬にして変貌した姿にびっくりして振り向くと、それは確かに瑞希の口から発せられている。滴る程の冷や汗と共に、私は自身の脳に全力で言い聞かせた。これが悪い夢であることを。

「何が青春ダ...何が彼...ヒッく...。犠牲の上に成り立ってることも忘れてのうのうと...ッく....」

「あの...みっ...瑞希ちゃん...?」

「こんんんのっ...!チキショーー!!」

瑞希は顔を真っ赤にしてグラスの中身を飲み干した。


十分後

「惚気てんじゃねえカス共。ラブソングなんて滅んじまえええ」

「良いぞもっと言ってやれぇーい!」

瑞希が壊れた。彼女が間違えてお酒を誤飲してしまってから後、店内が地獄と化している。溜まってた鬱憤が酔いで解放され、ダムの放水の如く荒れだす始末。千春もお酒で気持ち良くなっちゃってて止めるどころか全力で楽しんでいるし。何を間違えたのか思い返せば、何かもかもが間違ってたように思えてきた。

自分のことで荒れているならまだしも、暫くしてその飛び火はこちらにも飛んできて

「詩鶴だって、いつまで言い出さずにいるのさ!」

「言い出す...?」

「河島くんだよ!あんたらもうデキてんでしょうが。早く付き合え。付き合っちまえよ!!」

脳みそに炭酸を注がれたような緊張感が全身に走った。その"河島くん"の姉が横にいることに彼女は気づいていない。千春がこれに気づくとニヤリと笑いだし、無言でこちらに指を指してきた。そこで私は胸に誓った。千春だけは絶対に酔わせ潰す、と。瑞希に酔い醒ましのジュースを注ぐのとは対称に、千春には次々に強い酒を飲ませていく。潰れたら責任をもって私が河島宅まで運ぶつもりだから気にするな。せめてもの罪滅ぼしをさせてくれ。

ああ、瑞希はいつになったら酔いから醒めてくれるだろう。怒鳴り散らしたと思えば泣き喚いたり、もう情緒という情緒が壊れている。頼むから、これから飲める歳になってもお酒には出会わずにいて欲しい。少なくとも私が側にいる限りは絶対に飲ませない、と心に決めた夕暮れ時だった。

「ああもう、見返してやるんだから....誰よりも幸せになってやるんだからァーーッ」

「良く言ったッ。やれー、やってやれーーい!」

「嫌あ"あ"あ"あ".....誰か抱いて....滅茶苦茶にしてええええ!!」


「だァーーーッ、二人とも落ち着けってもおおお!!」


つづく。

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