22 交換
「こちらから聞きたいことは聞けました。次はそちらの用件をお聞きします。なにやら交換したいものがあるとか」
「ススム、この話はあなたからお願い」
「はいよ」
フィリゲニスに促されて、進はペットボトルを女王によく見える位置まで持ち上げる。中身のミードがちゃぷんと揺れる。
「俺たちは廃墟に住んでいまして、そこで物資を集めているんですが、正直足りないものばかり。そこで俺たちが持つものとそちらが持つものを物々交換したい。交換するのはこちらミードという飲み物になります。既に試飲してもらっていて、交換対象になり得ると保証してもらっていますね」
「試飲したのは誰ですか」
私ですと試飲した兵が名乗り出て、味などを伝える。水があれば子供以外に行き渡らせることが可能らしいということも話した。
「そのような飲み物があるのですね」
「よろしければ女王様も少しだけ飲んでみますか? 毒見がいるならその人に飲んでもらうというのもありですが」
「そうですね。毒見を担当している者を呼んでちょうだい」
毒見など必要ないだろうと思いつつ女王は近くにいたナリシュビーに命じる。毒を盛って自分たちを害すよりも、フィリゲニスが力押しする方が早いとわかっているのだ。
やってきた毒見役に、進はボトルキャップに注いだミードを渡す。
それを口に含んだ毒見役は、思わず役目を忘れて味わうという失態を犯す。
「毒のようなものは感じられたかしら」
「あ……申し訳ありません。あまりの美味に毒かどうか確かめるのも忘れていました」
慌てて頭を下げた毒見役に、ラムニーと試飲した兵は仕方ないと頷いた。
女王は毒見役に苦笑を向けて、私にもくださいと進に手を差し出した。
進は毒見役からボトルキャップを返してもらい、それにミードを注いで女王に渡す。
それをあっさりと口に含んだ女王は、一瞬意識が味覚に集中する。これは毒見役が役目を忘れるのも仕方ないと思えた。そんな女王を次世代の女王が興味深げに見ている。
「とても美味しいものですね。これならばたしかに交換対象となりえます。一つ聞きたいことがあります。大人全員に行き渡らせるということですが、一人どれくらいの量を飲むことができるのでしょうか?」
「そうですね……フィズ、石でコップを作ってくれないかな」
大きさを説明されたフィリゲニスは、壁の石でティーカップを作る。
進は受け取ったティーカップを女王に渡す。
「それ一杯分を大人全員にですね」
「なるほど。これを大人たちに……困りました」
「なにか困ることでもあります?」
「その入れ物の量だけでもそちらが欲しがるものを渡すには十分だと判断しました。それが全員分となるとかなりの貯蓄を渡さなければつり合いがとれないと思うのです。そしてそれを渡してしまうと、今後が困る」
そこまでかと進は思うが、ラムニーからしてみればその判断は妥当と思えるものだった。なにせこれまで飲んだことのないような美味しい飲み物で、それだけではなく自分たちに必要な栄養も確保できる。とても価値ある飲み物であり、交換レートもそれに従い高くなる。
「材料の水はそちらで準備してもらうつもりなので、価値としてはもう少し下がると思いますが」
「それでもかなりの物を渡さなければならないと思いますね、私は」
少しばかり考え込んだ女王が口を開く。
「こちらも価値あるものを差し出してどうにかしますか。量で考えると釣り合わないでしょうが、ただ物資を渡すより良いと思います」
「なにやら大事なものを渡そうとしていませんか」
「ええ、あまりたくさんは渡せませんが、こちらも価値あるものを渡して、どうにか渡す物資を減らすつもりです」
「なにを渡す気なんです?」
宝石とかだろうかと進は自身の価値観に照らし合わせたものを想像する。
「ローヤルゼリーと呼ばれるものをご存知ですか?」
「蜂が子供に与えるものだと聞いたことが。女王蜂の主食とも」
知っていたかと女王は頷いた。
「私たちナリシュビーも同じようにローヤルゼリーを扱っています。私たちにとって貴重なものであり、他種族にとっても食べると力になるものです。二人分を準備するのが限度ですが、それといくらかの物資で交換を頼めないでしょうか」
どうなのだろうと進はフィリゲニスたちを見る。交換レートとして適正なのか進には判断つかないのだ。
「いいと思うわよ」
すぐにそう答えたのはビボーンだ。搾り取ろうと思えば可能なのだが、話し合える相手と敵対するような真似は避けた方がいいだろうと考えての返答だ。この判断は女王も察するだろうと考え、今後の付き合いをより良いものにしてくれるはずだという思いもある。
ビボーンがそう言うのなら大丈夫なのだろうと進は判断して、女王に了承を伝える。
「ありがとうございます。ローヤルゼリーはいつお渡ししましょうか?」
「ミードを大人たちに渡したあとでいいですよ」
「ではそのように」
このあとは進たちがもらいたい物資に関して話して、ミード作りのため水のあるところへと向かう。
ミード作成の間に、ナリシュビーたちは渡す物資の準備をすませておこうと動く。
進たちはここに来たときと同じように兵の長に案内されて、水をろ過している一室に入る。
そこでは一抱えある土器の入れ物に小石や炭や砂を入れて、ろ過装置を準備している者や出来上がったろ過装置に濁った水を入れている者がいる。
ろ過装置から出てきた水は少しだけ濁りがあり、それをまたろ過装置に入れて、綺麗な水にしている。
綺麗な水は飲み水として大きな甕に入れられて二人がかりで隣の部屋に運ばれていく。飲み水と調理用に使う以外の水は一度のろ過でよいらしく、飲み水を運ぶ部屋とはまた別の部屋に運ばれていく。
「この水はどこから運んできているのかしら」
「洞窟のすぐ近くに小川がある。そこからだ」
ビボーンの質問に答えたあと兵の長は、ここの長に用件を伝える。女王の許可もあるということで、ここの長は水を使うことに頷いた。
隣の部屋に移動し、甕にどれくらいの水の量が入っているか確認する。
進は目測で百リットルくらいと見る。ここの住人は百人に満たないとラムニーに聞いていたので、大人に一杯ずつ行き渡らせるならこの甕一つで十分すぎる。
「これ一つ丸々使っていいなら、さっきのカップで一人五杯以上飲める。水の節約をするなら、一人一杯分だけの水を取り出して作るけど、どうする?」
「水担当の長が言うには、これ一つ使っても問題ないとのことだった」
「そっか。じゃあこれ一つ使わせてもらおうか。その前に一杯分だけ実験で使っていい?」
「実験? なにをするのか実験する前に聞かせてくれ」
「大人だけ楽しむのもどうかと思ったからな。子供でも飲めるものを作れるか試してみようと思ったんだ」
それならぜひと兵の長は頷く。
進は木製のコップを借りて、甕から水を汲む。その水に魔法を使う。
少しだけ口をつけると、醤油と同じく不完全に変化した薄い味が感じられた。醤油と同じように蜂蜜かレモンがあればもとの味に近くなるのだろう。
「できたけど、子供受けするかな?」
ラムニーか兵の長に味見を頼む。
ラムニーたちは渡されたコップを二人でわけあった。
ミードの味を知っているラムニーからすれば物足りなさはあった。しかしただ水を飲むよりはるかに良いものだとはわかる。兵の長も同意見だ。
大丈夫という言葉をもらい、子供用の水を別の入れ物に分ける。
ミードとはちみつレモンドリンクを作り、悪くならないようにそれらを入れている容器をフィリゲニスに魔法で冷やしてもらう。
完成したそれを大広間に持っていく。いつもそこでナリシュビーたちは夕食を取る。そろそろ夕食が近いので先に運んでおこうということだった。
兵の長が運ぶ手伝いを呼んできて、零さないように慎重に運ぶ。
進たちも大広間で待つことになる。お礼の一環として夕食をどうぞと勧められたのだ。
夕食に出されたのは魚の塩焼き、きのこと貝の汁だ。
女王もやってきて、進たちのことを客人だと紹介し、食後に配るものがあるから食べ終わっても残るようにと告げる。
進たちはナリシュビーたちの物珍しげな視線にさらされたが、初めて虫人以外の人種を見るなら仕方ないとそういった視線を受け入れる。ビボーンもいるから注目を集めるとわかっているのだ。
食事が始まり、魚にも汁にも醤油をかけたいなと思いつつ食べていく。
食事が終わって、女王が再び皆に声をかける。
「これから配るものがあります。それは飲み物であり、とても美味しいものです。ススム殿たちが持ってきてくれたものなので、感謝するように。大人と子供は別々の飲み物なので、間違えないように気を付けなさい」
女王が美味しいと断言したことで、あちこちから楽しみだという声が上がる。
そして甕の前にナリシュビーたちが並ぶ。
女王と次世代の女王には、世話役が運んできた。運ばれてきたそれを二人は早速飲み、女王はうっとりとした表情になり、次世代の女王も美味しそうに飲んでいく。
まだ飲んでいない者たちは女王たちのそんな表情を見て、期待値を上げる。
飲んだ者は誰もが驚きのあとに笑顔になっていた。
それらを女王は嬉しそうに見ている。彼らの笑顔も良い肴となって、ミードがさらに美味しく感じられた。
一通り行き渡ったのを見て、女王たちと進たちは大広間から女王の部屋へと移動する。
皆が座って、女王が深々とお辞儀をする。
「あのように明るい雰囲気は久々です。良きものを交換していただき本当に感謝に堪えません」
「渡すのにそこまで苦労していないので、そこまで喜んでいただけると恐縮してしまいます」
「私たちにとってミードと言いましたか? あれをくださったことは感謝しきれないくらいのものなのですよ。代わりとなるかどうかわかりませんが、こちらをどうぞ」
机に置かれていた小瓶、二人分のローヤルゼリーが入ったそれを差し出してくる。
進はそれを受け取って、道具使いとしての感覚でかなりの価値があるものだと感じた。魔法で簡単に出せるミードや醤油などは比べものにならないくらいの価値だ。
「本当にこれをもらっていいんですか? かなりの価値があると思いますが」
量を用意したとはいえ、交換に値するのかと戸惑いを感じ、進は聞く。
それに女王は頷いた。本心からの礼なのだ。ミードは栄養の補充だけではなく、日々のストレスも晴らしてくれるかのような代物だった。困難な生活を続けているナリシュビーにとってはローヤルゼリーを渡すだけの価値があるものなのだ。
「どうぞ、お気になさらず」
「では、遠慮なくいただきます」
小瓶の中にある薄いクリーム色のとろりとしたものを見て、進は四人でわけるには少ないと考える。
これ以上くれとは、価値を知ってしまうと言えず、水で割って四人でわけるかななどと考えて、思いついた。
それはナリシュビーにとっても今後を変える思いつきだった。
そんな未来には気づかず、進はなにげなしにビボーンに聞く。
「ビボーン、これを四人でわけたら食べて得られる効果は薄れるよね」
「そうね。薄れるでしょう。でも量がないんだし仕方ないわ。私はいいから、三人でわけなさい」
「いやちょっと思いついたんだけど、これの質を高めて水で薄めたら、四人に通常通りの効果が出るだけの量を確保できない?」
「……いけるかもしれないわ」
「やってみていい?」
「私も興味あるし、やってみるのもありと思う」
もとより価値あるものが、さらに価値を高めたらどうなるのか。ビボーンは興味を押さえきれずにゴーサインを出す。
進はフィリゲニスとラムニーにも視線を向ける。ラムニーは反対意見など出す気はない。決定に従うだけだ。フィリゲニスも特に異論はない。主に進のおかげで手に入れたものなのだから、どう扱うかは進の自由だと思ったのだ。
そして変質の魔法について知らない女王は、進が言っていることに理解が及ばない。なにやらすごいことを言っている気はするのだが、意味が脳に浸透する前に、進が変質の魔法を実行した。
明日ワクチン接種なので、更新できなかったら体調不良で寝ていると思ってください