106 村の小さなハプニング
春が来て、見かけない住民の顔が見られるようになった。
新たな移住者ではなく、ナリシュビーの子供たちだ。家の中で育てられていた幼児たちが、外に出られるようになったのだ。
質の良いローヤルゼリーを食べて育った子供たちで、元気な様子であちこちを駆けまわっている。これまで限られた空間の中で過ごしてきたので、自由に走り回ることができて、それだけでも楽しいのだろう。
世話役のナリシュビーが必死にあちこちに行く子供たちを集めていた。その手伝いにロンテといった年上の子供たちも走り回っていた。
そういった騒がしさを進とイコンは、村の見回りしながら聞く。季節が変わったので、またなにか困りことがあるか聞いて回っているのだ。フィリゲニスたちはボウリング場の整備に行っている。
ナリシュビーたちは子供が見たままやんちゃということ以外は問題がないということだった。
ノームも隠れ里が少し心配ということ以外は特に問題ないと言っていた。
飼育場組はまた外部の魔物が来ないか少し心配と言っていたので、見回りに南部を見てもらうことになる。
次はスカラーたちに聞こうと、家に向かう。
玄関前からこんにちはと声をかける。
「はい。大妖樹様と村長? なにかご用事で?」
「別に用事があるわけじゃない。春になったし、なにか新しい困りごとでも出てきたかもしれないと村の中を見回りながら聞いているんだ。虫人、ノーム、飼育場といった順番で次はここだ」
「困りことですか……特には思いつきませんね」
一緒にイコンがいるので遠慮しているというわけではなく、本当に思いつかなかった。
「季節が変わって冬の間は大変そうだったけど、今はどうなんだ?」
「温かくなったおかげで畑仕事も楽になっていますね」
「新しい野菜の世話もやり始めたんだっけ。そっちはどんな感じ?」
「そっちは慣れていないので、常にこれでいいのかと思いつつやっています。ニーブスが大丈夫だと言ってくれているので問題ないんでしょうけど」
「わしから見ても問題があるようには見えなかったな」
イコンも保証し、スカラーはほっとしたように小さく息を吐く。
「新しい野菜作りも順調か。見張りの小型の魔物も特に問題を起こしていないようだし、今のところは順調ってことでいいんだな」
「はい、そうですね。このまま問題なくいってほしいものです」
そう言ってなにか思い出したように「あ」と呟く。
「一人子を産む仲間がいるので、彼女は畑仕事ができません。ニーブスには伝えていますが、村長にも伝えておきます」
「おお、そりゃおめでとう。現状の環境で無事に産めそう?」
イコンも一緒に新たな子の誕生を祝う。
「ありがとうございます。大丈夫です。特に気候が荒れているわけでも、食事に問題があるわけでもないので、きちんと産み育てることができます」
スカラーたちの家から離れて、島組たちの家に向かいつつイコンと話す。
「虫の魔物の子供は人族と同じような成長速度なのか?」
虫は成長が早いので、それと同じように虫の魔物も成長が早いのかと思う。
「人族よりは早いのう。人族は体ができあがるまでだいたい十五年ほどか。虫の魔物は八年くらいじゃな。虫の系統によって多少ばらつきがでるぞ」
「虫人はたしか体ができあがるまで十年くらいだっけ。獣人はどんな感じか知ってる?」
「人族より成長が早かったはず。ちなみに精霊人族が一番遅い」
「各種族の寿命はどういったふうなんだ」
イコンは一度空を見上げて、思い出すような仕草見せて口を開く。
「たしか人族は七十歳前後。虫人は五十歳手前。精霊人族は百歳過ぎ。獣人は六十歳過ぎ。水人はばらつきがあるな。短いと三十歳、長いと百五十歳近くまで生きる。魔物はそれぞれ違うな。わしら植物系は長生きするし、スカラーたちは四十歳から五十歳前までくらいか」
「そんな感じかー」
ラムニーが思ったより長生きしなさそうで進は寂しさを感じる。
その表情でイコンは別れを惜しむ思いを察する。
「長く一緒にいることは幸せじゃろう。しかし共にどれだけの思い出を作れるかどうかも大切だ。良い思い出があれば、別れのときも別れたあとも悲しさ寂しさを癒してくれよう」
「そうするか」
「うむ。わしとも良き思い出を作ってくれると嬉しいのう」
「手を繋いで歩こうか」
最近はこのくらいはできるようになり、イコンは進の隣までスイッと移動し手を握った。
上機嫌なイコンはゆっくりめで歩いて。島組の家が見えてくると手を放す。進と一対一ならば平気だが、誰かに見られるのはまだ照れるのだ。
「こんにちは」
はーいと返事をしてルアが出てくる。
ラジウスに用事があって来たと伝えると、屋内に通してくれる。
「こんにちは。今日はなにかご用事で?」
「新しい季節を迎えて、村の見回りの最中だ。なにか困り事でも起きていないかと聞いて回っている。ここではなにか問題は起きたりしていないか?」
問題ですかとラジウスはルアと顔を見合わせて考え込む。
「これといった問題は起きていませんな」
「私もですね。欲しいものが手に入りにくいという声は聞きますけど、それは作ってくれないというわけじゃなくて、生産速度が間に合ってないからっていう理由がありますし」
作り手の数が増えていないのに、欲しがる者の数は増えたので仕方のないことだった。
それを皆が理解しているので、先に予約した者から受け取るということに納得している。我儘を言ってもどうにもならないと理解しているという面もある。海上で先行きが見えなかったあの状況よりはるかにましでもあるのだ。
「少ない食料で無理矢理働かされるといったことになっていたら不平不満が溜まったでしょう。しかし水人の島でもここでもやれることにかぎりはあれど、粗末な扱いをされているわけではないので、不平不満は溜まりにくい」
「あとは娯楽があるのも嬉しいですね。ボードゲームにボウリングにグランドゴルフ。演奏に記録動画と見聞きしたことのないものが多く楽しいです」
進の脳裏にパンとサーカスという単語が浮かんだが、すぐにそれとは違うんじゃないかと内心首を傾げた。
「まあ生活に困ってないならいいんだ。じゃあ飼育場や虫の魔物に関してはどうかな。そこそこ一緒に暮らしてきたわけだけど」
「最初からさほど対応は変わっていませんね。近くにいても慌てないようにはなりました」
「いきなり襲われることはないとわかっても、付き合いを深めようとは思いませんね。どう接すればいいのかよくわかりませんし。お肉を食べられるのは彼らのおかげなので感謝の思いは持っています」
「私も感謝はしてますが、長く生きてこういった思いを持つようになるとは思いもしませんでした。少しずつこの村の流儀に慣れてきているということなのでしょう」
故郷での暮らしとはまったく違った常識、そういった意味でも退屈しない日々だった。
「その調子で慣れていってくれ。そうすればトラブルなんて起こらないだろうしな。あとは、ああそうだ。この前結婚した人たちがいるだろう」
「ええ、いますね」
「あの人たちはどんな感じ? いきなり別れそうになってたりしない?」
「そんなことありませんよ。まれに口喧嘩は聞こえてきますけど、あれくらいなら夫婦生活を壊すようなことにはならんでしょう。互いの意思を少し過激に伝えあっているだけですからね」
「そっか。こっちから聞くことはないな。そっちからはなにかあるか」
「そうですね……宴会っていつやりますか。また酒を飲みたいという声がたまにありますね」
「新しい住人が来たら歓迎会をやるが、その予定はないし。新年とかなにかきっかけがあればってところか。なにかあるか?」
春に行われる催しといえば花見に入学や入社の歓迎といった感じだろう。しかしどれもこの村ではあてはまらない。
「今後四季に合せた宴でもやるべきか? そこらへんはのんびりと考えていくか。とりあえず宴の予定はないということで。酒が欲しいなら一杯くらいは飲めるように壺に入れて渡そうかね。頻繁に欲しいって言われても渡さないってことも先に言っておく」
たまの楽しみってことで我慢してもらおう。
「酔っぱらうほど飲まれて暴れられても困るし、それでいいと思う。近いうちにもらえると皆に言っておきます」
「酒を飲めない人にもジュースを渡すようにしとくよ」
それは嬉しいとルアが笑顔になる。甘味が少ないのでジュースは嬉しかった。
話すこともないのでそろそろ帰ろうかと思ったとき、ラジウスに客がやってきた。
「おや、村長。こんにちは。話し合いをしているなら俺は帰ろうか」
「いや、話し終わって帰ろうとしていたところだ。ついでにあなたにも聞いてみるか」
ここで話していたことを簡単にまとめて、なにか困ったことがあるかと聞く。
「困ったことですか……困りごとじゃなくて要望なんですが、武器を使った戦闘の指導を受けたいと言っていた人がいましたね」
「鍛錬? 具体的には?」
「警備がいるとはいえ、やはり自身でも外部の魔物に対応できるようになりたいと戦闘の鍛錬を受けたいとか」
「なるほど。難しいな」
どうしてとルアが聞く。
「魔法に関してはビボーンがやれるけど、接近戦をやれる人がいないんだ」
「虫人の警備は駄目なのでしょうか」
「あやつらは空を飛べるじゃろ? 相手によっては戦い方が違って指導できんのだ」
イコンの指摘にルアは納得したようにコクコクと頷いた。
「イコンの言うようにあの人たちが使う戦闘術は、あの人たちが動きやすいように体系化したものだからね。教わっても感覚の違い動きの違いで、あまり意味がないかもしれなくてな」
「鍛えること自体は否定しないのですな。我らが力をつけることで飼育場の魔物たちを警戒させるかもしれぬと思いましたが」
「多少鍛えたところで、鎮圧は難しくないからな」
最高峰の魔法使いであるフィリゲニスがこっちにいる時点で、暴れても無駄だろうと思えるのだ。
「あと鍛えるのは悪いことじゃないとも思う。だから否定しない。でも我流でやれとしか言えないんだ」
進も鍛錬しているが、主に回避と防御をやっていて攻撃はそこまで重視していない。戦い方というからには攻撃も習いたいはずで参考にはならないだろう。
付き合ってくれているフィリゲニスとビボーンもどこかの流派を教えているとは言っていないため、自身の経験をもとにした動きなのだろう。
「そうですか。そのように伝えておきます」
ラジウスたちとの話を終えて、家から出る。
回ろうと思ったところは全て行ったので、帰ろうとイコンに声をかけて歩き出す。
ボウリング場の作業は終わっているだろうかと思い、そこに寄るつもりでいた進の耳にナリシュビーたちの声が入ってくる。
「どこにいるの?」「出てきなさーい」「帰る時間よー」
誰かを探しているとわかり、ナリシュビーの一人に事情を聞くため近づく。
「どうしたんだ?」
「ああ、村長! うちの子供の一人がどこかに行ってしまったんですよ。こうして呼びかけているんですけどまったく反応がなくて」
「数え間違いとかじゃなく?」
「はい。きちんと確認しました」
「どっちの方向に歩いて行ったとか見た人は?」
わからないと首を振るナリシュビー。小さい体で皆思いのままに動くため、見失うといった事態が起きたようだった。
このナリシュビーは子育てになれていないわけじゃないが、ローヤルゼリーを食べて育った子供たちはこれまでの子供たち以上に活発的で体力が追い付かないようだった。
元気に育ってくれることは嬉しいが、やんちゃなのは少々困りものということなのだろう。
「瓦礫の影で寝ているとかかもしれないな。動ける人に声をかけて探そう」
「ありがとうございますっ」
ナリシュビーは再び呼びかけを再開する。
「イコン、グルーズやスカラーたちのところに行って見かけてないか確認してくれ」
「任せておけ」
飛んでいくイコンを見送って、進はノームや島組のところへと駆けていく。
行方不明者が出たという話は村中に広まって、皆であちこち探し回ることになる。
数時間してナリシュビーの子供はようやく見つかった。いた場所は探索が不十分なところで、魔物もいる子供には危ないところだ。好奇心に任せてどんどん歩いて、疲れて物陰で眠ったようだった。
日が暮れて周囲が暗くなると気温が下がり寒くなって起きた。そうして暗く誰もいないことが怖くなって泣き出したのだ。
その泣き声を、偶然近くにいたスカラーたちが聞きつけて発見したのだった。
ナリシュビーたちはスカラーたちから子供を受け取って何度も頭を下げてお礼を言う。子供を心配する家族として魔物とか関係なく恩人に感謝を向けていた。
それを受けたスカラーたちは戸惑ったように対応していた。人間からこうも感謝を向けられたのは初めてでどう対応すればいいのかさっぱりだった。
その様子を皆が見ているところに、進が手を叩いて注目を集める。
「皆、捜索お疲れ様だ! トラブルがきっかけとはいえ、住民全員で動き、一つのことをなしとげたのは初めてじゃないかと思う。捜索の礼と無事発見を祝って、幾日かぶりの宴会を開こうと思う。いつものように準備期間を設けるからそのつもりでいてくれ。じゃあ今日は解散だ!」
進の解散宣言を聞いて、出し物の準備をしようとか腹減ったなといったことを話しつつ、それぞれ家や食堂に向かっていく。
ナリシュビーたちは再度スカラーたちに礼を言い、家に帰っていく。今後このようなことが起きないように話し合いだと進たちの耳に届いた。
「すぐに飛べるようにもなるだろうし必要な話し合いじゃろうな」
「村の外にまで好奇心で行かれたら助からない可能性が高いだろうしな」
あの小さなナリシュビーは魔物たちにとってとても狙いやすい餌だろう。逃がしてくれないだろうし、自力で逃げることも無理だ。そんなことが起きないよう、しっかりと話し合うことになる。
「ちょこまか動いて追いきれないなら胴に紐でも結びつけるしかないな」
「見た目ぶかっこうじゃが安全には代えられんしのう。今回も魔物に食われていてもおかしくなかったからな」
ナリシュビーたちに良い案が出ることを願い、進たちも家に帰る。
ナリシュビーたちの話し合いの結果、活発的な子には紐を結び付けることになった。子供たちは紐を邪魔に思っていたようだが、大人たちがしっかりと結んでいたため外すこともできず、そのまま遊ぶうちに慣れていったようだった。
感想と誤字指摘ありがとうございます