35 四つ目の石碑
昨日決めたことを各自が急いた雰囲気で行っている午前中に、それはやってきた。
北の方から巨大な二羽の烏が姿を見せた。
見回りのナリシュビーたちが急いで戻ってきて、警戒の声を上げたことで、皆がその二羽を見た。
昨日やってきたクラゼットは象よりも大きな体だった。しかし今回やってきた二羽はクラゼットよりも大きい、特に黒い方はクラゼットの四倍くらい大きいかった。白い方もクラゼットの二倍くらいはある。
あれが大烏公なのだろうと、その存在感に皆が確信を持った。
飛ぶ速度も速く、逃げる暇などなく池の近くに着地した。
「戦闘の意思はない。会話を望んでいる」
すぐに渋い声が周囲に響く。大きな声というわけではなく、魔法を使って声を届けたような聞こえ方だった。
その声に威厳はあったが、威圧するようなものはなく、今のところ戦闘の意思ないというのは本当かもしれないと思えた。
急かすような反応もなく、大烏公たちは進たちが出てくるのを待っている。
進たちとナリシュビーの女王とゲラーシーという代表の面々で対応することにして、池へと向かう。
警戒しつつも姿を見せた進たちに合わせるためか、大烏公たちも人間としての姿を取る。
「すでに知っているかもしれんが自己紹介しよう。人間からは大烏公と呼ばれている。俺自身はローランドと名乗っているな。こいつは俺の側付きでガージーだ」
紹介されたガージーが浅く一礼する。
そちらはどのような面々だと問われて、進たちも名乗り返す。
「複数人種が共同で暮らしているのは何度も見たことがあるが、魔物と問題なく暮らしているのは珍しい」
長く生きてきたローランドもなかなかに見ない光景だった。
馬のように労働力として魔物を使っているのは珍しくはない。だが意思ある魔物と争うことなく過ごしている光景は久々だった。
以前見たのは長生きした魔物が気まぐれで、土地を捨てて領主から逃げていた村人たちを保護したというものだ。横暴な領主よりもましということで人間たちは従っていた。しばらくすれば良好な関係を築いていたが、最初の方は人間が魔物を警戒していた。
対してここはトップに立つということもなく、対等に過ごしていて珍しいとローランドは思う。
ビボーンがトップではないと判断したのは、進たちがビボーンを守るように位置取っていないからだ。むしろ進とラムニーのフォローができる位置にビボーンがいる。
ちなみにフィリゲニスはいつでも魔法を使える状態でいて、ローランドたちもそれをわかっているはずだが、咎める様子はない。クラゼットのやらかしを思うと警戒は当然のものだった。
「ビボーンは無意味に暴れることはないし、世話にもなっているから警戒する必要もないですし」
当たり前のようにそう言う進があまりに自然でローランドは異質に感じた。
「そうは言ってもな、基本的に敵対するのが人と魔物というものだ。長く生きて、殺し合う姿を見てきている。魔物は人間を餌として本能から認識し、人間はその魔物に対しての警戒心を幼い頃から親に教わる。敵対が当然として考え方に刻まれる。意思疎通が可能としても、どうしても警戒が心の底に残るものだ」
「そこらへんはもう世話になっているからとしか言いようがないですね。俺も全ての魔物を警戒する必要がないとは言いません。襲われてますからね。でもビボーンは最初会ったときに襲ってこなかったし、その後もそんな様子はなかったから警戒しないというだけでしょうか」
「……魔物というだけで判断しているわけではなく、個体としての在り方がどうなのかで判断しているのだな」
なるほどと頷き、異質という感覚に納得してみせるローランドに、進から質問する。
「本能がどうとか言うなら、あなたも俺たちを餌とみなして襲いかかってくるんじゃないですか?」
「長年生きていればそこらへんの本能などたやすく制御できる。あとは今更人間を食ったところで満足感もない」
人間を食ったことがあるという発言に進は触れる気がせず、かわりにどうしてここに来たのか尋ねる。
「昨日はそちらの部下が襲ってきたんだけど、今日はそんなことはない。どんな用事なのかさっぱりなのですが」
「それに関してはクラゼットが横着したせいだな。まあ、こんな場所で人間に話しかけるというのもなかなか難しいのだが。もっと人間が多いところなら旅人を装って近づけるが、ここらは旅人なんぞ珍しすぎて、どうしても怪しまれる。だからといっていきなり攻撃はあまりに浅慮だけどな」
もう少し考える癖を付けろとローランド直々の命令で、クラゼットはガージーの仕事の手伝いをやることになった。ガージーの仕事は交渉などが主で、力でどうこうは逆効果になる。
この仕事が嫌ならば山と縁を切って好きにやれと言われてクラゼットは手伝いを選び、早速こき使われ出した。
「それでどうしてここにクラゼットを向かわせたかだが、最近ここらの大地などが徐々にまともになってきている。それの調査に向かわせたのだよ」
「気づけるものなんだ」
「その言い方だと、正常化について知っているようだな」
進は隣に立つフィリゲニスに話してもいいのかと小声で聞く。
「隠すようなこともないし」
そう言ってフィリゲニスはここらに流れていた自身の力や各地の石碑に関して話す。
それを信じていいものかローランドは悩んだ表情を見せる。
「大昔に封印されて、力を奪われている。それが原因だと。千年生きる私をしても昔の出来事過ぎて、判断つきかねる。しかし実際に正常なものへと戻っているという事実。これは一度その場面を見て判断したいものだな。残るは南の封印だったか。そこに連れて行くから、封印を解いてくれ」
「連れて行くってどうするのよ」
「背に乗せて移動すればすぐだろうさ」
ガージーがおまちくださいと声をかける。
「主の背に乗せるわけにはいきません。私が乗せましょう」
「人間を乗せるくらいは気にせんのだがな」
「それでも人間が乗ったと軽んじる者は現れますので」
「行くとも言っていないのだけど」
「力を取り戻すのはそちらに関しても良いことだろうし、どうせいつかは行くのだから、今でも良いではないか」
「そうなんだけどね……行くなら夫も連れて行くわよ。石碑を破壊するのに必要だし、精神的な安心感のためにも」
フィリゲニスは進の腕を取る。今のフィリゲニスならば石碑の維持にかけられた魔法をゴリ押しで壊せるだろうが、進と離れたくはないのだ。あとはローランドたちがやはり敵対したとき、進に協力してもらって魔法の強化で事態を乗り越えるつもりだった。
そこらへんの考えを見抜けなかったラムニーは、当たり前のようにくっつくフィリゲニスをいいなーと羨ましげに見ていた。
「一人増えるくらいならなんの負担にもならん」
「じゃあ行くか」
ローランドたちが烏の姿に戻る。
「ちょっと行ってくるわ。彼らに乗って移動できるなら一日もかからずに戻ってこれると思う」
「ほかの魔物にちょっかいかけられることもないでしょうし、仲違いだけに気を付けて」
ビボーンの言葉に頷いて、出かける二人は屈んだガージーの体毛を掴んで背に登る。
ローランドが周囲に影響を及ぼさずにふわりと飛びあがり、続いてガージーも同じように飛ぶ。
すぐに廃墟が小さくなり、地平の彼方が見える。生身ではなかなか見ることのできない風景に、進は小さく感嘆の溜息をもらす。
ガージーは背の二人のことを考えてくれたのか、風の影響がまったくない。しっかりと体毛を掴んでいれば落ちることはなさそうで、進たちは周辺の地理を観察することができた。
地上と距離があるためどれだけの速度が出ているか進にはわかりづらいが、石碑との距離がわかるフィリゲニスにはかなりの速度で距離が縮んでいるのがわかった。
「ここらで地上に下りて」
聞こえているだろうと確信を抱いて告げるフィリゲニスに、ローランドたちから了承の返事がある。
「もうついたんだ」
「ええ。おそらくだけどいつもの移動で進んだら、三日以上はかけたわよ」
「背に乗って一時間もたってないのに、それだけの距離を進んだのか。すごいな」
話しているうちにローランドたちが地上に下りていく。
フィリゲニスは彼らに進むべき方角を指示して、丘のようなところに着地する。周辺にいた魔物たちは、ローランドたちの気配に怯えて逃げるか息をひそめる。
進たちが降りると、ローランドたちも人の姿をとる。
「この丘の下ね。どこかに入口でもあるといいんだけど」
「少し待て」
ガージーが瞼を閉じて、小声で魔法を使う。
フィリゲニスは魔力が広がっていき、空中の数ヶ所に集まったのを感じて、いくつかの視点で周辺を俯瞰しているのだろうと予想する。
「魔法を使って周辺を調べてみたが、入口のようなものはなかったぞ」
「これまでの石碑と違って完全に埋まっているのかな」
どうしたものかと進が腕を組む。
「地下に関しては俺が見てやろう」
今度はローランドが魔法を使って、地面に視線を落とす。透視の魔法でも使ったのだろう。
この方向だなと地面を指差し、ついでに石碑までの道を作ってやろうと、手を空にかざす。
「集え、束ねて、塊に、落ちて削れ。ウィディムボール」
作り上げた風の塊を地面へと落とす。
その間にガージーが皆を風で囲んで、風の塊が吹き飛ばした土などを防いだ。防ぎ終わると、取り巻いていた風が周囲に散って、土埃を吹き飛ばす。
できた穴の底に塞がっていた地下への階段がでてくる。魔法で地下空間の換気をしたあと、皆で地下へと降りる。
歩きながらローランドは廃墟上空から見た池や畑に関して尋ねる。大地が正常な状態に戻ってきているといえ、生物にとってはまだまだ厳しい環境が続くとわかっているのだ。並の魔法では改善など無理ということもわかっている。
「俺の魔法で一時的に正常化して、また悪くなる前に魔法をかけ直して環境を維持していますよ」
「ほう」
それはすごいと素直にローランドは感心する。資質を必要とする魔法を使っているのだろうなと推測し、どのようなものか追及することはなかった。
捨て去りの荒野といった場所に人間がいるのだから、よほどの事情があるのだろうと配慮したのだ。
もしここで追及していれば、その魔法を得た状況にも触れて、神殿が召喚する勇者だと気づいただろう。召喚に関してローランドたちは詳しくは知らないが、過去活躍した勇者たちがどこからともなくやってきたという情報くらいは得ている。その状況と似たことから、勇者なのではと推測できるのだ。
そうなると魔王討伐が早まることになる。
魔王は大烏公や大妖樹にちょっかいをかけてくることもあり、彼らにとっても倒しておきたい存在なのだ。
神殿に進を連れて行き、それにフィリゲニスも同行して、いろいろと勇者側の状況が改善されて、魔王討伐がかなり早くなる。なにせ魔王側の戦力のほとんどを四つ目の石碑を壊したフィリゲニスならばどうにかできるのだ。
魔王にとって進は邪魔者でしかなく、最優先の排除対象となる。そんな進を守るために、やる気に満ちたフィリゲニスが暴れるのだから魔王側の戦力壊滅は時間の問題だ。そして戦っているうちに勘も戻っていき、魔王戦も有利に進むだろう。
しかしローランドが気づいていないのでその流れはなく、琥太郎たちは自力でどうにか頑張るという覚悟を持って鍛錬を続けるというのが現状だ。
「あれが石碑か。ただの石にしては異常だな」
魔法の明かりで照らされた石碑を見て、ローランドが言う。
進にはいつもどおりに見えているが、実力のある魔物からすればまた別の見え方がしていた。灰色の靄が石碑から生じ、それが大地にしみ込んでいるといったイメージだ。
「じゃあススム、劣化をお願い」
「りょーかい」
進が石碑を維持している魔法に干渉し、フィリゲニスが岩をぶつけて、石碑はあっさりと砕けた。
フィリゲニスは感覚的に、脱力感が消えさったのを感じ、魔力の質も大きさも以前以上になっていると理解できた。ナリシュビーのローヤルゼリーのおかげで魔力量などが上がっているのだ。ただし勘は鈍っているので、以前より強くなったわけではない。だが世界最高峰の魔法使いがここに復活したことは事実だ。
ずれていた歯車が噛み合うように、肉体と精神が正しく動き出し、フィリゲニスの表にでない深みが増す。
進はそれに気づかないが、ローランドたちは人間がそこまでの存在感を持つことに感心していた。
「言っていたことは間違いではなかったな。石碑を砕いた瞬間、悪影響を与えたものが消えていった。あとは残留するものが時間とともに消え去っていくだけか」
「五十年後にはここら一帯が緑でおおわれた景色になるのでしょうか」
ガージーがそれを想像し、だろうなとローランドが頷いた。
もうここには用事はなく、外に出ることにして階段を上がる。
感想と誤字指摘ありがとうございます