48 一泊
返された瓶をリッカは眺める。ピントを合わせるためか小さくキュインという機械音が目から聞こえてくる。瓶の中身は、ぱっと見で変化はわからないが、悪くなっている感じもなかった。
「この魔法は誰にでもなんにでもかけられるのですか?」
「そうだな。抵抗されたら無理だろうけど」
「でしたら私を構成する部品の質を上げることも可能であります?」
「可能だね」
「魔法をお願いします。私自身の質を上げられたのなら、メンテナンスの頻度も下がり、博士の用意してくれた工具などの摩耗速度も落ちると思うのです」
バーミングが残してくれたものを少しでも長持ちさせたいが故の頼みだった。
了承した進は、すぐに魔法を使っていいか確認する。リッカが頷いて、進は魔法をかけた。進の予想以上に消費魔力が多かった。池を綺麗にするより多いのだから、かなりのものだろう。これはバーミングが劣化を防ぐために使っている金属が魔力に抵抗したからだ。部品そのものの抵抗力なのだから、リッカの了承は関係なかった。
リッカは最初に指を動かし、その滑らかな挙動に驚きの表情を浮かべた。
先ほどまでは長年存在していたことによる劣化があった。バーミングたちも長期間保護する魔法をかけていたが、数千年保護し続けることは想定外だった。
劣化によるわずかなひっかかりが感じられていたが、今はそれがない。生み出されて、体内部品の慣らしが終わった頃に近いスムーズな挙動ができている。
屈伸など体全体の動きを確認してからリッカは、頭を下げた。
「予想よりも上の効果でありますな。感謝を」
「気に入ってもらえてよかった。ほかの品もあと二つくらいはやっておこう」
それならばと注射器とまた別の錠剤が入った瓶を渡してくる。
「この錠剤ってなにに使うんだ?」
「これらの錠剤は水に溶かして使うものであります。先に渡したものは、人間でいうところの血液です。次に渡したものは潤滑油ですな。これだけあれば博士の手紙にあったように百年はもちます。ですが質を上げてもらえたので確実にそれ以上稼働できるでしょう」
「なるほど」
魔法をかけ終えた物を返してもらい、リッカはそれらをトランクにしまう。
「博士が石碑に残してましたし、持ち出せる物は持ち出しましょう」
「フィズ、なにか便利そうなものあった?」
部屋を見て回っていたフィリゲニスに進は声をかける。
「ぱっと見はないかしらね。棚とかは見てないからそっちにはあるかもしれない」
ではそこらへんを見てみようと三人で棚を見ていく。
棚には金貨や宝石が収められていて、換金できるものばかりが入っていた。
フィリゲニスはリッカが故障したときのことを考えてワークドール関連の資料がないかと思っていたが、そのようなものはどこにもなかった。
バーミングたちは資料を残すとそれをもとにして生み出されたワークドールが壱号のように暴走する危険性を考えて、三冊にまとめた本以外の資料は処分したのだ。その本はバーミングたちによってここではないいずこかへと持ち出されている。
「これどうしようか。今の暮らしだと役に立たないんだが」
「今後北の烏のところからきた連中との取引のときに使えるかもしれないし、持っていってもいいんじゃないかしら」
フィリゲニスは宝石に興味がないのか、手に取ることなく鉱物標本のように宝石が入った箱に蓋をして棚から取り出した。
とりあえずテーブルにそれを置き、ほかの部屋も見てみようと扉に手をかける。
扉の前には階段があり、それを上がると再び扉がある。
「開かないな」
進が扉を押しても引いてもびくともせず、リッカと交代する。
リッカがかなりの力を込めると、扉は開いたが向こうは半ば崩壊した状態だった。
扉はおそらく棚かなにかで隠されていたようだが、その棚も壊れてしまっている。
変わり果てた部屋をなんとか記憶を頼りにリッカは思い出す。
「ここは地下倉庫だったはずであります。掃除道具やワインといったものを置いていました。私が眠っていたところはここを改装した空間だと思っていたのですが、さらに下へ掘ったところだったのですね」
「この状態だと使い物になりそうな物はないわね」
見える範囲だと壊れたものばかりだった。
さっさと探索を諦めて、階段を降りて天井から土のハシゴを伸ばす。
「忘れ物はない? ここから出たら天井の穴は塞いじゃうわよ」
「俺はないな」
「私もであります」
出る前にリッカは壱号のコアを石碑の前に丁寧に置く。それと仲間たちをじっと眺めて、声に出さず行ってきますと告げる。
三人は梯子を上り、地上に出る。太陽はほとんど沈んでいて、周囲は暗くなっていた。
フィリゲニスは水のあった穴と壱号が開けた穴をさっさと塞ぐ。
「そういえば壱号の体の残骸は持って帰ってもいいのか?」
「それはご自由にどうぞであります。壱号のコアは回収できて皆のところに安置したので、体には関心はありません」
「ススム、なにに使うのよ」
「魔法に強い金属って話だから、盾か胸当てとして使えないかなって。見回りのナリシュビーたちの防具としてね」
そういうことかと納得したフィリゲニスが壱号の体からはがすのを手伝い、壱号の表面を覆っていた金属の回収が終わる。ほかの部品も金属が少ない廃墟では使い道があるかもしれないと持っていくことにした。皮は人工皮革のようなもので、こちらもはがせるものははがしていく。
回収したものを作った荷車に載せたのを見てリッカがこれからどうするのか尋ねる。
「あとは帰るだけだし、ここで野営をして明日の朝にのんびり廃墟に向かうわ」
「廃墟とはどのようなところでありますか?」
住人などの話をリッカにしつつ、進たちは夜を過ごす。
魔物と一緒に暮らすという話に、リッカは時代は変わったのだなと驚いていた。
今も昔も家畜として飼われる魔物以外と一緒に暮らすのは珍しいを通り越して、ほぼないと言っていい。しかしこちらの常識を知らない進と今の時代の常識に詳しいわけではないフィリゲニスでは、その認識を訂正などできるはずもなく、訂正するのは廃墟に帰ったときビボーンがやることになる。
「さてとそろそろ眠ろうかしら。リッカは眠るの? 私の知っているワークドールは魔力充填のため短時間稼働停止していたけど」
「私も似たようなものでありますが、今日は眠らなくても大丈夫です。朝まで自身のメンテナンスをやりながら見張りをしていますので、お二人はお休みください」
「遠慮なくそうさせてもらおう」
そうねと言い、フィリゲニスは周辺に警戒用の魔法を設置してから進の腕を抱くように、地面に置いた人工皮革の上に厚い布を敷いて寝転ぶ。
リッカはトランクを開いて、布を地面に敷いて、工具や工業用アームなどを置いていく。そして片腕を外し工業用アームを取り付ける。
「リペアアーム起動」
左目を閉じたリッカがそう言うと、リペアアームが動き出す。
今リッカの左目にはリペアアームから送られた映像が映っている。
映像を見ながらリペアアームの動作確認を終えて、服をめくり上げる。腹のカバーを自らの意思で外し、むき出しになった体内にリペアアームを向けて点検を始めた。二人の睡眠を邪魔しないように作業の音を小さくしながら点検を続けていく。
その音を聞いているうちに進たちは眠りにつく。
朝になり、進が目を覚まし体を起こすとフィリゲニスも起きる。
リッカはリペアアームを外して元の腕に戻していた。
「おはようございます」
挨拶をしてくるリッカに二人も挨拶を返す。
顔を洗うなりして身支度を整えている二人に、リッカが朝食の準備を提案してくる。
「お願い。お湯はこっちでわかすから、芋の皮をむいて一口大に切りわけて煮てくれる?」
フィリゲニスは鍋に水と醤油を入れて三脚台に載せて魔法で火をつける。
作業を任されたリッカは任されたことを行っていく。
身支度を終えて、芋が茹で上がるのを待つ。
「どうぞ」
皿に載せられた芋を二人はフォークで刺して食べていく。良い感じに煮えていた。
「もしかして食料の種類が少ないのでありますか?」
「少ないな。今のところは芋と魚と貝くらいか。肉が手に入る予定だし、作物も今後増えていくけどな」
「最初は芋だけだったし、それに比べたらねー」
「増えるのなら安心しました。今後もこれだけだと栄養面で心配でありますからな」
食事を終えて食器などを片付け、廃墟へと出発する。
当初の目的である二人きりのデートは半日で終わったが、それでもフィリゲニスは上機嫌だった。気にされていると実感できたことが大きかったのだ。
今後また不機嫌になるようなことあれば二人だけの時間をとろうと進は考える。それはラムニーやイコンのときもだ。
夕暮れ前に廃墟に戻った三人は近くを通る住人に挨拶しながら中央を目指す。
進の帰還に気づいたイコンが飛んできて背後に浮かぶ。
リッカが人間ではないと気づき気にしているが、説明はビボーンたちと一緒にするということで納得し聞かずについていく。
浮かびながらイコンはちらりとフィリゲニスを見る。出発前に見られたイライラとした雰囲気はすっかり消え失せており、リフレッシュできたのだと一目でわかった。
イコンがどういった存在かリッカに説明しているうちに中央の建物に到着する。
「「ただいま」」
進たちにお帰りと返したビボーンとラムニーは、初めて見るリッカに視線を向けた。
「南の方に人がいたのですか?」
「ラムニー、彼女は人じゃないと思うわ。魔力に違和感がある」
ビボーンが違和感を感じて言う。人族獣人族虫人族水人族精霊人族どれとも魔力の波長といえるものが違うのだ。
「まあビボーンはわかるわよね。リッカ、自己紹介してちょうだいな」
「承りました。初めましてであります。私はバーミング博士によって生み出された元家事用ワークドール、特型六号改リッカと申します」
稼働しているワークドールということにビボーンとイコンが驚く。
ラムニーをはじめとしたナリシュビーもノームもワークドールのことは知らなかったので、人間を連れて帰ってきたのだなという少しの驚きしかなかった。
人間が生み出した意思を持った人形と説明されると、昔の人はすごかったのだなと感心する。
しかし本当にすごいのだと理解しているのはフィリゲニスくらいだろう。
ビボーンもイコンもワークドールが動いていることに驚いたのであって、自我を持つ個体が珍しいという知識は持っていなかったのだ。
「南に行ったら、彼女たちを起こすことになってね」
進がリッカたちの覚醒までの説明をしていき、最後に移住することになったと締めくくる。
「といっても定住するかどうかは確定じゃない。仲間が眠る墓に帰って眠るかもしれない。それまで仲良くやってほしい」
「わかりました」
「私もよ。リッカ、あとでワークドールについて聞いていいかしら。私のワークドールに関しての知識は穴が多くて興味があるの」
「私も専門というわけではありませんが、それでよろしければ」
そう答えたリッカに、それでいいとビボーンは返す。ワークドール本人から聞けることだけでも十分に好奇心を満たせるのだ。
ラムニーたちに紹介を終えて、ナリシュビーの女王たちの顔合わせのため連れていく。
リッカの移住は、進たちが決めたことなので表向き反対意見はでなかったが、それでも様子を見る者たちが多かった。
人じゃないからというわけではなく、暴れるか暴れないかの確認だった。
魔物も受け入れようとする場所なので、人間のような人形が移住してきても拒絶感はなかった。暴れないのならそれでいいという考えだったのだ。
そして三日ほど見て、全員受け入れていた。
もともとが家事用のワークドールなので、好んで戦うような存在ではないのだ。好きに過ごしていいと言われたら、掃除洗濯料理といった家事を行う。
そうしているうちにリッカは進たちのメイドのような立ち位置に落ち着いて、たまに家事に関する知識を求める者に教授するという姿が見られた。
感想ありがとうございます