121 一年
進はナリシュビーたちが畑に植えた花が蕾をつけたことからそろそろ初夏が近づいていることを知る。
夕食のときにそれをビボーンに告げる。
「こっちに来てそろそろ一年だよ。振り返ってみるとここも様変わりしたな」
ビボーンはしみじみと頷く。
「そうね。見渡すかぎり廃墟だったのに、今では人が住める家が並んで、畑がある。その畑には植物が植えられてまともに育っている。私が最初にここに流れ着いたときには、こんな風景が見られるとは想像もしなかったわね」
「そういえばビボーンがここに来たときのこととかどうしてここに来たのかとか聞いたことなかった気がするな。捨て去りの荒野を進むのに、かなりの力を使ったというのは聞いたけど」
「国にいるのが嫌になって誰もいないところを求めてこっちに来たのよ。私は生きている頃に美貌という職号をもらえるほどに容姿が優れていた」
「職号として称えられていたというのはすごいわね」
イコンが感心したように言う。同時に噂として聞いたことがあったなと古い記憶を思い出した。
「私自身はあまりいい思い出がないのよね。小さい頃から誘拐とかされかけたし。そのせいで両親には不必要な心配をかけっぱなしよ」
どこに行っても視線ばかりで、実家くらいしか心休まる場所がなかったのだ。
「大変だったのでありますなぁ」
「大変だったわ。それなりのお金持ちの実家で、護衛をつけてもらっていてそれだしね。幸い魔法使いとしての才もあって、大きくなるにつれて誘拐犯は自分で撃退できるようになったわ」
変態をどうにかしたいと必死になって学んだ結果でもあった。
兵に捕まえられた誘拐犯には身代金目当てではなく手元に置いて愛でる目的の同性もいたと知り、誘拐されるとろくでもない未来しかないと思ったのだ。さすがにそのような未来はごめんだったので身を守るため奮起した。
「魔法使いとして成果をだせるようになると、護衛としてそばに置きたいという人も現れだしたわ。下心満載という人は除外して、短期の依頼を受けて成果をだしていったら、王侯貴族からも依頼が来るようになったわ。このまま永続的に雇われないかという話が何度もあって、面倒になって演技を始めたのはこの頃ね。まあ、それもいいってことで近寄ってくる人が減ることはなかったんだけど」
意地になって続けていくうちにこっちが自然になったのだと苦笑する。
「そしてそのまま魔法使いとして働くうちに、女王の護衛として誘いをかけられた。腕を認めたからと言っていたけど、情念を隠しきれてなかったわね。しばらく女王の側近として働いた。少しの期間平穏だったわね。城にあった魔法の書籍を読めたりして充実もしていた。でもそのうち貴族たちが騒ぎ出したわ。私に会える時間が減っている。女王が独り占めしているとね」
女王は護衛だけではなく、プライベートでもビボーンをそばに置くことがあったので、貴族たちの主張はあながち間違いではなかった。
実際は女王の護衛だけではなく魔法の勉強を優先していたからだった。その分、貴族たちとの交流が減って彼らの不満が溜まることになったのだ。
「それからは国が騒がしくなり始めた。私をそばに置き続けたい女王と私を取り戻したい貴族の間に亀裂が入り、しまいには女王排斥といった噂も聞こえてきたくらいよ。国政でなにも失敗なんてしてないのにね」
「お、おう」
進の脳内に傾国の美女という言葉が浮かんでいた。
「まともな友人からこのままだと国が荒れると忠告を受けて、私自身もその通りだと思ったから国を出ることにしたわ。女王たちに辞めることを告げたら止められると思ったから、辞表を城の自室に置いてこっそりと出て、久々の自由を満喫していたら追手がかかってねぇ。一度なにもかも放り出せたら、またあそこに戻るのは嫌になって、そのまま本気で逃げていたのだけど、国の方も本気を出して探してきてね。他国に逃げても似たようなものかもしれないし、それで追手のかからない捨て去りの荒野に来たのよ」
本人さえその気になれば人に不満を持たせず思うがままに動かして、悪行でも贅沢でもなしえた。それだけの美貌があったのだが、本人はそちらに興味関心がなかった。
「探すときだけ女王も貴族も損得関係なしに協力してそうだな」
「でしょうね。荒野に入ってからはススムがさっき言ったようにかなりの力を使って山と森の間を通り抜けて、廃墟にたどり着く前に水と食料が尽きかけてねぇ。戻るにしても今の状態で行けるかわからない。進退窮まるというのはあの状況も言うのかしらね」
「そんなに厳しい道行きかのう。山と森に近づきすぎなければわりと楽に通れそうなものじゃが」
「イコンの認識だとそうかもしれないけど、人間の範疇で強いという存在だと行き来は辛いわよ」
魔物自体はそう多くはないが、有名な魔物の縄張りの近くを通ることで緊張感から心休まる暇がない。さらに食料の確保が困難なのが辛い。植物がないから野草や木の実で食料確保ができない。それらを食べる動物も増えない、肉食動物も増えない。水も確保が困難で、どの水も健康に悪い。旅をするには最悪の場所だ。
「縄張りに入らなければ襲う気はないのじゃがな」
「強い魔物はそうでしょうけど、集団から外れた魔物や荒野を縄張りにしている魔物もいるしね。とまあ、そんな感じで大変でどうしようかと考えて賭けをしてみようということで、禁術を使ったのよ。失敗して死んで帰れなくてもいいかとも思っていたし」
禁術がどのようなものか想像できたのはフィリゲニスのみで、進たちは首を傾げた。
「魔王討伐のあと拠点を探索して手に入れた魔法の資料がお城に保管されていて、それはアンデッドへと変じるものだったわ。リッチへと変わることを目的にしたものらしかったわね、たしか。成果は私を見ればわかるわよね。骨になって成功なのか失敗なのかって感じ」
「今なら成功するんじゃない? 魔力的にも魔法を使う技術的にも十分なものがあるでしょ」
フィリゲニスに指摘されて、本人もそれだけの力量があると理解していたのだろう、肯定した。
「でも使わないわね。正直この姿になったとき厄介事から離れられたって思ったのよ。両親からもらった容姿だけど苦労の方が多かったし。このままが気楽でいいわ」
「そうなんだ。ちなみに職号はもうなくなっているのか?」
進の疑問にビボーンまだあると返す。
「骨のみの現状でも美麗と呼べる容姿じゃからのう。剥奪されていないことは想像できたな」
「なくなってよかったんだけどねぇ」
スケルトンになったあとはそのまま放浪して廃墟にたどりついたとビボーンが話す。
「放浪したときになにか変わったことはあった?」
「特になにも。魔物と遭遇したくらいよ。ああ、高いところを山の魔物たちが飛んでいたわね。廃墟に居ついてもこれといったことはなかったわ。最初はここになにかあるかと歩き回った。地下とか見てないからこれといったものは見つけられなかったんだけど。その後は魔法の研究をしていたの。でも完成させたい魔法とかなかったし、ほどほどで止めて、あとは寝て起きての繰り返しで、ススムと出会ったという感じね」
この一年は楽しかったとビボーンは語る。
あれこれと任されて暇なんて感じることはなかった。
種族差から敬遠されることはあったが、容姿であれこれあったときよりもましだった。
人も増えてきたが、悪い意味で注目されることなく、比較的穏やかに暮らせている。
「来年も再来年もこんな感じで適度に忙しいくらいで過ごしたいわね」
そうだなと進たちも同意して、話題はそろそろ行われる宴の運営に関したものへと変わっていった。
◇
進たちがそろそろ一年だなと思っている頃、三人の高校生たちも修行先から帰る馬車の中で同じようなことを話していた。
リベオを追いかけていたが神殿近くまで来たので、一度帰ることにしたのだ。
「そろそろ鍛錬を始めて一年なんだよな。来た頃より体が太くなってきてて鍛えられているんだなと思うよ」
「そうね。私も腕が太くなってて、少しばかり気にすることもある」
「私も動きは軽くなったけど、体重が増えたって自覚はあるよ」
女の身としてはあまり筋肉質になるのも困りものということなのだろう。
「日本に帰ったら変化に絶対追及されると思うんだけど」
桜乃が困ったように言い、淡音もごまかしきれないだろうと悩む表情を見せる。
それに対して一緒に乗っていたコロドムが心配いらないはずだと言う。
「どうしてですか?」
「文献に残っていたのですが、帰還の際に鍛えた力をこちらに残していくことができるのだそうです。ある程度身体能力と魔力が落ちて、見た目もそれに伴うものへと変化するのだそうですよ」
「それは助かる話ですね。日本で普通に暮らすのならこの力は必要ありませんし」
ほっとしたように桜乃が言い、淡音は変わってしまった価値観はどうしようもなさそうだと言葉にせずに思う。
一年前は大人しい性格だった桜乃も今では多少の荒事ならば平気になっている。そういった変化を身近な人たちは見逃さないだろうなと淡音は思い、対策を今から考えておくことにした。
「鍛えた力は女神ヴィットラのところに行くんですか? たしか死んだら与えられた力は戻ると聞いたことはありますけど」
琥太郎が聞くと、コロドムは肯定と否定どちらも示す。
「才能の方は女神ヴィットラが受け取りますが、鍛えられた力は特に希望がなければお三方が使っている武器に宿ることになります」
「ということはこれまでの勇者の力が宿った武器もあるんですか?」
「あります。前線で活躍する兵に貸し出されたり、強い魔物が暴れたときに貸し出されるのですよ」
「それらを俺たちが使ったりする予定はある?」
「勇者は無理なようです。力が反発するという記録が残っています」
ヴィットラから調整を受けた力を一緒に使おうとすると齟齬が生じるのだ。
近づく程度なら問題はないが、勇者の力が込められた武器を琥太郎たちが持つだけでも、持ったところに棘が発生したかのように刺す痛みを与えてくる。それを我慢して無理に使おうとするとさらに痛みが増す。
「そういった武器って特殊な効果とかあるんです? 剣を振ったら炎が前方へ飛んでいくとか」
「そういった感じではなく、剣だったら刃の鋭さが増し、頑丈さが上がり、振りやすくなるといった感じですね。ナックルだと頑丈さが増し、衝撃を吸収して拳への負担を減らしてくれます。弓だと弦を引きやすくなり、心が落ち着きやすくなります。杖だと力を込めた勇者が得意とした魔法を使うと効果が増します」
コロドムは琥太郎たちの使うものを例としてあげていく。
「俺たちが無事なにもかも終わらせて帰ったら、そういったものが残るんだなぁ」
「無事残せるように頑張りたいね」
「そうね、まだまだだけど頑張っていきましょ」
そういったことを話していると神殿に到着し、琥太郎たちは馬車から降りて、自室へと向かう。
荷物を解いて、武具を一緒にいた使用人に渡して職人へと持っていってもらう。その後琥太郎の部屋に集まってゆったりしていると、コロドムが少し慌てた様子でやってきた。
「なにかアクシデントですか?」
そんな様子を見せるのは珍しいと思いつつ琥太郎はコロドムに聞く。
三人から注目されて、コロドムは一度深呼吸して用件を告げる。
「四人目が見つかったかもしれません」
一瞬なにを言われたかわからないといった様子だった三人は、我に返ると思わず座っていた椅子から立ち上がる。
「え、本当!?」
「どこにいるんですか!?」
「元気なのでしょうか!?」
いっせいに聞かれて、コロドムは三人に落ち着くように言ってから椅子に座る。
「正確にはそこにいるかもしれないというだけなのですが」
「そこは?」
「北の海人の王国です。ちょうどここから真反対に位置する海域ですね」
「海? そんなところに放り出されてよく生きていたわね」
泳ぎが上手かったのだろうかと淡音が言い、自力で助かったのではないだろうとコロドムが返す。
「海上を漂っているところを水人に助けられたのではないでしょうか」
「自力で助かったというよりそっちの方が納得できますね。でもどうしてそこにいると?」
「まずうちの国の使者が南の水人の国に行ったのですよ。それに神殿の者が同行しました。用件は貿易や海における魔王軍の影響を聞いたりです。そのときに珍しい酒や食べたことのない調味料があるという話を聞いたそうです。手元にはないが北の国に行ったときにごちそうになったのだと。その使者は酒好きでどういった酒なのか聞いて、一緒にいた神殿の者も名前を聞くことになりました。その名前が「ニホンシュ」というのだそうですよ」
日本酒かと三人は反応する。
「三人の出身地がニホンというところだと神殿の者は知っていますから、その酒に関して詳細を聞いたようです。北の国でもそこまで多く飲めるものではないということ。古くから作っているものではないということ。米を材料にしているということが聞けたようです」
「俺の知っている日本酒も米を材料にしていますよ。名前と材料が一致しているなら間違いないと思う」
私もそこにいると思うと淡音と桜乃も同意する。
三人が進がそこにいると確信したことでコロドムも確信を持ち、迎えの使者を送ると同時に、伝書の鳥を使って先に用件を知らせようと手続きを行うことにした。
「四人目の人が神殿に来るまでだいたいどれくらい時間がかかるのでしょう」
「スムーズにいって四ヶ月くらいでしょうか」
神殿のあるナソードから中央のコルンドズ国を経由して、北の海人族の国に近いカッチャヤ国まで馬車で移動し、海人の島まで船という行程だ。
魔法を使った速度の出る馬車を使って迎えに行くつもりだが、大陸横断をして船旅も行うので急ぎでもそれくらいは時間がかかる。
「俺たちもそっち方面に修行に行って、途中で合流できるようにした方がいいのかな。少しでも交流を増やして、コミュニケーションをとっておいた方が今後のためにもいいと思うんだけど」
「連絡ミスで行き違いが起きる可能性もあるので、やめておいた方がいいかもしれません」
「そっか。じゃあ俺たちは今後もスケジュール通りに鍛錬だな」
そうしてもらえると助かるとコロドムは頷く。琥太郎たちには鍛錬に集中してもらって少しでも強くなってもらった方が嬉しいのだ。
この日からコロドムたちは進の受け入れに動くことなる。そして一ヶ月半、帰ってきた伝書の鳥の手紙を見て、その内容に戸惑うことになる。
手紙には進はいないと書かれていたのだ。日本酒は輸入しているものであり、そこに話を聞いてみるとも書かれていて、進はどこにいるのだろうかと頭を悩ませる。
感想ありがとうございます