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第三幕 改竄

【前回のあらすじ】

 胡椒の魔女・ニグラムが語る。

 己が主人・コーシャは受肉した人の罪、《貪食》そのもの。

 彼女の目的は、彼女の食餌たる〝人間〟を、家畜として愛玩し、殖やし、保全し、そして喰らうこと。

 そしてこの村を最初の〝牧場〟にしたいということ。


 しきりに困惑する村長の息子・エミールとその妹・ユージニアへ、ニグラムはさらに、この近辺に隠れ潜む別の魔女の存在を尋ねる。

 挑発するような物言いに誘われるように、ユージニアが童女らしからぬ怒声を吐き出し、ニグラムの胸にナイフを突き立てた。

 魔女ニグラムは全身を胡椒に変えて損傷を無効化したが、外に出たユージニアに火を投げ込まれ、粉塵爆発に巻き込まれるのだった――



(字数:10,371)

☆ イラスト提供はちゃ畜様(2020.11.21/ちゃ畜 on Titter:@700074FI72VBcF9)


 ニグラムの悲鳴をかき消し、炎は屋根を吹き飛ばすほどの爆炎となった。


 胡椒の霧はおろか、家の中身を丸ごと燃やし尽くしていく。


 エミールがまだ中にいる状態だったが、魔女を屠る代償としては惜しくなかった。彼は特別製なのでそれなりの防炎等の加工を施してあるし、自律機構に基づいて先に床に伏せてもいたはずなので、熱による損傷も軽微と思われた。最悪肉が消し炭でも、骨が残ってさえいれば復元できる。型は地下だ。やや苦汁を舐めるかたちではあるが咄嗟に思い切りのいい判断したユージニアが、万一のため近くに来させていた村人に燃える薪を投げ込ませたのだ。その薪は皮肉にも、ニグラムのために風呂を沸かした際の燃えさしだった。


 当のユージニアは村の井戸のそばまで走り出て、桶の水で顔を洗い、肩で息を整えながら燃え落ちる自宅を顧みていた。斬られて不死身の胡椒の魔女といえど、その粉の一粒まで燃やし尽くされれば命も尽きないはずはない。そう信じたいと思ってはいたが、一抹の不安があった。


「燃やした程度では殺せませんわよ?」


 不安の大元を探して目をこらしていたが、それを見つけるより先にあのだみ声が降ってきた。煙たいような独特の香りが一瞬鼻をかすめる。燃える家と井戸のちょうど中間のあたりに、蚊柱のような黒い煙が渦巻いていた。それが突然ひときわ色を濃くし、中から黒いドレスと、靴と、眼帯と、長い髪が、それぞれのかくあるべき配置に浮かびあがる。それらをまとうように今度は白い煙がかたちを成し始め、手足、胴、肩、顔を蘇らせる。最後に赤い煙が右目の位置に固まって、血色の宝石を形づくる。


 指で黒いルージュを唇に引いて、ニグラムはまた(わら)った。


「不死を操る者が不死に驚いてはいけませんわ、擬蘇術師(ネクロマンサー)



挿絵(By みてみん)



 ユージニアは舌を打つ。案の定は案の定だ。だができればこの予想は外れておいてほしかった。童女のままのかんばせが苦渋で下郎のように歪む。


「やはり、森の奥に魔女がおりましたのね。もっとも、今は日なたでお人形遊びですか。旅人をおどかすならともかく、武功の種を与えて何か面白いですの? 物好きだとしか」

「ぬけぬけと何が不死だ! 禁忌に手を染めた未熟者め。貴様のそれはただの呪いだ。《貪食》を顕現させたのはやはり貴様か!」

「そうかもしれませんわねえ。だとして、あなたに何ができますの?」

「ここを渡さない」


 擬蘇(ぎそ)の魔女は拳を握る。途端、静まり返っていた家々から続々と村人たちが姿を現した。老若男女、皆それぞれに斧や鉈や棍棒を携えている。村長宅は村の中心だ。自然、ニグラムとユージニアを取り囲むかたちになる。


「猫も杓子もやぶにらみ……」


 ニグラムが呆れたようにうめく。他律式ばかりを一度にたくさん動かすとなると、さすがに精細を欠くのだろう。村人たちは皆頼りない足取りで、表情はだらしなく曇っている。亡者であるがゆえに目の焦点さえ合っていない。


「ここはわたしのだ。彼らもわたしのだ! お前たちのような化け物には、欠片もくれてやらない」

「盗賊団もあなたの、ですか。死者をなぶって自慰にふけるなど……ああ、なんとなくわかってきましたわ」

「それ以上口を開くなッ!」


 擬蘇術師の怒号に合わせ、亡者たちが一斉に得物を投擲する。またたく間に胡椒の魔女の全身は、刃物を突き立てられて大きな針山のようになった。


「無駄なことを……」

「喰らい尽くせ!」


 嘲笑しかけたニグラムにすでに走り出していた亡者たちが飛びかかる。砂岩のようにぼろぼろと崩れる魔女の体を砕き、引きちぎり、かぶりついた。残りの村人たちも次々に群がり、胡椒でできた小さな肢体を貪り尽くしていく。


 ユージニアはその光景を見て固唾を呑んだ。


(バラバラにして亡者どもの腹の中に収めてしまって、まだ再生できるようなら……)

「面白いことを考えつきますのね」


 そのしゃがれ声を二度と聞かないで済むよう祈っていた。


 にもかかわらず、振り返ったそこには頭部と右腕の再生を終えたばかりの魔女が浮かんでいる。


「まあそもそも、人間と交遊のある魔女というものからして珍しいのですけれど」

「クソッ……」


 ユージニアは心の底から運命をなじった。


 その懊悩は見て取れるはずだったが、上半身を再生させたニグラムは気にも留めない。ニグラムはユージニアの次の動きに注意を払うよりも、彼女の思惑を推量することに夢中だった。


「この村はかつて、本当に盗賊団の略奪に遭いましたわね。あなたの幼馴染が率いる盗賊団の」

「……!?」


 ユージニアは喉が引きつるのを自覚した。気をよくしたニグラムは続けて唱える。


「そして、何らかの事件があってこの村もろとも滅んでしまった」

「……やめろ」

「魔女であることは隠していましたか、ユージニアさん?」

「やめろッ!!」


 怒号に井戸が震えた。亡者たちが動きを止める。童女があげるにはあまりに通る声だったが、擬蘇の魔女があげるには悲愴に過ぎた。


 山上の空は風がやまない。だが木々のさざめきは遠い。かすかに鳴っていたさらさらという音がやんだ。ドレスの裾まで再生を終えたニグラムが静寂を破る。


「不毛ですわね。人形劇で幾度やり直そうと、外来の役者(いないはずのゲスト)を主役に据えて英雄譚をつづろうと、その先はないではありませんか、擬蘇術師(ネクロマンサー)擬蘇術師(ネクロマンサー)? (なぞら)えることがあなた方の求道でしたかしら?」

「わたしにどうしろというんだ……」


 胡椒の魔女の問いかけに、童女の姿の擬蘇術師は問いを投げ返す。それが己の非を認めることとわかっていながら、ユージニアは必死に訴える。


「わたしは村を守ろうとした。わたしの正体が皆に露見しようと、ここを守れるなら構わないと思ったんだ。だからわたしは、あいつを、ベレムを、この手で……なのに……!」


 拳を振るわせ、涙をこぼしかけた少女の耳元に、ニグラムはそっと唇を寄せた。


「誰でも自分がかわいいものです」

「――!!」


 ユージニアの意識は燃えあがった。


「わたしはわたしにできることをしただけだ!!」


 そばにあった木桶を掴む。「お?」ニグラムが反応するより早く、桶の中身を彼女の顔にぶちまけた。襲いかかったのはただの冷たい水だ。しかしニグラムはあからさまに動揺した顔を見せる。


 ユージニアは勝ち誇った。


「やはりな。自分でさらさらと溶けることはもうできまい。胡椒は湿気を吸って固まる。砂や小麦粉と同じだ!」


 間髪入れず、彼女の操る亡者たちがニグラムを取り押さえる。粉末化して逃げることができないニグラムは容易に抱えあげられ、井戸の上につり下げられた。必死に頭だけ起こしたニグラムが、引きつった表情でユージニアに問う。


「とびきり辛い井戸水にしてしまいますわよ?」

「森の奥に沢がある。飲み水にはうってつけだ。わたしの旧家さ」


 ユージニアが手を打つ。ニグラムの手足を抱えていた亡者たちが一斉に手を離し、胡椒の魔女は井戸の底めがけて真っ直ぐに落ちていく。


 遠くで激しい水音がしたのを聞いて、ユージニアはようやく息を吐いた。無意識に呼吸を止めていたらしい。同時にその場にへたり込みかけたが、すんでのところで立ち直した。


「……まだだ。あれが戻ってくる」


 あれとはコーシャのことだ。あの貪食の姫とは直接的にも間接的にもやり合いたくなかった。擬蘇術(ネクロマンシー)には死体がいる。バラバラでも焼け焦げていても問題ないが、喰い尽くされてしまってはどうにもならない。盗賊団の方はすでに諦めていたが、ここにある村人用の死体は隠してやり過ごしたかった。いくら使い回しがきくといっても、役者が減りすぎると続けられない。


「まだ大丈夫だ。まだやり直しがきく。まだ続けられる。あれをやり過ごしさえすれば、また……」


 ――その先はないではありませんか、擬蘇術師。


 不意に胡椒の魔女の言葉が蘇ってくる。反射的にかぶりを振って、井戸に群がったままの亡者たちを移動させることに集中しようとした。


 その亡者たちの中に、あり得ないものを見つける。


 亡者たちを一旦停止させると、それも同じように動きを止めた。


 亡者たちを動かすと、それも同じ動作でのろのろ移動し始める。


 ユージニアは目の中のそれを嘘だと思いたかった。何かの間違いではないかと。


 亡者たちを止めて自分も固まっていると、やがてある一人がきょろっと目を動かした。その視線と目が合った瞬間、ユージニアは愕然とし、相手はにやっと笑った。


「バレた?」

「ここにお前のような美しい村人はいない」

「そっかなー? ユズにゃん結構イケてると思うよ?」


 亡者たちをずんずんかき分けて、それはユージニアの前に立った。


 騎士のような身の丈と、ユリの葉のようにしなやかな手足。


 木洩れ日にそよぎ、仄赤くも仄青くも照り返る白い髪。




 人喰いの姫。貪食の権化。


 大罪、コーシャ。




「……いつからそこにいた?」

「寄ってたかってニグラムちゃんをもぐもぐするところからっ」


 コーシャは親指を立てた拳をユージニアに見せつけ、あまつさえ片目をつぶってみせた。


「いつ気づくかなー、とか思ってたんだけどぉ、意外になかなか気づかれないもんだねー」

「……」


 ユージニアは膝を屈してしまいたい気分だった。なぜ。なぜ気がつかなかったのだろう。気がついたところでもはやどうにもならなかったとはいえ、コーシャほど目立つ容姿の者が紛れ込んでいてどうして気がつかなかったのか。それほどまで胡椒の魔女を屠ることだけに夢中になっていたというのか。


「まあニグラムちゃんまでさっぱりなのは予想外でしたけどねー。あれで自分が従者だって言うんだから笑っちゃいますよねー」

「きぃっ、気づいてましたわよぉおぉぉおぉ……」


 釈明は井戸の中で悲痛に反響する。えぐえぐと涙声になりながらもニグラムの身の潔白に関する訴えは滔々と流れ出ていたが、コーシャは一心不乱に亡者たちを眺めまわして、「やっぱりすごーい。全然腐ってないし」とひたすらユージニアの擬蘇術に好評を与えていた。ニグラムの泣き声しかしなくなった時分にそれもようやく飽きたらしく、幾条か髪を井戸に伸ばして、ずぶ濡れのニグラムをひょいと引きあげる。かなり高速で引きあげられたためか目を回したニグラムを、そのまま井戸の上につるしあげ、その鼻先に身を乗り出す。


「助けてほしい?」

「はひ、助けてくだひゃってありがとぅごじゃいみゃ……へ? まだ助かったことになってない?」

「んー、どーしよっかなー。なんか遅れとっちゃってたしなー」


 風もないのにニグラムの体が振り子のように揺れ動く。その口からはしゃがれた金切り声が飛び出した。さらにコーシャが髪を伸び縮みさせることによって縦の運動がそこへ加わり、絞めつけと浮遊感からか決死の嘆願が搾り出される。


「うっひぃぃ! ごめんなさいぃっ、助けてくださいぃぃ! もう暗くて狭くて冷たいのは嫌ですのぉぉぉぉ!」

「ああッ! と、髪が滑りそうですわー? ほーれ、ほーれ、ほーぉーれーぇー」

「いちょおおおおおおおおお!? オゥエ! 出ちゃう! 止めて! 何か出ちゃいますの! せるふぃぃぃゆ! せるふぃぃぃぃグュュュュ!」

「ニグラムちゃんマジ従者の鑑だわー。もうちょい振っとこ」

「脈絡ぅぅぅぅ!」


 井戸の上で逆さづりにした従者をいびり続けるコーシャに、周囲に気を配る様子は皆目なかった。亡者たちどころかユージニアにさえ、すでに興味を失くしたかのようだ。亡者が押さえつけるように肩を掴み、同時にニグラムが「ああっ! 後ろっ、後ろ危険ですの!」と叫んでも、なおも悠長に首を傾げただけに留まる。背後では肩を掴んでいるのと別の亡者がそのときすでに大ぶりの(くわ)を振りかぶっており、コーシャがようやくそちらを振り向いたときには、鍬の刃先が吸い込まれるように彼女の脳天を捉えていた。


 胸の悪くなるような音が鳴る。


 振り切られた鍬の柄が途中からへし折れ、すっ飛んだ刃が近くにいた亡者の顔面に音を立てて突き刺さったのだ。


 コーシャは涼しい顔で、足元に突き立った柄だけの鍬を眺めおろす。無傷のその頭を振って、首の骨を鳴らしてから、ふっと唇を喜色で歪めた。


「せっかちだなあ。ひと声かけてくれればいいのに」


 一条だけ伸ばしていた髪を振るう。その先端につりさげていたニグラムを、肩を掴む亡者たちに向かって放り投げた。


「せろり!」


 悲鳴と共に亡者二人ほどを巻き込んで地面への復帰を果たすニグラム。ちょうどその向こうに、血走った眼でコーシャを睨むユージニアがいた。


 コーシャはそこへ向かって胸を張り、そこへ向かって得意がるように満面の笑みを見せる。


 すると擬蘇の魔女は、いささか青ざめて怯む様子を見せた。しかし歯を食いしばって息を吸い込むと、両の手を拳にして、胸の前で互いに打ち合わせるようにした。さらにその拳を振りあげ、ひざまずくようにして、二つ同時に地面へ叩き込む。


 大地は音を立てない。


 魔女とて、肉体は人である。不老ではあっても石の巨人(ゴーレム)のように強靭ではなく、生身の強度は見た目通り童女のそれだ。その細腕では何を殴ろうと穿つには至らない。山鳴りは起こらず、大地は割れもしない。


 しかし顔をあげたユージニアは、自身を巨岩をも砕く暴鬼に見立てていた。それが彼女の渾身の虚勢だ。再び睨み据えたコーシャに向かい、勝ち誇るかのように、めいっぱい口角をつりあげてみせる。


「急いた甲斐ならば、あるとも。間に合ったぞ、貪食姫」


 あたかもその虚勢にこそ応えるがごとく、このとき大地が鳴動した。


 雪崩に似た地響きと共に、ユージニアのいる場所が跳ねるように隆起する。


 盛りあがった大地はねじれ、渦を巻いて天高くまで伸びあがり、またたく間に塔となった。その噴流はすさまじく、亡者や草木をも巻き込んで、土塊(つちくれ)の塔は太さと高さを急激に増していく。


 コーシャは一歩二歩と後退ってから、感心したようにその塔の先を仰ぎ見た。


 辺りの梢を早くも追い越して高さを打ち止めにした塔の先端は、今度は花が蕾をつけるようにふくらみ始め、罌粟(アヘン)のそれのように重く垂れさがってコーシャの頭上に影を落とした。割れ目のない蕾だった。代わりにぼこぼこと、腫瘤(しゅりゅう)のような丸い棘が表面に浮かぶ。


 棘は六つ並び、やがて各々で裂けて、上顎と下顎を手に入れた。


 さらにその根元からふくらみ頭をつくり出す。尖った耳が二本ずつ突き出し、牙のない顎門(あぎと)が大きく開いて、猛烈に吠え立てた。


 いかにもそれは狼の咆哮。


 空を割り地を吹き飛ばすほどの怒号に晒されて、村の家々や木々はことごとく軋みをあげる。見あげていた白い少女も「ひゃーっ」と悲鳴をあげて耳を塞いだ。


六道門(バハラーグ)! これはおそれいるよー!」

「土が何でできているか、知らなくはないな?」

「全部死骸でしょー?」


 獣頭をもたげる塔の内側から擬蘇の魔女が問う。姿は見えなかったが、あっけらかんとしたコーシャは如才なく答えを言い当てた。「そのくらいわかるよー」とからかい気味の言葉が続いたが、ユージニアはそれを鼻で笑い返す。


「ならば饕餮(とうてつ)の魔性よ、恐れることだ。屍は罪を犯さない。まして貴様という存在は、生者の犯す罪なのだろう? 喰らうこともその罪も、生者のものであるならば、死は唯一の贖罪だ。わかるか、貪食? 貴様の目の前にあるのは数多の死。貴様を(あがな)う死そのものだ!」


 六つの顎門が同時に咆哮する。


 その瀑布のようなとどろきに混ぜて、擬蘇の魔女は号令を放った。すると土塊の塔がしなり、獣頭の花冠が地上のコーシャ目がけて殺到した。


(そそ)がれろ、大罪!」


 この結果がどうなるか、ユージニアにはわかってはいた。


 かつて村を滅ぼすのに使った奥の手でさえ、貪食の姫には傷一つつけられない。


 口上はすべて屁理屈とハッタリだった。


 それでも、時間稼ぎくらいにはなる。


 その間に彼を連れ出せばいい――と、思っていた。


 案の定、獣頭はコーシャに届く寸前で、横合いから伸びてきた銀色の奔流で殴りつけられ、軌道を曲げて何もない地面に衝突する。ふくらんだ部分の根元を押しつぶされ、六つの頭がまるごともげて土に還った。しかしすかさず塔は先端をふくらませ、今度は土の顎門を細い蔓のように飛び出させてコーシャに迫る。途中で跳ねあがった白髪に絡め取られて断ち切られはしたものの、何度も再生しては果敢に貪食の川を乗り越えようとする。ユージニアの魔力が尽きない限り、延々と不毛な攻防をくり返せる見込みはあった。


 が、土塊の塔は動きを止める。


 否、先に止まったのは貪食の姫の方だ。


 伸び散らかした髪を無造作に地に広げたまま、逐一獣頭を削ぎ落とすことを出し抜けにしなくなった。一番長く伸びていた土塊の顎門がそのほっそりとした胴に喰らいついたが、コーシャは顔色一つ変えず、地面にたたきつけられてもなすがままだった。ユージニアからしてみれば、まず自身の魔術が届いたことに動揺を禁じ得ず、さらに相手の振る舞いを見て、混乱しないわけにはいかなかった。


 ややあって、仰向けに倒され、土塊の下に押さえつけられたままでいたコーシャの口の端から、乾いた声が漏れた。


 ユージニアの聞き間違いでなければ、それは押し殺した笑声にほかならなかった。そして事実は確かめるまでもなく、コーシャ自身がこらえるのをやめることによって証明される。


 軽やかにころころと弾む彼女の笑い声は、本当にこのような場でさえなければ、春の雪解け水のせせらぎよりも聴く者の心を喜びで満たしたことだろう。


 その玲音でひとしきり腹を抱え続けた後、また一つ息をついてから、彼女はどこか仕方なさそうに言葉を発した。


「あなた今、最高に(なぞら)えられてるの、自覚してる?」

「……は?」


 塔の中のユージニアは、一瞬何を言われているのかわからず首を傾げたが、数瞬の後には目を見開いていた。その閃きと同時に、言葉にならない恐怖が彼女を襲った。


 彼女は、この村を奪いに来た者に制裁を与えていた。


 それはあのときと同じだ。あのときと同じ状況、同じ構図。ユージニアは自分の魔術を使い、侵略者を打ち滅ぼそうとしている。


 あのときと同じなら、この結末はどうなる?


 ユージニアは自問する。いや、同じにはならない。相手は人間ではない。貪食の姫には勝てない。擬蘇の魔術は負け、村は喰い尽くされるだろう。それで、同じにはならない? 本当にそうだろうか。もしこのまま彼女を蹂躙し尽くせたとしたら、その後がどうなるか、自分は知ってはいまいか……。


「どうしてそこで考え込んじゃうかなぁ?」

「……っ!?」


 コーシャからは姿が見えないはずだというのに、ユージニアの内心の動揺は筒抜けのようだった。完全に平静を失っているその様子を、コーシャは憐れむかのように、仰向けのまま今度は苦笑をこぼしてみせる。


「なかなか人間らしい〝業〟が持ててよかったじゃない。大切なものを守るために、一番欲しかったものを捨てたんでしょう? 結果的にあなたが村を喰らい尽くしてはしまったけれど、力が身に余るというのは人の特権だもの。ここへい続けた甲斐はあった。あなたの選択は間違っていなかった」

「ち、ちがっ……」

「違うの?」

「……ッ」


 ユージニアにはコーシャの真意がわからない。彼女はなぜ慰めのようなものを突きつけてくるのか。本能的にそれが拒絶すべきものだとだけはわかった。しかし問い返されたときに、ユージニアは答えを呑み込んでしまった。後悔が押し寄せてきても口が開かない。そもそも何の後悔なのかユージニアにはわからない。コーシャの言葉はずっと、まるで慈母のささやきのように聞こえていたからか。


「それはそうと、うちの味付け係がどこで油を売ってるか知らない?」

「え……」


 我に返ったユージニアは、そこで悪い予感と共に凍りついた。いつの間にか、至極身に覚えのない匂いが鼻孔をつついている。土と枯葉と青草と、かすかな亡者たちの屍肉の合間に、それはもはや充満し切っていた。濃厚でなくとも煙たさを覚える独特の香気。悪魔をもたぶらかす、調理場の魔法。


 貪食する者は屍肉をも喰らうだろう。


 だが土は否である。いかに死骸のなれの果てとて、還り切った土はもはや肉でない。百年生きた擬蘇術師(ネクロマンサー)はついにその境界を乗り越えたが、貪食の姫はいまだ肉の海からあがれぬ鯨だ。


 だが、あの魔女は境界を歪める者かもしれない。


 コーシャの髪が再びさざめき流動を始めていた。束ねられた濁流は一本の銛となって波濤のように突き進む。ユージニアの魔術が、土塊の蔓に顎門にと、死に物狂いで次々打撃をくり出すが、白銀の銛に触れるたびあっけなく打ち砕かれる。もはや味付けされ切ったユージニアの死の塔の根元へ向け、ついにコーシャの銛は深く深く突き立った。


 そのすんでのところで、ユージニアは魔術を放棄する。


 塔に横穴を開けて外へ這い出ることを選んだ瞬間、自分のそばを苛烈な濁流が下から上へ突き抜けていくのを感じ取った。その衝撃に巻き込まれ、粉々に砕け散った土塊と共に外へ弾き飛ばされる。


 土や木の葉の渦の中でもみくちゃにされながら、ユージニアは地面にたたきつけられ、さらに降り注ぐ塔の素材で生き埋めになりかけた。極めつけには、亡者が一人落ちてくる。それは足の上に直撃し、右の膝が音を立てて変な方向に曲がった。左手首にもすでに火がついたような感覚があった。


 濁流にねじ切られるような痛みを全身で味わいながらも、ユージニアは必死で正気を保ち続けた。ほとんど無意識に右手だけで地面を這って、屍肉と土塊の山から脱出を試みる。足に覆いかぶさる亡者は骨格を粉々に砕かれたらしく、使役者が何度命令を送ってもぎくぎくと痙攣(けいれん)するようにうごめくばかりだ。


 やっとのことで右足以外の全身を引きずり出したところで、ユージニアは白い素足と鉢合わせした。


 肘を地について、その全身を仰ぎ見る。凛とした美貌がどこか遠くを眺めていた。その目に映っているのは、いまだ火の手の衰えていないエミールの家だ。


 それに気がついたと同時に、どこかで瓦礫の崩れ落ちる音を聞いた。途端、ユージニアは総毛立つ。


 コーシャと同様にエミールの家の方を見た瞬間、その怖気は絶望に取って代わった。


 全身の痛みが炎に変わり、焼き焦がされるような苦しみの中で、ユージニアは自身の金切り声を聞く。


「やめて……それに触らないで!!」


 ユージニアの周りから音が消えていた。


 素足で草を踏む音だけが、彼女の世界で鮮明に響く。


 停止した世界で、白い人影だけがある場所へと近づいていく。


 燃える家の壁が突き崩され、落ちた屋根の下から焼け焦げた死体が一つ、白銀の髪によって引きずり出されようとしていた。両手を広げて(はりつけ)のようにされ、その青年は火のそばに掲げられる。昏々と眠り続ける彼のもとへ歩み寄って、コーシャはその火傷の少ない顔を覗き込み、すっと目を細めると、擬蘇の魔女を振り返った。


「この子、盗賊の方だったでしょう?」

「あぁっ……!」


 ユージニアからは意味のない嗚咽と悲鳴が噴きあがる。


 コーシャの髪が青年の上着を引き裂いた。


 露わになった左側の胸には、王冠を被った猫頭の蜘蛛が彫り込まれていた。その印章(シンボル)に細い指先が触れる。


「帰ってきた幼馴染は、この体の持ち主。名前だけ変えて、こっちがエミールならよかったのに、っていうもしもを叶えたんだね。あなたの役はその妹。あなたの望んだ一番美しい過去」

「……違う」


 震える声で、やっと聞き取れるかどうかというか弱い吐息で、魔女は真実を拒んだ。


 けれどもコーシャは、ゆるゆると首を振る。


「拍子抜けだなぁ。これはただの改竄(かいざん)だよね。あなたの恣意的なお芝居で、過去のやり直しですらなかったっていう」

「違う……」

「ここへ帰ってきたのは誰? あなたが殺めたのは誰だった? 自分ではわかってる。誰を何と呼びたかったのか。でも、きっと答えられないんだね」

「違う……違うッ……!」

(なぞら)えることすら捨ててしまった。あなたが最後に愛したものは何? あなたが憎み続けようと決めたものは、結局どちらだったの?」

「ち、が…………っ…………」


 ユージニアは奥歯を噛みしめ、崩れる土塊を握りしめた。目から温かなものがこぼれ落ちて、拳を濡らす。


 いつよりも遠いかつて、何がどうだったのか、彼女にはわからない。彼女にもわからない。


 悠久の時を一人、暗い森の奥で過ごした。恐れられ、蔑まれ、いたぶられ続けた末に、永久に隠れ潜んで生きていくことを決めたはずだった。


 けれど、誰かが思い出させてくれた。


 悠久よりさらに以前にあった安寧を、昂揚を、健やかな心を。


 連れ出してくれた。あの隠匿の庵から。呪いのように錆び朽ちた日々から。


 誰、だっただろう……。


 今一度、少女は目の前の青年を見あげる。


 頼りない面差し。それに似合わず、聡明で闊達で精悍な心を持って生きていたあの少年の頃。その明るい瞳が、洞穴の中で魔女を見つけた。


「ベレム……」


 それが彼女の守りたかったものだ。


「っレム……ベレム……!」


 永遠に手離したくなかったものが、まだ目の前にあった。目の前のそれがまだそうであると思いたかった。欲しかったものだ。大切だったものだ。遠くに行かせてなるものか。わたしのものだ。わたしの守るべきものだ! か細い腕を必死で伸ばし、二度と失うまいと目を見開き、喉が裂けるまでその名を呼んだ。


 呼ぼうとした。




「答えられないなら、もういいよね?」




 玲瓏と響いた声。それは誰にとっての福音だっただろう。


 白銀色の川が青年を呑み込み、赤い飛沫をあげて何もかも押しつぶした。


 川は蛇のようにうねり、糸の切れた死体たちをその激流の中に次々呑み込んでいく。


 村を一周するように泳ぎ回り、ついにその先端は箱庭の人形師の前に迫る。一旦そこで勢いをゆるめた貪食の大蛇は、少女の眼前に歯も舌もない顎門を開け広げた。


 その瞬間、ユージニアはつぶやいた。


「死にたくない……」

「何だってそうだよ」


 世界が純白の闇に覆われる。その寸前、ユージニアは懐かしい双つのきらめきを、顎門の喉奥に見たような気がした。





挿絵(By みてみん)



 本作は、かつて4万字の短編としてひとまとめで投稿してあった同名作品を小間切れに再編集、再投稿したものになります。全5節。内容には手を加えていません。


・ 他サイト:青空文庫 http://slib.net/36704(こちらはひとまとめ版になります)

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