37 我慢限界
正午を少しだけ過ぎた時間に廃墟に戻ってきた一行は、廃墟の中を進む。
昼食中なのだろう、ナリシュビーもノームも姿は見えない。
中央の建物に戻り、進はコップ二つを取り、水差しをとって水を注ぐ。まずはミードに変えて、ローランドに渡す。
「これは蜂蜜の酒です」
ローランドは渡されたコップを口元に持っていき、まずは香りを嗅ぐ。そして半分を飲んで、口の中に広がったハチミツの味わいを楽しんだ。
「薄い感じもするが、十分だな。これはこれで酒として成り立っていると思う」
残りをガージーに渡し、口の中をリセットするためか水を求める。
ローランドが水を飲んだあとに、進は日本酒を渡す。
「うっすらと黄色だがほぼ透明なのだな。香りはそこまでないか。どれ味はと」
コップを傾けると舌に濃いものが感じられた。米の味をローランドは知らないので、未知の味だったが、不味いとは感じず、ふくよかな味わいに感嘆の溜息を漏らした。
これもガージーに渡して、感想を口に出す。
「美味いなこれは。俺が飲んだ酒の中でも五本指に入る。これは今後も飲みたい酒だ」
美味い酒だと何度も頷いた。
「取引の品になるようでよかったですよ」
「土産にいくらか欲しいんで、壺に入れてくれ」
「物資が不足しているんで、壺でも持っていかれると困るんです」
「そうか。だったら一度帰って入れ物を持ってくるか。ついでになにか欲しい物があればとってくるぞ」
「欲しい物って言われても、そっちになにがあるかわかりませんし。フィズはなにか思いつく?」
「私に言われてもね……なんでもいいなら布とか綿とかあると助かるかしら。木材もあれば助かるかな。ドアとか作れるだろうし」
布と綿があるならクッションなどを作ることが可能で、馬車移動の改善ができると思ったのだ。寝床の改善もしたかったが、布団やベッドパッドは作れない。
「ガージー。それらなら問題ないだろう?」
「はい。重要な物資というわけでもありませんし、大丈夫ですよ」
「じゃあさっそく帰るか」
建物を出て行こうとしたローランドが足を止めた。
どうしたのかとガージーが声をかけると、真剣な顔で振り返った。あまりに真剣なため再度なにかあったのかと聞く。
「すごいことを思いついた」
なんだろうかとその場にいる者たちがわずかに緊張した様子を見せる。取引の件でなにか思いついたのか、それとも大妖樹と会うときになにかあるのか、そういったことを考えながら進たちはローランドの言葉を待つ。
「池の水を酒に変えたら、たらふく酒が飲めるじゃないか」
「ローランド様、そんなことで真剣な表情をなさらないでください」
脱力し呆れたようにガージーが言う。
「そんなこととはなんだ。好きなものをたくさん飲み食いするというのは一度はやってみたいことなのだぞ」
「気持ちはわからなくはないです」
進が同意する。バケツプリンやフライパンいっぱいのハーンバーグなど、そういった思うままに好物を食べてみたい欲求を持つ者はたくさんいた。しかしガージーが言うように、真剣すぎる表情で言うことでもないなと思う。
「ですが池の水は大事な水源。諦めてください」
「そうですよ。料理や洗濯などに使う水が酒になるとか迷惑でしかありません。壺に入れてもらうものだけで我慢してください」
「しかしなぁ」
良い思いつきだったと諦めきれないらしいローランドに、フィリゲニスが別の提案をする。
「海に行って、海水を砂浜に開けた穴に引き込めばいいでしょ。飲みたいだけの量の海水が減ったところで誰も困りはしないし」
「それいいな。用事が終わったら海に行こうな」
好きなだけ酒を飲めるとわかりローランドは上機嫌に、進の肩を叩く。
好きなだけ飲ませて大丈夫なのかと進はこっそりガージーに聞く。酔って醜態をさらすことにもなりかねず、威厳とかそういったものは大丈夫なのかと思ったのだ。
「……誰かに見られるようなところでやらなければ大丈夫でしょう」
そうだといいなという感じでガージーは返す。
あまり褒められた行為ではないとわかってはいるのだが、ガージー自身もやってみたいという欲求があり、強く否定できないのだ。
二人が山へと帰っていき、進たちは昼食を取る。
先に昼食を終わらせていたナリシュビーの女王とゲラーシーに話があると言って、進たちが食べ終わるのを待ってもらう。
ラムニーも進に話があるようで、一緒に待っていた。浮ついた雰囲気をまとい、さらに距離感が近く、進もフィリゲニスも我慢ができなくなったのだなと察した。
ついにこのときが来たかとフィリゲニスは嫌だなという思いと、仕方ないという思いがごちゃ混ぜになり、やや不機嫌といった顔つきで昼食を食べる。一度認めたことなので、いまさら駄目だと言うつもりはないが、それでも独り占めしたいという思いはあるのだ。
「ごちそうさま」
昼食を食べ終えて進たちは、今後の予定を話す。
住人が増えるということ、大妖樹に会いに行くこと、作物の育ちがよくなるということ。
それらを話すと、二人はその情報から疑問に思ったことを尋ねる。
「増える住人は魔物なんだろう? 暴れたりしないんだろうか」
「私もそこが心配ですね」
「俺も心配になったんで大烏公に聞いたら、フィリゲニスがすごく強いから暴れるなと命じれば従うんだってさ。あとまともな扱いをすれば、反抗することもないだろうって言ってたよ」
「本当に従ってくれるんだろうか」
「そこは向こうの言葉を信じるしかないと思うけどね。あとこんなところで部下を暴れさせてなんになるのかって考えもある。ある程度人が住める環境が整ってきているとはいえ、特筆したものがない場所だし」
「綺麗な水はあって嬉しいものですよ?」
「それは現状俺がいて初めて成り立つもので、ここで暴れられたら、俺はよそに移るよ。そうしたらまた水は濁り出す。池の維持は俺の力と伝えてあるから、追い出すような真似はしないと思う。いつかは俺の力がなくても綺麗な水をたたえる池になるんだろうけど、しばらくはそんなのは無理だしね」
「たしかに池や土地が元に戻ってしまうと、この土地の魅力はなくなりますね。そうなると無理に奪う意味はありませんか」
「ここを私たちに正常に管理させた方が、大烏公たちにとっては得があるわね。住みやすくなれば今後も魔物を移住させられるかもしれないんだから。魔物が増えれば、大烏公派の住人も増えて、ここに干渉しやすくなるかもしれないし。統治はしていないけど、向こうに利があるように動かしやすくなる、かもしれないわね」
ありえる可能性をフィリゲニスが話すと、なるほどと皆が頷いた。
ローランド自身にそういった意思は感じられなかったが、こっちに来る魔物がどう考えるかまでは不明なのだ。
魔物たちの動向に注意ということで話が終わる。
それぞれの仕事場に向かい、その場に残ったのは進とフィリゲニスとラムニーだ。
そわそわしたような感じでラムニーが口を開く。
「ススム」
「うん、なんとなく用事はわかる。我慢できなくなったんだろう?」
「はい。それで今夜一緒にいたいです」
「そういうことなんだけど、フィズ」
「わかってるわよ。今夜は私は一人で寝る」
「この場合、すまないって言えばいいのか、ありがとうと言えばいいのか。わからんね」
進も浮気という感覚はいまだにあるのだ。申し訳なさと事を荒立てないフィリゲニスに感謝の思いがある。
「捨てないわよね?」
フィリゲニスに服を袖を握られて不安そうに聞かれ、進は捨てないと断言した。
フィリゲニスに不満などないのだ。よほどのことがなければ捨てるという考えも浮かばないだろう。
断言してくれたことにフィリゲニスはほっとしたようで進の腕をとって抱きしめた。
ラムニーはどうして捨てるという話になったのかわからず首を傾げている。
それを見た進は、ラムニーに色恋はまだ早いのではないかとも思う。しかし本人の本能がその気になっているなら止めようもない。
その後はナリシュビーの食堂から出て、池のそばでローランドたちを待つ。
荷物を木製物置のようなものに入れて、それを掴んだローランドたちがやってくる。
物置の中には頼んだ布などがあり、そのほかに酒を入れる五十リットルくらい入りそうな甕もある。それに池の水を入れて、日本酒に変える。
「森への出発は三日後くらいでいいか?」
「それくらいでいいですけど、何人くらい同行していいんですかね。あと食料は何日分用意した方がいいんですか?」
「同行は四人くらいだな。あまり多いのも運ぶ際に面倒だ。食料は向こうで出ると思うぞ。顔を出すと毎回食べ物をもらえるしな」
「わかりました」
ビボーンとラムニーについて来たいか聞いて、一緒に行きたいなら連れて行くことにする。
ローランドたちはまた三日後にと言って、去っていく。
進たちは家に戻り、作りかけていたボウリングなどの道具作りを再開して時間を潰す。
そして夜になり、進とラムニーは二人で部屋に向かう。フィリゲニスは早く明日になれと寝床に転がり、目を閉じた。
進たちの夜は、進がこれからどういったことをするのか説明するところから始まった。真剣に頷くラムニーに、これは自分が暴走したら駄目なやつだなと進は改めて自覚する。自分だけの気持ち良さを追求すると、そういうものだとラムニーが学んでしまいそうで、今回は自制しながらやるというある種の苦行にも思えることに挑むことになる。
進が気持ち良さに耐えて、説明しながらゆっくりと進めたおかげか、ラムニーに痛く苦しいことという意識は生じず、終えることができた。
進は気疲れもあって一回で終える。初めてのラムニーも今回はそれ以上やれそうになかった。かわりに無事終えられたことに安堵し寝転がっている進の隣にいき、抱きしめた。
「ススムの体の温かさが、なにか嬉しいです」
「そう?」
進もラムニーの胸の柔らかさを堪能できて喜ぶ気持ちもある。
「いつまでもこうしていたいって気持ちであふれてきます」
「幸せってことなのかもしれないな」
「幸せですか」
言葉にしてみるとラムニーはしっくりくるものを感じた。この温かさが幸せなのだなと思うと、進に抱き着く力をもう少し強くする。そして遠慮するように聞く。
「またこうして一緒に寝ていいですか?」
「フィズが嫉妬しない程度になら」
拒否されなかったことで、ラムニーはさらに嬉しそうに表情を綻ばせ、進を抱き枕にするように目を閉じた。
進もラムニーの体の柔らかさに興奮しないよう、さっさと寝ることにした。
朝が来て、部屋に置いてある水桶で布を濡らして、互いの体をふいていく。
部屋から出ると、少し頬を膨らませたフィリゲニスと苦笑といった雰囲気のビボーンがいた。
「昨夜は楽しめたかしら」
「いや正直、昨日みたいなことはちょっと。なにも知らないラムニーに説明しながら、欲のまま暴走しないように自制して大変だった」
「迷惑かけましたか?」
「初めてだから仕方ない。次はもっと楽になるだろうさ」
しゅんとしたラムニーの頭を進は撫でる。さらさらとした髪が触り心地よかった。ラムニーも撫でられることを嬉しがっている。距離が縮まっているのは一目見てわかる。
対抗のつもりかフィリゲニスが進の隣に行って腕を抱え込み気を引こうとしている。
険悪な雰囲気はないので、ビボーンは止めるようなことなく放置して三人の様子を微笑ましそうに眺める。昔自身が経験した女性関係と比べたら、あれくらいは可愛いものだった。
感想と誤字指摘ありがとうございます