25 廃墟への帰還
ナリシュビーの洞窟から出て、荷車を回収した進たちは行きのルートを逆行し海沿いに廃墟へと帰る。
海岸では塩作りや魚介類の捕獲、お試しの干物作りのほかに、ローヤルゼリーを食べたことによる変化を確かめた。
結果は予想通りだ。魔力が増えて身体能力が上昇していた。
「一通り確認できたわね。強くなって損はないから良しとしましょう。あとはラムニーのことについて、三人で話し合いなさいな」
ビボーンは貝を集めてくると言って、その場から離れる。
ラムニーは一時的な気の迷いなどではなく今も進のことが気になっている。それはちらちらと進に熱のこもった視線を向けることから、進とフィリゲニスもわかったことだった。
「ラムニーは衝動とか本能を抑えられるかしら」
フィリゲニスが率直に聞く。
それにラムニーは今のところはと返した。進のことが気になるが、なにがなんでもというところまではきていない。
「だったら今後もずっと抑えられると思う?」
「わかりません。少しずつ大きくなっている気がします」
「放置していたらいつか襲われるのか俺」
かもしれないとラムニーが頷いた。
「どうしてもススムじゃないと駄目なの?」
「洞窟に男のナリシュビーがいたでしょう? 彼らにはこのような気持ちを抱きませんでした」
「私たちの集団にススム以外の男が増えたら、関心はそっちに向くと思う?」
「どうなんでしょう」
そのときのことを想像してみるが、ラムニーは首を傾げる。進以外に今抱いているような気持ちを向けている自分を想像できなかった。異性に関心を抱いたのが初めてということもあるが、優れた雄を本能がロックオンしていることも進以外に懸想しているところを想像できない理由だろう。
強さで見ると進はそこまでではないが、この環境を生きるという面で見ると進ほどのことができる者はいない。
この土地で生きてきたラムニーは意識せずに、進の生存能力が優れていると感じ取っているのだ。
そんな進を諦める様子のないラムニーを見てフィリゲニスは、いつかは進と番になることを強行しそうだと思う。
「……仕方ない」
心底渋々といった表情で認めた。
そんなフィリゲニスにまじかと進は驚きの表情を向けた。
「ええっ、認めるの?」
「本能からくるものだから、止めても無理だってわかるの。これがただの恋愛感情なら諦めろって言い続ける。でも食欲や睡眠欲や性欲にかぎりなく近いものだから我慢させ続けるのは無理」
「なるほど」
三大欲求を止めることなど無理だとは進もわかる。止めてしまえば病気になってしまうことも考えられ、フィリゲニスが認めたことに納得できた。
進の倫理観は日本のものであり、浮気は駄目だという考えだ。だからフィリゲニスが納得しても、進本人には忌避や躊躇いが生じている。しかも結婚したばかりだから、余計に駄目なんじゃないかという思いがある。
進は日本でハーレムものの漫画を読んで楽しんだことはある。それが自分に実際に起こると楽しむどころか戸惑いしか感じなかった。
「ススムは納得できないみたいね」
「そうだな。俺の故郷は夫一人妻一人が常識だったからな。それが当たり前で、そこから外れるとなるとどうも駄目なことをしているんじゃないかって気持ちになる」
「こっちは甲斐性があるなら複数婚も認められるわ。私自身は独り占めしたい方なんだけど。でも今回はねぇ、進もそういうものだって受け入れなさい」
「妻から浮気を容認されるっておかしなことになってるんだけど」
さすが異世界だと感心すればいいのか、呆れればいいのかわからなかった。
「正直容認したくはないのよ。だからすぐに認めることはないわ。ラムニー、我慢できるかぎり我慢しなさい。その間に私は思う存分ラブラブするわ!」
「わかりました」
こくんと素直にラムニーが頷く。
ここで素直に頷かれるのも進としては微妙に思う。情のない政略結婚とはこんな感じなのかと考えた。
「ちなみにどれくらい我慢できそうなのかしら」
「明日明後日に我慢できなくなるということはないと思います。十日後とかはわかりません」
「そう遠くない未来にそのときがやってくるのね」
フィリゲニスは、時間があるうちに結婚できたらやりたいと思っていたことをやろうと決めた。
早速進と腕を組む。
「浜を歩いて、子供ができたらとか話し合いましょう!」
「子供は早くないか? もうちょっと夫婦としての時間を大切にしたい」
結婚が急だったので、子供をと言われてももう少し待ってほしかった。
そもそもフィリゲニスと出会って、そんなに時間が経過していない。もっとフィリゲニスのことを知ってからでも遅くはないと進は考えていた。
進が夫婦と言ったことでフィリゲニスは嬉しそうになり、一緒に波の近くまで行ってとりとめのないことを話す。
そんな二人の様子を、夫婦とはああいったものなのだなとラムニーが見て学んでいた。
海での用事をすませて廃墟に帰ると、ナリシュビーたちが作業している様子が見えた。
ナリシュビーたちの話では、女王も近々やってきて作業の指揮をとるのだそうだ。
花畑用の区画は女王が来てから決めるということで、土の変化はまだせずに進たちはナリシュビーからもらったものを拠点に置く。
試しに作った干物は、腐ったものとおそらく成功と思えるものができた。腐ったものは燃やし尽くして、成功と思えるものは昼に食べてみることにした。問題なければ、今後の食料として追加の予定だ。
雑用をすませた四人は住居の修繕などを進めることにする。
「池に魔法をかけたいから、誰かついてきてくれ」
「私が行くわ」
進が声をかけるとすぐにフィリゲニスが近づいてくる。
「池に行くなら、水を取ってきてちょうだいな」
「わかった」
ビボーンとラムニーは住居の掃除をやっておくと言って、修繕予定の部屋の小石などを集めて外に運び出す。
いってきますと告げて住居を出て、池に向かうついでに芋の採取をしていく。
池は相変わらず底が濁っている。魔法を使うとその濁りがあっというまに消えた。
「消耗が軽くなったかな」
池への魔法行使という慣れた行為でまったく負担を感じず、ローヤルゼリーでの成長を改めて実感できる。
魔法を使える回数が増えたのは良いことだと進が思っている間に、フィリゲニスが車輪付きの大きな箱とバケツを作り、ゴーレムで箱に水を入れていく。
浴槽よりも大きな箱の八割くらい溜まったところで水を入れるのを止めて、ゴーレムに箱を引かせて住居に帰る。
「廃墟近くの井戸を掘り返して、水が湧いて出るなら泉にしようかしら。その方が水の確保は楽でしょうし」
「ありかもだな。魔法で掘り返せる?」
「大丈夫。枯れてないといいけど」
以前進とビボーンが見たときは埋まっていて枯れているかどうかはわからなかった。掘り返してみれば水が出てくるかもしれない。
住居に戻った二人は、水入りの箱を入口に置いて、昼食の準備を始める。
土で焼き網を作って、その上に干物を置いて焼く。
それと拍子木切りにした芋をフライパンで焼いて、焦がし醤油でからめて、昼食の完成だ。
もっと食事の幅を広げたいなと話しつつ、干物のできを確かめる。進は焼き魚の身をほぐして口に入れる。特に臭くなく、おかしな味はしなかった。日本で食べたものに近い味だ。
この魚は干物に使えそうだと、覚えておくことにして食事を終える。
「午後からは井戸をちょっと掘り返してみようってフィズと話したんだ。水が湧いて出るなら泉にしたいなって」
「あそこが使えたらたしかに便利よね。私は手伝えるかわからないし、午前中と同じく掃除をしているわ。ラムニーはどうする?」
「私は掃除を手伝います。泉の方は手伝えることがありませんし」
掃除ならば身体能力が上がったこともあって役に立てるのだ。
掃除よろしくと声をかけて進たちは住居から出て、裏にある井戸に行く。
早速フィリゲニスは魔法で土を除去していく。以前も見た蛇のように土を変化させて、井戸の周りの地面をすり鉢状に掘っていった。深くなるほどに土、砂、粘土と蛇の構成物が変化していく。
土が減っていくと井戸の壁である積み重ねられた石が露出し、煙突のように真っすぐ立つ。
目測で二十メートルを超すくらいに掘ると、井戸のそばに水が溜まり始めた。
「枯れてなかったわね」
「よかった。あとは溜まる勢いがいいかだけど、そこまで急に水が増えてはないか?」
「そうね。もう少し深く掘ってみようかしらね」
「その前に井戸の石壁を壊して、よそに移しておかないか。いつ倒れてもおかしくないだろうし」
頷いたフィリゲニスは魔法で固めた土の球を井戸に当てた。がらがらと崩れた石は小さなゴーレムたちが坂道を上り下りして泉予定地から運び出す。
人手がいる場面ではゴーレムは便利だなと進は作業光景を眺めて思う。
「こういったゴーレムでの作業って封印される前からやっていたのか?」
「たまにね。私は主に魔物討伐が役目だったから」
「たまにでもやっていたら、フィリゲニス一人いるだけでかなり助かるってわかりそうなものなのにな」
「労働力ってことならワークドールがいたし、私のこういった魔法はあまり目立たなかったわよ」
「それってどんなやつ?」
「ワークドールはその名の通り、人形よ。魔法で強化された木材で体を構成されていてね、特定の行動しかできないけど、細かな作業もできるの。たとえば畑を作るように命じられると、雑草を抜いて、石を除去して、土を耕すところまでやってくれる。魔力貯蔵管を満タンにすると三日くらいは動き続ける。やれることは畑仕事だけじゃなくて、コアを交換するだけで、いくつもの作業に対応できる。ゴーレムはその場に魔法を使った人がいないといけないけど、ワークドールは命令すればその場を離れても作業してくれる」
説明を聞いているうちに進はアンドロイドを想像する。
「ワークドールに意思はあった?」
「なかったわ。あるように見せかけることはできたけど、それは対話を目的に作られたコアによって対応した言葉を返しているだけだし」
噂話ならば意思を持つワークドールがいるとフィリゲニスも聞いたことがあった。しかし見たことはない。
「そっかー。でもいろいろと作業をやってくれるなら、人間は仕事をしなくなっていったんじゃないかと思うんだけど」
「仕事をワークドールに任せて楽をする人はいたわね。でも全部任せるのは無理だったから、仕事をしなくなるという人はいなかったはずよ。仕事の仕上がりとか確認は人間がやらないと駄目だったし、ワークドールができないこともあったしね」
ワークドールは種を植えて、育てて、収穫もやってくれる。しかし農作物のできまでは確認できないのだ。傷物や成長不十分なものも収穫してしまう。
なにか新しいものを考え、作り出すこともできない。
戦闘用のワークドールもいたが、一定の強さを持つ者にとってはなんの問題にもならない強さにしかならない。力は常人よりも強いのだが、戦闘時の判断のバリエーションが決まっているので、すぐに対応できるようになるのだ。
ワークドールは単純作業向きというのが、使用者たちの考えだった。
ちなみにこのワークドールは現在各国の重要品倉庫にしまわれているのみで、稼働中のものはない。
コア生産工房とコア設計図が幾度もあった争いの中で失われて、新しく作ることができなくなっているのだ。胴体の方はまだどうにかなるのだが、コアの方はさっぱりで、かぎりあるコアを解析しどうにかならないかと研究中だった。設計図さえあればどうにかなるのにというのが研究者たちの口癖だ。
その設計図だが研究者たちは、進たちがいる廃墟に残っている可能性が高いと考えている。ずいぶん昔から人が足を踏み入れることがない遺跡であり、資料などが誰にも荒らされず残っていると見ている。どうにかして海路で廃墟に行きたいと考える研究者もいるが、必要資金が捻出できず実行できていない。リスクが高すぎてスポンサーもつかないのだ。
ワークドールについて二人が話しているうちに、ゴーレムたちの作業が終わる。穴の底には水が溜まり出しているが、その速度はとても遅い。
かつては水の施設から水が送られていたが、今では湧き出る水しかないので井戸としても使えなくなっていたのだ。