21 ナリシュビーの住処
「……ここにはあの魔物を倒しにきたのだろうか」
外部の者がここに来る目的がわからず兵の長は尋ねる。ラムニーに聞いてここに来たとしても、ここになにがあるのかラムニーには知らせていない。ラムニーがここに彼らを連れてくる理由がわからない。
ナリシュビーにとっての重要地ではあるが、宝があるわけでもない。ただの気まぐれだろうかと考える。
フィリゲニスが首を振り否定する。
「違うわ。ここの中央にあった石碑を壊しにきたのよ。私にとってあれは邪魔だし、ここらの大地にとっても邪魔でしかない」
「たしかに水面から出ていたものがなくなっている。あれはなんだったのか聞いても?」
「簡単にいうと呪いね。私の力を吸い取り、周辺の土地に悪いものを撒き散らしていた」
「なぜあなたの力を吸い取っていたのか気になるが、それ以上に聞きたいことがある。悪いものということは水や土の悪さはあの石碑が原因で、それを壊したから今後はここらが住みやすくなると?」
少しだけ期待したように聞く。
それにフィリゲニスは再び首を横に振る。
「長年かけて大地に染み込んだ力がまだ残留しているから急激に良くなることはないわ。何年もかけて少しずつ消えて元に戻っていくの」
「それでも良い方向にはいくのか。詳しいことを聞きたい、我らの住処に来てくれないか」
提案され、フィリゲニスは三人にどうすると尋ねた。ここでの用事はすませたのでこのまま帰ってもいいが、ラムニーの故郷だ。顔を見せに行くのもいいかもと思う。
そう思ったのは進とビボーンも同じで、ラムニーにどうしたいか聞く。
「無事を知らせたい気持ちはありますが、それはそこのお二人に頼めばいいこと。私としては行っても行かなくてもいいです」
あっさりとした返答なのは、もう群れから離れたとラムニー自身が考えているからだ。廃墟で知ったことを故郷に知らせたいと思わないでもないが、今の仲間の迷惑になる可能性も考えて行かずともよいと返答した。
どうするかは三人に任せると返されて、三人は少々戸惑う。故郷に対する感情があっさりすぎた。
「本当にそれでいいのか? 親しくしていた人に会いたいとは思わないのか?」
「絶対会いたいという人はいませんよ。そういった人がいたなら、羽が落ちても故郷に帰ろうと頑張りましたし」
小さな頃はそれなりに親しくしていた人はいたが、見回りの疲れを癒すことを優先して付き合いが疎遠になっていたのだ。
たまに見かけることはあったが、向こうも職場で親しくなった人との付き合いを優先して、互いに会釈などして別れるのが当たり前になっていた。
もっとも知人にはラムニーがすごく疲れた表情をしているので、休む邪魔をするのは申し訳ないと遠慮する思いがあった。それを察することができないくらいラムニーには余裕がなかった。
「そうなの。どうしようかしらね」
ラムニーが帰りたいと思わないのなら、三人も寄る理由もない。
「あ、物々交換できると思います。服とか足りないものがありますよね?」
理由を思いついたラムニーによって行っていいなと考えが傾く。
交換するものはという進の質問には、ミードを渡せばほしいものはもらえるとラムニーが答えた。
ミードではなくとも、水の浄化や土の変化でもほしいものはもらえるだろうが、それを知ったナリシュビーたちの反応が過激な方向に転ぶことも考えるとミードが一番安心できる候補だった。
「ええと、来てくれるということでいいのか?」
「そうなるわね。こちらは物資の交換目的よ」
ビボーンが言い、ナリシュビーたちはそのビボーンに不快な思いをさせるかもしれないと言う。見た目が魔物そのままなのだ、どうしても初対面の者は警戒してしまう。
ビボーンはその理由に理解を示す。進たちも最初は大なり小なり警戒したのだ。自身の容姿がどのような反応を起こすか理解していた。
「理解してくれて助かる。住処までは私たちが出てきた穴を通って向かう」
「もしかしてあなたたちの住処に繋がる穴だから、大事なところと言ったのかしら」
ビボーンの問いにナリシュビーたちは頷く。
「いざというときに女王を逃がすための通路だ」
「ラムニーは知らなかったようだけど」
「この通路を知るのは女王と側近くらいだ。ほかの者たちは女王を逃がすため殿となり、ここを通ることはない予定だった。だから知っていても意味はないと知らされていない。それと大蛸との衝突で出た被害があまりに大きく、その戦いの後はいざというときの逃走経路だけではなく、これ以上被害者を出さないためにも地下の存在を知る者を減らしたのだ」
それを聞いてラムニーは怒ったりせず、納得したように頷いた。
女王をトップとしていて、なによりも優先するのは女王。女王と男のナリシュビーさえ生き残れば、一族が滅ぶことはない。だから自分たちが女王を逃がすための囮となるのは納得できたことだった。
今も進たちが危機に陥るのなら、囮となって当然という考えは持っている。もっとも所属するところが滅びることがないのなら、囮として動けと言われても断る。あくまでも全滅の危機が迫ったのときの話だ。
ナリシュビーたちが先導し、住処に繋がる通路を上がっていく。
いくらかナリシュビーたちが整備してはいるものの、自然にできたものなので、歩きにくさがあった。
なんとか坂道を上っていき、一時間以上経過して出口が見えてきた。
「客人を連れてくることを知らせてくるので、ここで待っていてくれ」
兵の長が出口に向かい、もう一人はこの場に残る。
進とラムニーは一息つけるとありがたそうにその場に座る。
三十分ほどのんびりと待つことになり、残ったナリシュビーに少しだけミードを飲んでもらう。
「これは!?」
「蜂蜜を使った飲み物で、これと服とかを交換してもらおうと思っている。交換を持ちかけたときに、こういったものだと話してほしい」
「わかった、この味ならこちらとしても交換に問題はない。しかし世の中には、このような飲み物があったのだな。あまり量が多くはないのが残念だ。皆に飲んでもらいたい代物だ」
ペットボトルから出したものなので、あまり量がないと判断したのだ。
「水があれば作れるから、用意してもらえれば全員に行き渡るくらいは作ることができる」
「本当か!? 水は貴重なものだが、これが一度でも飲めるなら女王も許可をくださるはずだ」
極上の味に気を取られて、どうやって作っているのかまで気が回っていない。それくらいナリシュビーにとって美味いものだった。
「あ、そうそう。これは小さい子にはあまり良いものじゃないから飲むのは成人になった人だけがいいと思う」
言いながら子供には、はちみちレモンドリングを飲ませたらいいかと思いつく。それを飲んだ記憶はあまりないなので、上手く変化させられるかわからないが、醤油のように劣化したものでもアルコールを与えるよりはましだろうと思えた。
「そうなのか。子供に悪いのはどうしてなんだ?」
酒がどういうものかを話して、子供はアルコールの分解が大人に比べて未熟と言い、ついでに大人も度を越して飲むと体に悪いことも伝える。
酒を飲み過ぎて起こる失敗などを話しているうちに兵の長が戻ってきた。
兵の長の先導で、ナリシュビーの住処に入る。
進たちはちらりとラムニーを見る。しかしラムニーの表情には特に嬉しさなどは浮かんでいなかった。
そのまま女王のところまで案内される。
通り抜けた通路から、遠くないところに女王の部屋はある。兵の長が客を連れてきたと告げて、中に入る。
女王の部屋は特別豪華ということはなかった。簡素な机とクッションとベッドがあり、花などが飾られているということはない。女王が着ているワンピースも少しだけ飾り気があるというだけだ。床には四人分のクッションもある。
苦しい生活を続けているのだろうなと、進たちは思う。
女王自身は三十歳半ばで、長い金髪を持った凛とした女だ。ベッドには女王によく似た十歳くらいの少女が座っていた。
「ようこそおいでくださいました」
進たちが部屋に入ると、女王は少し驚いたあとに立ち上がり、歓迎の言葉と笑みを向ける。
驚いたのはいくつか理由があった。自分たち以外の人を初めて見たということであり、その人間が魔物と一緒にいるからというのも理由だ。事前に知らされていてもやはり驚く。そしてフィリゲニスの力の大きさを感じ取れたというのも理由の一つだった。
「そしてラムニー、無事でよかったわ。ここから離れたとしても元気な姿を見ることができて嬉しい」
「私の名前を憶えていたのですか?」
意外だといった感じでラムニーが返す。重要な位置にいない自分など忘れられていると思っていたのだ。
「覚えていますよ。私の生んだ子ですもの。皆の名前くらいは忘れず覚え続けていますよ」
そうですかと少しだけラムニーは嬉しそうな表情を見せた。
もう死んだものにされていると思っていたが、こうして無事を祝ってくれる人がいるとわかって、嬉しく思わないほどに情が離れているわけではない。
「私の知るかぎりでは、ここに住み始めて初めてのお客様。歓迎したいところではあるのですが、こちらも余裕があるとはいえず、たいしたもてなしもできそうにありません」
この女王の言葉に対して、少し間が空く。
進たちは誰が女王と話そうかと迷ったのだ。結局誰かが話し出すことがなかったので、ビボーンが一礼し返す。
「お気になさらず、苦しい状況というのはよくわかっています。それに予定外の訪問なのですから、もてなしの準備などできていないのはなおさらです。歓迎の言葉だけで十分ですよ」
「ありがとうございます」
十分すぎるほどに知性を感じさせるビボーンの返しに、そこらにいる魔物とは違うと女王は判断できた。
互いに自己紹介を終えたところで、四人は枯草を詰めたクッションを勧められて座る。
「兵の長から簡単に話を聞いているのですが、地下に大地を悪くしていたものがあったとか」
「はい。水面から出ていた石碑のことはご存知でしょうか」
女王は頷く。次世代の女王の少女も頷いた。
「ええ、話に聞いています」
「あれはとても古い時代の魔法装置でして、いまだ稼働していました。そしてここら一帯に悪さしていたのです。廃墟に一つ、ここに一つ、そしてもう二つの稼働中の装置。その四つが原因で大地の力は弱まり、水も濁り、風も悪いものを運ぶということになっていました」
「残り二つも破壊するなり止めるなりできれば、この荒野は健やかな姿を取り戻せるのでしょうか」
先に話を聞いたナリシュビーたちのように期待した声音で女王は尋ねる。
「すぐにとは言いませんが、数十年後には今よりも緑が増えて、水も清らかさをいくらか取り戻しているでしょうね」
「そのような未来を見たいものですね。しかしそのような知識をどこで手に入れたのですか? 廃墟に眠っていたのですか?」
「眠っていたとは言い得て妙ですね。こちらのフィリゲニスが深く関わっているのです」
ビボーンが手でフィリゲニスを示し、女王たちはフィリゲニスを見る。
「あなたはとても強い力を持っていますね。よろしければ、どのように石碑と関わっているのか聞かせていただいてよろしいでしょうか」
少しだけ迷った様子を見せて進を見るフィリゲニス。
「言いたくないところは言わなくてもいいんじゃないか。関わりだけを話すなら、あちらに全部聞かせる必要はないだろ」
「そうね、そうしましょう。私は大昔に封印された人間。力が強いから封じられ、その力を石碑を使って抜き出して使おうとした人たちがいた。でもその計画は失敗し、ここの一帯に悪影響を及ぼすことになった。廃墟とここの石碑は壊したから、力を奪われる量は半減しているわ」
どうして封印されたのか詳細を女王は聞きたかったが、ぼかしたということは触れられたくないということなのだろうと察して、別のことを聞く。
「残り二つの石碑も壊す予定はありますか」
「あるわ。あんなものない方が誰にとってもいいし」
「そうですか」
フィリゲニスの肯定に、子孫は現在よりましな生活を送れそうだと考えた。だが考えを進めると、そうでもないかもと思う。
環境が良くなってその恩恵を受けられるのはナリシュビーだけではないのだ。動植物や魔物たちも同じく過ごしやすくなる。
動植物の増加はナリシュビーにとって良いことだが、魔物の活発化はまずいと思えた。
魔物の活発化はまだ当分先だろうが、今から対応策を考えていた方がいいかもしれない。それを放置したまま環境の正常化に対応していくだけでは、ナリシュビーの未来は暗いものになり得る、そう女王は考えた。
時間があるときに対策を考えることにして、今は頭の片隅にそれを追いやる。