九、兄弟喧嘩
家に帰ると、兄貴はまだ帰ってなかった。
残業でもしてるのか?
俺は服を着替えて、米を炊いた。
冷蔵庫の中を確かめてみたが、ろくなもんがねぇ。
買い物に行こうかとも思ったが、金は電車賃で消えてしまったし、とりあえず、あり合わせで煮炊き物を作ることにした。
「あっ!健人!帰ってたのか!」
「おかえり」
「バカ!おかえりじゃねぇ!」
兄貴は大きな足音を鳴らして、俺の傍に寄り大声で怒鳴った。
「っんだよ、うるせぇな」
「お前、また学校さぼっただろう!」
「はあ?またそれかよ。ってか、うるせぇよ、刺すぞ」
俺は手にしていた包丁を、兄貴に向け威嚇した。
「ざけんじゃねぇ!」
兄貴は俺の手を叩き、包丁が床に落ちた。
「なにすんだよ!危ねぇだろが!」
「桃田に呼び出されて、さんざん文句言われたぞ」
「はっ。マジかよ。くそ桃田の野郎」
「バカ!おめぇが悪いんじゃねーか!0点坊主め!」
「知るかよ。ってかどけよ。作れねぇじゃねーか」
俺は包丁を拾って、野菜を切り始めた。
「っんなことはいい!こっち来て座れ!」
兄貴は包丁を取り上げ、俺は無理やりちゃぶ台の前に座らされた。
「学校さぼって、どこ行ってたんだ」
「別に」
「言え!どこをうろついていた!」
「どこもうろついてねぇよ!」
「ったく・・、それにしても0点ってどういうことだ」
「知らねー」
「お前な・・勉強しねぇと、マジで将来苦労すんぞ」
「しねーし。ってか、したって別にいいし」
「お前ってやつは・・何度言ったらわかるんだ」
「あのな!俺がいいっつってんの。卒業したら働くし、兄貴には迷惑かけねぇよ」
「ろくに勉強もできないやつが、偉そうに働くなんて言ってんじゃねぇよ」
「あはは!兄貴、人のこと言えんのかよ」
俺は思わず手を叩きながら、バカにしたように笑った。
「だから!俺だから言ってんじゃねぇか」
「マジかよ。パネェ説得力だぜ。ぎゃっはは」
「健人、生活するには金がかかる。でも勉強だけは金がかからねぇんだよ。頭に叩き込むだけで金はかからねぇんだ」
「ふんっ。それがなんだってんだ」
「まだわからないのか。てめぇ次第で将来が変わるっつってんだよ」
「はぁ~~・・うっぜー」
俺はため息をついて、仰向けになって寝ころんだ。
「なあ、健人」
「っんだよ」
「俺の給料、知ってんだろ」
「それがどうした」
「学歴のないものは就職先も限られて、職にありつけたとしても最低賃金なんだよ。仕事がいくらきつくても、それに見合う給料が貰えねぇんだよ」
「・・・」
「同い年、同じ仕事内容でも、学歴のあるやつとないやつとでは、ものすごく差があるんだよ。それを俺みたいに、今更後悔しても遅せぇんだ。でもお前にはまだ、可能性が残されてんだよ」
「ふんっ・・」
「せっかく学校に通ってんだ。勉強しようと思えば、いくらだって教えてもらえるんだ。もったいねぇと思わないのか」
「・・・」
「勉強したからって、なにか損でもするのか?得することはあっても損なんてしねぇんだ。おまけに金もかからねぇ。頭に叩き込むだけなんだ。わかるか?」
「ったく!!さっきからグダグダと、しつけーーんだよ!」
俺は足でちゃぶ台を蹴飛ばし、それが襖に当たって大きな穴が開いた。
「この襖、どうすんだよ」
「知るかよ!」
「これを修理するにも、金がかかるんだぜ。どうすんだ」
「そのままでいいじゃねーか」
「いい加減にしろ!」
兄貴は俺の首根っこを掴まえ、頬を叩いた。
「なにすんだよ!」
俺は兄貴の手を振り払い、殴りかかって行った。
そして俺と兄貴は乱闘になった。
くそっ・・くそっ!
なんだってんだよ!俺が悪いのか!
悪いのは全部、俺のせいかよ!
悪いのは俺を産んだクソババアじゃねーーか!
俺は産んでくれと頼んだ覚えはねーーよ!!
兄貴は唇を切り、メガネもどっかに吹っ飛び、血を流していた。
俺も鼻血が流れた。
お互いに疲れ果て、乱闘は終わった。
「ほら」
兄貴がそう言って、俺にティッシュを放り投げた。
俺は何も言わずにそれを手に取り、鼻血を拭った。
「メガネはどこだよ」
「お前のせいで、どっかへ行ったよ」
兄貴はそう言いながら、メガネを探し始めた。
メガネがなければろくに見えもしねぇくせに、探せるわけねーだろ。
俺は部屋の隅々まで探し回った。
すると、玄関のわきに落ちてあるのを見つけた。
幸い壊れてはねぇようだ。
「ほら」
俺はそう言ってメガネを渡し、兄貴は手に取ってかけた。
「よかった。壊れてねぇ」
「・・・」
「これが壊れたら、仕事もできねぇ。買うっつったって、高けぇんだからな」
「知るかよ」
兄貴はちゃぶ台を元に戻し、台所へ行った。
俺はその後姿を見て、情けねぇと思った。
いや、兄貴が情けねぇわけじゃねぇ。
俺たちの境遇が情けねぇんだ。
まるで不幸になるために生まれて来たようなもんだ。
親はこんな俺たちを捨てて、消えちまった。
ろくでもねぇ人生だ。ほんとにろくでもねぇよ・・
ルルル
あっ、電話だ・・
俺は兄貴にばれないよう、急いでトイレに入った。
「もしもし」
「おう、時雨か」
この声は、柴中だな・・
「そうだよ」
「急なことなんだが、明日、事務所へ来い」
「明日?シマへ行くのは日曜じゃねぇのか」
「え、どうしてお前が知ってるんだ」
「和樹に聞いたんだよ」
「ほう。まあいい。いいな、明日学校が終わったら必ず来いよ」
「ああ。わかった」
明日は金曜だぜ?
あ、あれか。リハでもやるってのか。
っんなもん、俺には必要ねぇっての。
「おい、健人」
ドアをドンドンと叩く音がし、兄貴が俺を呼んだ。
「なんだよ」
「お前、さっき誰かと話してなかったか」
「してねぇよ」
「んじゃ、独りごと言ってたのか」
「兄貴、大丈夫か?幻聴だろ、それって」
「おかしいな・・確かに聞こえたんだが・・」
「うるせぇよ、あっちいけ」
兄貴にバレたら、さっきのケンカどころの騒ぎじゃねぇぞ。
俺は肝を冷やしながら、今後は家の中で電話に出ることは止めようと思った。