27 高校生三人 初戦闘
琥太郎たちが神殿で過ごしだし一月近くが経過する。
神殿の者たちは皆親切で、日本での暮らしに比べると不便と思うことはあったが、それでも文句のない生活を送ることができていた。
まったく見知らぬ土地に来て、衣食住に困っていないのだから文句など言いようがないのだ。
もっとも来たくて来たわけじゃないので、文句の一つも言っていいのだろうが、帰るための努力に集中していたので、弱音を吐くことはあっても文句が彼らから出てくることはなかった。
そんな彼らは魔法に関した初歩と変化した身体能力などの確認を終えていた。
今日は本格的な鍛錬を始めるための準備として、魔物の討伐を行うことになっている。
朝食を終えて、彼らの表情は緊張している。一番緊張しているのは桜乃だ。接近戦をする琥太郎も緊張はしているが、彼よりも桜乃の方が恐怖や不安が表に出ている。
「ついに来たな」
「ええ、来たわね。私と桜乃は遠距離だからまだましだけど、琥太郎は接近戦だから気を付けて」
「兵士さんが捕まえて弱らせた魔物という話だけど、油断はしないでね? 窮鼠猫を嚙むってことわざもあるし」
不安そうでありながらも心配する桜乃の言葉に琥太郎は頷く。
「やらなきゃ帰れないんだからやるけど、魔物であろうと命を奪うのはちょっとな」
「慣れちゃ駄目なことよね。それはいつも心しておかないと」
淡音はそう言うが、常にそのような心持だと、ストレスが大きくなるだろう。
遊びで殺すのではなく、必要だから殺し、魔物の死を無駄にしない。そういった考えでいた方がよいと、三人を指導した者たちは言っていた。
それを三人はまだ受け入れられていないが、何度も繰り返すうちに受け入れられるのかもしれない。
だが今はまだ受け入れらずに各自の部屋に戻る。そこには武具が運び込まれていた。
桜乃は上下衣服とローブと杖とブーツだけなので簡単に身に着けることができたが、琥太郎と淡音は鎧を用意されている。それらを最初支給されたときは身に着けるのに手伝いを必要としたが、現状では一人でなんとかなっている。
鎧といっても重鎧ではなく、ブレストプレートのみという身軽さを優先した防具だ。服は虫の魔物が吐く糸から作られた丈夫なもので、これから戦う魔物相手ならば、顔に攻撃を受けなければ怪我することもない。
しばらく世話になる武具をまとった三人は、神殿の兵が鍛錬に使う広場とは別の広場に向かう。武具を身に着けての行動は、この一ヶ月間で繰り返してきたので、違和感はほぼなくなっている。
向かった先は周りを三メートルほどの石壁で囲まれた空間であり、主に魔法や技の試し撃ちに使われる場所だ。壁には焦げ跡や傷跡が残る。
金属補強された分厚い木製の扉が開かれていて、そこに入ると数人の兵と三つの檻があった。檻は壁際に置かれている。その檻の中には痩せた狼らしきものがいる。檻の中で伏せてはいるが、眼だけはギラギラと強い意思が込められている。
魔物を見て、もっと生物とはかけ離れた姿だったらよかったのにと三人は思う。
「よく来たな」
いつも三人を指導してくれる年長の兵が声をかけてくる。
「ガゾートさん、その檻の中のやつが魔物なんですか?」
「うむ。食事を与えず、餓死寸前といったところだ。万全の状態だと野犬などより凶暴で強いが、ここまで弱らせていると一人前の兵にとっては敵ではない」
「俺たちにとってはどうでしょうか」
「実力を発揮すれば勝てるだろうが、初めての戦闘ということだからな。油断はしないように。思わぬ反撃を受けるかもしれぬ」
「そうですね。注意します」
「早速始めようと思うが大丈夫か?」
はいと三人が頷く。最初は淡音からやるということで、それ以外の者は壁の上に上がる。
一人残った淡音は弓の弦の張り具合を確かめて、矢筒から矢を取り出す。矢は普通の木製で、鏃は鉄だ。弓はいくつかの素材を使われた複合弓だ。色は全て青一色に塗られている。最初は弓が重かったが、最近はこの重さにも慣れてきている。
準備できたと手を振ったことで、檻の戸がロープを使って開かれる。
若干ふらつきながら魔物は檻から出てきて、淡音をじっと見る。
檻との距離は三十メートルもない。しかし淡音は魔物の食らいつこうという意思と息遣いを感じ取った気がした。
魔物がまっすぐに淡音へと駆けだす。腹が減りすぎて力のない動きだ。それでも限界寸前の空腹を満たすため、体を動かし淡音へと迫る。
一度大きく深呼吸した淡音は鋭い目つきで魔物を見る。
「……食われてあげるわけにはいかないわ。ごめんなさいね」
淡音は緊張で小さく震える手で弦を引き、矢を放つ。すぐ二本目の矢へと手をやるが、その矢を番えることはなかった。
風をきって飛んだ矢を受けて、魔物が小さく悲鳴を上げて地面に倒れ伏したのだ。
この一撃が少ない体力を削り取ったようで、魔物はすぐに痙攣も止める。
それを見て、淡音は弓を下ろした。たったの一射だったが、どっと疲れた。
魔物の死体処理を部下に命じて、ガゾートは琥太郎たちに顔を向ける。
「次はどちらにする?」
迷う表情の桜乃を見て、琥太郎が前に出る。
壁に上がってくる淡音に琥太郎はお疲れさまと声をかける。
「思った以上にきついわ。あなたも覚悟しておいた方がいい」
「そうするよ」
淡音よりも檻に近い十五メートルほどの位置に立ち、攻撃用ガントレットや金属補強されたブーツの具合を再度確かめて、準備できたと手を振る。
兵が檻を開けて、魔物が出てくる。少し前に魔物が死んだのをこの魔物も見ていたはずだが、空腹を満たすことを優先したようで琥太郎へと駆けだす。
一瞬だけ怯んだ琥太郎も踏ん切りをつけるため魔物へと駆けだした。
互いに接近し、低い位置から飛びかかろうとした魔物に対し、琥太郎は拳を打ち下ろす。
ガントレットを通して、琥太郎は魔物の鼻っ面を叩き潰した感触が伝わってきた。
倒れた魔物が立ち上がろうとしたため、慌てて琥太郎はその腹をおもいっきり蹴りつける。その蹴りは型にそわない、わりと素人染みたものだったが、それで深刻なダメージを受けた魔物は起き上がらず、荒い呼吸を繰り返したのち動かなくなった。
それを見届けた琥太郎は脱力し、淡音の言ったきついという意味を実感する。そしてこれを桜乃がやりきれるかという疑問も抱く。
皆のところに戻り、ガゾートにそれを伝える。桜乃が動けなかったとき、そばで守れるようにしたいということも伝えた。
「わかった。それでいこう」
ガゾートたちも桜乃の性格が戦いに向かないと見抜いていた。ゆえに失敗するかもしれないと考えていて、信頼できる者がそばにいた方が良いだろうと頷く。
強張っていた桜乃の表情が少しだけ和らぐ。
その桜乃と一緒に琥太郎と淡音が移動する。
強く杖を握って緊張している桜乃に、二人が声をかけてゆっくりと深呼吸させる。
「サクラ、その状態で聞いてくれ。あの魔物はかなり弱っている。俺も腰の入っていないパンチとキックで倒せたくらいだ。だから攻撃魔法を一度当てれば倒せる。一度だけ魔法を使えばいいんだ」
「怖いでしょうし、遠くにいるうちに魔法を使っちゃいなさい。そうすれば魔法を受けたところを目に入れずにすむから」
「う、うん。お兄ちゃんもお姉ちゃんもありがとう。二人とも疲れているのに、ごめんね」
気にするなと二人から背中を軽く叩かれて、弱い笑みを返す。
両手に持った杖を前に出して桜乃が準備を整える。
「いけるか?」
「う、うん」
返事をもらった琥太郎と淡音は両隣に立って、兵たちに合図を送る。
檻から出てきた魔物が三人を見て、駆けだす。
それを見て桜乃の呼吸が荒くなる。琥太郎と淡音は、桜乃を安心させようと肩に手を置く。
それを合図としたように桜乃が詠唱を始める。
「激しき風、荒れ乱れて、吹き飛ばして! レイジウィンド!」
ぎゅっと目を閉じて突き出された杖から風が生じる。その風で桜乃の髪とワインレッド色のローブが後方へと揺れる。
台風の風よりも強い風が、駆けていた魔物を壁の方向へと吹き飛ばし、魔物たちが入っていた檻に叩きつけた。
かなり強く叩きつけられた魔物はそれが致命傷となって死んだ。
それを見届けて目を瞑り続ける桜乃へと二人は終わったことを告げる。途端に桜乃はへなへなとその場に座り込む。そのまま兵たちに運ばれていく魔物を見ながら桜乃は口を開く。
「私たちはこうしてお膳立てされてようやく魔物を倒せた。行方不明の人はどうだったんだろ」
「いきなり襲われたら、抵抗するだろうし、なんとかしたのかもしれないわね」
「それか誰かに助けてもらえたか、逃げおおせたか。まだ戦ったことがない可能性もあるか。戦ったとしたら、こうした配慮はされてないから、俺たちよりもきつかったかもな」
「……恵まれている私が情けない姿を見せられないよね」
なんとかといった感じで桜乃が立ち上がる。
弱々しくも自力で立つその姿に兵たちはなんとかやっていけそうだと安堵を抱く。
ガゾートが三人に近づき話しかける。
「お疲れ様。魔物を倒したことで、本格的に魔王討伐へと足を踏み出したといえるだろう。今後も大変なことがあると思う。君たち三人が力を合わせればそれを乗り越えられるだろうし、俺たちも必ず力を貸す。君たちには味方がたくさんいるということを覚えていてくれ」
「「「はいっ」」」
「今後の予定だが、十日ほどはまた訓練だ。やることは二つ。今身に着けている武具のまま戦闘行動をとる訓練と今日得た戦闘志向をもって基礎を固める」
これまで武具を身に着けてやった訓練は旅をするためのもので、明日からやるのは武具を身に着けて戦う訓練だ。
「ちゃんと獲得できたんでしょうか」
琥太郎が首を傾げる。本人たちにはその自覚がないのだ。
「鑑定できる者を呼ぶと聞いている。このあと顔合わせすると思う」
「そんな人がいるんですね。十日の訓練が終わったらどうするのか決まっているんですか」
「町の外に出て、三人の実力に合わせた魔物との実戦だ。実戦である程度の実力を得たら、また神殿に戻ってきて、成長によって生じた感覚のズレなどの修正と新たな技術の獲得といった流れだな」
成長と修正と技術獲得といったことを繰り返していき、そのうち魔王軍の強者とぶつかってもらう予定だ。
慎重に丁寧に育てて、最終的に魔王討伐を果たしてもらう。そこまで成長する時間を前線の兵たちが稼いでいる真っ最中だ。
ここでやることは終わりということで三人は部屋に戻り、武具を使用人に預ける。
気分が落ち着くハーブティーを飲んでいると、コロドムが五十歳ほどの女性を連れてきた。
「魔物との戦いお疲れさまでした。怪我がないようで安心しました。成果を確認するため鑑定師を連れてきました」
「初めまして勇者様。よろしくおねがいしますね」
三人もお願いしますと頭を下げる。
コロドムと鑑定師が椅子に座り、これから行うことの説明を始める。
「まずは説明から行いましょう。これから使うのは鑑定の魔法、戦闘志向を目で見ることができるようになる魔法ですね。誰でも使える魔法ではなく、資質を必要とするものですわ。どのように見えるかというと、例えば剣士の戦闘志向を得たのならば、灰色の細長い光が見えるという感じです。その輝きが強いほど、その戦闘志向が成長しているというわけです」
なるほどと三人は頷く。
その三人に鑑定師は、それぞれが得たはずのものを確認していく。
「コタロウ様は格闘、アワネ様は弓、サクノ様は魔法ですわね。承知いたしました」
では開始しますと鑑定師が言い、灰色の眼が三人へと固定される。
「見るべきもの、隠されたもの、見抜くための眼、開いて見通せ。アプライズアイ」
詠唱が終わると鑑定師の眼がうっすらと青みがかる。
彼女の眼には、琥太郎の頭上に手のような黄色の光、淡音の頭上に半月のような茶の光、桜乃の頭上に満月のような白の光が見えていた。その輝きは得たばかりにしては強いものだった。
それぞれ得る予定のものであり、それを鑑定師が告げるとコロドムも含めて、ほっとした溜息が出る。
帰る鑑定師に皆で礼を言い、扉まで見送る。
四人はまた椅子に座って話し出す。
「私たちのスケジュールは順調にいっているのかしら」
そう聞く淡音にコロドムは頷く。
「今のところは躓くことなく、予定した通りに進んでいますよ。慌てず焦らずこのままのペースで鍛錬を行ってくださるとありがたいですな」
「順調ならよかったです」
ほっとした様子で桜乃が言う。
「それで行方不明の人に関しては進展ありましたか?」
それに関してはコロドムは表情を暗くして首を横に振る。
「そちらはまったく進展なしです。各国上層部に情報は渡してあるので、結果がでるのはまだまだ先かと。これで見つかってほしいものです」
「無事合流したいな。死んでしまうと神様から連絡が来るんだっけ」
「はい。そのときは知らせていただけることになっています。その知らせがないので、どこかでなんとか生きていることでしょう」
「苦労しているかもしれないな」
「どうしてこの世界にいるのかわかりようがありませんし、いろいろと知識も足りていないでしょうからきっと苦労なさっているはずです。常識の違いからくる周囲とのすれ違いなども考えられますね」
何事もなく合流してほしいとコロドムが溜息を吐きながら言い、三人も頷いた。