3 美骨
また襲われるようなことはなく進は廃墟にたどりついた。ここに来るまでにスマートフォンで連絡を取ればいいと思い出し、内ポケットのスマートフォンを取り出し操作したが、どこにも繋がらず意味はなかった。
この廃墟はもとは大きな町だったんだろう。かなりの広さに崩れかけた家屋がある。半分以上の建物は崩れていて原型を留めておらず、かなりの年月が経過していることが予想できた。
物陰からジャッカルもどきのようなものが出てくるかもと警戒しつつ進む。
歩いていて気づいたのだが、日本の文明を感じさせるものがない。家はコンクリートではない石造り。地面もアスファルトではなく、石畳だったような形跡がある。空き缶やペットボトルやビニール袋といったゴミをまったく見かけない。
「あちこち崩れてはいるんだけど、汚くはない? これだけ広くて古そうな廃墟なら観光地になりそうだ。そういった国が保護したところに迷い込んだか?」
日本にこういった場所があると聞いた覚えはない。しかしあるんだろうと思い込む。そう思い込んでいたかった。
環境を維持する役人がいるかもしれないと周囲を見ながら進む。探すのは損壊が少ない建物だ。そこを拠点にしているだろうと考えた。
人が住まなくなってかなりの時間が経過しているかもしれない。人の足跡といったものが見当たらず、そんなことを進は考える。
とりあえず町の中央に向かって進み、人の姿を探すものの見つかることはない。
そうしてとうとう町の中央に到着する。そこにあるのは周囲にある建物と同じく朽ちかけた建物だが、もとがかなりの大きさと頑丈さだったようで、雨風を避けることはできそうなところだ。
「人がいるとしたらここくらいか?」
入口に移動し、そこから誰かいるかと声をかける。
返事はなく、生き物が動く音もない。
外れなんだろうかと思いつつ、中の探索をしてみることにした。新聞や雑誌とかが落ちていればここがどこかくらいはわかるだろうと思ったのだ。
床はところどころ崩れて地下が見える。なにも考えずに歩けば床が崩れ落ちそうで、石橋を叩くといったくらいに慎重に歩く。
「あれは地下への階段か。床の隙間から見た感じだと地下の方が損壊は少なかったように見えたな。過ごしやすいだろうし、人がいるとしたらそっちか?」
地下にいたのなら声が届かなくても無理はないと思い、階段を降りる。
二十段を超えるくらいの階段を降りて、暗い廊下が続く地下に到着する。ところどころ壊れた床の隙間から明かりが差し込んでいるが、廊下全体を明るく照らすには到底足りない。
ポケットからオイルの切れかけた方のライターを取り出して、火をつけて移動する。
もとは木製の扉だったらしいものが床に散乱している。部屋の入口から進は中を覗く。
「あれはなんだろう?」
原型をとどめていない木片のちらばりを見て進は首を傾げる。破片のかたちやおおよその大きさからベッドが並んでいたのかと思い、移動する。
廊下を進み、いくつかの部屋を見て、人はいなさそうだと溜息を吐く。
それでも部屋は全部調べていこうと、次の部屋を覗き込んだ進はビクリと足を止める。
「人骨?」
壁によりかかるように人体模型のようなすべてのパーツがそろった人骨がそこにあった。
「妙に綺麗だな」
埃や汚れなどない真っ白な骨を気味悪そうに見ている。
近寄る気はなく、さっさと次の部屋に行こうと思った進は床に落ちていた木片を踏んで音を立てる。
それはパキリと乾いた音で、別に変わった音ではない。しかしそれを合図にしたとばかりに、頭蓋骨が動いて、進と向き合う形になる。
「え?」
「あらやだ、お客さん? 珍しい」
「は?」
驚き固まった進の前で、人骨は立ち上がってぐっと伸びをする。
明らかに生きてはいない人骨が動いたこともそうだが、喋ったことで進は頭が真っ白になり、逃げることすらせずに驚きの表情のまま人骨を見る。
「どうしてわざわざこんなところまで来たの? なにがあるわけでもないでしょうに」
「……」
カチャカチャと音を立てて近づく男の声音で女の口調の人骨に、進は反応できずにいる。
「ちょっとお兄さん? ぼーっとしないで反応してくれない? というかよく見たら変わった服ね? 今の世の中そんなのが流行っているの?」
「……ああ、そうか。夢か」
「いきなり夢ってなんの話よ」
「あそこで起きてからおかしなことばかりだったものな。いつのまにか酔っぱらって寝てたんだなぁ」
現実逃避して一人うんうんと頷く進の頬を、人骨がペシぺシと叩く。
「ちょっとーおにーさーん? 聞いてるー?」
「リアルな夢だなぁ。叩かれる感触すらある」
「ええぇ、夢じゃないのよ? しっかり起きてるわよ? いったいお兄さんの身になにがあったの。こんな場所なんだからしっかりしないとあっという間に死ぬわよ」
進は明晰夢なんて初めて見たなと呟き、人骨をまじまじと見る。
人骨がいくら話しかけても聞き入れないため、人骨は手荒な手段を取ることにした。
「あまり魔力の消費したくないんだけどね。冷えた水よ。ウォーター」
人骨の手のひらに出現したソフトボールほどの水の塊が、一昔前のコントなどで芸人がパイをぶつけられるように進の顔へと叩きつけられた。
進は少しのけぞり、水が大きく飛び散っていく。
一カメ二カメ三カメと別角度から撮られそうなくらい、見事なぶつけられ具合だった。
「冷た!?」
「これで目が覚めたでしょ。きちんと相手してほしいものね」
「……え、夢じゃない?」
ぽたりぽたりと水が髪や顎や頬から床へと落ちていく。
冷たい水が意識をこれでもかというくらいに覚醒させて、目の前の光景を現実だと突き付ける。
「ありえない……ありえないだろう!? 動いて喋る骨とか怪談の中にしか出てこないぞ!?」
「実際に目の前にいるんだから、ありえないなんてことはないのよ。しっかり現実を受け止めなさい」
「いやいやいや! 夢であってくれよっ。こんなわけわからない状況、現実であってたまるかっ」
「でも現実なのよ」
嫌だ嫌だと首を振る進に人骨は事実を突きつけた。
「だって光に包まれること自体がありえないし、意識を失って起きたら、いたところとはまったく違う場所。犬っぽいのに襲われるわ、建物は崩れてて人はいないわ、あまりに状況が違いすぎて夢だって思うだろ!?」
「でも現実なのよ」
人骨は繰り返す。
進は泣きたくなり、その場に座り込んだ。人骨も視線を合わせるために座る。
「なにがどうなってるんだ。俺なにも悪いことしてないぞ」
「ここに来たのはあなた自身の意思ではないようね。ちょっと聞かせてみてちょうだいな。なにかしらの力になれるかもしれないわよ」
「人骨さん」
現状がわけわからなさすぎて、動く人骨を怖がることもなく、むしろ頼もしそうに見る。
まだ若干困惑が続いており、なおかつ人骨が襲いかかってくることもなったので、怖がらずに済んでいるという面もある。
「自己紹介しておきましょうか。私は……ビボーン。ビューティフルボーンの略よ。綺麗な骨でしょう?」
自慢であるかのようにビボーンは自身の体を見せつける。
進は骨を見慣れているわけではないが、それでも食い終わった骨付き肉の骨などと比べて綺麗だと思い同意した。
「たしかに汚れなんかない綺麗な骨だと思う」
「そうでしょうそうでしょう。手入れをかかしていないからね。それであなたは?」
「鷹時進」
「タカトキススム。聞き慣れない響きの名前ね。どこ出身?」
「日本って国だけど」
「ニィホルンって町なら聞いたことあるけど、そうじゃないのよね」
「町じゃなく国だし違う。逆にここはどこなんだ?」
「ここは捨て去りの荒野。どこの国にも所属していない、人なんかいない場所よ」
「有名な場所だったりする?」
「有名といえば有名ね。大陸の西にあるここには近づく人はいない。かつては栄えた国があったらしいけど、今じゃ人が暮らせるような場所じゃないし」
「大陸の名前は?」
「ナーゼファルト大陸」
進はその名前に聞き覚えはなかった。ユーラシア大陸やアメリカ大陸の昔の名前かと思ったが、世界史の授業で習った覚えはない。大陸の名前など試験にでそうなものだから、軽くであっても授業で話題にでそうだが、一度も聞いたことがない。
となると人骨が話すという現実離れしたこともあって、一つの予想が進の脳裏に浮かぶ。
「……異世界というやつなのか?」
「異世界? どういうことなのかしら。私が生きていた頃、そういったものがあるとは聞いたことはある。でも実証はされていなかったのだけど」
「俺もよくわからない。でも今聞いたことがどれも聞き覚えがないし、ビボーンのような存在が実在するのも聞いたことがない」
「知らないだけじゃなく?」
その可能性もあると、こちらの地名や歴史についていろいろと質問し、そのどれも進の知識に該当しないものばかりとわかる。
進から語られる地名や歴史も、ビボーンの知識に該当しない。
「正直信じられないのだけど、あなたの持つの品々が私の知る技術とかけ離れているのよね」
スマートフォンやビニール袋を見て、ビボーンは自身の知る技術が発展していって、これらに到達するのかと考え、その可能性は低いと結論を出した。いつかは似たものを作り出せるかもしれないが、自身が骨になって経過した時間では無理だと思えたのだ。
「あなたに起きた状況から考えるに、かなり強力な魔法が行使されたと思う。それこそ神が使うような魔法ね」
「帰るとしたら神に同じ魔法を使ってもらうしかない?」
「そうなるわ。でも神に会ったり、会話するのはかなり難しいはず。大神殿にいる祈り巫女しか、会話できなかったはずよ」
「まずはそこを目指すか」
そこに行かなければ帰ることができないなら目指すしかないと進は思う。
「それも難しいけどね。ここから移動するとなると徒歩だけど、捨て去りの荒野ってそれなりの広さで、しかも生物が生きていくのは難しいのよ。水と食べ物をどうにかして、魔物を追い払う術をもたないと死ぬわ」
おおげさなと言いかけた進は、廃墟に入る前に襲われたことや見た風景を思い出し、ありえるかもと思う。
「まずは生活環境を整えないといけないのか。え、できるか?」
「いい暇潰しになるし手伝ってあげるわよ。味を気にしなければ一応食べられるものはあるし。水も魔法を覚えたら必要最低限はどうにかできるでしょう」
「俺でも覚えられるのか? 俺のいたところには魔法なんてなかったんだけど」
魔法が実在するかどうか疑うことはない。現状がよくわからないことのなっているのだから、魔法くらいあっても不思議ではないと思ったのだ。今後の生活に必要ならぜひとも覚えたい。
「手を出してごらんなさい。あなたの魔力を操作して、魔法を使って見せるからそれで感覚を覚えるといいわ。それですぐにできるようになるわけじゃないけど、口で説明するよりわかりやすいわよ」
促され手を出した進の手の甲に、ビボーンの手が重ねられる。進の手のひらが上を向いている状態だ。
「……骨の感触なんだよなぁ」
「なに当たり前のことを言ってるのよ」
「やっぱり不思議だなぁと。それで俺はどうすれば?」
「そのままリラックスしてて、こっちで勝手にやるから。小さな火が出るけど驚かないでね」
集中するようにビボーンは進の手のひらを見る。
すぐに進は変化を感じ取った。体中からなにかが手のひらに集まっている感覚がある。ビボーンの集中を邪魔しないように、心の中でこれが魔力なんだろうかと思う。
「灯れ。プチファイア」
ビボーンが詠唱をしたが、手のひらになにも変化がでない。
少しだけ無言の時間が流れて、ビボーンはもう一度詠唱する。しかし火が生じることはなかった。