59 再び酒盛り
収穫祭の翌朝に進たちはナリシュビーの女王から訪問されていた。
朝食後にタイミングよくやってきた女王を綺麗になったホールで出迎える。殺風景だが廃墟といった光景からは脱却している。あとは家具をまともなものに替えるだけだろう。
進たちが椅子を勧めると、座る前に挨拶から始めた。
「おはようございます」
朝早くからお邪魔しますと女王が頭を下げて、進たちもおはようと返す。
「本日は完成した蜂蜜をお持ちしました。どうかお納めください」
女王は布で包んでいたものをテーブルに置く。結び目を解くと、三百ミリリットルくらい入りそうな壺が出てきた。
進たちが中身を確認する間に、女王は椅子に座る。
「一応聞くけど、自分たちの分は確保して俺たちに渡しているよね?」
「はい。大丈夫です」
一口ずつだが、ナリシュビーたちは食べることができている。
残りは花が枯れて蜂蜜が採れない時期のため貯蓄に回しているが、ずっと貯蓄するわけではなく十日に一度は一口食べることができるようにしている。
相変わらずの贅沢品扱いではあるが、年に一度ほんの少し食べられる状態だった以前と比べると格段の違いで、今後畑の拡張も予定されてるのでいつかは毎日食べることも可能になるだろう。そんな日が来るのをナリシュビーたちは楽しみにしている。蜂蜜が楽しみということでもあるが、それ以上に豊かなことが当たり前になるのが楽しみだった。
「今後も定期的に持ってきますので、楽しみにしていただけると幸いです」
「ああ、ありがとう。楽しみにしている」
進の返答に嬉しげに笑みを浮かべて女王は帰っていく。
「早速味見してみようぜ」
道具使いとしての感覚で食べる前から良いものだとわかっていて、楽しみだという表情を隠さずに進が言う。
リッカがすぐに小皿とスプーンを持ってくる。
それぞれが一口ずつ、ビボーンは少量を頭蓋骨に塗って味見していく。
「おおー、美味い」
日本で食べたことのあるどの蜂蜜よりも美味いと思える甘さが口の中に広がり、進は素直に感想を漏らす。
フィリゲニスも満足そうに頬を緩めていた。ラムニーは一目で幸せだとわかるとろけた表情だ。
「じゃあ次は品質を上げてみようか、それともこれを使ってミードを作ってみようか」
「どちらも楽しみね。少しずつ使ってどちらも作ってもらえないかしら」
わかったと返した進はリッカに皿と水を入れたコップを頼む。
リッカが持ってきた皿に全員が一口食べられるだけの蜂蜜を入れて、コップにもスプーン一杯を入れる。それらに魔法を使う。
蜂蜜は澄んだ金色に変わり、ミードは芳香を放つ。
まずは蜂蜜からと皆が食していく。
魔法を使う前の蜂蜜も確かに美味かったが、こっちはさらに美味い。濃厚な甘さがあるというのにくどさがまったくなく、いくらでも飽きることなく食べられそうだった。
ラムニーははしたないとわかっているものの、かすかに蜂蜜の残る皿を舐めようかかなり真剣に悩んでいた。
「次はミードだな」
ラムニーが飲み干しそうだと判断した進たちはラムニーを最後にして一口ずつ飲んでいく。
普段飲んでいるものより確実に美味いと思える味だ。進は自身が飲んだことのあるミードよりも上だと思う。
そしてラムニーは皆の予想通り、一口飲むといっきに飲み干した。
そのままテーブルに倒れ伏す。
「ど、どうした?」
いっきに酔いが回るほどアルコールが強いわけではないはずだと進は焦って、ラムニーの顔を覗き込む。
ラムニーは幸せそうに緩んだ表情だった。
「どこか異常があるわけじゃなさそうだな」
「美味しすぎて力が抜けました」
まだ体に力が入らないようでそのままだ。
体調を崩しているわけではないため、そのままにしておく。
「上質化した蜂蜜でミードを作ったらどれくらいなのかしら」
フィリゲニスがその疑問を発した途端、ラムニーがぐぐっと体を起こす。楽しみだという表情ではなく、真剣なものだった。
「だ、駄目です。それはやっちゃ駄目なことです。良くなったミードでこの状態なのに、さらに上のものを飲んだら私たちナリシュビーは堕落してしまいます」
ラムニーにはそれを飲まなくてもわかる。
それを飲めば満たされる幸福感に浸りきっていつまでも動かず、なにもせずにただ時間を経過させていくだけになる。そうして幸福感がなくなると、それを強く求めてしまう。ナリシュビーがどうとか、廃墟での新しい暮らしがどうとか、なにも考えなくなり、ミードのみを求めるようになると。
最悪役立たず以下、むしろここでの生活を邪魔するだけの存在になり果てることすら考えられて、恐怖を抱いた。
ナリシュビーにとって嗜好品ではなく麻薬の域に到達してしまうのだろう。
「心配しなくてもいい。今の俺だとそれは無理だから。できる気がしない」
「よかった。できるようになっても私たちの前では作らないでくださいね」
「わかったよ」
その返事を聞いて、ラムニーはまたテーブルに突っ伏した。
どのような味か興味はあるので作れるようになれば、ラムニーが言うようにナリシュビーがいないところで作って飲んでみようと進は思う。
蜂蜜を家事担当のリッカに預けて、進たちは作業のため家を出る。
いまだ脱力しているラムニーはリッカに世話されて、その後は家事の手伝いをすることになった。
収穫祭から少しだけ時間が流れて、いつもの日常が戻ってきていた。
夏の暑さは日ごとに去っていき、夜の涼しさはすっかり秋といった感じだ。
蜂蜜も肉も住民の口に入るようになる。だが蜂蜜は十五日に一度、肉は三日に一回という頻度だ。それでも食の幅が広がったことはたしかであり、少しずつ廃墟が豊かになってきているということだろう。
そんなある日、ガージーとその部下が醤油を受け取りにやってくる。いつものように池そばに着陸した彼らは、壺や小麦粉の入った袋や布の入った木箱を池のそばに置いている。
ガージーが近いうちにまた来ると言っていたので、進はナリシュビーに頼んで海水をいつもより多めに運んできてもらい倉庫の甕に入れていた。
ガージーたちを倉庫に案内し、魔法をかけて中身を確認してもらう。
「味見しますか?」
「一応しておこうか」
持ってきていたスプーンで醤油をすくい、ガージーに渡す。
「以前食べた味と同じだな。よし、持ってきた壺に移すんだ」
部下に命じて、甕から持ってきた壺に醤油を移させる。
ガージーは進を誘って倉庫から出て、倉庫前に置いている小麦粉などの確認をしてもらう。
「ほしいと言ったものと書くもの両方ともありますね」
「うむ」
「レシピはすぐに書けるようなものでもないんで、また後日取りに来てもらえますか」
「わかった。何日かしたら酒盛りをしたいので、そのときに渡してもらいたいがいいだろうか」
「また酒盛りですか?」
「少しばかり嫌なことがあってな。ローランド様はたまに人の町に足をのばすことがある。そしてぶらぶらと見物するのだが、ごくまれに気の合う人間と遭遇することもある。その人間が魔王軍との戦いで死んでいてな。気分が沈んでいるんだ。だから気晴らしに酒盛りをしたいのだよ」
「そんなことがあったんですね。以前みたいにほかの住人に声をかけず人数少ない方がいいですかね?」
「まあ、その方が助かるかもな。いっそのことバカ騒ぎでしんみりしたものを吹き飛ばすのもありかもしれないが」
「ローランド様のそばで騒げる度胸のある奴、ここにはいないんじゃないかな」
以前も一緒に行ったが、遠慮するように少し離れて飲んでいたのだ。そのときから半年も経過していない状態で、一緒に飲んで騒ぐ姿は想像できなかった。
「だったら少人数だな」
以前はたらふく酒を飲んで酔っ払った姿を見せないために島に行ったが、今回はしんみりした姿を見せないよう島に行くことになる。
最近あったことなどを話していると、部下たちが醤油を入れた壺を持って出てくる。
その部下たちに協力してもらって、布などを倉庫に入れる。
作業を終えるとガージーたちは壺を持って帰っていった。
進は書くものを持って、家に戻りテーブルに置くと作業に向かう。
夕食後、フィリゲニスに声をかけてレシピを書いていく。ガージーに言ったようにここにはない材料を使った料理もあり、六枚のレシピができあがった。
そのレシピを作りながら近いうちに酒盛りに出るということも進は伝えておく。
二日して、夕暮れ頃にローランドとガージーがやってくる。
ローランドは表面上いつも通りだったが、口調が少しだけ暗いということに気づけたのはビボーンとイコンだけだった。
「それじゃススムを借りていくぞ」
「いってきます」
烏の姿に戻ったガージーに、鞄を持った進とローランドが乗り、飛び立つ。
すぐにローランドが小さく頭を下げた。
「今日は俺のためにすまんな」
「いえ、親しい人が死んで沈むのはわかります」
「お前も誰かと死に別れたのか」
「何年も前になりますが両親と。事故死でして、急な別れでしたね」
「そうか」
「死んだ友人はどんな人だったんですか? 人間とは聞いていますが」
少し懐かしむ表情になってローランドは口を動かす。
「……鳥の獣人でな。俺も獣人だと誤魔化して付き合いを続けていたんだ。町の警備をやってて、初めてそこに行ったとき案内など親切にしてもらった。一年ぶりに会いに行ったら、斥候兵として魔王軍との戦いに参加して、どこからともなく飛んできた矢に射落とされたそうだ」
「そうでしたか。魔王軍との戦いはどんな感じなんでしょう?」
「操られた人間と支配された魔物が協力して、襲いかかってくるようだな。地上戦だけじゃなく、空と地中、たまに水中からも仕掛けるらしい。人間側もなんとか押しとどめているようだ」
「勇者が魔王と戦うと聞いてますけど、そういった存在が出てきたという話は聞いてます?」
「人間たちの情報が頻繁に入ってくるわけじゃないが、わかる範囲では勇者が出てきたという話は聞かないな。まだ活動が小さいか、鍛えている最中なんじゃないか」
進は鍛えているという話に納得できた。自身と同じように平和な日本からの召喚だ。武道の経験があったとしても命の取り合いまでは経験がないだろう。そこらへんの意識改革などやらなければならないことは多そうだった。
何事もなく召喚されたら、自分もそういった鍛錬をやっていたのだろうと進は他人事のように考えていた。
感想と誤字指摘ありがとうございます