101 魔法の影響
フィリゲニスとローランドが盛大に魔法を使ったほぼ同時刻。
現世とは違う空間でふわふわと浮かび休息をとっていた女神ヴィットラは、はっと目を見開いた。
世界の流れに干渉する力が発せられ、それ自体は特に問題としない。世界を壊すようなものではなかったからだ。
しかしフィリゲニスたちの発した力の中に自身が分け与えたものが混ざっていることに気付き、その現象を気にする素振りを見せたのだ。
「今のはたしかに変質の魔法だったわ。それが使われているということは、しっかりと生きているのね」
よかったと胸を撫でおろす。変質の力が自身に戻ってきていないため死んでいないことはわかっていたが、死んでいないだけで寝たきりの状況も考えられた。
しかし感じられた力には、充実感があった。強制されたり寝たきりといった不遇な状況ではそういった感情は混ざりにくいだろうから、元気にやっているのだろうと思えたのだ。
「魔物の力も感じられて、なにをしているのかわからないけど、不幸というわけじゃなさそうでよかった。どこで魔法が使われたのかしら」
目を閉じて、感覚を世界へと繋ぐ。
大きな反応なので、探すこと自体は難しくはなかった。力が発せられた場所が予想外で驚いたが。
「……捨て去りの荒野の上空? 捨て去りの荒野ってだけでも驚きなのに、地上じゃなくて上空ってなにをやっているのよ」
さらに反応を探るが、あれほどの大きな力はほかになく調査を止める。
進がフィリゲニスと協力して魔法を使うことは何度もやっているが、それだと反応が小さく追いきれないのだった。
「祈り巫女から彼が見つかったという報告はいまだされていない。ということは神殿や国でも探しづらい場所にいるということね。反応があった捨て去りの荒野か水人の国が候補ということでいいのでしょう。魔王のいる国だと充実感なんてないでしょうから候補から外していいわね」
正直よく生きていたなと女神ヴィットラは思う。
その二つの候補に出現したということは、海上に落ちたか、荒野に行き倒れたということだ。
海上に落ちた場合はそのまま遭難していてもおかしくないし、捨て去りの荒野は飲み食いが非常に難しく飢え死にする可能性が高い。
「それでこのことをどうやって知らせましょうか。祈り巫女に話しかけられるほど力は回復していないのよね」
困ったと腕を組む。勇者を呼び、力を渡し、その後に祈り巫女と交信したことで力はすっからかんだった。
これまで世界の管理をしつつ、休息をとってきて回復した力は微々たるもの。その力では祈り巫女との会話は無理だった。
「神殿にいる勇者たちが集めた感謝を力に変換して使えば、ごく短時間だけいけそう。でも勝手に使うのも悪いし。かといって知らせないのも勇者たちにとって困ることだし……どうしたものかしら」
悩み続けて、そのうち寝息を立て始める。そのまま睡眠に移行し、力の回復に努める。
そうすると決めたわけではないが、女神ヴィットラは琥太郎たちが貯めた力を使わず、連絡できるだけの力を貯めるという選択を取った形になる。
女神ヴィットラが進たちの力を感知したのと同じように、大きな力が発せられたことを感知した者が水人の北の王以外にもいた。
魔王や魔王に近い実力者、士頂衆といった最上位の実力者たちだ。
その彼らも人間がそれを起こしたのではなく、強い魔物が全力を発揮するなにかがあったのではと思う程度だった。
ただし一人だけ気にする者がいた。
それがいるのは今や魔王城と言っていい場所、ビフォーダ国の王都の城だ。
謁見の間、その玉座に魔王となった王が座っていて、そのすぐそばに外見上は二十歳半ばの女が立っている。
王は体調が悪そうに見える以外は普通の人族だ。三十歳後半の男であり、光のない真っ黒な瞳が特徴か。
女の方は病的な白さの肌と、濃い青の長髪と深紅の目を持っている。その気配を士頂衆といった実力者が感じると、最上位のアンデッドであるリッチだと見抜くだろう。
「今の力を感じられましたか、魔王様」
「感じとった。場所は捨て去りの荒野の西側だろう」
感情のこもらない平坦な声で返す。
「私ではなんのために発せられたものかわかりません。魔王様ならなにかわかるのでしょうか」
「……天候操作。おそらくはそれだろう。だがなぜそうしたのかはわからぬ」
「操作せねばならぬ事情があったということなのでしょうか」
「そうかもしれぬし、ただ戯れでやっただけかもしれぬ。今言えるとすれば、これを行えるのは山の烏の親玉しかいない。消耗も大きなものになっているだろう」
リッチはそこまでしなければならないなにかが気になった。
「……なんにせよ好機でしょうか。今ならばあの烏を討つことが可能かもしれません。今後魔王様が大陸を支配するにはあれらは邪魔。調査に魔物を動かす許可をいただけませんか」
「好きにするがよい、許可する」
「感謝します」
一礼したリッチは玉座の間から出ていく。残った魔王は静かに座したままだった。
リッチは自身の仕事場として使っている部屋に行き、待機していた部下に命令を出す。前線で死んだ強い兵を質の良いゾンビに変えて配下にしているのだ。
「リベオを呼んできなさい」
「はっ」
すぐに部屋から出ていった部下が帰ってくるまでの間に、前線や各地から入ってきた情報をまとめていく。
少し前に人と魔物の入れ替わりがばれて、各地で人間たちの調査が活発化していることで、入ってくる情報が減った。そのことに小さく舌打ちして、変わりの策を考える。
集中している間に、部下が戻ってきた。一緒にやってきたローブの男は白く長い髪に青い目を持っていた。肌も白いが、手や首に黒い入れ墨のようなものがある。
「連れてきました」
「お呼びですか」
リベオの口調は丁寧だが、敬意はこもっていない。
「捨て去りの荒野の西で大きな力が動いた。それをなしたのは大烏公だろう。通常使わないほど大きな量の力が動いた。それだけやれは消耗は大きいはずだ。大烏公がどれだけ消耗しているのか、そして捨て去りの荒野でなにがあったのか調べてこい」
「俺一人でですか」
「戦力を無駄に動かすつもりはない」
「……了解しました」
舌打ちしそうな表情でリベオが頷き、すぐに部屋を出ていった。
「うまく情報を持ち帰ってくれればいいが。駄目だった場合はもう一人くらい動かして、それも駄目なら捨て去りの荒野に関わるのは諦めるか」
生きて帰る可能性はそう高くないだろうと考え、致命傷を受けた状態でもいいから情報だけは持ち帰れと期待せず待つことにする。
捨て去りの荒野のことは頭の隅に置いて、リッチは前線や行方不明の勇者について考え出す。
リッチの部屋から出たリベオは不機嫌さを隠さずに歩き、城の庭に出る。
リベオは目を閉じて、魔力を体に巡らせる。一瞬姿がぶれて、そこには白っぽい灰色のグリフォンが現れる。その体を蝕むように蔦のような黒い線がはしっている。
リベオは助走をつけるように庭を走り、強く地面を蹴って翼を動かし空へと飛び立つ。
どんどん城から離れていくほどに、リベオの心は軽くなる。リッチや魔王や支配された者たちの顔を見ずにすんでせいせいするのだ。
(大烏公と捨て去りの荒野の様子か。山なんぞ簡単に近づけるものじゃない。だとしたら捨て去りの荒野の方を見てくるか。なにがあるわけでもないだろうが)
山を避けるように南下することにして、森の西の上空を飛んで捨て去りの荒野に入ることにする。
ビフォーダ国を出発し、大陸中央のコルンドズ国に入り、そこから西に進路をとって大妖樹の森があるアルザンズ国に入る。アルザンズ国の西端までいけば、大妖樹の影響がほぼない森が広がるだけなので、安全に上空を飛べる。
人間にちょっかいをかけられるのも面倒だったので、人里離れたところで休息を取りながら進む。
ただただ飛ぶだけだが、仮初でも自由だと感じられて嬉しい。
(このまま逃げてしまおうか)
思わずそんなことを考えてしまう。すると体中をはしる黒い線が蠢いた。
「ぐっ」
苦しみと痛みでうめき声を漏らし、飛行がぐらつきなんとか体勢を戻す。
いまいましい呪いだと舌打ちする。魔王に反抗の意思を抱いたとき、リッチの命に背こうとしたとき、呪いはリベオを苦しめる。
この呪いはリッチから受けたものだ。
もともとリベオはビフォーダにある山の主だった。人間が麓をうろちょろとしていたが中腹以上に上がってくることなく、その程度なら気にせず自由に過ごしていた。
山に餌が豊富だったので、人間を襲う必要もなく、互いに干渉せずに過ごせていたのだ。
そんなある日、リッチが山頂に飛んできて、従属を強要してきた。そんなものに従う気はなく戦ったのだが、負けて呪いを受けてしまった。その日からリベオは魔王軍の一員として行動することになる。
リベオのように呪いを受けた者は珍しくはなく、体に黒い蔦のような線がある者はいくらでもいた。
呪いを受けた者はリッチにとって部下というより道具扱いで、使い潰されることも珍しくはなく、いつかは自分の番が来るだろうと皆考えていた。
そしてその番が自分に来たとリベオは溜息を吐く。
「いっそのこと大烏公に突っ込んでいって殺されてしまうか」
死んでしまった方がすっきりするかもしれないとちらっと思ったが、いいように使われて死ぬのはやはり我慢ならなかった。
死ぬのならリッチや魔王を一発でも殴って死にたい。そうするかと思ったリベオの体に痛みがはしるが歯を食いしばって耐える。そんなリベオの視界にどこまでも広がる荒野が入る。そちらに気を取られ、反抗の意思が薄れ、呪いも疼く程度に治まる。
「西側を探索して、山の様子を遠くから見て、ビフォーダの王城に突っ込むとするか」
餌と水がある森の端を拠点として、捨て去りの荒野の南から探っていくことにした。まずは南側で拠点にできる場所を探すつもりだった。そしてそれが難しいと数日飛び回ってわかる。
想像以上に捨て去りの荒野という環境はひどいものだと思い知らされる。
餌は少なく、水も不味い。恵まれた環境で生きてきたリベオは腐った水など飲みたくないのだ。
やはりろくでもない命令だったなと思いつつ、十日ほど捨て去りの荒野の空を飛び回ったリベオはそろそろ探索を切り上げようと考える。最後にこれまで行っていなかったところまで行こうと、足を延ばす。
「ん? あれは」
視線の先に空を飛ぶものを見つける。
魔物かと思ったが、鳥の獣人か虫人だろうとあたりをつける。
「こんなところに人がな。あいつらに聞くか。知らなければ、なにもわからなかったってことでいいだろうさ」
速度を上げて見つけた人影に近づく。
はっきりと視認できるようになると虫人だとわかる。見回りに出ていたナリシュビーたちだ。そして向こうも接近に気づいたようで少し迷った様子を見せて、逃げていく。
そこらの虫人より強い自信があるリベオはいい判断だと思う。
「だが逃げ切れると思うなよ」
さらに速度を上げたリベオがナリシュビーたちとの距離を詰める。
「ローント、一人で行け! 俺たちは村に近づけさせないよう足止めだ」
「はい!」
一番若いナリシュビー以外がその場に止まる。
「救援が来るまで無理せず対処するぞ」
「「おう!」」
リベオを囲むようにばらばらに飛び始めるナリシュビーをリベオは警戒しつつ、ローントが飛んでいった方向を見る。
きらりと光るなにかが見える。
「湖か?」
「しゃべった!?」
「魔物が言葉を発することくらい珍しくもないだろう」
たしかにイコンやローランドといった人語を解する魔物がいることは知っている。しかしナリシュビーたちが普段荒野で遭遇する魔物は話すことはないのだ。
時間稼ぎになることを期待してナリシュビーは話しかける。警戒しつつも魔物相手にこういった手段を取ろうと考える時点で、村の影響がでているのだろう。
「もしかして捨て去りの荒野ではなく、別のところから来たのか」
会話を続けてきたことにリベオは驚く。話せるとしても戦闘が普通だと思ったのだ。
「どうしてそう思う」
「山と森以外の魔物は話すことはない。理由はそれだけだが、俺たちもここらで長いこと暮らし魔物たちを見てきている。あんたのように話す魔物はいないんだ」
「まあ隠すことじゃない。たしかに南から来た」
「縄張りを広げるためなら帰った方いい。こんな土地で縄張りもあったもんじゃない」
「もう何日も飛び回ってそれは理解した。だが来た目的は縄張りを探すためじゃない」
「それ以外にこんな場所にどんな用事が?」
「つい最近、北の方で大きな力が動いた。なにがあったのか探るためだ」
ナリシュビーは反応を見せる。天候を変えるため魔法が使われたことはハーベリーから聞いていたのだ。
その反応を見て、なにか知っているとリベオは見抜く。
「知っているな?」
「おそらくな。だが俺から言っていいのか判断つきかねる」
「聞かせてもらおう」
じわりと戦意をにじませるリベオにナリシュビーたちも気を引き締めた。
戦闘が始まり、攻めるのはリベオで、ナリシュビーたちは回避に専念している。現状双方ともに体力の消耗以外に被害は出ていない。
少し痛めつければ口を割るだろうと考えていたリベオが手加減していることも怪我人が出ていない要因だろう。
しかしいつまでもこうしている気のないリベオが手加減を止める。
リベオの動きの速さ鋭さが増したことで、ナリシュビーたちも必死になって回避に専念する。
「このままじゃやられる! 皆、あれ使うぞ!」
ナリシュビーの一人が具体的なことは言わずに宣言する。この状況で使えるものなどかぎられていて、ほかのナリシュビーたちはおおよそのあたりをつけた。
仲間の返事を待たずに魔法が使われた。
「光り、輝け! フラッシュ!」
周辺に眩い閃光が発せられる。
ナリシュビーたちは魔法が使われる前に半眼でかつ、音に耐える気持ちでいたので目が眩むことはなかったが、リベオはそうではない。
「ぐっ!?」
光った瞬間なんとか目を閉じることが間に合ったので、少しだけ眩む程度ですんだが、隙は生じる。
そこを狙われると判断したリベロは目を閉じたまま一直線に移動し、その場を離れる。
最初から攻撃する気のないナリシュビーたちにとって、その行動は一息つけるものでありがたかった。今のうちに次は音だと小声で仲間に知らせ、次の時間稼ぎの方法を周知しておく。
「……追撃してこないのは余裕の表れか?」
「余裕なんぞあるなら、攻撃しているさ」
明らかな隙を突いてこないのはなぜかとリベオはナリシュビーたちを睨みながら考える。
(救援がどうとか言っていたな。その救援が確実に俺を倒せるから、俺をこの場にとどめて時間稼ぎするだけでいいということか?)
生半可な相手に負ける気はしないが、どんな相手が出てくるかわからない。ここは退いた方がいいかと考えているリベオの脳裏に警鐘が鳴る。なにも考えず咄嗟にその場から動くと、魔力の矢が数本空へと通り過ぎていった。
矢が飛んできた方向を見ると、地上に何人かの人間がいる。
その中の一人が再び魔法の矢を飛ばす。ナリシュビーたちと違い、しっかりと殺気の乗った攻撃だ。
二十本以上飛んでくる魔法の矢を回避するのは不可能だとリベオは判断し、魔法で対抗する。
「凍える風、纏い、渦巻き、守れ! コールドベール!」
冷えた空気をまとったリベオが地上へと高速で急降下していく。
魔力の矢は守りを貫くが、威力は減じており、強い衝撃がリベオの体を叩くだけになっている。
このままの勢いで攻撃をしてきた女に体当たりをしかけようとしたリベオは急に動きを止めさせられた。その反動が痛みとなってリベオに襲いかかる。
「があぁっ!?」
なにかにぶつかり止められたのではなく、掴まれたような感覚の中、痛みで意識が朦朧とする。
そんなリベオの耳に話し声が聞こえてくる。
感想と誤字指摘ありがとうございます