70 二人の時間
スカラーたちだけの酒盛りが終わって、数日後に歓迎会が開かれた。
相撲から始まり、食事、演奏といつもと同じものだったが、全員楽しんでいた。料理のメインとして出した肉うどんも問題はなかった。
ローランドが来ていたことで、グルーズたちが緊張していたのも相変わらずだ。スカラーたちもローランドたちを見て、どうしてと驚きと戸惑いを見せていた。
そのスカラーたちがローランドたちに近づくことはなく、これといって問題など出なかったので歓迎会は成功といえるだろう。
秋が深まり、スカラーたちはここでの暮らしに馴染みだし、作物も順調に収穫できている。
気温はどんどん下がっていき、住民は一枚多く服を羽織る者が増えてきている。
スカラーたちは寒さに弱く、動きが鈍りだしていた。それを見て、イコンが彼らの家に保温の魔法をかけた。外出時は森からもってきたベストやポンチョを着て活動している。
進たちも一枚羽織るくらいはしているが、フィリゲニスが長時間維持される保温の魔法をかけてくれるのであまり寒さを感じていなかった。
「おはよー」
たまには一人で眠りたいと一人の時間を確保した進が起きだして、リビングに入ってくる。
リッカとビボーンが挨拶を返す。
先に起きていたビボーンがリビングを温めてくれたのか、廊下よりも温かい。
「どんどん気温が下がっていくな。このままだと池の水が凍ってしまわないか。水が凍ったら溶かす作業をフィリゲニスに頼まないと駄目かな」
「たしか凍るときもあった気がするけど、冬は常に凍っていたわけじゃなかったはずよ。それに凍ってもあなたが魔法で水に変化させればいいだけだし。溶かすよりそっちの方が楽で速いわ」
「ああ、氷から水へも変化可能か」
土を水にというならば無茶だが、水と氷は温度で変化しただけだ。変質の魔法で対処可能だと指摘されて、進も気づくことができた。
それなら夏に氷を作るのは自分がやればよかったなと思いつつ椅子に座る。
「お湯作りも可能だろうし、次から風呂とか調理でお湯が必要になったら俺もどうにかできるな。ほかにもできることはあるけど、気付けてないってことがありそうだ」
リッカに頼まれ水をみそ汁に変化させることはよくあるが、そのとき温かいみそ汁の状態で変化していれば温度変化も気付けただろう。しかし変化前の水に温度を合わせるのか冷めた状態で変化するので温度変化には気付かなかった。
「またきっかけがあれば気付けるでしょ」
そうだなと頷いて朝食ができるのを待つ。
少ししてフィリゲニスとラムニーとイコンが起きてきてリビングが賑やかになる。
朝食を食べて、いつもの畑仕事に向かう。
作業自体はもう慣れたもので進もナリシュビーたちもスムーズにすませていく。
採取した芋を倉庫に運び、土に魔法を使い、苗を植えてナリシュビーたちが水やりをしているところを見ている。
そんなときラムニーは進が耳を気にしていることに気付いた。
「どうしました?」
「んー耳がかゆくてね。さっき土の粒が耳の穴に入ったんだ。それは取れたけど、耳の奥に指を突っ込んだことでかゆくなってきた」
「だったらあとで耳かきしましょうか」
「お願いできる?」
「はいっ」
おまかせくださいと頷いた。
進は耳のかゆさに耐えて、スカラーたちの畑にも魔法をかけて家に戻る。
「リッカ、私とススムは昼食まで部屋にいますね」
「はい、昼食ができたら呼びに行くであります」
「ちょっとなんで部屋に行くの?」
会話が聞こえていたフィリゲニスが腰を浮かせて聞く。まさか今からいちゃつきでもするのかと思い、ずるいといった表情だ。
「耳かきをするんですよ。耳がかゆくなったそうで、耳かきしましょうかと聞いたら頷いたので」
「夫婦らしいことが羨ましい」
軽くだが恨めしい視線を向けられてラムニーは交代しようかと思ったが、その前に進が口を開いた。
「次はフィズに頼むし、フィズの耳掃除もするから今日はラムニーにね」
「わかったわ」
役割を奪い取ろうとまでは思っていなかったフィリゲニスは、約束してくれたことに気分を良くして椅子に座り直す。
進とラムニーは石製の耳かきと布を持って、進の部屋に入る。
ベッドに座ったラムニーが、ぽんと膝を叩く。
「ではこちらへどうぞ」
「りょーかい」
ベッドに横になった進はラムニーの太腿に顔を置いて、耳を上に向ける。
進はもぞもぞと動いて体勢を整えながら口を開いた。
「ああ、そういえば耳かきを誰かにやってもらうのってずいぶんと久しぶりだ」
「そうなのですか?」
「小さい頃に母親にやってもったのが最後かな」
懐かしいと思いつつ進は耳かきを待つ。
ラムニーは小さな明かりを魔法で出現させて耳の奥を見えやすい位置にもっていく。
「汚れがところどころに見えますね。それでは始めます。痛かったらすぐに教えてください」
「あいよー」
返事を聞いてラムニーは、まずは耳の浅いところを軽くかいていく。
進はカリカリとゆっくりとした音を聞く。痛みはなく、むしろ丁寧にやりすぎかもと思う。
「しつこい汚れがあったらもう少し強くしていいぞ」
「わかりました。今のところは大丈夫ですので、このままやっていきます」
手を止めていたラムニーが再び耳かきを動かし、カリカリとした音が続く。
「浅い部分は終わりました。続けて奥に行きますよ。そーっと、そーっと」
恐る恐るといった感じで、耳の内部を傷つけないようにラムニーは耳かきを中に入れて、優しくかいていく。
「っ」
「痛かったですか?」
短い吐息が進の口からもれて、ラムニーはすぐに手を止めた。
「いや痛くない。少しだけくすぐったかったんだ。もう少しだけ力を込めてかいてくれるか」
「少しですね……んーと、これくらい?」
「ああ、それくらいで大丈夫だ」
力の調整をして、どれくらいならば動かしても問題ないか確認してラムニーは奥の耳垢を取り始める。
「とりますね。まずはこれを……ん、よし。このままこのまま」
取れた耳垢を布につけて、また耳に耳かきを入れる。
かゆいところをかいてもらっている進は心地良さから脱力し、目を閉じて身を任せる。
太腿に感じる体重のかかり具合から、なんとなくリラックスしてくれているとわかったラムニーは嬉しげに表情を緩めた。
「んー、こりこりーっと。ちょっと取りにくいのがあるのでもう少し力を込めますね」
そう言ったラムニーが慎重にひとかきして、進はぺりっとなにかがはがれた音を聞いた気がした。
語尾に音符がつきそうな少しだけ弾んだ声で「取れた」と言ったラムニーはゆっくり耳かきを耳から離す。
「痛くはありませんでしたか?」
「大丈夫」
「よかったです。続けますね」
二分ほど集中するラムニー。
進はラムニーの吐息と耳かきが耳の内部をこする音のみが聞こえていた。
そうして片方の耳が終わる。
耳の痒みがとれてすっきりした進は、ラムニーに促されて寝返りをうつ。
ラムニーは光の調整をして、また浅いところからやり始めた。
ラムニーは丁寧さを心がけて、もう片方の耳も終わらせる。
「どうでしたか? 途中で止めるように言われなかったので問題なくやれたと思うんですけど」
「またやってもらおうと思うくらいにはよかったよ」
進はもう少しこのままでいたかったと思いつつ起き上がる。
感想はお世辞などではなく、やってもらっていたときに痛みは皆無であり、終わった今両耳はすっきりとしている。
ほっとしたようにラムニーは微笑んだ。
「それはよかったです。またかゆくなったら言ってください」
「そのときは頼んだ。ラムニーはどうする? 俺がやろうか」
「今日は大丈夫です。かゆくなったら頼むかもしれません」
部屋から出てリビングに戻る途中で、イコンが昼食に呼ぶためふわふわと廊下を移動していた。
「あ、終わったのか。昼食だそうだ」
「わかった」
「あとフィリゲニスがやっぱり羨ましいと言っておった。風呂に一緒に入って体を洗ってやって、洗ってもらうと言っておったな」
「まあ、それくらいの嫉妬なら可愛いもんだな」
「わしも羨ましく思うたが、触れられるのは少しばかり恥ずかしい」
「やるとしてその体の方なのか、それとも外の木の方なのか」
木を洗うとなるとホースでジャバーッといったイメージが進の脳裏に浮かぶ。水道もホースもないので、魔法で似た感じになるのだろう。
「こっちの体じゃの。まあ汚れることはないのだが」
毎回魔力で体を作っているので、汚れてもその汚れは体を消したとき地面に落ちるか、一緒に消えるのだ。
「やる意味なくないですか?」
ラムニーの発言にイコンは頷く。それでも触れられる感触などはあるので、疑似体験といった感じで興味があった。
リビングに戻り、風呂について了承するとフィリゲニスは嬉しげに小さく万歳と両手を上げた。
今日一日の作業が終わり、夕食もすませる。風呂に水をはって、進が実験としてお湯へと変化させる。イメージしたのは日本にすんでいたときの風呂の温度だ。湯気が上がり始めたお湯に指を入れると、問題ない温度だった。これなら沸騰させたお湯にも変化可能だろう。
服を脱いだ進とフィリゲニスが浴室に入る。互いに裸はもう見慣れたので照れなどない。かといって見飽きたということはなく、互いに少しの間眺めて口を開く。
「じゃあ、まずは……どっちがどこから洗う?」
「頭からでいいんじゃないか」
「私から先にやるわね」
「頼んだ」
二人は浴槽の近く移動して向き合う形で座る。進の視線は下げられて、フィリゲニスの胸に固定される。いい眺めだと思っているとフィリゲニスが洗い始める。
フィリゲニスは石製の片手桶を持って湯舟からお湯をすくい、髪にお湯をかけていく。
時間がないときは洗浄の魔法でぱぱっとやってしまうが、手洗いや布で洗った方が、魔法もより効果を出す。
十分に髪を濡らして、フィリゲニスが両手を進の頭にもっていく。痛くしないようにとゆっくりと指を動かして頭皮を揉むように洗っていく。
「力は強くない?」
「このままで大丈夫だ」
確認したフィリゲニスは頭全体を洗い続けて、鼻歌を歌い始める。
ワシャワシャという一定のリズムで洗う音と鼻歌が浴室に小さく響く。
「これくらでいいかしらね。お湯をかけるわよ?」
「りょーかーい」
力の抜けた進の返事にフィリゲニスは小さく笑い、お湯を少しずつかけていく。
お湯が髪と頭皮を伝って、床に落ちていく。指で落とせた汚れといくらか抜けた髪もお湯と一緒に床に落ちて、元からあった配管を通って地下貯水槽に流れていく。
その貯水槽への通路は潰れていて行くことができなかったが、暇があるときにビボーンが瓦礫を排除したおかげで行けるようになっている。溜まっていた雨水などを進が綺麗にして、溜まっていたゴミや土などを掃除して、貯水槽自体に入っていたひびも埋めて、修理は終えている。
「はーい、魔法をかけて洗髪終わり」
「俺一人だとお湯で洗って終わりだから助かる。交代だ。頭を下げて」
「お願いね」
今度は進が手桶で髪にお湯をかけていく。
「全部濡れたかな」
「もうちょっと濡らした方がいいかしら」
OKと返し、進はさらにお湯をかけていく。
大丈夫ということなので、指をフィリゲニスの頭部に触れさせた。最初はほぼ力を入れず指を動かし、少しずつ力を込めていく。
「ん、それくらいがちょうどいい」
「じゃあ、これでやっていくよ」
ワシャワシャと頭部全体を行ったり来たりして、頭皮全体を洗えたと判断して、お湯を再びかける。
頭部にかけ終えて、髪にお湯をかけていく。
「こんな感じでどうよ」
「うん、ありがとう。ちょっと気になるところがあるから、お湯をゆっくりかけてくれるかしら」
「はいよ」
フィリゲニスはちょいちょいと髪を整えて、お湯をかけてもらいなら髪の毛に触れていく。
手桶のお湯が一回なくなる程度の追加で、髪を洗い終える。あとは魔法をかけて、髪が含んでいる水を絞り、布でまとめた。
「じゃあまた私が体を洗っていくわね。全部やる?」
「背中だけでいいや。ほかのところは自分でやった方が早い」
「はいはーい」
進が向けた背中にフィリゲニスは濡らした布を当ててこすり出す。
「痛くはない?」
大丈夫だと進は腕などをこすりつつ答える。
フィリゲニスは背中と首と耳辺りまでやって終わる。
進も洗い終えてお湯で垢などを洗い流して、魔法をかけてもらう。
「ほい、交代」
今度はフィリゲニスが背中を向ける。
進は力加減を聞きながら、背中をこすっていく。こすったことで少しだけ赤みを帯びた背中を終えて、フィリゲニスと同じように首と耳周辺も洗っていく。
フィリゲニスもお湯で汚れを流し、進を誘って湯舟に浸かる。
「ああして洗ってもらうのもいいものね」
「そうだな、自分でやるとそこまで心地よいわけでもないのに、やってもらうとよかったりする」
「またやりましょうね」
「わかったよ、約束だ」
フィリゲニスは「やった」と嬉しそうに言い、隣に座る進の腕をとってくっつく。
ニコニコとしているフィリゲニスはまた鼻歌を歌う。
その鼻歌が終わると、進も口笛で落ち着いた曲を選んで吹いていく。
いつもより少しだけ長くお湯に浸かって、十分に温まって上がる。次に入る人のためにお湯はもう一度温め直しておく。
魔法で水を落として、少しだけ残る水分を布でふいていく。
服を着て、ラムニーとビボーンに上がったことを伝えるためリビングに向かう。ビボーンは魔法で骨についた汚れを落とせるが、なんとなくリラックスできるようでたまに風呂に入っている。
先にラムニーが入るためにリビングから出ていった。
リビングで水を飲みつつ、その場にいる者たちで雑談に興じ、のんびりと夜を過ごしていく。
寝る時間になり、フィリゲニスとラムニーとビボーンが自室に戻っていく。リッカはもう少し家事をやるということでリビングに残り、進もイコンと自室に戻る。今日はイコンと一緒に過ごす日だった。
進がベッドの上であぐらをかいて、イコンも真正面に座る。
「今日はどんな話をしようか。小学生時代の始まりまで話したと思うけどそこから続けるのか?」
「今日はわしらの関係を一歩進めたい」
「一歩進めるってなにするつもりなんだ」
いまだ手を握ることも恥ずかしがるようなイコンに、関係を進めるもなにもあったものじゃないだろうと進は考える。
「ヨウチエンという時代の親との接し方を覚えているか」
「そりゃ覚えているよ」
「その中の一つに父親のあぐらの上に座って話したというものがあった」
「話したな」
最後にやってもらったのはたしか小学校二年くらいか。背中を預けて寄りかかってもびくともしない父親に頼もしさを感じたものだ。母親にはそういったことをしたことはないが、抱きしめられたときは安堵感があった。
美化している部分もあるのだろうが、二人のことをいつ思い出しても良い思い出ばかりだった。
いつか子供ができたとき、自分も同じように思われたいものだなと進は考えている。
「両親のことを思い出しておるのか」
「……ああ、そうだ。それであぐらの上に座りたいってことでいいんだったか」
「うむ。たまにはそういった大胆なことをやって進展していかなければならぬ。少しずつ関係を深めていると、あっというまにススムは老人になっておるじゃろうて」
「そんなに早く年は取らないと思うが」
「長く生きておると、時間感覚が人間とは違ってくるものさ。それでやって大丈夫か?」
「大丈夫かと聞きたいのはこっちなんだけどな」
これまでのことを思い出すと、イコンにはまだ無理そうな気も進はしている。
「ふっ、この大妖樹にその程度ができぬわけがなかろう」
「ではいつでもどうぞ」
受け入れ態勢というには変化はないが、精神的には受け入れてイコンが座るのを待つ。
「……いくぞ」
立ち上がったイコンは緊張した面持ちで、一歩二歩とゆっくり歩く。
進との距離が三十センチほどで止まり、クルリと背を向ける。
進はイコンの尻を見る形になっていて、座るのを待っている。
そのまま五秒十秒と時間が過ぎていく。
動く様子のないイコンに、座らないのかと声をかけた。
「す、座るぞ。今座ろうと思っておもったところじゃ」
少しばかり上ずった声でイコンは返し、膝を曲げかけて止まる。そしてまた時間が流れる。
このままだと動かないだろうなと思った進はイコンの膝の裏を押す。
「ひゃあ!?」
可愛らしい悲鳴が上がり、膝が曲がったところで、進はイコンの腰を両手を持ってそのまま下に下ろす。
狙い通りあぐらの上に座る形になった。
重さや体温は感じられなかったが、触れているという感触はある。
「なにするんじゃ、あ」
振り返って文句を言おうとしたイコンは、進の顔が間近にあることで座っていることを意識する。
すぐに顔が赤くなり視線はあちこちに向いて、なにも言えずにあわあわとした様子になる。
進は慌てた様子で離れる可能性もあるなと思っていたが、そういった挙動はなかった。
「いつまでもあの体勢でいられるのも鬱陶しかったし、座らせたんだけど」
「すすすぐに座るつもだったぞい。うん、すぐにだ」
言いながら体勢を少し変えて、前を見る。間近で顔を見るのも見られるのも恥ずかしかったのだ。
イコンの体に心臓があれば、鼓動が簡単に伝わるくらい大きく打っていただろう。
そのまま無言の時間が過ぎて、進は暇じゃないかと思っていたが、イコンが離れる様子はなく満足しているのだろうと思えた。
進側からは見えないイコンの表情は赤さは収まっているものの、嬉しいやら緊張するやらで様々に変化していた。
その日はしばらくそんな静かな時間が過ぎて、リッカが自室に戻る音が聞こえてきたところで終わりになった。
「今日はこれでしまいじゃな! ふ、ふふふっだいぶ関係が進展したのではなかろうかの」
「自分から座れてないからどうなんだろうな」
「次は自分からやれるわい! それじゃ良い夢をな!」
「そっちもなー」
イコンは部屋に使っていた魔法の明かりを消して、壁をすり抜けて帰っていく。いつもならば扉を開けて出て行くので、今日はかなり気持ちが乱れていたのだろう。
イコンの反応が面白かった進は気分良くベッドに横になって寝転ぶ。その様子からは夫婦というより、近所の兄といった関係性の方が似合っているような気がした。
感想と誤字指摘ありがとうございます