僕と担任と不登校
皆さんは小学校の担任の先生のことを覚えているだろうか?
僕は1年生から6年生までどの担任も鮮明に記憶している。
今回はその中で、僕が大嫌い、嫌だぁと毎日毎日、悩み、頭を抱え、どう乗り切ろうか試行錯誤した小学校2、3年生の担任のお話。
学校の先生、特に担任とは生徒にとってかなり重要度を占める。いや、僕の中では天国か地獄かといってもいい。僕の理想としては、優しいお姉さんみたいな先生がいいけど、残念ながら小学校6年間1度も巡り合いませんでした。
小学校2年生の僕はその担任と始めた顔を合したとき、かなり警戒した。
なんだろ? 本能的に危険だと感じたのかもしれない。その人は厳しいことで有名で、まず宿題を大量に出す。ほんとに大量にだ。修行が終わり、校庭で遊んで帰れば終わらないくらいの量の宿題が毎日僕を待ち構えていた。一日2時間くらいはやっていたのではないだろうか?
小学生2年で宿題を2時間やらないといけない量とは異常すぎる。僕はそれまでも親に言われるまま勉強をさせられていたので、授業についていけないとかそういうのはなかった。
だから、その時の僕の能力が低かったとは思えない。けど宿題に2時間、それも毎日……まず一つ目の地獄。
とにかくその担任は口うるさい。宿題もそうだし、ノートを取るときは絶対に下敷きを引け、忘れると物凄い怒られる。規則正しい生活は大事でそれをするのが当たり前なんだとすりこまれた。
教育熱心な親にしてみれば素晴らしい先生と絶賛するのかもしれないが、僕のような少しまったりしていたいと思う性格の子には耐えがたい毎日。
2つ目の地獄、それは給食だ。僕はその当時食が細く、給食を全部食べるということはしなかった。お腹が空いている時は食べたかもしれないが……その担任はお残しは許してくれない!
どんなに嫌いな物でも、全部食べるよう言ってきた。だから大抵僕の昼休みはずっと食べることで終わってしまう。嫌いな物はいきなりは食べられない。努力はするが、全部は無理なんだ。
そして3つ目の地獄。宿題と給食のことはまだ僕も何とか耐えていたのだが……
その当時、僕は絵がうまくなかった。今も上手くはないのだけど……あの時、ゾウの絵を描きなさいということで、僕は自分で見てもあまりうまくないそれを書き、クレヨンで鼠色に塗った。
提出した僕の絵を見て、担任は衝撃の一言を放つ。
「なんだこれは? 下手くそだな。ゾウを書けと言っただろ」
いや、僕の中でそれがゾウだ。あまりイメージがわかなかったんだ。
「おいみんな、これがゾウに見えるか?」
あろうことかクラスメイトに順々に僕の絵を見せて回る。描いたものが上手くはないと自覚している僕は泣きそうだったと同時に、いくら大人でもここまで傷つけていいのか怒りが込み上げてきた。
そこからの僕は宿題もあまりやらなくなった。あんな奴の言うことは聞かなくていいと拗ねたのだ。
当然、毎日居残りをさせられ、夕方まで教室の毎日。
さすがに学校に行きたくなくなった。クラスメイトに苛められたとかでなく、担任の顔をみたくない、会話したくないと思ったのだ。仮病というのをした。親には学校に行けと阿保みたいに怒鳴られ、罵声を浴びせられても、僕は週に何回かは休むことにした。
仮病、そう最初はそうだったのだが、ある時から本当に具合が悪くなった。最初は頭痛、それから吐き気が襲ってきて、なんでこんなになるのかわからない。今思えばその担任のストレスが引き金になったのだろう。僕が欠席時にも担任は前に書いた僕の絵をボロクソに言っていたと友達から聞いてはいて、もう僕は2年生の学校生活は諦めていた。4月になれば変わるのだから、休みながら1週間を過ごしていこうと……
だが3年生になったクラス替えの日。希望に満ちた僕の心は一瞬にして砕かれた!
担任はまたもその先生! 繰り返される地獄。
「嘘だろ、こんなの嘘だ」
と、僕は何度も何度も思い、3年生の大半を不登校で過ごした。
これだけ聞けば僕の小学生時代がいかに地獄だったと認識してくれるかもしれないが、6年間トータルで見ればいやだったのは2、3年生の時だけだ。なにしろ6年生になった僕はその2、3年の時の担任に仕返しを試みる。やられたらやり返す。
もしこの投稿を小学生が見たとしたら、やられたらやり返しちゃだめだよ。と言っておく。どうしても我慢ならなかったら相手を見てからね。必ず君の味方はいる。
機会があればその仕返しについても書くかもしれない。