98 ナリシュビーの変化
朝はまだ寒いが、昼は暖かな日差しが降り注ぐ。
村人たちは喜び、外に出て日光浴を楽しむ姿も見える。特に喜んだのはスカラーたちだ。
村の外でも魔物が喜んでいるかのようにちらほらと姿を見せる。餌を求めたのか飼育場付近にもまた姿を見せているということなので、フィリゲニスがブロックからまた派手な魔法を使うと、いっきに姿が減った。
飼育場からはグローラットの出産が増加しそうだという報告があり、それが邪魔されずにすんで進たちはほっとしている。
畑仕事を終えて、飼育場のブロック壁を増やして家に帰ると、ちょうど客が来ていた。
「あ、お帰りなさいであります。村長に会いたいとこちらの二人が」
来ているのは二十歳くらいの男女だ。進も見覚えのある者たちだ。島から来た者たちの中にいて、働いている姿を見たことはあるが話したことはなかった。名前も知らない。
「長くなるならリビングに行こうか」
「いえ、そう長くはならないので」
「そう? どんな用事で会いにきたんだ」
二人は顔を見合わせて、手を繋ぎ少し照れた様子を見せる。仲が良いのだろうとその様子からわかる。
男の方が一度目を閉じて、深呼吸する。
「俺たち結婚するので、その許可をいただきにきました」
緊張からかわずかに震えた声で婚姻の報告を口に出す。
それに進はきょとんとした表情を浮かべて祝いの言葉を返した。
「……おめでとう。え? 村長って結婚報告を受けるもんなの?」
進は村長の仕事について詳細を知らず、知っていそうなビボーンに確認のため顔を向けた。
「結婚報告は基本的に教会の人間に行うけど、そういった施設がない場合は村長が受けるものよ。特になにかする必要はないわ。問題ないと思ったら許可を出せばいいの」
「なるほどなー。うん、問題ないね。許可を出すよ。幸せにね。二人で飲めるようにお酒でもお祝いで渡そうか。リッカ、水差しかなにか入れ物に水をお願い」
頷いたリッカはキッチンへと歩いていく。
「ありがとうございます」
「祝い事だし気にしないで。村に来たときが環境が変わっていいタイミングだと思うんだけど、今結婚したのにはなにか理由でもあるのか?」
「村長の言うように、島からここに来て一緒に暮らしだして結婚の報告をするつもりだったんですが、暮らしに慣れてからと思っていたらずるずると。冬を越してそろそろ暮らしに慣れてきたからいいだろうと思って報告に来ました」
「そっかぁ。ちなみにほかに報告に来そうな人っていそう?」
「俺はちょっとわからないですね」
「報告というわけじゃないんですけど、とある虫人に熱心に声をかけている女の人ならいますね」
妻の方が心当たりがあったようで知っていることを話す。
「虫人……あれ? あの人たち結婚って概念ないからそれ上手くいくんだろうか」
「彼ら結婚しないのですか?」
「ラムニー、うちの奥さんからはそう聞いている。ラムニーとは夫婦になったけど、特殊な事情があったからだし」
「だとしたらあの人はふられておしまいになりそうですね」
「ふるという意識すらあるかわからないな。もめごとになる前に調べてみるか」
話していると一リットルくらい入りそうな瓶を持ったリッカが戻ってきた。
それに入っている水に魔法をかけてミードに変化させて、夫婦に渡す。
「蜂蜜の酒だ。そこまで強くないから極端に酒に弱くなければ二日酔いにもならないだろうさ」
夫婦は頭を下げて帰っていく。すでに一緒に暮らしているので新生活が始まるというわけではないだろう。それでも今日が新たな出発点という気持ちがあるのだろう。どことなく浮ついた雰囲気を二人ともが放っていた。
進たちは家に戻り、リッカは中断していた昼食の準備を進めていく。
昼食ができるまで結婚に関した話をビボーンから聞いて過ごす。
昼食後、フィリゲニスはビボーンに誘われて廃墟の見回りに出る。春がきて活発化した魔物たちが飼育場以外にいないか念のため確かめようと思ったのだ。
なんの予定もなければ進もそっちに行ったが、ハーベリーのところに行くつもりなので二人と途中でわかれる。
進と一緒にいるのはラムニーとイコンだ。
ハーベリーたちの家までくると、島組の姿が三人見えた。服などを作ってもらうために対価の手伝いをしているようだった。この中にナリシュビーと付き合いと思っている女がいるのかなと思いつつ屋内に入り、ハーベリーの所在を聞く。
ロンテと自室にいるということで、そこに向かう。
「こんにちは。今大丈夫か?」
「村長、いらっしゃいませ。なにか用事があるなら呼べば行きましたよ」
「おじ様たちこんにちは!」
笑顔を向けてくるロンテに、進たちも笑顔を返して、準備された椅子に座る。
「ちょっと聞きたいことがある。昼頃に結婚するって報告を島から来た人たちにされたんだ。そのときに島組の一人がナリシュビーに懸想していると聞いた。それについてハーベリーは把握しているか?」
「人族が私たちの誰かに? そういった報告は受けていませんね」
「報告するまでもないと思っているんじゃないでしょうか」
ラムニーの推測に、ハーベリーもそうだろうと頷く。
「そういった反応だと、向こう側が相手されていないと勘違いしてもめごとに発展するかもしれないから、ナリシュビーの事情を知らせておきたいんだ。君らが作る蜜が貴重ということに関しては話さず、捨て去りの荒野に来てからの暮らしぶりとか話そうと思うんだが、大丈夫?」
「大丈夫ですよ」
「それじゃ向こう側に話しておくよ。ついでに聞きたいんだが」
「なんでしょうか」
「その人族にかぎらず、ノームだったり、同種族だったりが結婚したいと考えたとき、女王としてはどういった対応になるんだろう。これまでどおり子孫を残すのは女王の役目として結婚を禁じるのか、それとも認めるのか」
生活環境が良い方向に変わってきたので、心に余裕が生まれて恋愛というものに心揺らされるナリシュビーも出てくるのではと付け加えた。
それにハーベリーは考え込む。代々伝わる女王の教えや経験談にそういったことはなかったのだ。
「……いきなりやりたいようにやれとは言えませんね。夫婦というものを私自身理解しているとも言い切れません。ほかの者たちはなおさらでしょう。その状態で結婚を許可してもナリシュビーや他種族にどのような影響がでるのかわかりません。様子見もかねて、少しずつ歩み寄っていってほしいと私は願います」
ハーベリーが言えばナリシュビーたちは従うだろう。これまで導びかれた敬意がある。しかし他種族たちにとっては制限されるいわれはない。止められて従うことはなく、厄介事でも起きないか心配する思いがある。
「まずは友達からというやつだな。いきなり結婚じゃなくて、友好的な付き合いから一歩一歩進めていってほしいという方針。恋愛方面には情緒が育っていないナリシュビー自身にもその方がいいかもな」
進としてもハーベリーの考えに賛成だ。
ここで聞けることは聞いたので、次は懸想している人族に会うことにする。
だがすぐに会いに行かず、ロンテの相手をする。せっかく来たのだからとロンテが引き留めたのだ。
「申し訳ありません村長」
「気にしなくていいよ。普段からあまり我儘言ってこないし、たまになら聞いてやるのもいい」
こういった子供らしさもまた情緒を育てるという面からは大事なことだろう。
急ぎの用事というわけでもないので一時間ほど滞在して、子供の目線から見た村の様子を聞くことにする。
ロンテとのお喋りを終えて、来たときに見かけた人族たちを探す。
ナリシュビーによるとまだ手伝いをしているようで、蚕に似た虫を飼っている部屋にいるということだった。
案内してもらい、掃除をしている三人の人族に話しかける。そこにいるのは二人の女と一人の男だ。
「ちょっと聞きたいことがある。そこの女のどちらか、ここの虫人に懸想しているか?」
いきなりなんなのだろうという目で三人は進を見る。
「まあ、そういった表情になるのもわかる。誰か探し出して茶化すために聞いたわけじゃないんだ。ここの虫人たちは事情があって恋愛とか結婚とかに関して反応がとても鈍い。それの説明をする必要がある」
そう言って進はもう一度どちらかが懸想しているか尋ねる。
すると一人が進に近づいてくる。
「君か?」
「はい。ここの虫人の一人に思いを寄せて、所帯を持ちたいと考えていますけど」
少しばかり恥ずかしそうに女は答える。
頷いた進は一緒に掃除をしていたナリシュビーたちに、この女を連れ出すことを告げて許可をもらう。
屋外に出て、家から少し離れて止まる。
「ここらでいいだろう。一応再確認しておくけど、虫人と恋人そして夫婦になりたいと考えているな?」
女は頷く。
「わざわざこうして連れ出して説明する必要があるのでしょうか?」
「ある。彼らの常識では夫婦や結婚というものは女王のみがするものなんだ。女王以外には結婚する人はいない」
恋人というものもいなかったのだろうとラムニーに聞くと、肯定される。
男女で友人という関係はあったが、それ以上に進むことはなかったのだ。
「ということは諦めなければならないということですか?」
「諦めろと言われたら簡単に諦められるのか?」
「いえ、その、難しいかなと」
「まあ、外野からわいわい言われても難しいだろうね。それで女王にそこらへんを聞いてみたところ、様子見をかねてまずは友達からの付き合いでと言っていた。俺も彼らに恋愛感情がまだ芽生えてないと見ているから、その方がいいと思う」
「友達のままで終わるということになりませんか?」
「わからないとしか言えない」
「そもそもどうして恋愛感情といったものを持ち合わせていないのでしょうか」
ナリシュビーが捨て去りの荒野に来て、種を維持するため、生態を人から蜂寄りにして生き延びてきたことを話す。
「そうやって一族が一致団結することで生き延びてきたんだ。以前よりは余裕が出てきたから、生態は人寄りに移るかもしれないけど、それがいつになるのかはさっぱりだ」
「そうですか。しかし村長とラムニーさんは友人というより男女の仲に見えるのですが」
「ラムニーはあの虫人たちの集団から抜けていて、そこにもう一つの特殊な事情が絡んで、もう一人の女王といった感じになっている。だから夫婦といった関係を築けるようになっている。でも女王の資質を得て、すぐに夫婦になったわけじゃない。最初はラムニーも自身の感情を理解できていなかったんだ」
ローヤルゼリーを食べていなければ、結婚にまで発展せず、今でも同居人という関係だっただろう。
「私が彼と早期に結ばれるとしたら、彼が集団から抜けて、特殊な事情とやらを絡める必要があるということでしょうか」
「無理ですね」
ラムニーから否定の言葉が出る。
「彼は当たり前ですが男です。集団から抜けても王の資質は得られません。我ら蜂の虫人は女王のみを頂点に置く種であり、王はいません。それに特殊な事情の方も適用されないのですよ」
進たちがローヤルゼリーを得られたのも、ナリシュビー全員に恩を売ったからだ。
現状満たされているナリシュビーたちに彼女が恩を売るのは相当に難しいことだろう。
「ここまで聞いてなお相手を求めるのなら、焦らず少しずつやっていくしかなかろうて。急に関係を進めようとしてもお主だけが空回りすることになる。下手すると相手がお主に嫌悪感を抱いて離れていくことにもなりかねん」
「少しずつというと?」
「いつもより少しだけ話す時間を増やしたり、一緒にいる時間を少しだけ増やす。そうしてお主個人へと向ける感情を育む。短期間では結果を得られぬだろうが、一緒になりたいなら決して無理を通さぬことじゃ」
「わかりました」
イコンからの助言を子供の言うことだからと聞き流すことなく真剣に頷く。自身のことを考えての言葉だとわかるのだ。
女は軽く頭を下げて仕事に戻っていく。
その背を見送りながらラムニーが口を開く。
「私としては上手くいってほしいです」
どうしてと進が聞くとラムニーは笑顔を浮かべ進の腕を取って組む。
「ススムと一緒になれて私はすっごく幸せです。この気持ちをほかのナリシュビーたちも感じられるかもしれない。それは良いことだと思うの。彼女の頑張りはそのきっかけになるかもしれないと思います」
「そっか」
「好きという感情がより強く表れるなら嫌いという感情もまた強く表れるかもしれぬ。だから幸せになるとは言い切れぬじゃろう。だが『人』としてはその方が自然であるかもしれんな」
虫から人への変化を望むなら、そこらへんの感情のゆらぎは避けられぬことであるだろう。
衣食住が足りて、ナリシュビーはさらなる変化の時期がこようとしているのかもしれない。
感想と誤字指摘ありがとうございます