132 忍び寄る悪意
魔王城の執務室で作業をしていたシェンは、魔物たちにかけていたいくつもの呪いがなくなったのを感じ取る。リベオのときと同じ反応だ。
「失敗したか。それなりに強い者を送り込んだのだけどね」
小さく溜息を吐いて仕事を一時中断し、シェンは魔王のいる玉座の間に向かう。
静かな玉座の間に足を踏み入れて、魔王の前で片膝をつく。
「魔王様、お知らせしたいことが」
「なんだ?」
「送り込んだ魔物たちは勇者を殺すことができず失敗したようです。さらに魔物を送り込みますか?」
「……飛べる者で強い者を送り込んだ。そうであったな?」
「はい」
「では今回は制限をせずに強い者を送り込め」
「承知いたしました。すぐに手配いたします」
「ああ」
立ち上がって一礼したシェンは玉座の間を出て、執務室に向かいながら誰を送り込むか考える。
魔王軍で強い者を思い浮かべ、最初に思い浮かんだのは魔王と自分だ。しかしどちらも動かせない。魔王が自ら向かうならともかく行けと言うわけにはいかないし、自分がここを離れると指示を出す者がいなくなる。
「士頂衆のあやつ、いや前線を荒らすのにちょうどよいから動かすのはな。となると……」
いい考えが浮かんだのだろう、一つ頷いて執務室に帰ったシェンは仕事をさっさと片付けて、送り込む者を動かす策を練る。
送り込むのは人狼の王だ。戦力として取り込もうとしたとき、一族総出で抵抗してきた。最後に生き残った人狼の王をどうにか呪いで縛り、動きが鈍ったところで拘束し、城の地下牢に閉じ込めた。今は脱出の機会をうかがっているので静かだ。
実力は魔王軍でもトップクラスだが、強靭な意志で呪いの効果が半減しており、普段から使うには困難だった。少しでも手綱を緩めるとこちらを殺そうと動くだろう。
「どうやって使うか……念入りに縛るしかないかしら」
仕事を一時中断し、人狼の王への対処に集中し、さらなる呪いで縛り、死を恐れず命尽きるまで勇者のもとで暴れるようにしてしまおうと決める。
ちょうどよい使い道を思いつかず死なないように管理していたが、ここで使い捨ててしまうことにする。勇者殺しに使うならば、これ以上ない良い機会だろう。
数日かけて人狼の王の呪いを強化し、少しばかり弱体化したが完全にシェンの自由に操れる状態になる。そして人狼の王を捨て去りの荒野まで運ぶ手筈も整えたシェンのもとに一つの情報が入ってくる。
「大烏公が大神殿に行っただと」
なぜと疑問を抱く。シェンが知るかぎりで大烏公が大神殿に行ったことなどないのだ。どうして今回行ったのかと考えて、勇者に関連しているのかと推測する。魔物を捨て去りの荒野に送り込んだ時期とタイミングが合うのだから、なんらかの関係があるのだろうとみた。
さすがにローランドの娘と孫にまで被害がいったということは思いつかなかったが、勇者と一時的に手を組んだのかもしれないと推測を進める。
「捨て去りの荒野から大神殿に勇者を届けた可能性もあるのか。あそこにいるうちに殺せなかったということになるわね」
人狼の王を送り込む準備は無駄になったかしらと少し考えて、魔王に今後どうすべきか聞いてみることにした。
シェンの話を聞いた魔王は、四人目が三人の勇者に合流したと結論を出す。
捨て去りの荒野が人間にとっては辛い環境というのは魔王もわかっている。そこから大神殿への移動をローランドに願うのが普通だと考えたのだ。
「では捨て去りの荒野はもう放置ということでよろしいでしょうか」
「それでよい」
色々と準備が無駄になったが、魔王の決定なので少しも不満を抱かずにシェンは受け入れた。
玉座の間から出たシェンは人狼の王の使い道を考える。せっかく準備を整えたのだから、このまままた牢にしまいこむのはもったいない。使い捨て用に準備を整えてしまったので、牢に入れても一年と持たずに死んでしまうのだ。
「ならば予定通り捨てましょうか。勝手に処分してくれるでしょ。それで勇者の一人でも殺してくれれば儲けものね」
大神殿に人狼の王を投棄することにしたシェンは、そのための準備を行うことにした。
進たちが去り、空の彼方に姿が消えてホルドミットとファガレットと兵たちはほっと息を吐く。
大烏公という強者が近くにいたプレッシャーがなくなったことと魔王討伐に必要な最低限の目的を達せられた安堵からの溜息だった。
「まさか向こうから来るとは」
ホルドミットは予想外だったと漏らす。
既に捨て去りの荒野へと向かう人員は北の海人の王国へと移動を開始している。彼らに行かなくていいようにと連絡を取る必要ができた。
「ええ、驚きましたね。あとは魔王軍に少しだけ同情します。大烏公の関係者に手を出したばかりに劣勢へと追いやられることになったのですから」
「大烏公という戦力はとても大きい。これについては各国にしっかりと知らせておかなければ。人間が大烏公や山にちょっかいをかければ、その牙はこちらに向くことになるのだから」
各国への連絡と捨て去りの荒野へと向かっている者への連絡を最優先で行おうとホルドミットは仕事の順番を入れ替える。
「あとは今日の話をコタロウ様たちに伝えなければなりませんな。ススム様のこともですが、最高峰の者たちがどれくらい強いのか、その一片だけでも知れたのはとても大きなことだ」
「魔王との戦いは大烏公たちが行うということもですね。これで勇者様たちの負担はかなり小さくなるでしょう」
よかったと安堵するファガレットに、ホルドミットは念のためローランドたちが敗れることも想定しておいた方がいいと言う。
「可能性としてはゼロではないだろうからな」
「そうですね。念のために準備は必要ですか」
ホルドミットが周囲の兵たちに解散だと告げて、自身もファガレットと一緒に屋内へと戻っていく。
進たちの来訪から少し日数が経過して、琥太郎たちが遠征から帰ってきた。
武具を外して、風呂に入ったりして旅の疲れを取り、琥太郎の部屋に集まりのんびり寛いでいると、コロドムとホルドミットが部屋にやってくる。
「お寛ぎのところ申し訳ありません。こちらホルドミットから報告することがあるということなので連れてきました」
「かまいませんよ。中へどうぞ」
使用人が持ってきた椅子をテーブル近くに置いて、それに二人が座る。
話とはなんだろうと淡音が聞き、ホルドミットが口を開く。
「四人目の勇者様についてです」
「以前聞いた話では、向かった人たちはまだ捨て去りの荒野に到着していないですよね」
「予定通りならばそうなのですが、皆様が遠征している間に、向こうから大神殿に来たのです」
「そうなんですか。ということは今大神殿にいるということですよね。でもそれにしては皆が噂してなかったような」
「今ここにはいません。村に帰りましたから」
ヴィットラがそういうことを言っていたなと三人は思い出す。
「遠いところにあるから、移動が大変でしょうね」
移動にどれくらいの時間をかけるのか、三人はこれまで自分たちが行ってきた遠征をもとにして考える。
「いえ、移動は我らの予想外の方法で行っていますから大変ではないかと」
予想外?と桜乃が首を傾げた。
「大烏公に乗ってこの都にやってきて、人の姿をとった大烏公と一緒に大神殿の庭に降りてきたそうです」
「そ、それはたしかに予想外ですね」
皆警戒したのではと聞く淡音に、ホルドミットは頷く。
「最初兵たちが武器を構えて、彼らを囲んだようですね。ススム様の事情を知っている騎士がどうにかその場をとりなして、私とファガレット様を呼んだという流れです。そのときに魔物に恨みのある兵が大烏公に攻撃をしかけたとも報告を受けています」
「攻撃をしかけてどうなったんです」
琥太郎はローランドとの間にもめごとが起きたと心配する。大神殿が荒れた様子はないので、大きな問題にはなっていないのだろうとも推測する。
「あしらわれて終わりという感じなのだと思います。そのことについて私たちは大烏公からなにも言われていませんから。実力差がありすぎて、どうでも良いことなのではなかったのでしょうか」
「魔物に恨みを持っているということは手加減なんてしませんよね。そして兵だから鍛えている。そんな鍛えている者をどうでもよいと放置ですか。どれだけ差があったんだろうか」
「かなりのものだと思います。兵たちがまとめてかかっても軽く蹴散らすだけの実力は持っています」
断言したホルドミットに全員が不思議そうに視線を向ける。それを受けて理由を話す。
「その実力の一端を見る機会があったのです。それに関してはあとで話しましょう。今はススム様の話を先に」
「そうですね。お願いします」
「ススム様は奥方と大烏公と一緒に大神殿を訪れました」
「奥方ってことは結婚している!? いやいろいろと事情を知らなければ所帯を持つ可能性もあるのか」
帰ることができると知らなければ、こっちで生きていくのが当然と考えて、結婚もするだろうと納得できた。
「驚きは当然でしょう。話を続けますね。互いに自己紹介し、我らが女神ヴィットラからススム様たちの事情を聞いて知っていることを話し、ススム様にやってもらいたいことを話しました」
「魔王の結界をどうにかするという話は知っていました?」
「いえ知らなかったです。それどころか魔王と戦うことも知らなかったようで、役割を伝えると驚いていましたね」
ヴィットラから聞けていないということなので無理もないと、琥太郎たちは頷く。
「その話の流れで、大烏公がススム様と魔王討伐に動くということになりました」
「え、なんで?」
どういう流れなんだと心底不思議そうにホルドミットを見る。
魔物と一緒に暮らしていることは聞いたので狩りなどを一緒にするのはまだ納得がいく。だが大烏公という大物と一緒に魔王討伐に向かう事情はさっぱりだ。
「どうやら大烏公は魔王軍に親類を傷つけられたようで、その報復を望んでいたようです。大神殿にススム様を連れて来たのも、勇者としての力が魔王になんかの影響を出すかもしれないと思い、そこらへんの話を聞きにきたそうです」
「魔物もそういった事情で動くんですね」
人間みたいと桜乃が言う。
「女神ヴィットラも言っていましたが、よその大陸では人と共に暮らす魔物もいるということですし、共通する部分はあるのでしょう」
「そう、ですね」
頷く桜乃は自分たちがこれまで殺してきた魔物も似たようなものだったのかと考えてしまう。
幸せな、穏やかな、平穏な、そのような暮らしを自分が壊したのかと思うと体が震え、力が抜ける。
自分はただの殺戮者なのではないかという思いが、胸中に嫌なものを生じさせる。
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