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108 サイの縁

「そろそろ行きましょう」


 休憩はこれくらいでいいだろうと、水筒を鞄に戻して立ち上がったエトワール。


「もう少し休んでもいいと思うけど」

「距離を詰められると困るから」


 そうだねと頷いてリュンもリュックを背負って、エトワールの手を取る。

 追手に捕まることなく森に到着した二人は躊躇うことなく森に足を踏み入れる。


「俺のそばから離れないように」

「ええ、いつまでもどこまでも一緒です」


 エトワールは握った手に少し力を込める。

 リュンはネックレスをよく見えるようにネックレスを外に出している。

 歩き出してすぐにエトワールがリュンに声をかける。


「一度外に出ましょう。うっすらとですが毒が漂っています」


 薬学の授業で毒を扱うこともあり、その経験から気づけたのだ。


「え? 全然気づかなかった。だとしたらこれ以上は先に進めないということ?」

「大丈夫です」


 そう言うとエトワールは周囲を見て、草を引き抜いてリュンの手を引いて森から出る。

 

「毒を限りなく無毒化する薬を作るので、少し待っててください」

「わかった。周囲の警戒を続けているよ」


 バッグから薬作りのための道具を取り出して、手早く作業を進めていく。

 リュンは見張りのついでに、食べ物を探していく。逃亡生活では補給も簡単ではなく、満たされた食生活ではなかった。

 リュンも辛かったが、こういった経験のないエトワールはさらに辛いだろうに文句など言わず、懸命に足を動かして逃亡生活を続けていた。

 こういった生活に巻き込んだことをリュンは申し訳なく思う気持ちがあったが、エトワールからすれば自ら選んだ道だ。リュンと共にいられることの対価ならばいくらでも我慢できた。


「エトワール、少しだけ離れても大丈夫かな」

「どうしました?」


 作業する手を止めずに聞き返す。


「百歩も行かないところに木の実があるんだ。周囲に魔物なんかの気配もないし、食べられるかどうかわからないけどとってこようかと」

「……お願いします」


 手持ちの食料を考え、エトワールは頷く。


「すぐに戻ってくるから」


 リュンは周囲を警戒しつつ小走りで向かい、森の入口に見つけた木の実をとっていく。

 赤い実で、小さなサクランボのように見える。ガマズミと呼ばれる植物に似たものだ。鳥か虫が食べたあとがあるので強力な毒があるわけではなさそうだった。

 十個ほど採取して、また小走りでエトワールのもとへ戻る。


「とってきたよ。エトワールはこれについて知っているかい?」


 ちらりとリュンの手の中にある実を見たエトワールは頷いた。


「良く似た実を知っています。それは食べられるのけど、ここは大妖樹の森ですから変異している可能性があります。一つ指で潰して、指が赤く腫れるか試してください」


 用心してパッチテストを勧めるエトワールに、リュンは素直に従う。

 手袋を外したリュンは実の一つを潰して、少し待ち、なんの変化もないことを確認する。次はまた潰したものを少しだけ舐めて待つ。

 そうしているうちに薬も完成する。


「あとは布に薬を浸して、絞って終わりです。森に入ったらこれで口と鼻を覆えば大丈夫なはずです」

「こっちも舌に痺れとかはないよ」

「では最後にそれがなっていた木を見て、私が知っているものと同じか確認したら食べましょうか」


 エトワールは余った薬を空き瓶に入れて、道具を片付けていく。

 湿った布の一枚をリュンに渡して、自身ももう一枚を持ち、目的の木に向かう。

 エトワールの見たところでは自身の知るものと同じで、大妖樹の影響を受けて変異しているわけでもなさそうだった。

 

「今も舌の痺れや腹痛はありませんか」

「ないね」

「だったら大丈夫でしょう」


 二人は酸味とかすかな甘さのあるそれを食べていく。ある程度腹を満たして、薬を含んだ布を口に当てて森に入る。

 さすがにそれで片手を使ってしまうため手を繋いで歩くわけにはいかず、並んで森の奥へと進むことになる。


「襲われませんね」

「魔物の気配らしきものはあるのだけど」


 不気味なほど平穏に森を歩くことができることに二人は戸惑う。

 以前ここを傭兵や兵が攻めていたことは知っていて、その経緯も聞いている。

 いくら大妖樹所縁のものがあるとはいえ、ここまでアクションがないものかと疑問を抱く。逃げられないほど奥へ誘い込まれ、そこで魔物たちの餌になるのではと考える二人の目の前に、木々の間を飛んできたイコンとサイが着地した。

 その二人のうち片方を見て、リュンは先祖の手記を思い出す。


「金の髪に端正な顔立ち、二十歳ほどで、森に似つかわしくない緑のドレス。手記に残っていた通りだ」


 リュンはネックレスを首から外して、よく見えるように差し出す。


「あなたが俺の先祖ソレイユにこれをくれた大妖樹ですね。俺は彼女の子孫、リュンと申します」


 サイはリュンの発言にきょとんとして、隣に浮くイコンがくくっと笑う。


「私はサイ。花の魔物であり、大妖樹ではありません。しかしそれを人族の友人に贈ったのは事実」

「え? でも先祖が残した手記には友からもらったと。そして先祖から伝わる話では大妖樹と友だったと」

「彼女から子供へ孫へと話が伝わる過程で、内容が変わったのでしょう。私がソレイユと友であることは間違いありませんし、私が大妖樹でないことも間違いありません」

「この森では、この子は上位の実力の持ち主だ。そこらへんの話を聞いて、大妖樹と友になったと勘違いしたのではないかのう。わしはソレイユと顔を合わせておらん。話に聞くだけなら、この子がトップだと勘違いしてしまうかもしれんな」


 イコンの発言で、誰なのか察したリュンとエトワールに緊張がはしる。

 それを気にせずイコンはどうしてここに来たのか問う。


「な、なにか困ったことがあれば、ここに来たら助けてもらえると」

「まあ、たしかにソレイユの子孫というなら多少の願いは聞きますが。なにかほしい素材でもあるのですか」


 目的の魔物は大妖樹ではなかったが、悪い反応ではなくリュンたちはほっと胸を撫でおろす。

 駆け落ちしてきたことを話して、しばらくここで過ごせないか頼む。


「人が過ごせる場所はあるしそこに連れていってもいいけれど、魔物に狙われず平穏に過ごすというのは無理よ? そこまで優遇するつもりはない。二人が強ければ魔物も警戒して近寄らないでしょうけど」


 そこまで強い自信のないリュンは迷った様子を見せたが、エトワールがすぐにお願いしますと頭を下げた。


「エトワール?」

「ここが駄目なら他国に行くしかありません。でも行くまでに賞金目当ての傭兵に捕まるかも。捕まって離れ離れになるくらいなら、ここで少しでも長く一緒にいて、ともに果てる方がいい」

「俺は君と長く生きていきたい。捕まらない可能性に賭けて他国に行こう」

「賞金のことを国境の村や町に知らされていたら捕まると思うの。それをやれるだけの時間は経過していると思います」

「それは、そうだな」


 逃がさないため馬を走らせて遠方の町や村に連絡をしている可能性はありえた。それをできるだけの財力もある。

 あとは当主がどれだけ本気でエトワールを取り戻そうとしているかどうかだ。

 そう考えてリュンは、政略結婚の相手がエトワールの家よりも上だったことを思い出す。

 結婚相手に逃げられて面目を失ったのは当主だけではなく相手方も同じ。そう考えると、国境に自分たちの情報が行き渡っていて、逃亡が難しいと思えた。

 それをリュンよりも先に推測できていたエトワールは、ここで過ごすことを選んだのだ。


「……ここで過ごすしかないか。落ち着いた場所で幸せにといきたかったのだけど」

「あなたとならどこでも幸せですと言い切ってみせます」


 二人がそう言ったタイミングで、イコンとサイが大妖樹のある方角を見る。


「ああ、到着したか」

「私がこの二人を案内しますので、御婆様は客のところへ」

「そうさせて、いやここにいるよりは向こうの方がいいかもしれんな」

「御婆様、彼らを向こうに住まわせるおつもりで?」

「許可が出たらな。そういうわけで聞いてくる。その間二人の相手をしておいてくれ」


 サイが頷き、イコンは本体へと飛んでいく。


「あの、どういうことなのでしょうか」

「先ほどまでは滞在か出て行くか二つの選択しかありませんでしたが、もう一つの選択が出てきたというだけです」

「詳細をお聞きしても?」

「ここよりも人間にとって過ごしやすい場所に行けるかもというところです。もちろん人間の手の届かない土地ですよ」

「ほかの魔物の土地に移動するということですか?」

「そこは人間と魔物が協力して過ごしている場所です。贅沢なんかできませんが、普通に生きていくことは可能でしょう」

「人と魔物が一緒になんてできるんですか」


 リュンとエトワールは疑わしそうな表情になった。


「珍しいことですが可能です。私はソレイユとなら一緒に過ごせたでしょうし」

「仲が良かったのですね」

「ソレイユの柔軟さのおかげです。彼女は意思疎通ができるとわかると、魔物だからと身構えずに交流しようと即座に対応を変えました。下心もなく、ただただ私たちの生活を知りたがったり、森がどういったところなのか興味を示したりと好奇心の塊のような人でしたよ」


 ソレイユのことを微笑みを浮かべて語るサイ。その様子からはたしかな好意が感じられる。

 サイとの交流で知ったことをソレイユは他者に広く知らせることはなかった。情報を独占したいというわけではなく、貴重なものがあると知り、それ目当てで人間が殺到しサイたちに迷惑をかけるのを避けたのだ。

 情報を秘することは森についてだけではなく、ほかの土地のことでもやっていた。もしソレイユが自身が知ることを全て手記に残していたら、それは国の重要な情報として扱われ、ソレイユとリュンの家は、その功績で貴族になっていただろう。

 しかしソレイユは地位よりもその土地を守ることを優先し、自身の胸の内に秘めて、たまに思い出として振り返り楽しむ程度に留めた。


 ◇


 イコンからの反応がなく、サイの気配を探して事情を聞いてみようかと思っていたフィリゲニスたちはイコンの魔力を感じ取る。


「戻ってきたな」


 ローランドがイコンのいる方角を見て、進もそちらに視線を向ける。

 方向を示してもらえれば、進も覚えのある魔力が感じ取れた。

 すぐにイコンが木々の向こうから姿を見せる。


「待たせたのう」

「婆、どこに行っていたんだよ」

「婆と呼ぶでない。予定外の客が来ていてな」


 客?と進が首を傾げた。


「うむ。わしの客ではなく、サイの客じゃのう。烏の坊やも覚えておるかもしれん。百年以上前にここにやってきた人間がいたじゃろ。ソレイユという名の女だ」


 森に関して思い返したローランドは頷いた。


「……ああ、いたな。サイと楽しげに話しているのを遠くから見た程度だが」

「あれの子孫がサイを大妖樹と勘違いして訪ねてきてな」


 リュンたちの事情を話していく。


「ここに駆け落ちとは度胸があるのか馬鹿なのか」


 ガージーの呆れの言葉に、イコンはそう言ってやるなと苦笑を浮かべた。


「ススム、あやつらを村に引き取ることはできんか。サイの友人の子孫がこのまま朽ちていくのはどうもな」

「ここで保護してやることはできないのか?」

「お主のように森に利益をもたらせる者を特別扱いするのは周囲も文句は言えん。だがあやつらはそういった周囲を黙らせるものを持っておらん。そのような者を特別扱いなどしては不満が溜まるだけなのじゃよ。それにここは人間が過ごしにくい場所じゃからな」

「人数的には問題はない。性格というか考え的にどうかで決めたい。魔物絶対殺すという人だったら受け入れはできない」

「当然じゃな」


 それはそれとして魔法を使う場所はどこなのかと進は尋ねる。そっちが目的でここに来たのだ。それをすませたい。

 頷いたイコンがまずはここだと言い、進はすぐに魔法を使った。

 その後はイコンの案内で三ヶ所に魔法をかけて、サイのいるところに向かう。

感想と誤字指摘ありがとうございます

今年はこれでおしましいになります

来年もよろしくお願いいたします

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― 新着の感想 ―
[一言] サイのほうと縁がありましたかー 既に没してますが話を聞くにソレイユさんだったらディスポーザルで問題なく暮らせてたんだろうなあ さて、彼らはどうだろうか 2021年の更新お疲れ様でした…
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