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下町の鶴  作者: 瀧ヶ花真太郎
11章.魅力
108/121

108.窓と扉

明希が泣いている。夜中の雨の中で一人。それは何年も前の幼い姿で現れて、お母さん、お母さんと呼び続けている。私は彼女の元に駆けつけて、膝をついて同じ目線に立ち、頬の雨を拭っている。ゆっくりと瞬きをすると、今度はその二人を遠くで眺めている光景へと変わった。なんで遠くから自分を見ているんだろう。

下町の鶴

11章-魅力-

☆Episode.108「窓と扉」


目が覚めるとまだ外は暗く、二度寝をするには何とも言えない時間になっていた。そこは先ほどの夢の中と似たような暗さで、私はそのことを浮かべながら上体を起こした。まだ兄弟の寝息が聞こえている。今は何時だろう、床に足を降ろした。

「瑞希....うるさい....」

姉がぼそっと吐いた言葉にびっくりして咄嗟に謝るも、返答もなくすぐに寝息だけになった。たぶん寝ぼけて言ったのだろう。せめて夢の中くらい気を遣ってくれ。

部屋を出ると、廊下は凍りつくような寒さになっていた。さっきまで布団の中でぬくぬくと過ごしていたせいで身体が自然と縮まる。階段を下りてリビングにやってくると既に明かりがついていて、私は咄嗟に目をぎゅっと絞った。何やら物音がしている。眩しさにたじろいで動けずにいると、父の声で

「おはよう」

と聞こえてきた。

「うぅ...眩しい」

「もう少し寝てたらどうだ。起きるにはまだちょっと早いぞ」

「うーん...トイレいきたい」

「ここはトイレじゃないぞー」

「んん、知ってる」

ぼやけた視界の中にうっすらと新聞を広げる父が映る。仕事場で最も早いA勤に配属されているから、いつも私が朝食にありつく頃には既に仕事場に向かった後。つまりは早起きというより夜中に目が覚めた、という方が正しいのかもしれない。トイレから戻って壁の時計に目をやる。午前四時だった。

「お父さん何食べてるの」

「朝食」

「うん知ってる。何食べてるのって」

「ごはん」

「....。 もういいよ、聞くんじゃなかった」

諦めたような口ぶりをすると、父は

「フッ」

と小さく笑いだす。新聞をたたんで私を相手する気になったのか、いまさら私の質問の回答を返してきた。

「昨日の余り物定食」

「今見たよ」

「んで白米と、こいつが味噌汁ってやつだ」

「わかった」

「味噌は赤味噌だぞ。あと具材は油揚げ―――」

「分かったから!朝から意地悪しないで」

さすがに悪戯が過ぎる、と感情を表に出すと、

「はは、悪かったよ」

などと言って立ち上がり、食材入れの戸棚を開けた。

「コーンスープでも飲むか?」

「まだ早いんじゃないの?」

「飲み物くらいなら大丈夫だろう。身体冷しちゃ大事だ」

「ふーん、それじゃあ貰おうかな」 

「はいよ。少しお待ち」

不思議な感覚だ。朝なのに部屋に電気がついていて、目を覚ましてから直ぐに父とこうして話すなんて。いつもは母と兄弟が忙しなく準備をしていて、目覚めて早々やかましい情景に包まれるのだが。父は熱々のマグカップを私の前に持ってきて

「二人だけで話すのも久々だな」

と嬉しそうに言った。

「お父さん、いつも早いもんね」

「まあな。瑞希も学校大変だろ」

「まあ、最近特に寒いし。玄関でるまでが一番気ぃ重い」

「あぁ本当に。外側から開けるときは軽いのに」

「ね」

ここ最近の気温は雪でも降りそうな寒さ。窓の外はまだ夜と見間違えるような暗さで、二人の物音だけが響いているこの部屋はまるでスポットライトの当てられた舞台の上みたいだ。ほんの一呼吸、言葉を交わさなくなるだけで重要なワンシーンのように思えた。

「会社の同期がさ、このドラマ面白いって」

父は新聞の番組表を指差して言う。そこに目をやると、学校のなかでも度々耳にするタイトルが載っていた。

「それ、うちのクラスの女の子も話してた。どんなやつなの?」

「なんか恋愛小説が原作のやつなんだって」

「ふーん」

「青春ラブストーリーってやつ?駄目だなあ、学生時代の古傷が疼きそうで」

「お父さん恋愛経験あったの?初耳なんだけど」

「"失恋"経験な。砕け散ってる」

「.....ごめん」

余計なことを聞いてしまった。今夜テレビでみんながこれを見始めたら席を外そう。さすがに可哀想で見ていられない。

「オレはちゃんと待ったよ、一週間」

「え?」

「告白して、来週答えを出すって言われて...」

「ああ.....」

「毎日ハラハラして、断られたどうしようって気が気じゃなくてさ」

「待つ方も大変なんだね」

笑いながら昔話を口にしている。私はそんな父の話を聞いて複雑な心情に立たされた。何故なら今、その当時の父と同じ境遇の人を待たせているからだ。きっとあの子も今頃葛藤の中で毎日を過ごしているに違いない。だからこそ早く答えを出してあげたいんだけど、誰かに相談する勇気が持てなくて。それで間接的にヒントを得ようと色んな人に顔を見せていた。

「お父さん」

「うん?」

「そういうとき男の子ってさ、一日でも答えが早く来る方が嬉しいの?」

「そりゃあな。イエスかノーかを知るのは怖いけど、その不安を抱え続けるのはもっと辛いことだから」

「そっか....」

言葉に詰まった途端に私は、急いで次の言葉を出さなければと焦る。しかし、父にそれを悟らせるにはこの刹那で十分だった。熱いコーヒーを啜って直ぐに、父は穏やかな笑みを浮かべる。私は、次に来るであろう核心をつく言葉を避けるようにテーブルへと視線を落とした。

「瑞希」

「...うん」

「本当に大切だと思うことにはしっかり時間をかけてあげな」

「.....」

「あの時はフラれたけど、オレのことでちゃんと悩んでくれたのは本当に嬉しかったから」

「うん、そうだね」

「ま、偉そに教えてやれるのはそれくらいかな」

父は私の抱えているものに対して茶化そうとはしなかった。遠回しな気遣いでアドバイスをくれて、何事もなかったかのように他愛のない会話に戻してくれた。やがて父が仕事に出かけると、私は一人ぼっちになった静かな部屋で父との時間の余韻に浸った。


あまりに早起きしすぎたせいで学校では定期的に物凄い睡魔に襲われた。授業では意識を保つのに必死で、気を抜けば一瞬で夢の中に落ちてしまう状況。これはもう寝落ちというより失神だ。昼休みに思いっきり睡眠を取ったことで事なきを得たけど、その時間でたくさん遊べたと思うと勿体なく思う。目を閉じて意識が遠のく前、明希が少しつまらなそうにしていたのを覚えている。

放課後、下校時間に私は思いきって詩鶴に相談を持ちかけることにした。朝、父と話せたことがきっかけで小さな勇気を持つことが出来たから。今の心情をどうやって伝えて良いか纏まらないけど、このままではただ時間を無駄にするだけのような気がして。こんなことを相談されても困らせてしまうだけかもしれない。でもモヤモヤした気持ちでずっと過ごすのは嫌だったから。

詩鶴は快諾してくれた。彼女の家まで一緒についてきて、それまでは心配させまいと他愛のない話で繋いでいく。そして時間が過ぎ、お店のカウンター越しに詩鶴は女将になった。彼女は机に肘をついて尋ねる。

「で、みっちゃん。今日はどうしたの?」

自分から持ちかけたことだからちゃんと話さなきゃ、と気持ちが逸る。そのせいで上手な伝え方が見つからなかった。えっとね、えっとね、と言葉がどもる度に詩鶴は首をかしげる。何か便利な台詞が浮かばないものか。そう自分を問い詰めた結果、唐突に浮かび上がった言葉を私は口にした。

「理想の恋ってどんなかな」

言う前に一時停止をしなかった自分を酷く責めた。詩鶴も突然の謎発言にぽかんとしている。

「えっと、熱ある?もしかして」

「ないよ、ないない。えっと...これはつまりその...」

「??」

もう諦めて全部話した方がいい気がしてきた。これ以上遠回しに助けを訴えても誤解されてしまうだけだし。

「つるりん、驚かないで聞いてね」

私はそう前置きを入れて事情を話した。

「ええ!告白された!?」

前置きが一寸の意味も成されなかった。


つづく。

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