中編
シルヴィーとミカエルの婚約式は、妖精の姫との事もあり行われないことになった。
王族が婚約する場合、婚約証明書の証人は王族と決まっていた。その為、翌日には先に帰国するジルフォードがいるうちにと、シルヴィーとミカエルは出逢ったその日に婚約を結んだのだった。
翌日ジルフォードはヴェルハイムに帰国したが、ミカエルだけは一週間ほど滞在することにした。ミカエルがシルヴィーの側に少しでもいたいと望んだからであった。
昨夜、シルヴィーはランベールから全ての説明をされていた。
シルヴィーの願いが叶いにくいのは、加護が強すぎて高位の妖精でないと願いを叶えられないからであること。
高位の妖精のお気に入りであるシルヴィーは、高位の妖精に魂を食べられてしまう可能性があったということ。
またその可能性から逃れる為には、国外に移り住むことを条件として、妖精の王に加護外しをしてもらうしか手段がないということ。
そして、国外に出ることの手段の一つとして、ミカエルと縁談目的に引き合わせられていたこと。
(正直、もっと早くお兄様がきちんと私に説明してくれていたら、あんなに悩まなかったのに…)
ランベールに対して恨めしさを抱きながら、シルヴィーは隣を歩くミカエルを見た。
(それにして、私がミカエル様と婚約…夢みたいだわ…)
シルヴィーの視線に気づいたミカエルが微笑み返し問いかけた。
「この庭園は?」
城の中には複数の庭園があり、その中でも少し珍しい庭園へと2人は来ていた。
「母との思い出の庭園なんです」
シルヴィーはミカエルに説明しながら庭園の奥の四阿を目指していた。
「昨日の庭園と違って、ここには妖精さんがいないですよ」
「妖精がいない?」
ミカエルの問いかけにシルヴィーは頷いた。
「えぇ。だからここの庭園は人の手で育てられているんです」
そういうとシルヴィーは、近くにあった花に手を添えた。
「妖精が関わっていない、純粋な自然の力と人の手だけ」
「では、水やりなども人の手によって?」
「はい。いいですよ、妖精さんの気まぐれで植物を枯らされることもないですし」
「確かに、それはいいね」
感心するように言うミカエルとみて、シルヴィーは嬉しそうに語った。
「母は他国の王女だったと聞いています。なんでも父が一目惚れして連れて帰ってきてしまったとか」
「たしか前王妃様の出身はリストリム王国、だったかな?」
「はい。母から祖国の話は聞いたことがないのですが…」
シルヴィーの表情が曇ったのを、ミカエルは見逃さなかった。
リストリム王国は、ミカエルの住むヴェルハイム王国の南に位置しており、フレイス王国と国境は触れていなかった。
ヴェルハイム王国以上に魔法が発展してる国で、ミカエルの弟も現在そちらに留学している。
やがて、二人は目的の四阿についた。
「ここ、私と母の秘密の場所なんです」
シルヴィーが示した四阿の中には、L字型のベンチの他に、子供用の小さな椅子と机も置かれていた。
初めてそこに足を踏み入れるミカエルにも、シルヴィーが幼い頃ここで母親と遊んでいたであろう情景を想像することは容易であった。
「さぁどうぞ」
そういってシルヴィーはミカエルをベンチへ案内した。
「特別なところに招待してくれてありがとう」
ミカエルはシルヴィーの手を取りながら共にベンチに腰掛けた。
四阿から少し離れたところには、ベンチを背にするように護衛のロジェが待機していた。
ロジェの様子を伺うような視線を送りながら、シルヴィーは内緒話でもするように口元に手をあてミカエルに話かけた。
「ここ、内緒話をするのにうってつけなんですよ」
「へぇ」
ミカエルは嬉しそうにシルヴィーに問いかけた。
「どんな内緒話をしてくれるのかな?」
ミカエルがそういうと、シルヴィーは背筋を伸ばし、少し胸を張ると、ミカエルを見つめた。
「見ててくださいね」
すうっと深呼吸をしたシルヴィーは目を閉じ、問いかけた。
「妖精のお姫様?私と変わりますか?」
四阿を柔らかい風が吹き抜け、沈黙が流れる。
シルヴィーの問いかけにミカエルは驚いた。加えて、シルヴィーの様子は何も変わらないことにさらに驚いた。
恐る恐るミカエルはシルヴィーに話しかける。
「シルヴィー?」
ミカエルの問いに、シルヴィーはゆっくり目を開け、何かに納得するように頷いた。
「はい、シルヴィーです」
ふふっと、陽だまりのような笑顔を見せたシルヴィーにミカエルは安堵した。
「一体、どういうことかな?」
ミカエルの質問にシルヴィーは指を一本立てて話し始めた。
妖精の姫と人格を交代している間のことで、シルヴィーにはわかったことがあった。
妖精の姫が表に出ている時、妖精の姫が見聞きし話していることは、シルヴィーにも理解できる。
しかし、妖精の姫が何を考えているかまではわからない、ということ。
おそらくこれは、妖精の姫にとっても同じようであった。
シルヴィーが表に出ている時に、妖精の姫も同じように見聞きしており、妖精の姫がシルヴィーに語り掛けてくることがある。
しかし、シルヴィーの考えていることが妖精の姫に知られている様子はない、ということであった。
「凄いなシルヴィー、昨日の今日でそこまでわかるなんて」
ミカエルに褒められてシルヴィーの頬が緩んだ。
「このことを踏まえると、妖精の姫に聞かれたくないことは例え筆談しても無駄ということです」
つまり、昨日のランベールからの説明をすべて妖精の姫にも聞かれているということになる。
確かにそうだ、とミカエルは頷きかけて、止まった。
「待ってシルヴィー。その理屈と、今の状況は何も繋がらないよ?」
ミカエルは不思議そうにシルヴィーを見つめた。
「私は全ての妖精の姿を見ることも、全ての妖精の話し声を聞くこともできます。だから、どこに妖精がいないのかもわかります」
「うん、そうだね。確かに、ここには妖精がいないって教えてくれたね」
「それで、これは私の仮説なんですけど……妖精のいない場所は、妖精がいることができない場所なんじゃないかと思ったんです」
ミカエルはシルヴィーの言葉を熟考するように、腕を組んだ。
「妖精がいることができない場所、か。何か理由があるということかな?」
「そこまではまだ…わかりませんが…」
「でも実際に今、妖精の姫が問いかけに応じない、というわけだね」
「はい。…感覚としては、眠っているような、そんな気がします」
「なるほど」
ミカエルは、ふっとシルヴィーに微笑んだ。
「でも、何か確証があったんだろう?妖精の姫を封じる…というか、妖精の姫が眠って、シルヴィーだけになれるという自信が?」
ミカエルの問いかけにシルヴィーは、少し考えるような視線をするも、ふっと笑い、ミカエルに少しだけ身を寄せ囁いた。
「ここ、魔法が使えるんですよ」
え?っとミカエルは息をのみ、シルヴィーを見つめた。シルヴィーは悪戯が成功したように笑った。
「母が見せてくれたんです」
シルヴィーの言葉にミカエルは、四阿に入る前の会話を思い出していた。
シルヴィーの母親は、魔法大国のリストリム王国の元王女であった。そんな彼女は、魔法使いとしてもかなり実力があったとミカエルは記憶していた。
「母は、祖国の事は全く教えてくれなかったんです。でも、私が元気がない時には必ず、ここで魔法を見せてくれて…よく小さな色んな色の薔薇を作ってくれたんです」
母の事を思い出しているのだろう、シルヴィーの瞳は少し潤んでいた。
ミカエルがそっとシルヴィーの手を握ると、シルヴィーもミカエルの手を握り返した。
「亡くなった父と兄ランベールは、魔法をとても嫌っているようで…」
ミカエルの手を握るシルヴィーの手に力が入る。
「…ここは妖精がいない、こない。そう……、ここでは妖精の力は影響しません。…だから、ここでの出来事は私と母だけの秘密だったんです」
妖精の力が影響しないということの重要性をミカエルは改めて考えていた。
昨夜、ランベールは防音を妖精の力で行っていた。ならば盗聴のようなことも妖精の力で出来る、ということだろう。シルヴィーが『内緒話をするのにうってつけ』と言っていたことからも、妖精の力によって監視や盗聴などを日頃からされていたのだと感じた。おそらく、ここでの出来事をシルヴィーはランベールに伝えるつもりはない、ミカエルはそう捉えた。
そして、シルヴィーの口振りから、母親との思い出をランベールとは共有できなかったのだろう。また家族が魔法を嫌っているという点からも、魔法による形の残るものは残せなかったのではないかとミカエルは考えた。
妖精に願いを叶えてもらいにくいシルヴィーにとって、妖精の力が及ばないこの庭園は、妖精を気にすることなく過ごせる大切な場所なのだ。そうミカエルは思った。
今はまだ、何故ここで何故魔法が使えるのか、それはわからない。でもきっと、この事実は何かの助けになるとミカエルは確信した。
ふと、ミカエルは思いついたように、シルヴィーの両手を包み込むように握ると、ふわっと柔らかい光に包まれた。ミカエルがシルヴィーの手をゆっくり広げる。
すると、シルヴィーの手のひらに一凛の小ぶりな紅い薔薇が乗っていた。それはミカエルの魔法で現れた薔薇は、シルヴィー本来の瞳の色によく似ていた。
「わっ…凄い…綺麗」
シルヴィーは目を輝かせて薔薇を見つめた。
ミカエルの手に力がはいる。
「シルヴィー。…これからは、私が側にいるから」
ミカエルの言葉に、シルヴィーは零れるような笑顔見せた。
それから三年の月日が流れて、シルヴィーはまもなく18歳の誕生日を迎えようとしていた。
三年の内に背も少し高くなり、身体つきもより女性らしくなった。少し癖のあるシルバーブロンドは、緩く一つに編み込み肩に流していた。
ミカエルとの付き合いが影響したのか、女性としての美しさにも磨きがかかり、すれ違うほとんどの人が見惚れるほどであった。
当の本人は『王の妹だから見られている』としか認識していない。
ミカエルは忙しい公務の合間に月に一度、数日間滞在しては、シルヴィーが不安にならないように心がけた。
「私が魔力を込めて作った物なんだ。私だと思って身に付けていてほしい」
そういって贈られたネックレスは何よりシルヴィーを勇気付けた。ミカエルが側にいる、そう思うだけでシルヴィーは心を強く持てた。
はじめこそ、妖精の姫に人格を奪われることが多かったものの、どういう時に人格を奪われてしまうのか考えて、シルヴィーなりに対応していった。
シルヴィーが不安になったり、心が弱ってしまうと妖精の姫に人格を奪われることが多かった。
反対に、自信に満ち溢れていたり、明るい気持ちになっている時、特に、ミカエルに愛されていると実感していると人格を奪われることはなかった。
つまり、幸せを感じている時はシルヴィーはシルヴィーでいることが出来た。
それでも不安な時は、ミカエルとの秘密の四阿に行っては心を落ち着けていた。
逃げ場がある、ということは、今のシルヴィーにとっては重要なことであった。
「ミカエル様!お帰りなさい!」
「ただいまシルヴィー」
1ヶ月ぶりに再会したミカエルに、シルヴィーは抱きついた。
ミカエルの美しさは変わることなくさらに磨きあげられ、より逞しい身体つきになっていた。
「シルヴィー…少しは離れなさい…」
「嫌ですわ。もう見慣れてください」
シルヴィーはミカエルへの気持ちを隠すことはせず、恥じらいながらもミカエルに甘えていた。ミカエルに素直に甘える、そうすればシルヴィーは心が穏やかになり、妖精の姫に人格を奪われるような隙を作らずにすんだ。
ミカエルはそんなシルヴィーを慈しみ守ろうと心を砕いた。そして、シルヴィーが自分に自信が持てるようにと、愛していることを伝え続けた。
周囲の皆も、シルヴィーの行動が妖精の姫に人格を奪われない為であると理解しており、恥じらいながらもミカエルに甘える一生懸命な姿を微笑ましく見守っていた。
3年前、シルヴィーが加護について悩んでいたことも影響してか、妖精の姫に一気に魂を半分も食べられてしまった。
しかし今は、ミカエルに愛され、ランベール達に見守られていることに安心を感じている。なにより、魂が半分になってしまった自分でも、役に立てると実感できていることが、自分の自信になっていた。
シルヴィーは恒例にしていた孤児院への訪問回数を増やすことで、人との接触を増えれば明るく振舞おうとする時間が長くなると思った。実際に子供たちと触れ合う時間はシルヴィーの癒しにもなり、効果はあったと思われる。
『ちょっと、少しはミカエルと過ごさせてよ』
「絶対に嫌よ」
シルヴィーの頭の中では時折、妖精の姫とこのような言い合いをしている。
『なんなのよこの子…始めはあんなに弱ってたのに…三年経つのに魂だって少ししか食べ進められてないわ』
結果として、三年近く経つ現在、シルヴィーの魂は四割ほど残っている状態だった。
魂を食べられている精神障害として、時々虚ろになることももちろんあった。
それでも、こうして笑顔で成人を迎えようしている現実は、シルヴィーの並々ならぬ努力の賜物であった。
「予定通りなら、明後日には妖精の王が目覚める。シルヴィーの二週間後の誕生日には間に合うだろう」
「良かったねシルヴィー」
「はいっ」
ランベールの私室で、ランベール、シルヴィーとミカエルが3人で過ごしていた。
「ミカエル様はこんなに長くこちらに来ていて大丈夫なのですか?」
ミカエルは今日から1ヶ月の休暇に入っていた。
「構わないよ。弟も帰国して公務を手伝ってくれているからね。何よりこれは、結婚休暇だよ」
「結婚…休暇…」
シルヴィーは誕生日に加護を外してもらったら、すぐさまフレイス王国でミカエルと婚姻届を提出し、そのままヴェルハイム王国にミカエルと共に行くことになっている。
そしてシルヴィーは2度とこのフレイス王国の地を踏めないことになる。それが加護外しの条件であるからだ。
ミカエルとの結婚はつまり、ランベールとの別れを意味する。
シルヴィーにふと寂しさが過った時だった。
「ぁあっ」
突然、呻きながら頭を抑えてシルヴィーは塞ぎ込んだ。
「シルヴィー!?」
ミカエルがシルヴィーを抱き締めようとしたら、ランベールそれをさせなかった。
手元に置いていた長剣をシルヴィーの首もと目掛けて指している。
「何の用だ、妖精の姫」
ランベールの言葉にミカエルは身構えた。
ミカエルはこの3年間、実はあまり妖精の姫と会っていなかったのだ。それだけ、シルヴィーはミカエルと過ごす時間が幸せであったことを示す。
しかし結婚の話題になり、ランベールとの別れに対する寂しさが心の隙間を作ってしまったのか、シルヴィーは妖精の姫に人格を渡してしまったのだった。
「マリッジブルーってやつかしら?最近のこの子、不安定なのよねぇ。ふふふ、これなら私がミカエルと結婚できるかも」
妖艶な笑みを浮かべながら顔を上げたのは、明らかに妖精の姫のそれであった。
結婚や、フレイス王国を離れること、何より兄ランベールとの別れることへの心の不安は当初から予期されていた。その為、ミカエルは誕生日の2週間前から来ることで、シルヴィーの不安を取り除こうとしたのだ。
ミカエルは妖精の姫の瞳を見つめて声掛けた。
「シルヴィー聞こえる?私がそばにいるよ。大丈夫、ずっと側にいるから、帰っておいで。シルヴィー」
「何を言ってるのミカエル、わた」
妖精の姫が話し終える前に、妖精の姫が顔を歪め目を閉じた。
しばらくしてランベールは長剣を下ろし鞘に戻した。
すると、ゆっくりとシルヴィーは目を開けた。
「……ミカ…エル…様」
ミカエルの瞳を見つめたのは、間違いなくシルヴィーであった。
「おかえり、シルヴィー」
そういうとミカエルはシルヴィーを座ったまま抱き締め、シルヴィーもミカエルを抱き締め返した。
「ありがとうございます、ミカエル様」
その様子をみていたランベールは、少し言いづらそうにしながら2人にある提案をした。
「………2人とも、今夜から同衾するか?」
「え!?」
「いいんですか!?」
ランベールの突然の提案とその内容に対する2人の反応は異なっていた。
シルヴィーは顔を真っ赤にして口元を手で隠すように照れている。それに対して、ミカエルは机から身を乗り出してランベールに問い返している。その顔は驚きと悦びに満ちいていた。
ランベールはシルヴィーに対して過保護であった。
当初ミカエルが考えていた通り、ランベールがシルヴィーを監視している様子は確認された。
シルヴィーと2人で話した内容を何故かランベールが知っていることが一度や二度でなかったからだ。ランベールがあえて話題にしてくるあたり、牽制しているようにも感じられた。
そもそも妖精の力が及ばないあの庭園にシルヴィーが行くこと自体、ランベールは快く思っていないようだった。あの庭園から戻る度にシルヴィーやミカエルの様子を伺ってくる節があった。
それでも、庭園に行くことをランベールが咎めないあたりは、母親との思い出を大切にするシルヴィーの気持ちを慮ってのことだろう。
さて、どんな思惑がランベールにあるのかミカエルは真意を計りかねたが、お膳立てしてくれるなら乗っかるのみだとミカエルはランベールの提案に乗った。
「ミカエル殿が一線を越えないと誓えるなら、の話だ。あくまでも妖精の姫が出てこない為の対策だ。いいかい?一線を越えるなんて絶対に駄目だ」
「もちろんです!」
食いぎみのミカエルに対して、ランベールは眉を潜めながら言葉を続けた。
「絶対に、式を終えるまで、手を出しては駄目」
「えぇえぇ、もちろんです!」
「同衾はいいけど、閨は駄目!絶対に駄目!!」
「わかってます」
「シルヴィーが嫌がることは絶対にしない!!!」
「はい、心得ております!」
「……早まったかなぁ…」
最後のランベールの言葉を聞き流したミカエルは満面の笑みだった。それに比べて、ランベールは悔やまれるような疲れた顔をしていた。
2人の様子を見ていたシルヴィーは茹で蛸のごとく顔を赤らめ湯気が出てきそうになりながらも、やっとの思いで声を出す。
「おっお兄様!?」
「シルヴィー、せっかくミカエル殿…あー、ミカエルが来てくれたんだ、甘えてしまいなさい。その方が心が落ち着くだろ?」
「陛下!」
ミカエル、とランベールから呼び捨てされたことにミカエルは驚いた。
「もうすぐ義弟になるんだ、私のこともプライベートの時くらいは兄と呼べばいいさ」
「兄上…」
そんな2人のやりとりなど上の空でシルヴィーは自分の世界に入っていた。
(ど、ど、ど、同衾!?!?私とミカエル様が!?同じ寝所!?!?え!?ええええええ!?!?!)
「シルヴィー?帰っておいで?」
「駄目だ、これは障害による虚ろというより、同衾の話が衝撃過ぎて上の空になってるやつだな」
シルヴィーの目の前で、2人が手を振るもシルヴィーは固まったまま動かなかった。
「つ…疲れたわ……」
ミカエルと共に眠ることになったシルヴィーは、自身の寝室のベッドに腰かけていた。
シルヴィーは先程までの侍女達とランベールが隣の応接室でいがみ合っていたことを思い出した。
シルヴィーがミカエルと同衾すると知った侍女達は色めき立ち、普段は1人で入浴しているシルヴィーの手伝いをすると言って聞かず、仕方なく手伝いを許したのが運のつきだった。
これでもかとあらぬところまで磨き上げられ、仕上げとばかりに寝間着とは言いがたい下着のような寝間着を着せられかけたところで、何故かランベールが乱入してきたのだ。
その時の、侍女達とランベールの一触即発の雰囲気は凄まじかった。いつもは控えめな侍女達が一向に引こうとせず、ランベールが一本引いてしまったくらいだった。侍女に耳打ちされたランベールはシルヴィーを凝視した後、頬を赤らめながら、首を何度も横に振っていた。侍女達はランベールに何を伝えていたんだろうと思いながら、着ることになった新しい寝間着を見つめた。
この新しい寝間着も、ランベールが何度も首を横に振っていく中で、やっと許されたものだった。
「最初の破廉恥な寝間着に比べたら普通みたいに見えるけど…」
侍女達が絶対にランベールの前では背中を見せるなと言っていたことが、シルヴィーは気になっていた。
すると扉を叩く音が聞こえた。
「シルヴィー、入ってもいいかな」
ミカエルの声に驚いたシルヴィーは声が裏返ってしまった。
「はっ、はひっ!」
返事に詰まったシルヴィーの声が聞こえたのだろう。扉の向こうから微かにミカエルの笑い声が聞こえたと思った時には、扉を開けてミカエルが入ってきていた。
(まっ眩しいわ…相変わらずミカエル様は美し過ぎるのよ…!こんなに神々しい方が隣にいて…眠れる自信がないわ!)
寝間着姿のミカエルを初めてみたシルヴィーは、興奮と緊張で固まってしまっていた。
どんなにミカエルと過ごす時間が増えようと、シルヴィーはいつまでもミカエルの美しさに圧倒されていた。
「シルヴィー?隣に座ってもいいかな?」
ミカエルはシルヴィーの表情を伺うように屈んで問いかけてきた。
「もっ、もちろんですわ!」
首が落ちるんじゃないかと思えるほど首を縦に振ったシルヴィーを見てミカエルは堪らず声を出して笑いはじめた。
ぐっ…と、ベッドがミカエルの重みの分沈んだのを感じたシルヴィーの緊張は最高潮に達していた。
「くくっ…シルヴィー、緊張し過ぎじゃないかい?一緒に横になって眠るだけだよ。大丈夫、何もしないから、安心して?」
「そ…そうなんですけど…」
(何もされないのは、それはそれでどうなのかしら?)
ミカエルと婚約してしばらくした頃に、侍女達から閨についての話をされていた。
しかし『ミカエル殿下がリードしてくださるでしょうから、姫様は何も知らなくていいのですよ』と言われただけ。男女が一緒に眠る際に愛を深める行為をする、とだけ言われたので、正直何も知らないままなのであった。
この3年間、両想いの婚約者ということもあり、シルヴィーとミカエルはそれは仲睦まじく過ごしてきた。
妖精のいない庭園で逢瀬を重ねたとはいえ、2人の触れ合いは、抱擁と口づけだけ。過度な触れ合いはしていなかった。シルヴィーはミカエルからの触れ合いになかなか馴れなかった。そして毎度顔を赤らめるシルヴィーを見てミカエルも楽しんでいたので、肌の触れ合いという点では、あまり進展していなかった。
「何か気になることでも?」
シルヴィーはランベールの言っていた『一線を越えないこと』の意味も正直よくわかっていなかった。それゆえに、ミカエルと同衾することが何を意味するのかわかりかねていた。
(一線を越えることとは、愛を深める行為とは違うかしら…?同じなのかしら?……ん~…わからないことは全てミカエル様に聞きなさいってロジェも言っていたし…!)
護衛騎士であり教育係のロジェは、シルヴィーにとって幼い頃から共に過ごしたもう一人の兄のような存在であった。
城からほぼ出ていないシルヴィーが世間知らずにならなかったのは、ロジェから城下のことなど様々な話を聞いていたからである。
侍女達から閨について聞いた後、ロジェにその話をすると『彼女達のいう通りですよ。そういうことは、全てミカエル様にお任せください。間違っても私のような他の男に聞いてはいけませんよ。もちろん陛下に聞いても駄目ですよ』と、言われてしまっていたのだ。
よし、と勇気を出したシルヴィーはミカエルを見つめた。
「あの…ミカエル様…」
「なんですか?シルヴィー」
こてん、と首を傾げるミカエルの仕草にシルヴィーは悶えていた。
(あっあざと過ぎますわっ!ミカエル様!)
んんんっ、と唸りながらもシルヴィーは気合いを入れ直した。
「きょ…今日は愛を深める行為はしないのですか!?」
気合いを入れすぎたせいで思った以上に大きな声になってしまい、シルヴィーは恥ずかしさを隠すため俯き、そのまま布団に潜り込みたい気持ちを抑えていると膝の上に置いていた手が震えていた。
なかなかミカエルの返事がないので、恐る恐る顔を上げてミカエルを見てみると、瞳を大きく見開きこちらを見ていた。
「ミ…ミカエル様?」
シルヴィーの呼び掛けでミカエルはハッとした。
「シルヴィー………その…愛を深める行為が…どのようなものか…知っているかい?」
ミカエルは、震えていたシルヴィーの手を包み込むように握った。
「…ごめんなさい……その、よくわからないです…お兄様がおっしゃっていた…一線というものも……皆は教えてくれなくて…」
シルヴィーは正直に話した。
嘘をついたり、後ろめたいことをしてしまうと、妖精の姫に人格を奪われてしまうことがある。
それは、これまでの3年間でシルヴィーが学んだことだった。
「みんな?」
ミカエルの問いかけにシルヴィーは頷く。
シルヴィーは幼い頃に母を亡くなっており、閨の教育は特にされていなかった。
教育係のロジェも男性ということで、さすがに憚られたのか、シルヴィーにそういう類いの話をしていなかった。仲の良い侍女達も、閨についてはランベールより箝口令が引かれていたため、具体的な話はしていなかった。
「侍女達などに……ロジェにも…聞きました」
シルヴィーが言いにくそうにロジェの名前を上げた途端、ミカエルの顔色が変わった。
ミカエルの手がシルヴィーの手から肘、肩へとの上へ撫で上げるように、すぅーっと触れていく。
擽ったいのか肩が少し上がり、シルヴィーは思わず目を閉じた。
そのシルヴィーの反応にミカエルは気をよくしたのか、鎖骨、首筋を指先だけで触れるように撫でながら、顎に手を掛ける。そしてもう片方の手をシルヴィーの腰に当てると、グッと自身へと引き寄せた。
するとミカエルは、シルヴィーの耳元に唇が触れるように小声で話しかけた。
「ねぇシルヴィー…」
シルヴィーの心拍数がどんどん増えていく。
「たしかに、一線を越えることは愛を深める行為になるよ……でもね、一線を越えなくても、愛を深めることは出来るんだよ?」
そう言うとミカエルは、シルヴィーの耳にかぷっとかぶりついた。
「ひゃっ」
思わず声を上げたシルヴィーは、ミカエルの胸元に手を当てて、押し返そうするもびくともしない。
はむ、はむと、ミカエルはシルヴィーの耳を啄んでいた。シルヴィーがプルプルと目を閉じながら震えながら恥じらっている姿をみて満足したのか、ミカエルは、シルヴィーの顔を覗き込んだ。
「いつものキスや抱擁だけじゃ満足出来ないかな?」
「そっ、そんなことはないですっ」
「なら、今のままでも十分に愛は深められるよ」
そういうと、ミカエルはシルヴィーに啄むようなキスをした。
いつもなら、そこで終わるキスがなかなか終わらず、だんだん深まるキスにシルヴィーは戸惑いだす。
「んっ」
トントンっとミカエルの胸元を叩いたシルヴィーの瞳に涙が浮かんでいることに気づいたミカエルは口づけをやめた。
「ね?」
コクコクっとシルヴィーは頷いた。
(なんだか、いつもに増してミカエル様が艶やかで私が耐えられないわ)
熱に浮かされるようにシルヴィーがボーッとしだしたので、ミカエルはシルヴィーの背を撫でた。
「さぁ、今夜はもぉ寝よう?」
ふと、シルヴィーの背にある飾りリボンに気がついた。それはカーテンのタッセルのように、背中の生地を纏めるかのように縛ってあった。
「シルヴィー、ここにリボンがあると、眠る時痛くないかな?ほどく?」
「あ…」
侍女達が言っていたことをシルヴィーは思い出した。
(背中…お兄様には見られてはダメって言われたけど…ミカエル様は良いわよね?)
「お願い出来ますか?そのリボンはただの飾りなので、ほどいても寝間着は脱げませんから」
頬を染めながら恥ずかしそうにお願いしてきたシルヴィーを見て、ミカエルは嬉しそうに返事をした。
「かしこまりました、お姫様」
そういって、ミカエルはタッセルのような役目をしていたであろうリボンをほどくと、背中の生地のデザインを目にして言葉を失った。
それは、縦に細長いのレースが幾重にも連なっており、その隙間からシルヴィーの肌がチラリと見えていたのだ。
ドクン、ドクン、と全身の血流を感じたミカエルは、思わずその肌に触れようと手を伸ばした。
「ミカエル様?」
無言になったミカエルを心配してシルヴィーが振り返る。その勢いで、ふわっと背中のレースが揺れ、さらにシルヴィーの肌が見えた。
ハッと我に返ったミカエルは、伸ばしていた手をシルヴィーの両肩に当て、顔を伏せた。
「あぁー…、シルヴィー…、その、リボンは結んでいてもいいかな?」
「?えぇ、構いませんけど?何か問題でもありましたか?」
「大有りだ。いや、その、………うん。そうだね、思ったよりも背中のレースが広がりやすいみたいだからね、絡まったら寝にくいかと思うんだ」
「レースが絡まりやすい?」
シルヴィーの反応から、本人はこの背中のデザインを知らないのだとミカエルは判断した。
「あぁレースじゃなくてリボンが絡まってしまうかなと。ほら、長いでしょ?」
そういって、ほどいたリボンをシルヴィーに見せた。
「たしかに、こんなに長かったら腕とかに絡まってしまうかもしれませんね」
「俺に絡まるかもしれないよ?」
ミカエルは首を傾けながら妖艶な笑みで笑った。
俺、と言ったミカエルの言葉とその仕草に、シルヴィーは再び頬を染めた。
ミカエルは普段「私」というが、気持ちが高ぶった時などは「俺」と言う癖があった。それは3年間の間にシルヴィーが気づいたことだった。
「むむむむっ結んでくださいませ!」
「ハハハ、承知しました」
そういうとミカエルはシルヴィーの背のリボンを結び、トンと背中を叩いた。
「さぁ寝よう、おやすみシルヴィー」
「おやすみなさいませ!」
恥ずかしそうにシルヴィーは布団に入り込み、シーツを顔まで被った。
「お隣失礼しても?」
「………どうぞ」
「では、失礼」
ミカエルはシルヴィーの隣に入り込むと、肩肘をつきながらシルヴィーを眺めるように横たわった。
チラッとシーツから顔を出したシルヴィーはミカエルと目が合う。
「…ミカエル様は、寝ないのですか?」
「ん?気にしないで。シルヴィーが眠るのを見ていたいだけだから」
「………おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
シルヴィーは再びシーツを頭まで被った。
暫くしたら、規則的な寝息が聞こえてきた。
ミカエルはそーっとシーツを下げてシルヴィーの寝顔を見た。
「………シルヴィー」
そういうと、ミカエルはほんの少しだけ触れるようなキスをシルヴィーの額に落とした。
ミカエルがシルヴィーに今まで手を出さなかったわけではなく、手を出せなかったのだ。
先程のように、シルヴィーはミカエルから受ける愛撫が深くなるとボーッとしてしまう。つまり魂を食べられてしまったことから起きる精神障害の症状が出てしまうのだった。
このことについては、ミカエルしか知らない。ミカエルは誰にも言う気はなかったし、言う必要はないと思っていた。
窓から差し込む月明かりが、シルヴィーの頬を照らす。
ミカエルはその様子をみながら、3年前のことを思い出していた。
「レオンに相談?」
帰国したミカエルは、ジルフォードに呼び出されていた。
シルヴィーとの婚約は公表したが、シルヴィーの状態についてはミカエルの両親、ヴェルハイム王国の国王と王妃にも明かさない、そうジルフォードとミカエルは話をしていた。
レオンとは、ジルフォードとミカエルの腹違いの弟のことだった。
「あぁ、レオンのやつ、2年前にフレイス王国に行ったことがあるらしい」
「2年前のフレイス王国って…」
「そう、前国王が急死した年だ」
「でも、その頃のレオンは既にリストリム王国に留学していたはずです」
何故留学中のレオンが他国の、それも魔法が使えない国に行っていたのか、些か納得出来ないミカエルは胡乱げにジルフォードを見た。
「あーー、とにかく!レオンなら何か知恵をくれるかもしれないぞ?」
2人の弟のレオンは、若干15歳ながら既に国内随一の魔法使いであった。元から体内の魔力が多く、幼い頃は使いこなすことができず大変苦労していた。
そこでジルフォードの薦めもあり、大陸一の魔法大国であるリストリム王国に10歳で留学。それからメキメキと魔法の腕を上げて、今ではヴェルハイム王国では右に出る者がいないほどの魔法使いに成長していた。
レオンの母である側妃は、レオンを出産時に亡くなっており、ミカエルの母である現王妃がレオンのことを我が子のように育てた。その為、異母兄弟ではあるものの、なんの蟠りもなく仲の良い兄弟として育った。
レオンが留学してから、殆ど会っていないものの、ミカエルは今でも可愛い弟だと思っていた。
確かに、魔法に関しても頼りになるのは間違いはなく、ジルフォードのいうことも一理あると納得した。
なにより、レオンの留学先であるリストリム王国は、シルヴィーの母の祖国である。何かシルヴィーの母についてわかるかもしれないとミカエルは考えた。
こうしてミカエルはジルフォードの勧めもあり、レオンに会うためにリストリム王国へと向かった。
「ミカ兄!」
ミカエルに抱きついてきたのは、2年ぶりに会ったレオンだった。
「レオン久しぶり、身長伸びたな」
「へへ」
照れ隠しのようにレオンはブロンドの髪を触った。エメラルドのように輝く瞳でミカエルを見つめたレオンは話し始めた。
「大したもてなしは出来ないけど、どうぞ」
そういうとレオンは家の中にミカエルを案内した。
ヴェルハイム王国との国境沿いにあるこの街にレオンは住んでいた。
「侯爵家に世話になってるって話じゃなかったか?」
「あぁ、普段はあっちに住んでるよ。ここは俺の研究所みたいなものかな。魔法実験とか魔道具置き場だとか、好きに使えばいいからって侯爵から借りてるんだ。ほんと良くしてもらってるよ。まぁその分、侯爵の仕事の手伝いとかしてるから」
そういうと、レオンはミカエルに紅茶を出した。
「どうぞ」
「ありがとう」
「さて、ミカ兄がわざわざ来るって何か問題でもあったんでしょ?なに?」
ミカエルは頷くと、フレイス王国での出来事を隠さずに話した。そう、シルヴィーとの庭園での出来事も含めて。そして、ジルフォードがレオンに相談するように勧めてきたことも伝えた。
一通り話を聞いたレオンは、しばらく考え込むように沈黙した。それから、なにも言わずに魔法書や地図、様々な書物を読み漁り始めた。
ミカエルも特に話しかけず、レオンの反応を待った。ミカエルも、レオンが出してきた数冊の本を同じように読み始めた。
窓から夕陽が差し込んできた頃、レオンは読んでいた本をパタン、と閉じてミカエルと向き合った。
「ミカ兄………婚約おめでとう!」
「………え?あ、あぁ、ありがとう」
ようやく喋ったと思ったレオンの第一声にミカエルは虚をつかれた。
「ジル兄第一主義のミカ兄が、自分の幸せの為に動くなんて…俺嬉しい!」
「……そんな風に思っていたのか」
ミカエルはジルフォードが立太子し、いずれ王位を継ぐ、その時の妨げにならないようにいつも細心の注意を払っていた。
ジルフォードに問題があるわけではなく、いつの時代も不正をしたり、政権を翻そうとする者は現れる。
ミカエルは自らを囮にして貴族の不正を暴いたり、違法すれすれどころか、見つかれば王族籍を追われかねないことまでことまでやっていた。
そのくらい影に徹していたミカエルが、幸せになろうとしていることが、同じ兄弟としてレオンは嬉しかったのだ。
「さて、そんなミカ兄の幸せの為に俺も手助けしたいんだけど……」
「ん?」
レオンは改まったようにミカエルを見つめた。
「ミカエル兄さん、俺に、命、預けてくれる?」
「……は?」
シルヴィーの相談をしていたのに、何故、自分の命を弟に託すようなことになるのか、理解が追い付かないミカエル。
「今から俺が話すことは他言無用。ジル兄はもちろん、ミカ兄の婚約者さんにも話さないで」
レオンの真剣な様子に、ミカエルは静かに頷くと、レオンは話し始めた。
「これはあくまでも、俺の仮説。おそらく………」
それからレオンの仮説を聞いたミカエルは得心した。これは仮説ではなく、おそらく実際に起こる、そう確信を得た。言葉では言えない、第六感のようなものが、ミカエルにそう思わせたのだ。
「…レオン、お前に話して正解だったよ。でも…」
「そう、何が起こるかは予想がつく。後はそれをどう対処するか、だね」
「まさか、そこまで策があるのか?」
得意気にレオンを笑った。
「あるにはある。けど、実際に対応するのはミカ兄だからね。出来れば婚約者さんの協力も欲しいね」
「…彼女なら大丈夫だと思うよ」
ミカエルは思わずシルヴィーを思い出して口角が上がった。
それをみたレオンは満足したのか地図を広げて話し始めた。
「そう?それなら………」
そこから2人は、夜遅くまで話し合いを続け、3年後に向けて計画を詰めた。
ミカエルは、レオンの元を去る時の言葉を思い返していた。
『ミカ兄、これは彼に助けてもらうことが大前提。必ず協力を得るんだよ?』
雲が月明かりを遮り、薄暗くなった室内を、すぐにまた雲の切れ間から月明かりが照らす。
それから数日後、ミカエルはシルヴィーと共にランベールに呼ばれていた。
「無事、妖精の王は目覚めたよ。シルヴィーの加護外しの件、そして妖精の姫をシルヴィーの中から引き出すことへの協力は得られた」
ランベールの言葉に、安心と疑問が残った。
「シルヴィーの魂は、元に戻るんですか?」
ミカエルの質問に、ランベールは首を横に振った。それを見たシルヴィーは顔を青くする。
「残念だけど、妖精の王ですら、人間の魂をもとに戻すことは出来ないそうだ」
「それなら…私は…どうなるんですか?」
妖精の姫が出ていっても、本来あるべき大きさの4割しかない魂だけで、人間として大丈夫なのか、当初から心配されていたことだった。
「精神障害は残るけど、恐らくそれくらいだろうと妖精の王は言っていたよ」
ランベールは努めて穏やかな声でシルヴィーに話しかけた。
「……そう、ですか」
シルヴィーを慰めるランベールの様子をミカエルは、じっと見つめた。
「陛下…兄上、妖精の王にお会いすることは出来ませんか?」
そのミカエルの問いに、ランベールは険しい顔をした。
「私ですら、会うのが難しいんだ。加護も持たないミカエルは会えないよ。まぁ当日、姿を現してくれるから気にすることはないさ」
「そうですか」
「何か不満でもあるのかな?」
「いえ、是非どのような方なのかお会いしてみたいと思っただけです」
そう答えたミカエルを、ランベールは訝しげにみる。そんな2人の様子を心配そうに見つめるシルヴィーの視線に気づいたミカエルが微笑んだ。
「大丈夫だよシルヴィー、私が側にいる。何があっても守るから」
ミカエルの言葉に続くようにランベールもシルヴィーに笑いかけた。
「お兄様もついているから安心しなさい」
「……はい」
シルヴィーは2人に応えるかのように微笑んだ。
それから、ミカエルはひたすら妖精の王を探し続けた。
シルヴィーから聞いた妖精がよくいる場所を重点的に巡るも、会うことはなかった。
とうとう、シルヴィーの誕生日の前日になった。
その日シルヴィーは、孤児院へ最後の訪問をしていた。明日シルヴィーが旅立つことを知った子供達が、送別会を兼ねて1日早い誕生日会としてくれることになったのだ。
同行したミカエルは、室内でシルヴィーが子供達と楽しそうに遊んでいるのを裏庭の窓から見ていた。
窓からそよ風が室内に吹いた時だった。
「僕を探しているっていう魔法使いは、キミかい?」
突然後ろから聞こえた声に、ミカエルは驚き振り返った。
新緑のような瑞々しさのある長い髪を風に靡かせた10歳にも満たないような少年が立っていた。真っ白なシャツとズボンを身に付け、気だるげに話すその様子は孤児院の子供のようには全く見えなかった。
妖精の王だ、ミカエルは直感的に感じた。
サッと片膝を付き頭を垂れた。それは無意識だった。
「お会いくださり、感謝します。妖精の王、私はミカエル・ヴェルハイムと申します」
「ご丁寧にどうも。でも僕、人間の名前とか覚えないから意味ないよ」
少年から発せられる幼い声とアンバランスな口調は、人ではないと強調しているようだった。
「さぁ顔を見せてごらん?用事はなんだい?」
少年の姿をしていても、人ならざるものの威圧に圧倒されそうになる。雰囲気に飲まれそうになる自分をミカエルは鼓舞し、妖精の王を見つめた。
「助けて頂きたいことがあります」
「魔法使いが僕に何を助けて欲しいの?」
妖精の王はミカエルをじっと見つめて、何かに気がついたように目を見開いた。
「驚いた、キミ、あの小僧と血縁かい?あー、なるほど、小僧の入れ知恵だね?ということは、小僧は生きてるかな?それとも死んだのかい?何か言付けはあるかい?」
急に饒舌になった妖精の王に気圧されるも、ミカエルは姿勢を崩さずに答えた。
「弟は生きており、伝言を預かっています。
『俺はまだ人間やってる』と」
そのミカエルの言葉に満足したのか、妖精の王は大きく頷いた。
「そうか。まだ人間しているんだね。面白いね」
ミカエルは、レオンと妖精の王がどういう関係なのか、正確には知らない。
ただ、5年前に会ったことがあり、少し親しくなった、とだけレオンから聞かされていた。そして、もし自分のことを聞かれたら、こう答えてくれと伝言を頼まれていたのだ。
だから『まだ人間をしている』という科白の意味も、ミカエルは知らない。
妖精の王はレオンの伝言に満足したのか、ミカエルを覗き込むように言った。
「いいだろう、何が望みだい?」
「ありがとうございます」
そういうとミカエルは上着のポケットから小さな箱を取り出した。蓋を開けると中には2つの指輪が鎮座していた。
妖精の王は、その指輪を手にとってじっくり見た。
「へぇ随分と面白いものを作ったね。小僧の入れ知恵だろうけど、正気?」
「はい」
妖精の王は、見ただけで指輪に施されている魔法を理解したのだ。
「紅い石の指輪の持ち主の魂が、こっちの青い石の着いた指輪の持ち主の流れる仕組みだね。へぇ、これ魂の生成?よくそんな古い魔法知ってたね」
妖精の王は、至極愉快で堪らないといった反応である。
「小僧の血縁なだけあって、キミも相当狂ってるね。他人に自分の魂の一部を渡して、自分は魔力で魂の不足を補うのか。これ、封印された禁術じゃなかった?」
「ザブレント山脈の遺跡から見つけました」
ミカエルの発言に妖精の王は驚いたのか、呆れたのか、声を立てて笑った。
「アハハハハッ!あそこまで行ったんだ!いいねぇ最高に狂ってる!」
ザブレント山脈とは、リストリム王国の南にあり大陸中央に位置する山脈である。
ザブレント山脈は大地の魔力が強力な地域で、あまりの魔力の濃さから人間が立ち入るのとが出来ない上に、魔物の巣窟とも言われている場所だった。
その山頂にある古代遺跡には、多くの魔法に纏わる品々が眠っているとされている。
今回、ミカエルはレオンと共にザブレント山脈の遺跡から、禁術の資料と素材となる魔石を取ってきていた。その道のりの過酷さは、五体満足に帰還出来たのが奇跡なほどだった。
何故、妖精の王が国外の魔法事情に精通しているのか、ミカエルはわからなかったが、それを今問う気もなかった。
「妖精の王には、仕上げをして頂きたいのです」
「仕上げ?」
妖精の王が首を傾げた。
「明日、シルヴィー姫から外す加護を、そのままこの2つの指輪に与えてもらいたいのです」
「…なるほど、小僧の考えそうなことだ」
ミカエルとレオンが考えた策はこうだった。
この一対の指輪は魔道具の役割を果たす。
紅い石の指輪に、まず己の魂の一部を青い石の指輪に流す術がかけられている。その指輪から魂を受け取った青い石の指輪には、取り込んだ魂を己の魂に作り替える術がかけられていた。
しかし、前述による魂の量は限られている。そこで不足する魂を補う為に、己の魔力を魂へ作り替える術が各々かけられている。
これは、妖精の姫がシルヴィーの魂を食べて、自分の魂に作り替えていたことを参考にしていた。
つまり、他者の魂を元にして自分の魂を作り上げる。確かに理論上可能ではあるが、妖精が行うそれを魔法ですることができるのか、やってみるしかなかった。
「これ、紅い石の指輪をつける側が、誰かの魂を喰らわないと発動条件が揃わないのわかってる?」
「はい、承知しています。だからこそ、妖精の王に加護を与えて欲しいのです」
ミカエルは妖精の王を真っ直ぐ見つめた。
「妖精が行うことを人がしようとしている、未知なる不足を加護で補いたい、そういうことかな?」
「はい」
妖精の王は、ミカエルの視線に応えることはせず、くるりと背を向けて歩きだした。
「キミが生きていたら、手伝ってあげてもいいよ」
そういうと、すーっと、消えてしまった。
ドクンッと、全身の血流が一気に流れるのをミカエルは感じた。
ミカエルは緊張の糸が途切れたのか、両ひざを地につけ天を仰いだ。
(妖精の王よ…私は死ぬ気はない…必ず生きて抜くさ…シルヴィーのと未来の為に)
「ミカエル様ー!」
孤児院の窓からシルヴィーが顔を出した。
「みんなでお茶にするんですけど、…大丈夫?」
「あぁ大丈夫だよシルヴィー、今行くよ」
ミカエルは立ち上がり、入り口へと向かう。
その様子を庭の木の上から妖精の王が眺めていた。彼の手のひらには小鳥が止まっていた。
「鳥籠の扉を壊してしまうのも一興かな」
ピチチ、と小鳥が囀ずると空へと飛び立った。