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第二幕 胡椒

【前回のあらすじ】

 白く美しき少女の姿をした人外・コーシャは、村にいた野盗らをその〝髪〟で喰らい尽くす。


 そして、村の外にいる残りの野盗らを殲滅すると宣言し、足早にその場を去った。

 取り残された彼女の従者、両目を布で覆う黒服の少女・ニグラムは、村人の兄妹たちに宿を乞う――


(字数:9,954)

 

 商人の地図にもない暗黒の僻地に、掠奪された寒村があった。


 あるとき、一人の白い旅人と一人の従者が村を訪れる。村長の家に行き、一晩泊めてほしいと頼み込む。


 盗賊たちはその美しい旅人に因縁をつけた。すると、旅人の白い髪がどっと伸び、その髪で盗賊たちを残らずむさぼり喰った。


 湯浴みを終えたその従者は、盗賊に殺された村長の息子にこう語る。


 貪食こそは、神がつくりたもうた放埓なる人の罪である。


 その罪に魔術と禁呪でかたちを与え、現世(うつしよ)に鋳出したものが、あの白髪の美姫にして我が主である、と――


「ゆえに、コーシャ様を単なる魔性のものとして捉えるのは、本質を見誤っていることですの」


 言いぐさは擁護のようだったが、その口ぶりは自信に満ちていた。


 主人について語り出してからというもの、ニグラムは終始このような調子で、あいかわらず喉の痛そうなだみ声であるにもかかわらず、饒舌さはまさに怒涛のようであった。聞き役が相づちを打つ間もろくに与えなかったくらいだ。村長の嫡子エミールは、ニグラムがしゃべるのに任せ、戸口付近にまんじりともせず立ち尽くして聞き入っていたが、聡明なニグラムには自分が話した一分一厘も彼に理解されていないとわかってもいた。それでもひとしきりしゃべり続けて、自身が満足したところで適当に締めくくった。


「……あなたがあの人に体を与えたんですか?」


 少女が息をついたのを見計らって、青年エミールは久方ぶりにおずおずと口を開いた。


 その途端、一人悠々とテーブルについていたニグラムは一転、木椅子の肘掛けを叩いて怒りを露わにした。


「そういう問題ではありませんの! 確かに手前めには魔術の心得が多少ございますけれどッ、誰がつくったとか、そういうことは問題になりませんの。あなた方神の子らや手前めとも同じですわ。ただあの方は、すべての人類にあがなわれるべき罪そのものですの。罪というのが解せないというのでしたら、呪いとでも言い替えましょうか。生きとし生けるものすべてにかけられた呪いが、生身の体と意志を持ち、言葉を操る。それがあの方ですの。合点がいきまして?」


 気圧されたように青年が首肯をくり返すのを受け取って、ニグラムもようよう息を落ち着け、深く背もたれに身を沈めた。「ごめんあそばせ。こちらも熱くなりすぎましたわ」と疲れた声色で告白したところで、コルセットの下で彼女のへそがくぐもった悲鳴をあげる。さすがの従者もこれに苦笑して、「お腹がすくとイライラしますの。あなたもそう。コーシャ様だってそう。似た者同士ですわ」と冗談めかして言った。ほころぶ口元からエミールは咄嗟に目を逸らす。


 黒いドレスの少女は、その薄い唇に引いたルージュの色もまた黒かった。一度湯を浴びて血も泥も落とした白い相貌で、それはいっそう目を引いた。下品で不似合いな化粧はそれゆえに独善的であさましく、幼さとの対比によってより背徳じみた淫靡を少女に印象づけている。


 たかがルージュである。その色がとち狂っているに過ぎない。たったそれだけのことが、しかし彼女の愛嬌をことごとく逆しまにしていた。もとい、ほんの些細な穢れで悪徳に変わるほど、その容姿と装いを取り合わせはこの上なく神聖であったのだ。修験者のような目隠しも、未熟な薄い鎖骨の触れがたさも、彼女においてはすべてが賤しく、ひたすらにみだらな誘惑としてあった。


 そもそもニグラムの見目麗しさもまた、彼女の主人に次いでこの世のものではない。両の目を黒々とした布で覆ってもなお隠し切れるものではないほどに。また、衣装の整いにおいては主人のそれと雲泥のごとく異なり、吊れも傷も、レースのほつれさえも見当たらず、執政者らの夜会へ赴くためにあるかのようだ。


 このような磁器人形(チェストゥルベツ)が、なぜこんなわびしい隠れ里を訪れるのか。エミールが、逆らいがたい心の弾みと共に疑問を抱いたとすればそれであろう。ルージュがそそのかす出で立ちの野卑さがあくまで目を奪うというなら、山奥のこの放埓な寒村に彼女は幾分かふさわしい。だが、あくまで瑞々しく繊細に過ぎる自前の容姿は、それが妖精か魔女のものであるためか、そうでなければこの上なく垢抜けていて場違いだった。


「ときに、牛を飼われたことは?」

「え?」


 疑問に気を取られていたらしきエミールは、ニグラムが珍しく答えを求めるような質問をしたため言葉に窮したが、他の誰が見てもそれはニグラムの問いに脈絡がなかったからと捉えられる。が、ニグラムは相手の反応には拘泥せず、「あるいは豚や馬、(ラパン)でも、鵞鳥(がちょう)などでも構いませんわ」と重ねて回答を促す。


「確かに、あまり牧畜を営むような村には見えませんけれど」

「ヤギなら、以前……」

山羊肉(シェヴォン)ですか。手前めはちょっぴり苦手ですわね。肉荳蔲(ナツメグ)馬芹(クミン)小荳蒄(カルダモン)と組み合わせてやっと風味がやわらぐでしょう?」

「はあ……」

「おや? 肉用ではございませんでしたか?」

「いえ、食べはしました」

「名前はどのように?」

「名前?」

「子山羊はずいぶんとかわいらしいものですわ。コーシャ様はかわいらしい品にはよくご自分でお名前をつけてらっしゃいます。あなた方も同じようにはしませんこと?」

「……女の人たちは、確かに、山羊に名前をつけたりもします。ユージニアも、確か一度だけ名づけ親に」

「そうすることと何も変わらないのですわ」


 ニグラムはよどみなくそう言った。怪訝な顔のエミールからその含意を尋ねられるより早く、続けざまの吐息が白い歯と黒い唇をつまびいた。おごそかに詠いあげたのは、いずこかの国の経典にあるであろう詩の一節。


「〝我らがもはや主であるならば、我らが家畜を愛でぬ謂れがありましょうや〟

 ――コーシャ様からしてみれば、《愛でぬ謂れなき畜生》とは手前ども《人間》を指すのです。コーシャ様自身は、手前どもが生まれながらにして持つ主人にして呪い。貪食の罪はすなわち食欲のことであり、手前どもは食欲の奴隷でしょう? 貪食の大罪は常に人と共にあり、人は食欲に逆らうことはできない。しかし、コーシャ様は手前どもの髪を撫で、並んで眠ることをいつも望んでおられますの。あなた方が隣人を愛するように、あなた方を愛しておられるのです。決してあなた方を鞭で打ったり鎖で繋いだりなどなさいませんし、あなた方を食べるときも、命の犠牲への感謝とねぎらいをお忘れになりません。無駄に老いさせず、いたぶらず、苦しませず、また、必要以上に喰わず、腐らせることもよしとしない。……要するに、あの方は残酷ではないと手前めは申しあげたいのです。子山羊に名をつけるあなた方の愛と、あの方の愛とに何の相違が見つかりましょうか。賊どもを喰らい尽くし、コーシャ様は満足して戻って来られることでしょう。あなた方が躾のできた家畜として、コーシャ様を穏便に迎え入れるのであれば、今夜あの方はもはや舌鼓をお打ちにならず、あなた方と親しく語らうでしょう。ええ」


 断言いたしますわ。とニグラムは言い切った。言葉は尽くしたらしく、仄かな会心を口元に浮かべて、話し相手の様子をうかがう。


 が、待てどもエミールからの返事はない。


 彼の表情は複雑だった。心境もまた同様の境地にあることはニグラムにも察しがついていた。誰とて人ならば、家畜と蔑まれて身にこたえない者がどれほどいることだろう。ただ、エミールは村長であった父や母を盗賊一党に殺されてからというもの、彼らのゆすりの矢面に率先して立ち続けてきた節がある。村のために尊厳を捨てたことも幾度としてあったろう。コーシャの暴力と支配の絶対性は先刻目の当たりにしているし、今さら家畜と同然に扱われる屈辱に対し露骨に憤るはずもない。だが、いや、だからこそ、家畜として愛されるという扱いは、彼や彼の村人たちにそれはどれほど理解され得るだろうか。愛されることは歓迎すべきことであるはずなのに、屈服をともなうそれは喜ぶべきか否か。コーシャが実質的には怪物と相違ないことを知っていればこそ、なおさらそれは腑に落ちない扱いであると言えたし、コーシャの容姿の神々しさと悪神じみた暴力とを合わせて思い返せば、むしろすべてはさも当然であるかのようにも思えてくるだろう。そもそもあのコーシャの存在自体からしてまるきり絵空事のようなのだ。だが、それでも化け物の従者の口にしたことが出まかせでないという実感は、拭い去れるものではなかったようだ。どこまで現実的に思いつめてよいものやら、そこから判然としなくてもどかしいというのがエミールの実のところと察せた。


「おや。気が利きますわね」


 しかしニグラムはあえて上の空を演じていた。に飽き足らず、自身の欲望にばかり忠実であるかのように振る舞った。眼帯越しの視線は他人には読みづらかったが、鼻先が戸口の方を向いているのを見て取ったエミールは自身もそちらを振り返る。奥のかまどのある部屋に引きこもっていたはずの幼い妹が、湯気の立つ器を両手で持ってそこに立っていた。


「ジニー? それは、この方に?」


 少女は無言で小さく頷くと、とことこと歩いてニグラムの前に器と木の匙を置いた。器の中身は燕麦(えんばく)が熟れた色の粥だ。香りからして水っぽいが、ろくな田畑もなさそうなこの村で穀物の煮込みは高級品かもしれない。盗賊たちの搾取に遭いながらも隠しておいた分だとすれば、なおのこと貴重な品である。


「ユージニアさん……でしたかしら?」


 ニグラムがしゃがれ声で問うと、少女は俯き気味のままやや首を上下させた。


「肝が据わってますのね。手前があなたくらいのときにあんなものを見てしまったら、ベッドで一日中震えてますのに」


 自分の見た目が少女とそう変わりないことを棚にあげてニグラムは微笑みかける。するとユージニアは、黒ずんだエプロンの裾をぎゅっと握りしめたかと思うと、急に身を翻して兄のエミールのところまで駆けていった。そうして兄の背中に隠れながら、ニグラムの様子をじっとうかがうようにし始める。


「何なんだ、ジニー? 人見知りか?」

「単なる恥ずかしがり屋さん、というわけでもなさそうですわよ、お兄様。何か手前めに言いたいことがあるのではありませんか? エミールさん、あなたからでも」

「僕?」


 エミールは問われて戸惑ったようだったが、すぐに何か心当たりに気がついたらしかった。気まずそうに目を伏せたが、ニグラムに無言で促されて徐々に口を開く。


「盗賊団の中に、昔村に住んでいたやつがいたんです」

「なんと。それは、是非ともコーシャ様にお伝えしておくべきでしたわ。裏切り者には厳罰とあわれな申し開きの場が必要でしたでしょうに」

「いえ、もう、あの……一番初めに、コーシャさんに」

「あらあら、あのいけ好かないキツネ顔の方でしたの? それはさすがに仕方ありませんわね」

「あいつは一応、僕らの幼馴染だったんです」

「おや?」


 苦笑していたニグラムは、エミールの告白を聞いてさも意外といった反応を示す。だがどこか喜色を孕む声色でもあった。


「話が見えてきませんわねえ。それとももしかして、妹さんの想い人だったとか」


 ユージニアはこれを聞いて、かろうじて見て取れるほど眉を動かしただけだった。エミールだけがおろおろとして、妹とニグラムを何度も見比べている。


 ニグラムはしばらく目の前の田舎少女の視線と曖昧な敵意を愉しんでいた。自身もまたのんびりと彼女を観察していたが、不意に肩をすくめると、再びエミールの方を向いて問うた。


「あなた方は、彼らが単なる盗賊団だと思っていますのね」

「え? それは、どういうことですか?」

「ええ、ええ。それもお話ししようと思うのですけれど、先にこちらをいただいてからにしましょうか。せっかくのおもてなしを冷ましてしまっては、貪食の従者として面目が立ちませんし。あなたにも悪いですしね、ユージニアさん?」


 依然無愛想なユージニアに微笑みかけながら、ニグラムは早速木の匙で器の中身を一つすくい取った。黒いルージュの合間を控えめにほころばせ、まだ湯気の立つ麦粥を舌先へそっと忍び込ませる。

 途端、細い肩が跳ねた。


「んんむ!? ヴェホッ! ゲホッ、ウェッ、(かれ)え! 胡椒辛え!」


 ニグラムは喉元を押さえ、椅子から転げ落ちそうなほど激しく噎せ返った。エミールがそれを見て、今まで以上にたじろぎながら、咄嗟に妹の方を振り返った。ユージニアはニグラムに釘付けのまま、目を丸くして固まっている。


「ジニー、これはいったい!?」

「お構いなく、エミールさん! ゴホッ」


 激しかけたエミールを、思いがけずニグラムの一喝が制した。エミールは戸惑いの目を客人に向ける。


 ニグラムは這いのぼるようにして椅子に座り直すと、ひゅうひゅうとまだ喘いでいるにもかかわらず、切れ切れに言葉を紡いだ。


「無理もないこと、ですわ。コーシャ様のお食事のご様子は、普通の方からすれば凄惨に過ぎますもの。気が動転すれば、片栗粉と胡椒を間違えることくらい、大人の方でも当然ですわ。だから予告なしお召しにならないでくださいとあれほど申しておりましたのに」

「ジニー、水を」

「西の王国が滅んだんですの。ご存知ですか?」


 妹に飲み水を取ってくるよう促していたエミールに、ニグラムがまた唐突に話を切り出した。なぜ今そんな話をするのかと問い返す余裕が、動転していたエミールにあるはずはなかった。ひたすら目を白黒させながら、かろうじて首を横に振っただけだ。


「そこそこ有名な話ですわ」ニグラムは続けた。しゃがれ声は一層ひどくなったようだ。「西にあった王国が一夜にして城を落とされ、滅亡した。そのとき敗走した国王軍がどこへ落ち延びていったのかについて、巷ではいろいろな噂が立っているのですけれど、結局のところ判然としなくて、ちょっとした伝説となっていますの」

「いったい何の話を……」

「お聞きになって、首長のご子息様。最近手前めが得た情報によると、彼らが消息を絶つまでに存在を確認された最後の地として、この地方が最も有力なのだそうです」

「え? それはつまり、もしかして、盗賊団の正体を……」

「確説とは言えませんわ。先ほど押しかけてきた方々の中に、国軍の兵士とわかるような装飾をつけてらっしゃる方はいませんでしたし。そもそも有力だと言い張っている情報の出所がはっきりしませんの。一つお聞きしたいのですけど、あなた方の幼馴染さんは、騎士を目指して出奔なされたのですか?」

「あなたたちは国王軍の生き残りを見つけるためにここへ?」


 問いかけを問いかけで遮られたことに、ニグラムは面食らった。重ねて、自分が面食らわされたことにも面食らった。あのエミールに!? 当のエミールはあいかわらず頼りなさそうな顔をしているばかりで、自分がした粗相に気がつく気配もない。ニグラムは下唇を甘く噛むと、心中でぼやいた。


(雑になってきましたわね……)


「目的というのは、手前めの知るところではありませんわ」ニグラムは取り澄ましてエミールの問いに答えることを選んだ。「屈辱的ではありますが。この従者ごときがいくらお願い申しあげても、コーシャ様はお心の内を打ち明けることはあまりなさってくださいませんの。ただ、手前にも手前なりに気になることがございます。西の王国が滅んだ当時、というのは、本当は六十年余りも昔の話ですの」

「っ!?」


 今度はニグラムの期待通り、エミールに目を剥いて凍りつかせることができた。さらにニグラムは彼が問い返すことを許さずたたみかける。


「気になることはもう一つあります。そちらは最近の話で、実質的なきっかけですわね。ここよりずっと南にある宿場を訪れたのですけれど、盛り場で喧嘩の現場に出くわしましたの。聞けば、〝北の辺境にある村を盗賊団の魔手から救い出した〟という二人の英雄が、そこで鉢合わせしたのだそうです」


 最初にその武勇伝を語り始めたのは、酒場で酒を飲んでいた男の旅人だ。事件のあった宿場よりずっと北方の山中をさまよい歩いている時分、盗賊たちの支配に遭って虐げられている村に踏み込んだ。村人からの一宿一飯の恩を受けたその旅人は、武芸の腕に覚えがあったため、盗賊一党に挑んで見事これを薙ぎ払い、村人を掠奪から解放してみせたのだという。


 酒の席で大口をたたく者は多い。華のある話であれば、場も嘘かまことかを問う無粋はせずに湧き立つものだ。その旅人の話も同じようにまつりあげられ、人々は気前よく彼を褒め称えていた。


 ところが、そこへちょうど割り込んできた行商人の男が、何が元で盛りあがっているのかを聞くや否や、旅人の男を怒鳴りつけた。酔いに任せて他人の武功をさも自分のものであるかのように語るとは何事か。その村を救済したのは誰あろう、他ならぬ己であると名乗り出たのだ。


 行商人は行く先々でその武勇伝を吹聴していたので、旅人の男がどこかでそれを立ち聞きか又聞きしていたとしても不思議ではないと唱えた。しかし寝耳に水の旅人は、それこそ真っ赤な大嘘である、自分がどこかで披露した自慢話を拾って商いの肥やしにしたのだろう、がめつい商人のやりそうなことだと言い返した。なにくそ、卑しい浮浪者め、手癖の悪さは貴様には負けるぞと商人もそしりで跳ね返す。


 両者とも、自分こそが真実を語るものとして一歩も引かず、それでは各々別の村を救済したのではないかと一度は静かな審議もしてはみたが、二人が覚えている村や盗賊たちのことを話せば話すほど、同じ場所での出来事であるという確信だけが強まっていく。とうとう、どちらが盗賊たちを蹴散らすほどの武芸の実力を持つかを競う運びとなり、旅人と行商人の男二人は互いに決闘を申し出た。


「その馬鹿げた決闘の行く末は、まあどうでもいいことですわ。問題はこの奇譚の巻き起こる要因があったという事実そのもの。これはいったいどういうことなのでしょうね?」


 かいつまんだ経緯を話して聞かされても、エミールらに言えることは何もなかった。面妖な話があるものだ。写し絵ほど似通った境遇の村が同じ地方に三つもあるだなんて――などと下手にとぼけたりせず黙りこくっている様子が、ニグラムにはいじらしく思えたが、反面、張り合いと面白みはなかった。それで思わず嘲笑がこぼれたが、あたかもジョークの反応を喜んでいるかのようにしてみせた。


「まあ、この村のことだという証拠はどこにもありませんわね。喧嘩をなさった例のお二人とも、本当は尻尾を巻いて逃げた、というふうにも考えられますし、よしんばどちらも真実だったとして、逃げおおせた盗賊の方々が再び徒党を組んで別の村を乗っ取った、としてもつじつまは合います。二つの武勇伝の時期まで同じだとは聞いておりませんし。また、六十年前の敗走軍に関しましても、それがこの村を襲っていた盗賊団の母体だという確信はあくまでございませんの。あるいは落ちぶれてから二代、三代と代替わりを重ねていると考えても、また怪しくはございませんわ」


 ニグラムは安心させるようにエミールらに微笑みかける。兄妹は素直に胸をなでおろす様子を見せたが、そこへニグラムはこう言った。


「ところで、盗賊の方々が根城になさってるのはもしや、林の向こうの深い森ではございませんこと?」

「ええ、森の奥です。川辺があって……」

「そのあたりに、魔女が住んでいるという話は聞きませんか?」


 エミールは再び瞠目した。だがこの問いを聞いて彼が何も知らないなら、眉をひそめる方が先だろう。心なしか、気丈なユージニアも身をこわばらせたように見えた。ニグラムは頬杖をついて、お伽噺をせがむ少女のように彼らの返事を待つ。


「……どうして、そんな話を?」

「いえいえ、なんとなくですの。あんなに深い森にはそういう噂がつきものですわ。まあ盗賊の方々があそこでのうのう暮らしてらっしゃる以上、あり得ないとは思いますけれど、万一そういうものが隠れ潜んでいるとしたら、今後の支配に支障が出るやもしれませんし」

「支配?」

「手前めが居残りを命じられたのはこのためですの」


 言われている意味がわからず当惑している村人たちを置き去りにしたまま、黒衣の従者はしとやかに椅子から立ちあがる。それから窓辺へそっと歩み寄り、外に見える家々を眺めて、数をかぞえた。


「そうですわね……月に二人。それで手打ちにいたしましょう」


 ニグラムは振り返り、友好を笑みで示した。エミールはすでに震えていた。


「何が……月に二人、なんですか?」

「怯えることは必然ではありませんの。田畑を切り開き、水を引き、存分な実りをもたらすこと。牛馬を飼い馴らし、肥え太らせ、木を切り、家を建て、道具をつくること。そのすべてをコーシャ様お一人の力によって、この村一つ分まかなうことくらい造作もありませんわ。あなた方には、ただひたすら生殖をおこなっていただきますの。産めよ、増えよ、地に満てよ。すでに申しあげた通りです。あなた方は《愛でぬ謂れなき畜生》であると」


 貪食の奴隷にして、()づべき家畜。


 ニグラムはそれをただ諭し、宣告するためだけにここにいた。


 いやさ、桃源郷と名を掲げたそれをもたらしに現れた。


 蒼白となり言葉を失くした兄妹の前へ、しゃなり、しゃなりと歩み寄ると、年端もいかぬ妹の方に手を伸ばして、その頬を軽くなぞる。白い指先の爪化粧も、ルージュと同じ邪淫の黒だ。


「やわらかで張りのある肉質と、豊富な養分、芳醇な旨味。コーシャ様が最も好まれるのは、育ち盛りの女の子ですの」

「っ……!」


 ユージニアは咄嗟に身を引こうとしたが、ニグラムに顎を掴まれ叶わない。


「しかし、そちらは年に一人ですわね。母体としても最も優秀な時期ですもの。ええ、ユージニアさん、あなたにも期待しておきますわ。心配なさらなくても、手前めにそういった魔術の心得がありますの。古い術書(グリモワール)によれば、女子は五歳から妊娠と出産が可能だそうですし。最初は誰の子を孕みたいです? 今のうちにお決めになっておくのもよいかもしれませんわね。とはいえ、昼夜問わず種つけいたしますので、候補を五人は選んでいただかなくてはいけませんけど」

「……餓鬼め」


 童女らしからぬ低い声色がユージニアの口から漏れる。ニグラムはせせら笑った。


「言い得て妙ですわね。地獄(エード)で《貪食》を奉祀するのが手前めの務めですがゆえに」

「顕現したのがそもそもの間違いだ。ここが貴様の茶番を奉じられる場所であるものか。奈落へ還るがいい」

「貪食をつかさどるのはかの《蝿の王》。その行く先、ある場所こそが地獄(エード)となるのですわ。ヒトごときがそのことわりに逆らえるとでもお思いに……おや?」

「黙れ、蝗害(こうがい)


 ユージニアがニグラムを突き飛ばす。たたらを踏んだニグラムの胸に、刃を横にした包丁が根元まで突き刺さっている。


「おやおや、これは……」


 しげしげと自分の胸に埋まり込んだ刃物の柄を観察するニグラム。その顔に苦痛に色はないがやや困惑気味だ。ハッとして顔をあげたときには、すでに青年が手斧を握って振りかぶっていた。袈裟におろされた刃が黒衣と白い肩を切り裂く。


 瞬間、切り口から黒い灰のようなものが噴き出した。


 エミールが怒号をあげて床に倒れる。喉を押さえてのた打ち回る彼を見て、ユージニアは慌てて床に伏せて鼻と口を押さえた。


 灰のようなものは一瞬で部屋を覆い尽くして視界を奪う。それ以前に、灰が目に触れた瞬間からユージニアは涙が出て止まらなくなった。指の隙間からは香ばしく煙たいような匂いが忍び込んできて鼻を刺す。


(この匂いは……)

「いかがですか、手前め自慢の黒胡椒。なかなか薫り高いでしょう?」


 その声はユージニアのすぐそばで聞こえた。


 涙を拭って無理やり目を開いた彼女の正面に、紅榴石(ガーネット)をあしらった布で両目を覆った少女の生首が落ちてくる。その首筋からざらざらと灰色の粉が流れ続けていた。黒い唇がなめらかに動き、胡椒で噎せ返ったようなだみ声が泰然と告げる。


「胡椒の魔女、ニグラム。貪食の従者にして味付け係(スパイス)。躾のなってない家畜には優先的に下味をつけていくことにしておりますの」


 部屋に充満していた胡椒の(もや)が確かにうねった。それを肌で感じた瞬間、ユージニアは床を転がって廊下に飛び出し、立ちあがり様玄関へ突進していった。流動を始めていたニグラムの胡椒は所在をなくしたように拡散してしまう。生首の少女は残念そうにため息をついた。


「やれやれ、逃げても無駄ですのに」


 ガラスと木の砕ける音が鳴り響く。振り返ったニグラムの紅榴石(ガーネット)を炎がさらに赤く照らした。窓を突き破り、火のついた薪が飛び込んできたのだ。炎に触れた胡椒が端からパチパチと火花に変わり、それはまたたく間に燃え広がって、


「あ――」


 ニグラムの悲鳴をかき消し、炎は屋根を吹き飛ばすほどの爆炎となった。



 本作は、かつて4万字の短編としてひとまとめで投稿してあった同名作品を小間切れに再編集、再投稿したものになります。全5節。内容には手を加えていません。


・ 他サイト:青空文庫 http://slib.net/36704(こちらはひとまとめ版になります)

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