39 森の復活
「御婆様、お客様が到着されたのですか」
「サイ、こっちに来たということは向こうがひと段落ついたのかの?」
サイと呼ばれた金髪の女が首を横に振った。
「対処している最中です。大烏公の気配を感じたので一度様子を見に来ました」
「対処というのは南東にいた人間たちのことか?」
ローランドに問われ、サイは頷いた。
進に人間がいるのかと聞かれて、ローランドは着地前に軍らしき集まりを隣国側の入口に見たことを話す。
「人間はなんでそこに?」
「木材を欲しがっているということと御婆様の容態がよくない今がチャンスだと思ったからでしょうね」
「そういえば大烏公が大妖樹は容体が悪いと言ってたな。それを隣国の人間たちも知っているのか」
「本体にあまり葉もないからの。遠目でも不調とわかるものさ。弱っている今なら木材を手に入れ、ついでにこの森を縮小させて、肥えた土地を確保できると思うておるんじゃろ」
「人間はどうして木をほしがっているのかしら? 伐採ついでに開拓地でも作るつもり?」
建物用の木材でも欲したのかとビボーンが聞く。
「魔王が出現しておるからな。矢、馬車、燃料といろいろ使いたいんじゃろうて」
「魔王が出たのね」
ビボーンはやはり進は魔王討伐に呼ばれたのだなと推測を確信へと一歩進める。
その進はというと、それに関連しているのかもしれないと察することはできたが、自分がおらずとも問題なかろうと流す。高校生三人組も同じように呼ばれたのだと思ったが、特に加勢しようとは思わなかった。自分のようになにかしらの力を与えられた者が、三人もいるのだから魔王討伐可能だと考えたのだ。むしろ戦闘能力が高くない自分が加われば邪魔になるかもしれないとも思う。
というわけで魔王には特には触れず、そうなんだなと軽い感想だけを口にした。
「魔王に魔物が加勢することがあると聞いたのだけど、あなたたちは魔王側につくの?」
ビボーンの問いに「つかん」「つかぬよ」とローランドとイコンはそろって否定する。
「昔は自分たちにつけと魔王軍がやってきたが、わしらはここを確保できればいいからな。断った。ならばと力尽くで支配下に置こうと軍の強者が何度か襲いかかってきたが、返り討ちにしたわ」
「こっちも似たようなもんだ。やんちゃしていた頃に魔王軍がやってきて、誰の下にもつくかと追い払ったか」
ありましたねとガージーがしみじみと頷いた。ローランドのような強者にはなんの被害もでなかったが、弱い魔物にはそれなりに被害が出たのだ。そのことを彼らは覚えていた。ローランドが断るからということもあるが、当時のことを伝聞で聞いている彼らも気に入らず誘いがあっても断るだろう。
「魔物は雑魚が力尽くで配下として取り込まれたか、強い奴が魔王を気に入りでもしないかぎりは魔王軍として動かねえ」
「魔王側もそのうちこっちを放置しだしたから、こっちも放置しておる」
「放置って言っても魔王は代替わりしてるし、以前断られたことは知らずに何度も勧誘に来るんじゃないの?」
「そういうことはなかったのう」
「襲撃はあったが、勧誘はうちもなかった。誰か魔王軍の生き残りがいて、誘っても無駄だと伝えたんじゃないのか?」
そうかもしれないとビボーンは一応納得する。そしてもしそうじゃないならと可能性を考え出す。
会話にひと段落ついたと見たサイが、口を開く。
「御婆様。もう用事は終えられたのですか? たしか土を栄養のあるものに変えてもらえると聞いていたのですが」
「まだじゃな。いつまでも話してないでやってもらおうかの。ススム、頼んだ」
「了解です。では早速。肥えよ、満ちよ、豊穣の地へ。ファトライズチェンジ」
ここら一帯の土を魔法で変化させる。芋畑よりも広いが、池よりは狭い。
「やりましたけどどうですか」
「うむ」
頷いたイコンは少しだけ地面から栄養を吸い取る。
「変わった味がするのう」
「不味かったですか」
「いんや、珍味という感じで不味いわけではない。なんといえばいいのか」
イコンが今感じているものはわざとらしさというのか、自然の味わいではなく作られた味といったものだ。店のラーメンかインスタントのラーメンかといった違いで、大きな違いはない。
これまでと違った味で気になりはするが、十分な栄養は含まれているとわかる。
そのまま粗方の栄養を吸いつくす。周辺の土から黒さが抜けてかさついた土のみが残る。
「おかわりを頼めるかの」
「うけたまわりー」
進が魔法を使い、イコンが吸いつくすといったことを繰り返すうちに枝に葉が芽生えて、大きく開いていく。すかすかだった枝が徐々に緑色に染まっていく。
進が七回地面に魔法を使ったところで、打ち止めとなった。
「これ以上は無理」
「そうか」
「御婆様、どれくらい回復しました?」
サイから見てもイコンの本体に活力が満ちてきているのがわかる。
「四割くらいかのう。この際じゃから十割近くいっておきたい。そこまでいけば放っておいても自己治癒でどうにもでもなる。というわけでここに何日か泊まっていっておくれ」
「それはいいんですけど、宿泊できるようなところあります?」
最初から一日で終わるとは思っていなかったので泊りがけのつもりだったが、ざっと周囲を見ても木々と草ばかりで宿泊施設はない。
「野宿という形になるが、食べ物はこちらで準備するし、虫なども近寄らせんよ。サイ、果物やら肉の手配を頼む。かわりに人間たちの対処はわしがやっておく」
「わかりました。ついでにハンモックに使えそうな蔦も持ってきましょう」
サイはいずこかへと去っていく。
「人間への対処ってどんなことをするんです?」
進の疑問に、イコンは森の栄養になってもらうと返した。
すなわち殺すことと進たちも察する。
「同族が死ぬのが嫌ならお主がいる間は追い払うだけにしておくが」
「いえ、知人がいるわけではないので口出しする気はないんですけど、悲鳴とかが聞こえてくるのはちょっと」
同族の死がどうでもいいとは言わないが、ここで余計な口出してもらえる予定のものがもらえなくなる可能性も考えて、人間たちへ手心を加えてくれとは言えなかった。
見知らぬ他人よりも、自分たちの生活の方が大切なのだ。
「それならば大丈夫じゃろ。そこそこ距離が離れておる。断末魔は届かんよ」
「もう一つ願えるのなら、せめて苦しまないようにしてほしいですかね」
「わかった」
頷いたイコンは軍のいる方向をじっと見つめた。
◇
進たちがいる森の中央から人の足で何日もかかる森の東入口、その近くに人間たちは拠点を作っていた。
千人近い集団がそこにいて、森からとれる木などの素材を対魔王前線へと送っている。
ここで人間たちが活動を始めて月単位の時間が経過していて、森の魔物からの抵抗はあるものの思った以上に強いものではなく、大妖樹が不調という考えはもう当然のものとして、ここの責任者や国の上層部にもあった。
これをチャンスとして、肥えた土地を確保しようと動き、当初三百人だった人間がここまで膨れ上がった。
最初は兵とその関係者だけだったここも、傭兵が呼びこまれ、商機とみた商人もやってきて、景気の良い村といった様相を見せている。
人数を増やしたおかげで素材確保は進み、魔物を排除した土地も手に入り、このままさらに増援をと考えた。しかし順調な日々に冷や水を浴びせられることが起こる。
「間違いないのだな?」
ここの責任者である貴族が、兵のまとめ役に聞き返す。
「はい。見張りからの連絡では北の烏どもが森の中央に降り立ったと」
「……向こうも増援を呼んだか?」
人間の勢いを危惧し、助力を大烏公に頼んだかと考えた。同じ考えのまとめ役が頷く。
「その可能性は大いにあるかと。烏たちがここに来ることは、近隣の村から証言を得られています。なので交流があることは確かなのでしょう」
「厄介な。今後は空からの襲撃に注意せねばならんか」
「皆にそのように知らせておきます」
弓兵には常に拠点にいてもらうように布告することにした。
魔物側の戦力が増したからといって引き上げるという考えはでない。ここで採れる素材が上質ということもあるし、得られる利益に目が眩んでいるからでもある。少しばかり抵抗が大きくなったからといって、引くには大きすぎる利益なのだ。
それはここに来ている傭兵や商人にとっても同じで、兵が引いても残る者が多いだろう。
故に責任者からは魔物の抵抗が強まるから注意せよと勧告するつもりだった。
だがそれよりも前に事態は動く。
責任者とまとめ役が話して一時間もせずに森が動く。
イコンが得た力の半分を、人間たちの活動範囲に流したのだ。
それによって植物の魔物にバフがかかる。イコンの調子が悪く、それに同調するように元気のなかった植物の魔物たちが急に活発的になる。
まずは人間にとって清浄だった空気が、大妖樹の森にとって正常な毒などの花粉まじりの淀んだ空気に入れ代わる。
これによって人間たちの体調が下降する。動きが鈍り、呼吸も苦しく、注意力も落ちる。
人間たちも異変に気付いたものの、森の難易度を軽く見てしまっていた人間たちは毒への対策が足りておらず、脱出しようにものろのろとした動きになる。
そこに植物の魔物が襲いかかる。根っこで足をひっかけて転ばせ、頭部に根が巻きついていっきに捻る。
首の骨を砕かれた人間たちは、一瞬の痛みを感じて絶命していく。
なんとか根を避けた人間たちは背後で、仲間が死んでいくのを知りながら必死になって森の外を目指していった。
残った死体は虫や獣の魔物の餌となっていく。血が大地にしみ込んで、死臭も漂い出す。
遠のいていた死がまた身近なものとして戻ってきた。それを人間たちは思い知らされた。
「報告しますっ」
「どうした慌てた様子で」
まとめ役が貴族のもとへ駆けてくる。
「以前の森が戻ってまいりました。森に入っていた者の多くが死傷者となっています。無事に出てこれたものはほぼいません」
「烏どもが森の中でもう活動し出したのか!?」
早すぎると驚く貴族に、まとめ役は首を横に振る。
「兵たちからの報告によればまさに以前の森なのです。空気に毒を含んだ、植物の魔物が活発的な危険域」
「以前の状態が戻ってきたのなら対処は簡単なのではないか? 最初からそうだとわかっているのだから、対策もしっかりとってあっただろう」
「最初はきちんと対策していました。しばらくそういった環境ではなくなっていたので、そのうち対策を取らずに森に入っていたそうです」
貴族は罵倒したかったが、もう一ヶ月以上人間にとって有利な環境が続いていたため、自分でも同じようにするだろうと思い、出かけた言葉を飲み込む。
「被害はどれほど出た?」
「おおよそになりますがよろしいでしょうか」
「かまわん」
「兵と傭兵を合わせて百人以上が死亡です」
「百人か」
これまでで一番の数の被害数に貴族は顔を顰めた。これまでは欲にかられた傭兵たちが安全を確保していない奥に進んで帰ってこなかったということくらいで、被害らしい被害は出ていなかった。
今この拠点では、森に残された者の救助を求めて兵や傭兵に依頼が殺到している状態だ。
「これまで通りの採取は無理だろう。どれくらいの兵が動けると思う?」
「かなり減りますね。ここには荷物運びといった駆け出しも来ていましたので、そういった者たちは今後邪魔でしかなくなります。現状の森の中を動くには以前のように熟練の兵を用いなければなりません」
「退くしかないな。あとで傭兵と商人にこのことを通達。以後採取するなら自己責任で、我らの救助はなしだとな」
「承知いたしました」
「しかしどうして急に森が以前の環境を取り戻せたのか」
顔を顰めながら疑問を口に出す。
「烏たちが原因ではないでしょうか。見張りの話では、大妖樹に葉が増えたように見えたそうで。植物の魔物を元気づける薬を運んできた可能性があります」
「余計なことをっ。伐採し確保した土地を維持したいが、それも難しいだろうな」
「そういった土地への魔物たちの侵入を防ぎたいのならば、それなりの資金を投入する必要があるかと」
今後も好景気が続くと思っていた貴族は溜息を吐き、王都の金庫番たちも同じような気持ちになるのだろうなと思う。
「維持するかしないかは陛下たちに決めてもらおう。我らはここで消極的維持に努める。兵たちは森に入らず防衛を意識した備えをするように」
返事をしたまとめ役を外に出し、貴族は王都へ向けた報告書を作成し始める。
以後、兵だけではなく傭兵たちも森に入ることがなくなる。
商人たちは報酬を増した採取依頼を出したりしたが、急変した森を警戒した傭兵たちのほとんどはその依頼を受けなかった。
受けたのは無意味な自信家や一攫千金に目が眩んで賭けに出た傭兵くらいだ。そしてそれらの傭兵はもれなく森の栄養と化した。
森そばの拠点に赴任していた貴族からの報告書を受けた王たちは悩む。
というのも順調というこれまでの報告から予定を作っていて、それの変更はできるだけしたくなかったのだ。
立てていた予定は、勇者をちょうどよい鍛錬場があるとここに呼び、彼らの協力も得て、大妖樹の討伐をやってしまおうというものだった。
以前の強大な大妖樹相手ならばそういったことをやろうとは思わなかったが、弱体化しているという報告を受けてそれもありだと王たちは考えていた。
大妖樹討伐によって国は肥えた土地が大量に手に入り、勇者たちは大妖樹の素材を使って武具を作り、薬を得る。それらの武具や薬は魔王戦で大いに役立つだろうと考えられていたのだ。
しかし以前の強さを取り戻した大妖樹に勇者たちをぶつけようものなら、各国から非難の声が殺到することは容易に想像がつく。
王は計画の白紙化を決定し、現地の貴族には見張りを命じることにする。森が国側へと広がるようならすぐに連絡を入れろと。
投入していた兵も減らし、拠点からは傭兵たちも去っていき、以前の活気はなくなっていった。
今回の件で得た利益は大きかったが、兵の死亡という直接的な損害と今後のためにつぎ込んだ予算が無駄になったこともまた大きかった。
拠点の儲けに絡もうと、貴族から手伝いという名目で派遣された強い人物が死亡している。死を避けきれなかったのかと、追及の声が現地の貴族へと投げかけられることになっている。ほかにトップが死亡して、まとめきれず解散するはめになった傭兵団もある。商人も先物取引が駄目になって損害が生じたりと誰もが大なり小なり被害を被っていた。
そういった被害の原因が、勇者の一人にあるとは誰も想像することがなかった。
感想と誤字指摘ありがとうございます