107 再び森へ
スカラーたちに子供が生まれ、ブルたちも子供ができた。島組の夫婦もそう遠からず子供ができてもおかしくはない。
あちこちで新たな命が生まれ、進たちもそれに続くということはない。
進とフィリゲニスとラムニーは子供ができるようなことを何度もしているが、お腹が膨らむ気配は一切ない。フィリゲニスはまだ恋人気分でいたいためできる日を避けており、ラムニーもまだほしいという気分にはならないため作らないのだ。
同じようにハーベリーが子供を産む気配はない。ローヤルゼリーに魔法をかけるため来ていた進はそこらへんどうするのか聞いてみる。
ハーベリーは首を横に振った。
「私はもう生みません」
「暮らしに余裕はあるだろう?」
「はい。村長たちのおかげですね。しかし現状ナリシュビーの数は減るようなことはなく十分足りています。生活環境が改善されたので、このまましばらく人数が維持されるでしょう。私の役割はさらに増やすことではなく、後進を育てることと考えました。新たなナリシュビーは何年かしてロンテが生むことになると思います」
今の村の規模ならば現状がちょうどよいと思っているのだ。数年すれば村はもっと発展しているだろうと考え、そのときはまた規模に合せて数を増やせばいいのではと考えている。それまでは技術や知識を高めることを重視して、多少のアクシデントが起きても大丈夫なように地盤を固めるつもりだ。
「ロンテが子供を」
進はロンテに視線を向ける。体つきは小学生高学年くらいでまだまだ子供が生めるような体格ではない。
見られたロンテは照れたように顔を赤らめて俯く。
その反応でセクハラだったかもしれないと視線をハーベリーに戻す。
「たしかに数年必要だな」
頷くハーベリーはもしかするとと続ける。
「ロンテ以外に子を成す者も出てくるかもしれません」
「女王候補がラムニー以外にもいるのか?」
「そういうわけではありません。生活に余裕が出てきたことで、私たちの生態が人寄りになれば、女王以外でも子を成せるようになると思います。大昔はそれができていたようですから」
「なにもかも順調にいけばそうなる日もくる、のかもしれないってことか」
「はい」
ハーベリーたちと話し終えて、進はナリシュビーたちの家から出る。すぐに用事は終わるからと一人で来ていた。
夕暮れの村を歩く。食堂からは料理の匂いがかすかに漂う。空腹が刺激されて、夕飯はなんだろうなと思いつつ少しだけ歩を早めた。
「ただいまー」
それぞれからお帰りと返されて、手を洗ったあと椅子に座る。
「今日の夕飯はなに?」
「野菜うどんであります」
楽しみだと言う進にイコンが話しかける。
「少し帰りが遅かったが、なにか相談でもされておったのか」
「いやちょっと話をしていただけ」
向こうで話した内容を夕飯ができるまでの雑談として話す。
「あやつらはそんなことを考えておったのだな。トップではないとはいえ、先のことを考えているのは良いことだと思う。スカラーたちでは思いつかんことじゃろうな」
庇護されていたスカラーたちでは農業にのみ集中し日々を過ごしていき、先に備えるという発想は出てきにくいだろうとイコンは言う。
こういった考えができるのはあとはゲラーシーたちノームくらいだろう。
島組はまだまだ生活環境を整えることに集中する時期で、グルーズたちはスカラーたちと同じくローランドに守られていた側だ。指示を受けることに慣れているだろう。
「いずれ森に帰るという意識があるじゃろうし、そこらへんの意識が育たぬのは仕方ないことかもしれんの」
「私たちがへましなければ、それで問題ないと思うけどね」
ビボーンが言い、そうだのうとイコンは頷く。
「無理に考えさせると歪むかもしれん。一応このまま見守る形にしておくか。それはそうと子が生まれるという話題繋がりなのだが」
「なにかしら」
「以前人間が森に攻めてきたことがあったじゃろ」
「あったわね。また攻めてきたのかしら」
「いや、あやつらは遠くからの偵察ですませておるよ。あのときに減った植物の方はわしのフォローでどうにかなったが、虫や獣や魔物はわしが直接どうこうはできん。そして減った分を増やそうと活発になってきておる」
話がどう流れていくのか予想できず、進たちは静かに耳を傾ける。
「わし以外の植物の新芽や樹皮や木の実が多く食べられてな、そのフォローに本体の力を使って、少々力が減っておる。普段ならば少しくらい減っても平気なのじゃが、魔王軍がこっちに姿を見せている現状、万が一に備えたいからまた魔法を使いに来てほしいのじゃよ」
「ああ、そういうことか。別にいいけど、ローランド様たちに頼まないとな」
「わしから頼んでおくよ。ススムたちにも烏の坊やにもお礼を用意せねばな」
落ち着いたら食料を用意するということでいいなと森で採れるものを再確認しているうちに、うどんができあがりテーブルに運ばれてきた。
数日経過し、ローランドたちが酒と醤油を求めるついでに遊びに来る。
彼らが持ってきた小麦粉などを受け取り、酒などを渡す。
その作業をビボーンたちに任せて、進とイコンはローランドと話す。
「すっかり温かくなってきてくれて助かる」
「そうですね。山は新緑が眩しかったり、花が咲いたりと春の変化がよくわかりそうですね」
「おう。この時期は目に優しいな。こっちは相変わらず殺風景だな。悪影響がなくなってまだ一年も経過していないし、そうそう変わらんか」
「早く草花が当たり前のように見られるようになってほしいもんです。そういや魔王軍は姿を見せてます?」
リベオたちがこっちに来ていたことはすでに話してある。
「特に動きはないな。魔法を使ったのはあのときだけだから、めぼしい情報がなくて諦めたのかもな」
「そうだといいんですが。また協力して魔法を使えば、次は本格的に団体をこっちに向かわせるなんてことありえそうですかね」
「魔王の考えることなんぞわからんよ、それにまた異常気象が起きるのは勘弁だな」
たしかに進とイコンは頷く。
挨拶がひと段落し、イコンがローランドに森へと連れて行ってほしいと頼む。
「森に? なにか急用でもあるのか」
「以前の人間が攻めてきた影響でな」
説明するとそういうことかとローランドも納得した様子を見せる。
「今からでも行くか?」
「夜になる前には帰ってこれるでしょうし、それでいいならお願いします」
「ガージーに伝えておこうか。言っておかないとあとでねちねち責められるからな」
交換の品の確認や近頃の出来事などをビボーンと話しているガージーに近づき話しかける。
「ちょっと森に行ってくるぞ」
「どうしてです?」
「婆に頼まれてなススムを森に連れていってやるんだよ」
連れて行く理由を話すと、ガージーも行くということになる。
「フィズも連れていきなさい。なにも話さず置いていかれたらすねるかもしれないし、護衛は必要でしょ」
「わしが行ってこよう」
ラムニーと倉庫の整理をやっているフィリゲニスのところへと飛んでいく。
掃除と同時進行で、掃除に役立ちそうな魔法を倉庫で実践しつつ教えているのだ。
二十分ほどでイコンはフィリゲニスと一緒に戻ってくる。
その間にガージーは酒などの運搬を部下に指示して、先に帰していた。進もビボーンや手伝いに来ていた者たちに倉庫への運搬を頼む。
「来たわよ」
「掃除中すまんね。護衛頼んだ」
任せなさいと進のすぐ隣に移動して腕を組む。
ガージーが烏に姿を戻し、イコンが木に戻ると声をかけてくる。
「わしは向こうに意識を戻す。待っておるぞ」
進たちが飛び立つのを見送って、イコンもビボーンに出発を伝えて、裏庭に戻る。
ガージーは以前のようにある程度の時間をかけて森に到着する。
人間たちが出入りしている様子は上空からは見えず、遠くに大きな野営地も見えない。完全に人間たちは森から手を引いたのがわかる。
以前と同じく大妖樹の上空でガージーが変身を解いて、魔法で落下速度を緩めて地上に着地した。
「婆、来たぞー」
ローランドが声をかけて、大妖樹から子供姿のイコンが出てくると思ったが、なんの反応もなかった。
念のためもう一度声をかけてみたが同じだった。
「おかしいわね。ススムがいるのに出てこないなんて」
「森に入った時点で、来たのは把握できているだろう。それで姿を見せないということは急用が入ったんだろう。日を改めるかどうか聞きたいから、少しでも顔を見せてくれると助かるんだが」
◇
進たちが森に来る三日前、森から遠く離れた平地を十代後半の人族の男女が移動していた。
男は金属の武具を身に着け、リュックを背負う。女は旅に使える丈夫な衣服を着て、大きめのショルダーバッグを肩から下げている。
手を繋ぎ、薄汚れ疲れた様子の二人は森へと急ぎ足で向かう。
「エトワール、少し休もうか?」
周囲を警戒する男がエトワールと呼んだ手を繋ぐ女を気遣うように聞く。
「ありがとう、リュン。でも少しでも急がなければ追いつかれるのではなくて?」
「周辺に人の気配はないし、少しくらいなら大丈夫だ」
ほっとしたような表情を浮かべてエトワールは頷いた。
リュンは腰を掛けられそうな岩でもないかと周囲を見渡し、見つけた岩へとエトワールを連れていく。
エトワールが座り、リュンもリュックを下ろして休憩を取る。
バッグから水筒を取り出し飲むエトワール。
「意外と体力が続くね」
「ずっとお屋敷に閉じ込められていたわけではありませんからね。先祖が薬師だから、そこらへんは一通りできるようにと小さい頃から仕込まれるのですよ。その中に野外に出て薬草の採取というのもあります」
「ああ、なるほど」
水筒をリュンに渡して、エトワールはドライフルーツを口にする。
「もう一度確認したいのですけど、大妖樹に伝手があるというのは本当なの?」
「俺も確信はないとはすでに言ったよね。俺の先祖が大妖樹と友人になって、その証としてこれをもらった」
リュンは首にかけていたネックレスを服の下から出す。紐のネックレスの先に不純物の入っていない琥珀が揺れる。
百年以上前から家宝としてリュンの家に伝わっているものだ。先祖は女の冒険家であちこちに足を運び、大妖樹の森にも入ったと手記が残っている。
大妖樹のものかどうかはリュンたちにはわからなかったが、鑑定してもらうと人のものではない魔力が少し宿っているという結果が出た。
「困っているときにこれを持って森に入れば、助言とか手助けとかしてくれるんだそうだよ。しばらく森で過ごさせてくれるはず」
「人間が大妖樹と友人になるというのは信じられないのですが」
「俺も正直信じがたいとは思っている。でもそこしか頼るところがないからな」
「そうですわね。魔王が出現している現状、前線に行くことを断るというのは周囲から責められることです。でも私はあなたに行ってほしくなかった」
「俺は行くだけなら問題なかった。でも行っている間に、あなたが政略結婚させられると知って、我慢できなかった」
エトワールは貴族の娘であり、リュンはそこの私兵だった。
護衛として接したときに言葉を交わしたことがきっかけで親しくなり、仲を深めていった。それを二人は隠していたつもりだが周囲からはばれており、政略結婚を進めていた親族が問題なく結婚させるためリュンを遠くにやろうとしたのだ。
エトワールは結婚相手に会ったことはないし、その話を聞いたこともなかった。だがここ数ヶ月で自分の家と特定貴族の交流が深まっていることは知っていた。
エトワールはメイドたちの立ち話で政略結婚や前線行きについて偶然聞いて、リュンに教えた。同じタイミングでリュンの方に前線行きの話が来ており、二人は話し合って政略結婚が本当のことだと判断した。
離れ離れになりたくないし、離れている間に結婚されているのは嫌だという二人は、いっそのことここから離れて逃げた先で結婚しようと考えて、実行した。
しかしそういった動きは見張っていた使用人から当主たちに情報が流れていた。
手を取り合って逃げ出した夜、兵を配置していた当主たちに町の郊外で待ち受けられた。
当主たちは誰にも見られていないここで、リュンの始末もするつもりだったのだ。
守る人がいて、複数人を相手取れるための実力をもっていなかったリュンだが、運良く包囲網を抜けることができて、エトワールと逃げ出すことに成功した。
その後は追手から逃げる。当主がリュンに賞金をかけたようで、傭兵に追いかけ回されることになり、村や町でゆっくりできず、大妖樹の森のことを思い出したリュンによって、一か八か森を目指すことになった。
捕まり連れ戻されればリュンは無事ではすまない。それを簡単に推測できたエトワールは、森で一緒に死ぬという最悪の事態も覚悟して頷いたのだった。
感想と誤字指摘ありがとうございます。