146 村へ
ローランドが魔物の軍に戦いの終わりを告げる必要があるため、進たちも魔物の陣地に寄ることになる。
そのまま帰還指示にいくらか時間をとられることになって、進たちは陣地の片隅を借りて一夜を明かす。
コテルガも操られているときに、魔物とともに過ごした経験があるので、そこまで慌てることなく大人しく過ごす。
周囲の魔物たちもローランドの客だとわかっているので、ちょっかいなどかけず近づかないでいた。
しかし例外もいて、一体だけ近づいてきた。
以前あった山の結婚式で、日本酒を飲んで気に入った魔物だ。どうしてもまた飲みたいので、いろいろと調べた結果、ディスポ―ザル産とわかった。そこの村長がいると知り、交渉してもいいかローランドに許可をもらって会いにきたのだ。
どれだけ美味かったのか、感動したのかといったことを身振り手振りも合せて話し、購入させてほしいというその魔物に進は二つの条件をつける。魔物が村に来ること。ほかの誰かに自慢しないこと。この二つだ。
一つ目はその魔物の本拠地に行く手段がないからで、二つ目は酒造りが主流になると池の水がすべて酒の材料として消えかねないのだ。池の水を使いたくないなら海に行けばいいだけなので、二番目の条件は酒造りだけに時間を取られたくないという意味合いもある。
それくらいならとその魔物は条件をのみ、上機嫌で去っていった。商売をしたいのではなく、また飲みたいだけだったので他の者に教えなくてもいいのだ。
こうしたやり取りをコテルガは珍しそうに見ていた。魔王に操られているときに魔物も人間と似た部分があることは知ったが、素の状態で人間と魔物のやり取りが可能というのはやはり意外だった。
村に魔物がいるのは聞いているので、今後はこれが当たり前になるのだろうと心構えをしておく。
朝になり、魔物たちはどんどん自分たちの住処に帰っていく。
進たちもローランドに乗せてもらい、村へと飛ぶ。
昼頃に村に帰った進たちは、思ったよりも早い帰りだと住民たちに驚かれていた。
魔王討伐なんて大仕事を受けたのだからもっと時間がかかると思っていたのだ。
人間たちがやってほしい武具や素材の品質上昇なんかをやれば、彼らが想像したように長期間あちらに拘束された。
しかしそこらへんは勇者の武具作成に協力したことで最低限の役割を果たしたことになり、魔王に魔法を使うという最重要の役目だけですんだのでさっさと帰ってこられたのだ。
なにより琥太郎たち以外に会わなかったのが、さっさと帰ってこられた要因だろう。人間の陣に顔を出してれば、引き留められた可能性が高かった。
村人たちに挨拶しつつ家を目指す。
コテルガは思った以上にしっかりとした村が、捨て去りの荒野に作られていることに驚きを抱いていた。話に聞いてはいたが、実際に来てみると想像以上だった。
予想より楽な生活ができそうだなと、村の中を見ながら思う。
「ただいまー」
「ただいま」
声をかけて家に入る二人にコテルガがついていく。
コテルガ用の家ができるまでは、進たちの家の部屋を使うことになっていた。贅沢はしないということなので普通の家を作るだけですむため、そう長いことここに滞在はしないだろう。
「おかえり」「おかえりなさい」「おかえりなさいであります」
イコン以外がリビングから出てくる。イコンは大妖樹の森に意識を戻していた。
早かったなと三人からも声をかけられつつ、リビングに移動し、コテルガを紹介する。
「こちらで預かると聞いていたし、もしかしてと思ったけど間違いなかったのね」
ビボーンが納得したように頷く。
「ようこそ、ディスポーザルへ。士頂衆という高位で不自由しない場所からこのような僻地へ来て戸惑うでしょうが、あなたに生きていてもらいたいと願った人がいるからこその結果だと思って、落ち込むことのないようにしてくださいね」
歓迎の言葉にコテルガは意外といった表情を浮かべ、すぐに消す。
「いやはや、魔物からそのような言葉を聞けようとは。自分がやったことで責められるのはわかっておる。自分のせいではないとしてもな。魔王に怒りは抱いても、生きてくれと願った者たちにまで恨みを抱くことはないさ。彼らが願ったように、寿命をまっとうするよ」
「それはよかった」
「しかし人間のことをよくわかっているのは、人間と一緒に暮らしているからなのですかな」
違うとビボーンが首を振る。
「私は魔物ですが、昔は人間だったのですよ。それゆえに人間の考えもわかるのです」
「ああ、そうじゃったか」
そういった魔物もいるのだなとコテルガは頷く。コテルガの魔物への関心は、どういった動きをするのか、どうやれば倒せるか、どこにいるのかといったもので、どういった生まれ方をするのかまでは関心が薄かったのだ。
「改めて自己紹介を」
ビボーンが名乗り、ラムニー、リッカと続く。
イコンがいることも伝えたあとにコテルガの住居の話になる。
このあと家を作り、家具をノームたちに注文、そのついでに村の中を案内という流れにしようと話したところで、リッカが昼食を持ってくる。
ふかし芋と焼き魚というシンプルな昼食を終えて、進たちはコテルガを伴い家を出る。
住民に挨拶しつつ、村のあちこちを回っていく。子供たちが笑う余裕があることに、魔王の支配下よりまともな生活ができているとコテルガは村の平穏を実感する。
コテルガの家は島組のそばに作ることにして、まとめ役のラジウスとの顔合わせもしておく。
そのときにコテルガの仕事はなににするかという話になり、斥候技術の指導役ということになる。
コテルガとしてはもう人殺しに使われた技術を捨てて、農業をして余生をすごしてもよかった。しかしせっかくの技術なのだからもったいないということになった。習得したいと望んでくれる人がいるならと、指導役について了承したのだった。
挨拶と案内を終えて、家のがわだけをさくっと作ったりしているうちに夕方がせまる。
そして翌日からまたいつもの生活が始まった。
日常にもどってしばらくしたある日の夕食後、リビングにいた進たちは光が出現したのを目にする。
家の誰かが魔法を使った様子もなく、なんだろうかと少しばかり警戒しているところに、光から女の声がする。
「久しぶりね、勇者」
「その声は……たしかあのときの」
思い出されるのはこの世界に来る直前のおぼろげな記憶だ。
「私はヴィットラ、あなたたち異世界の人間をこちらに呼び寄せた存在。迷惑をかけた詫びと魔王を無事封じてくれた礼を言わせて」
進以外は驚きをあらわにする。ヴィットラの声を自分たちが聞くことになるとは思っていなかった。思わずフィリゲニスたちの背筋が伸びる。
その声の主がヴィットラだと疑うこともない。そうであると魂が理解したのだ。
「わざわざ詫びと礼のため、こうして声をかけたんですか? 大神殿からの手紙とかでもいいと思いますが」
「詫びと礼もあるけど、聞きたいこともあったの」
少し砕けた口調になってフィリゲニスたちは神というものへの理想像との差に内心首を傾げる。
多くの者のように、神とは荘厳で厳粛という理想を持っているのだろう。
そんなことには気づかず進は話を進める。
「魔王戦の様子でしょうか? それだったらローランド様に聞いた方がいいと思いますけど」
「それじゃないわ。私としては魔王が倒され封じられたという結果があれば満足だし、戦いの様子は知らなくてもいい」
聞かずとも知ろうと思えば知れることでもある。そのため聞こうと思わない。
だったらなんだろうかと進が聞く。
「大神殿にいる勇者たちには話したんだけどね」
風の壁をどうするかという話を聞かされた進は、正直そんな話をされてもと思ったが以前天候が変化したことを思い出して、そこについてきく。
「風の維持は各国や大神殿の望むままにすればいいと思います。でもほかに聞きたいことがありまして、風を解くことによってこの地方の気候はどのように変化するか教えてもらいたいのですが。一年前の冬明けは例年と違ったものになって対応が必要になりました。今後もまたそういったことが起こりうるんでしょうか」
進の質問にビボーンたちも大事なことだと真剣な表情で光をみつめる。
「少し待ってちょうだい」
三分ほど光は静かになり、少しだけ輝きも小さくなる。
「わかった。大きく変わることはないわ。暑い期間と寒い期間が五日くらい延びる、といった感じね。ほかに注意するのは嵐が以前よりも発生しやすくなっていること。風の壁のおかげで嵐の発生回数が押さえられていたし、その規模も小さくなる傾向にあった。でも風の壁がなくなるから、本来の気象状況に戻って嵐がやってくる」
「注意が必要ですね。ちなみに竜巻なんかは? ここで過ごして二年くらいですけど、竜巻が発生した覚えはないんですが」
「ここらはなかったけど、北の方だとわりと発生するわ。ここらでもまれに発生するんじゃないかしら。でもΩの職号持ちがいれば打ち消せるでしょ」
「そうなのか?」
「やったことはないけど、以前の寒さ対策よりは楽だと思うわね」
気負った感じのないフィリゲニスからの返事に、任せて大丈夫だなと進も安堵する。
「聞きたいことはそれだけかしら」
「あとは……ああ、あなたからもらったこの魔法は俺が死ぬまでともにあるんですか? もう役割が終わったから返さないといけないとか」
そうだったら困るなと思いつつ聞く。だからヴィットラからの返事に安堵することになる。
「ずっとあなたと共にあるわ。返してもらうのはあなたが死んでからね。それと変質はよほどのことがなければ、あなたが最後の使用者になるでしょう。対魔王用にと準備したものだから、魔王がいなくなれば世に出る必要はない。それはわりと危ないものだからねぇ」
変質を極めようと鍛錬を重ねていけば、いずれ世界を対象に使うこともできるようになるのだ。それが可能になるのは七十年くらいの鍛錬が必要になるのだが。
説明された進は、世界の変質など望んでいないのでほどほどに鍛えて、広範囲の土地や水の質をより良くできるようになればいいと考えていた。
ヴィットラとしてもその目標は安心できるものだ。
「ほかに聞きたいことは琥太郎君たちの現状くらいかな。苦労していないかどうか。苦労しててもどうにもできないんだけどさ」
「苦労はしてないし、私からさせないわね。あの子たちもきちんとやってくれた。最初に与えた目標と違ったことにはなったけど、それに向けて努力を怠ることなくがんばってくれた。そんな子たちにこれ以上苦労をかける気なんてないわ」
琥太郎たちには言っていないが、日本に帰る際にちょっとした祝福を与える。それは健康を維持しやすくなって、厄も避けやすくなるというものだ。今後の人生に幸あれと願ったことに偽りはない。
「あの子たちも元気なのか、よかった。あとはもう聞くことはないな」
「そう。それじゃ改めて、此度の働きまことにお見事。あなたたちのおかげで世界は正常な動きに戻る。その世界であなたたちが幸福に生きていけることを願っているわ。こうして話すことはもうないでしょう。ではごきげんよう」
最後にフィリゲニスたちが思うような荘厳な雰囲気を放つ。
すぅっと光が弱まり、神の気配と呼べるようなものも一緒に消えた。
進以外が小さく息を吐く。緊張していたのだろう。
「大神殿関係者じゃないのに女神ヴィットラの声を聞くことになるとは思ってもいなかったわ」
ビボーンの言葉に皆が頷いた。
「神様の声が聞けたなんて言ったら、住民たちは信じてくれるんだろうか」
進の疑問に、信じてはくれないだろうなとビボーンは返す。
日本のように精神状態を心配されるのではなく、しかるべき場所でのみ対話可能な存在と考えられているので信じてもらえないのだ。
公式記録でも、大神殿以外で神と対話したという話は残っていない。
ごくまれに今回のことのようなことはあるが、信じてもらえず信憑性の低い昔話として残ることがあるくらいだ。
さらに時間は流れる。
琥太郎たちは地球に帰っており、そのことについて進は知らない。だがヴィットラが悪いようにしないと断言したので帰れたのだろうと思っていた。
進は魔王関連が起こる前と変わらぬ日常を送れていた。海人族との交易に向かった際、そこにバーンズやフィリゲニス目的のシャニアがいて村に逗留したなんてことがあった以外はこれといった大きな出来事はなかった。
変質の魔法を使える進に接触しようと考える国はあったのだが、魔王軍の後処理と隣の大陸からやってくるであろう者たちの対処に時間を取られて後回しにしていた。そのため進たちは穏やかな時間を過ごすことができていた。
そうして風の壁もなくなり、いくらか時間が流れたとある夏の日に彼らはやってきた。
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