15 ナリシュビーのラムニー
虫人を気にしつつ休憩した三人は、室内の床板を敷き詰める作業に移る。こちらはそこまで時間はかからず、夕方前に三人が使う予定のそれぞれの部屋に板を敷き終わる。素人仕事なので隙間があるが、それは仕方ないことだろう。
じかに座ったりすると冷たいので、秋から冬は辛かろうという感想を持つ。廃墟の探索をして、ぼろい絨毯などを回収してこようということになった。
昼に食べた肉は悪いものではなかったようで、特に体調が悪くなることはなかった。夕食に食べたいと進とフィリゲニスは思ったが、念のため明日まで様子見をしようとビボーンに止められて頷く。
「あの子の様子を見に行きましょ」
ビボーンに誘われて、全員で寝床に向かう。
部屋に入ると女は意識を取り戻していて、体を起こそうとしていた。しかし傷が痛むようでゆっくりとしか動けない。礼を言うため体を起こそうとしているのかと進は思っていたが、ビボーンとフィリゲニスは女の赤茶の目に怯えの色を見て取った。
そんな女にビボーンが寝たままでいなさいと声をかけた。
「害するつもりはないから安心なさい」
女は言葉を受け入れたのか、抵抗は無駄と悟ったのか力を抜いて横になる。
「魔物から助けてくれたんですよね? ありがとうございます」
「たまたまよ。気にしないでいいわ」
フィリゲニスが言い、特になにかしたわけでもない進もこくこくと頷く。
まずは自己紹介だと互いに名乗る。
「私はラムニーと言います。あの、ここはたぶん廃墟ですよね?」
そうよとビボーンが頷いた。
「人が住んでいたなんて聞いたことないんですけど、それに水も綺麗だったし」
「私はもうずっと昔からここにいたわよ。こっちの子もある意味ずっといたわ。そっちの子は最近来たばかりだけどね。水も最近どうにかしたの」
「水をどうにかしたとは?」
「魔法で一時的に綺麗にできるのよ。こっちからも聞きたいのだけど、虫人の集まりがここら辺にあるの? 私は見かけたことないんだけど」
「北の方に。空を飛んでの移動なのでそれなりに離れていて、こっちにはごくまれにしかこなくて見かけてなくても無理はないと思います」
「北の方に人が住めるようなところがあったのね」
意外だといった感情を込めてビボーンは言った。
「小さな集まりで、たくさん住めるようなところじゃないです」
「小さな集まりということは同種族?」
「はい、蜂人でナリシュビーという種です」
へぇと驚いたような声をビボーンが出す。
「絶滅したと聞いたことがあるんだけど」
「そうなの? 私はそういった蜂人がいることすら聞いたことなかったのだけど。どういった種なのかしら」
フィリゲニスが封印される頃にはまだいなかったか、発見されていなかった種なのだろう。
「蜜が高値で売られていたわ。あまりに高値だから、ナリシュビーを捕らえて無理矢理働かせる人がでてきて、そのうち巣を強奪する人も出てきたの。そしてやりすぎて全滅。あとローヤルゼリーは不老長寿の薬の材料だって言われていたわね」
ナリシュビーとは蜜作りに特化した種だった。
そりゃ捕まるし、過労死させられるだろうと進とフィリゲニスは思う。
「でもこうして生きているってことは、全滅前に逃げ出せたナリシュビーたちがいたんだな」
「捨て去りの荒野に逃げ込めば捕まらないだろうけど、今度は人間じゃなくて環境が牙をむいてくるわ。よく生き残ったと思う。それに花の蜜が主食のはずよ、でも捨て去りの荒野で花を探すのも苦労するでしょうに」
ラムニーはほそぼそと命を繋いでいると答える。
「花の蜜は主食ではなく年に一度食べられたらいい贅沢品です。普段は魚とか毒のあるものから毒を抜いて食べています」
「あー、生き抜くためには食べるものの幅を広げる必要があったのね」
「そうらしいですね。昔は蜜が主食だったと私も聞いたことはありますけど、皆その話は嘘だって言っています」
蜜が贅沢品扱いならば、主食扱いは無理だろうと進は思い、怪我を治すなら蜜が最適なんだろうとも思う。
(さすがに水からハチミツは無理だろうな。日本酒は水も材料だから変質の魔法が効いた。でもハチミツは水を材料にしているってわけじゃなさそうだし)
「なにを考え込んでいるの?」
フィリゲニスが考え込んでいる進を見て聞く。
「この人が怪我を治すのにはハチミツが最適なんだろうなって。その調達は無理だから元気になれるのかどうか」
言いながら「あ」と進がなにかに気づいた様子になる。
「ミードなら調達可能だわ」
飲んだことがあり、イメージしやすい。水から酒に変化させることができるなら、水を使うミードも可能だろうと思いついたのだった。
ミードについてはフィリゲニスとビボーンも知っており、それなら栄養補給できそうだと進の思い付きに感心した表情になった。
ミードとはなんぞやと首を傾げたのはラムニーだ。蜜が贅沢品な状況で、それを材料にお酒を造るという思考にならず、蜂蜜酒を知らないのだ。
「でも怪我人に酒は駄目だったか。血液にめぐりをよくして出血が増えるって聞いたことが」
自らの考えを否定した進をビボーンがさらに否定する。
「怪我治療に必要な栄養補給はできるんでしょうし、ありかもしれないわ。お酒を飲ませてすぐに治療を開始すれば血のめぐりがよくなる前に治療可能かもね」
「やってみる?」
「それは治療を受ける本人に聞いてちょうだいな」
ビボーンの言葉にそれもそうだと進はラムニーに顔を向ける。
治療用の魔法があること、それは体力を消費すること、現状の消耗状態では使いづらいが栄養補給できるならば使えるということを説明する。
「こんな感じなんだけど、治療受ける? このまま放置しても徐々に衰弱していくだけかもしれないんだが」
「治療していただけるのはとてもありがたいんですが、ミードというのは飲んでも大丈夫なものなんですか?」
「お酒を飲みなれていないと酔いがひどいかもしれない」
「オサケといったものがどういったものかわからないんですが」
「日々生きていくことに必死で、酒を造る余裕もなかったのね」
そう言ったビボーンが酒について説明していく。初めて飲むときにいっきに飲むと危険ということやたくさん飲み過ぎると危険という説明で、毒の一種ではとラムニーは勘ぐる。今後苦しむくらいなら毒を飲んで楽になることを勧められたのだろうかと、怯えが表情に表れる。
その怯えを見て、少しは誤解が解けるだろうかと進がフォローする。
「飲みすぎなければ薬にもなるものだ。俺の故郷では百薬の長と言うこともある」
「薬ですか」
「飲むかい?」
「その前にお聞きしたいのですけど、どうして薬といった貴重なものまで使って助けてくれるのですか? 私を助けてもたいした恩返しできないのですけど」
「助けられる方法があるかもしれないのにそれを使わず、こうして言葉を交わした人が死ぬのはちょいと気分が悪い」
ビボーンとフィリゲニスも進と同じで、助けることに大仰な理由はない。誰彼助けるようなお人好しではないが、だからといって弱っていく様を見ていられるほどずぶといわけでもない。
「そうですか。厚意に甘えさえていただきます」
「準備があるから大人しくしてて」
ペットボトルに水を入れて、それをミードに変えて、味見してきちんと変わっていることを確認してから戻ってくる。
「これがミードだ。少しずつ飲んだ方がいい」
「かわった入れ物ですね」
ラムニーは珍しげにペットボトルを軽くにぎにぎと揉む。
飲み口を口に近づけると、蜂蜜の香りがかすかに鼻に届く。
その香りがラムニーの欲を刺激する。これは体に必須なものだと、脳が理解するよりも早くペットボトルを傾ける。
ごくごくと勢いよく飲み、ミードが急激に減っていく様を見て、進たちは少し呆けたが我に返ると止める。
「ストップ! いっき飲みは体に悪いって!」
「落ち着きなさい!」
「焦らなくても誰もとらないから!」
ビボーンとフィリゲニスがラムニーの体を押さえ、進がペットボトルを取る。
まだまだ足りないとラムニーはペットボトルに手を伸ばすが、弱っている体であることと二人がかりで押さえられていることで動けずにいる。
進は離れたところにペットボトルを置いて、フィリゲニスと交代する。
「押さえているからちゃっちゃと魔法かけちゃって」
頷いたフィリゲニスが魔法と使う。
「人の持つ力、癒しの力、今こそ発揮するとき。プロモーションヒール」
詠唱が終わるとラムニーの体がほのかに光る。
腕などにあった小さな切り傷にカサブタができていく。包帯の下の傷も同じように少しずつ傷が塞がっていた。同時にラムニーの肌のはりなどがなくなっていく。怪我が多かったので、使われる栄養と体力も相応のもので、すぐに体調に現れたのだろう。
「まだ飲ませた方がいいな」
「そうね。ラムニー、私が少しずつ口に入れていくから口を開けなさい」
まだ飲みたいラムニーは素直に口を開ける。そこにフィリゲニスは大匙一杯分のミードを何回もわけて入れていく。
そのうちにラムニーの顔が赤くなり、酔い始めたと判断できたフィリゲニスは口に注ぐのを止める。
「これ以上は体に悪いでしょうから、あとはもう寝ておきなさい」
「もっと駄目ですか?」
「駄目」
即座に断られ、ラムニーは進に駄目かと尋ねて、同じように断られると諦めたように肩を落とす。
「元気になったらまた飲ませてあげるから、さっさと寝ろ」
「はい。ここまでしていただき、ありがとうございます」
礼を言い、素直に横になったラムニーは目を閉じる。
水を入れた器をそばに置いて、三人は部屋から出て行く。人がいたら静かに眠れないかもと三人は一階で寝ることにしたのだ。
翌日、足音が聞こえてきてビボーンが起きる。
「ススム、フィズ。ラムニーが起きてこっちに来ているみたいよ」
「……ん? おはよ。あーっ体がぎしぎしする」
「おはよー。床で眠るのは辛いわねぇ」
「私は骨だからよほどおかしな体勢で寝ないと体の調子は変わらないから楽よ」
挨拶している声を聞いたらしいラムニーが部屋の入り口に現れる。
「歩けるくらいには回復したのか。よかったな」
「そうね、命の危機は通り越したようでよかったわ」
進たちの祝いにラムニーは嬉しそうに頭を下げた。
そのラムニーにビボーンが手招きする。
「体力と栄養を消費しているでしょうから、少しミードを飲んでおきなさい。ススム、少しだけミードを作って渡してあげて」
「りょーかい」
容器に入れてある水をコップですくい、ミードに変えてラムニーに渡す。
ラムニーは昨日味わったものを思い出し、器を口に持っていこうとして止める。目を閉じてミードから気をそらし、深呼吸してから三人へと顔を向ける。心を強く持たなければ、すぐにでも飲み干してしまいそうだったのだ。
礼も言わずに飲むのははしたないと、三人にいただきますと言ってから器を口に持っていく。一度舌に触れると我慢できずにいっきに飲み干す。
「相変わらずの良い飲みっぷりだこと」
「とても美味しくて」
「それで体はどんな感じかしら」
「怠いですし、動くと痛みはあります。でも安静にしていれば死ぬようなことはありません」
「回復したら故郷に帰れそう?」
ラムニーは答えづらそうな顔になる。
一人では帰れそうにないかと尋ねるフィリゲニスに、ラムニーは首を横に振る。
「私たちの儀式に羽落としというものがありまして。巣立ちして新たな土地で生きていくという儀式で自分の意思で羽を落とすといったことやるんです。そして巣立ちしたということは、故郷との関係は絶たれたということに」
「でも魔物との戦いで落ちたのであって、自分で落としたわけじゃないだろ」
「仲間がそれを見ていれば証言してくれるんですけど、私は一人で行動していたので無理じゃないかと思う」
本当は帰りたいのだが、故郷にも余裕はない。事故とはいえ独り立ちした形のラムニーを受け入れてくれるかどうかわからないのだ。
「帰ってこないと仲間が心配して探しにくるんじゃ?」
「行った先で死ぬのは珍しいことじゃないから、私も死んだと思われておしまい」
ラムニーも仲間が帰ってこないときに同じように思ったのだ。
「助けてもらってあつかましいと思いますけど、ここに置いてもらえないでしょうか」
大丈夫だろうかと三人は顔を見合わせる。
食料面ではミードを与えればなんとかなりそうで心配ない。ならば不和の芽となるかどうかが問題となる。
「とりあえずラムニーのことを聞かせてほしいの。なにが好きでなにが嫌いか。どのようなことが得意で不得意か。極端にうちに合わなければ、申し訳ないけど断るという方向になるわ」
ビボーンの言葉にラムニーは頷いて自分について話す。
「好きなのは、ミード。年に一度食べられる蜜の欠片が好きだったけど、ミードが一番になりました。嫌いなのは毒抜きが失敗した食材。一度食べて吐き気と腹痛でひどいことになった。得意なのは見張りでしょうか。少しばかり目が良いので、斥候として命じられました。苦手なのは戦いです。あまりセンスがないようで武器を振るくらいしかできません」
「昨日も言っていたけど毒抜きという部分が気になるな。どういったものを食べていたんだ?」
「故郷は洞窟なんですけど、そこにキノコがあるんです。体に悪いからそのままだと食べられないんですけど、食べられるものを増やすため昔の人が毒を抜く方法を考えたそうです。ほかに貝の毒を抜いて食べていました」
「ラムニーも毒抜きはできるのか?」
ラムニーは頷く。基本的な知識や技術として大人になるまでに仕込まれるのだ。ほかにもこの大地で生きていくための知恵と技術をラムニーはある程度保有している。
この技術を保有していることだけでも、進はいてほしい人材だと思う。
こうなると残る問題は性格的なものだ。
「何日間かお試しで一緒に暮らして様子を見てみるのはどうだろう。同居は無理でも、この廃墟の中で少し離れて暮らすことはできるとかわかるかもしれない。どうしても無理ってなってここから離れることになっても、体が回復しないことには移動は無理だし」
進の提案に、それでやってみようと二人は頷く。二人も積極的に追い出したいわけでもないのだ。
ひとまず首が繋がったということでラムニーはほっとした様子だ。
「これからよろしくお願いします」