60 水人族
以前と同じ島に到着し、早速空いたままの穴に海水を入れる。
ローランドはジョッキで酒をすくい、胸元に持っていて黙祷し飲み始めた。
進は鞄から小皿とフォークと小さな壺と酒瓶を取り出す。フィリゲニスが悪くならないようにと冷やしてくれたので壺も酒瓶も冷たかった。
壺を開けると塩辛が入っていた。とろりとしたそれをフォークで小皿に取り出しローランドに渡す。
「試作した塩辛です。どうぞ」
「おー、以前言っていたやつか。どれどれ」
フォークですくった塩辛を口に運び、味わったあとで日本酒を飲む。塩辛の生臭さが酒で洗い流され、風味が残る。
一度頷くと、交互に口に運んでいく様子から気に入ったのだろうとわかる。
進は自分とガージーのフォークと小皿を出して、塩辛をつまみに酒を飲み始める。
静かに時間が進んでいく。ローランドのペースは以前ほどではなく、ゆっくりとしたものだった。
そうして一時間と少し経過した頃、打ち寄せる波の音に異音が混ざる。
誰かが海中から出てきたものだとローランドとガージーは気付き、そちらを見る。進もつられてそちらを見ると浜を照らす魔法の明かりの向こうに人影があった。
人影は足を止めることなく歩いて、明かり下に姿を見せた。顔は二十歳後半の男だが、腕に魚の鱗を持ち、よく見ると首辺りに鰓がある。素肌に鱗で作られた鎧を身に着け、手には骨でできた白い槍があり、ヒレ付きのラバースーツのようなものをはいている。
「水人族か。なにか用事か?」
ガージーが問う。
「その気配、ただものではないとお見受けする。少し離れた海中の岩陰で休んでいたところ、強い気配を感じ確認にきた。俺はシェブニス、ここら一帯の海の調査に派遣された者」
「俺は大烏公と呼ばれているな」
その返答にシェブニスは目を見開いてまじまじとローランドを見た。
「本物なのか? いやたしかに聞いた特徴と似通っている」
「俺の人としての特徴を知っているということは、それなりに上の役職だな」
海を支配する二人の王と会うことがあり、そのときは人としての姿を取るのだ。
一般の水人族は烏としての姿しか知らないはずなので、人としての姿を知ることができるということは情報が入る程度には上の方にいるということだろう。
シェブニスはその場に片膝をついて自身の身分を明らかにする。
「自分は北海王騎士団所属です。大烏公のお噂は上司から聞いたことがあるのです」
「それならローランド様の話を聞いたことがあるというのも納得だな」
ガージーが納得し頷く。
そのガージーに進は水人族について尋ねる。あとで教えてやろうと返され、話が進む。
「なにかここらの海で異変でも起きたのか?」
「はい。我が王がここらの海の汚れが減ったようだと言い、それが本当なのか調査に来たのです。ただし長期間の滞在は体調を崩すため交代で調査に来ていました」
「ああ、たしかに水の汚れも減るだろうね」
進がそう言うと、シェブニスは視線を進に向ける。
「なにか知っているのですか」
「大昔の出来事が原因でここらの海と大地は汚染されて、最近その原因が取り除かれた。だから少しずつ汚染が減ってきている」
「大昔というと、どれくらいなのでしょうか」
「五千年くらいって言ってたか?」
「それはまたずいぶんと。しかし本当のことなのでしょうか」
「君らにはそれが本当かどうかじゃなくて、今後海水がまた汚れないかどうかが大事なんじゃないのか」
ローランドの指摘にシェブニスは頷く。
「その通りですね。そこらへんはどうなのでしょう」
「同じ原因で汚れることはないはず。同じことをやろうにも、それの計画書とか実行に使った魔法とかは失われているだろうし。でも別の原因で海が汚れる可能性はある」
「別の原因とは? なにか心当たりでもあるのでしょうか」
「汚れる前兆があるとかそういったことじゃない。ただ陸地に住む者たちの今後の活動で水が汚れるかもしれないって思っただけ」
地球で生活排水や工業廃水が海や川を汚していたことを思い出したのだ。
「そういうことですか。いますぐどうこうということではないのなら問題はありません」
「今後水人族はここらの海でどう動く?」
ローランドが聞くと、すぐにシェブニスは返答する。
「まだまだ汚れた状態なので観察のままでしょう。鍛えている騎士や兵ならばある程度の期間行動できますが、一般人にとってここらで過ごすのは辛いものがあります。ここらで水人族が活発的な行動をとるのは約十年後くらいかと。それくらいから町を作るのに適した立地を探し、人が集まり町ができ始めるでしょう。私個人の推測なので、北の王も南の王も同じように考えるかどうかはわかりません」
「いや十分だ、ありがとう」
「私は今申し上げたように調査なのですが、皆様はなぜここに?」
「たいした理由ではないさ。ただの酒盛りだ」
「このような小島でですか?」
「人目につかないところで気楽にやりたかったのだよ。酒はたっぷりとある。お前もどうだ。水人族が海での行動を得意としていてももう夜だ。一晩休んでもよかろ」
少し考え込んだシェブニスは頷く。
「お言葉に甘えさせていただきます。ここなら安全に夜を過ごせそうですから」
シェブニスは槍を砂浜に刺して、三人に近づいてくる。そして穴の中の液体がすべて酒だと気づく。驚きと少しの呆れを混ざった視線を三人に向ける。
「浜に開けた穴に酒を注ぐとは豪快なことをやっていますね」
「さすがに買ってきた酒をこうしてぶちまけることはせんよ。ガージーがくどくどと説教してくるだろうからな」
「やりますね。そのような馬鹿らしい行為、叱りとばしますよ」
「違ったのですか。ではここに酒が湧く泉でもできたと? そのようなものがあるとは聞いたことありませんが」
「俺の魔法だ。海水を酒に変えたんだ」
そんな魔法があるのかとシェブニスは驚く。
なにも問題ないから飲んでみろとローランドが先に飲んで、コップを渡す。
受け取ったそれを少しだけ躊躇い、すぐに飲み干す。これまで飲んだ酒の中でも上位の味に目を見開く。
「間違いなく酒ですね」
「上等のな。お気に入りの一つだ。そしてこれを食べて、また酒を飲んでみろ。合うぞ」
残り少ない塩辛の入った壺をシェブニスの前に置く。
「これはイカですか?」
「当たり。イカの身とはらわたと塩でできたつまみだ」
「材料それだけだったのか」
「ええ、材料は少なく。ある程度の手間をかけて塩辛はできています。そうそう一応別の酒も持ってきていますよ」
容量五百ミリリットルほどの酒瓶に入れた上質なミードを見せる。
「良質なミードです。こっちも美味いと思います。飲んでみますか」
楽しみだと頷くローランドに酒瓶を渡すと、栓のかわりに詰めていた布を外して傾ける。
「以前飲んだものより濃いな。うむ、これも良いものだ」
ローランドは酒瓶をガージーに渡す。ガージーも美味そうにミードを飲む。
「君も飲むかね?」
「いただきます」
勧められ、頷いたシェブニスは食べたことのない蜂蜜の風味漂う酒を美味そうに飲んだ。
深酔いしないため少しで止めたが、自宅で飲んでいれば飲み干していてもおかしくなかった。
「いいですね。私はこちらの方が好みです」
「だったらお土産に持っていっていいよ。ローランド様たちもいいですか?」
「かまわんよ。俺としてこっちの方が好みだしな」
「問題ない」
いいのかと確認するシェブニスに進は頷く。シェブニスは嬉しげに布で栓をする。
それを見てガージーが少し眉をひそめた。
「それだと海水が入ってしまうかもしれんな」
少し貸してくれと酒瓶を借りガージーは布を外し、口の大きさを確認して魔法を使う。砂が固まりコルクのようになり、それを布で包んでしっかりと栓をする。
「これで問題ないとは思うが、いつまでも栓としての状態を保つわけではない。できるだけ早く飲んでしまうことだ」
「ありがとうございます」
酒盛りが進んでいき、酔いで緊張や職務という考えが薄れたのかシェブニスもリラックスした雰囲気を放つ。
「気楽に飲むためにと言っていましたが、こんなところまでこなければいけないのは大変ですね」
「距離的にはひとっ飛びなんだがな。トップに立っているわけだから、あまりだらしないところは見せるなとガージーがうるさくてな」
「当然です。我らの主が軽く見られるわけにはいきませんから」
「ガージー殿に賛成です。王にはいつでも立派であってほしいと望んでしまいます」
「いつも気を張るのは大変なんだぞ。こいつが村を作ったおかげで、最近は良い気晴らしの場ができて助かっているけどな」
「魔物の部下に人族がいるというのは珍しいですよね」
進のことを山の関係者なのだろうと考えたシェブニスが言う。
「違うぞ。こいつは部下じゃない。いうなれば知人だな」
「知人ですか。人間が作った村に大烏公が行ったりしたら大騒ぎになりそうなものですが」
「まあ今でも緊張はするだろうけど大騒ぎまではならなかった。ローランド様は襲いかかってくるようなことはしなかったから」
クラゼットのあとに来たローランドが強気で接してくることがなくてよかったと、進は思う。
「それでもよく魔物を受け入れましたね」
「魔物自体はもとからいたからなー」
「人間の村に魔物が? 労働用の魔物に慣れ親しんでいたということでしょうか」
「違う。知性ある魔物がそこを住処にしていた。その魔物が村になる前のところにいて、俺が厄介になったんだよ」
「ちょっとどういった村なのかよくわからなくなりました。どこにどのようにできた村なのですか?」
「捨て去りの荒野の西にある廃墟に、俺が迷い込む形で。そして廃墟で暮らしていたビボーンと出会った。始まりはこんな感じだ」
廃墟がどこかはわからないが、捨て去りの荒野という呼び方はシェブニスも知っていた。
この海域に接している寂しい大地であり、上陸することはないが、もう長いこと人や魔物の姿が陸地に見えない場所ということは昔から言い伝えられている。
「あそこに村なんか作ったんですか!? 人が住めるような場所じゃないと聞きますよ」
「あの地方は水人族からもそういった認識なんだな。わりと偶然も重なって、なんとかやれているよ」
偶然が重なってどうにかなるようなものなのだろうかとシェブニスは思う。
偶然が重なった程度で人が住めるようになるなら、とっくの昔に人が住み着いていそうな気がしたのだ。
「うーむ。話に聞いただけではやはり信じがたい」
「だったら明日の朝に連れて行ってやろうか? 実際に見たら信じられるだろう。帰りも海までなら送ってやるぞ」
「……そうしていただけるのなら甘えさせてもらいます」
捨て去りの荒野の調査をする必要はないのだが、人がいるというなら自身の目で確かめておきたかった。この先ここらの海底に村を作る際、地上の住人との生活圏の重なり具合でトラブルが起きたりするかもしれない。それを思うと、確認は無駄にはならないだろうと思う。
明日の方針も決めたことで仕事のことは一度忘れてシェブニスは酒を楽しむことにする。
そうしてつまみがなくったことでお開きとして、四人はその場に寝転んだ。
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