八、病院食と弁当
「えー、この間の国語のテストを返す」
担任の桃田が、四時限目の国語の授業が始まってからすぐにそう言った。
「時雨!」
次々と名前が呼ばれて、俺の番が来た。
俺は桃田の顔も見ずに、答案用紙を受け取った。
「時雨」
「あ?っんだよ」
「お前な・・なんだ、この点数は」
桃田はみんなに聞こえないように、小さな声でそう言った。
「は?知らねぇし」
「0点はあんまりだろう」
そう、俺は白紙で出したのだ。
「お前、こんなだと、本当に進学できないぞ」
「だから、しねーし」
「お前のお兄さんは、進学を望んでいるそうじゃないか」
「俺は、しねーの。わかった?」
俺はふてくされて、席に戻った。
ったく、うるせぇんだよ。
「きゃー静香、すごいじゃん!」
由名見の前の席の女子が、いきなり叫んだ。
すると周りのやつらは、由名見の答案用紙を覗きこんでいた。
「わーー、マジかよ!満点かよ!」
一人の男子がそう言った。
ふーん、百点ねぇ。
それが偉いのかよ。くっだらねぇ。
「私はそんな・・別に・・」
由名見は恥ずかしそうに呟いた。
けっ。どうせ心の中じゃ自慢したくてしょうがねぇんだろ。
こういう、一見控えめな振りをする女が、俺は大っ嫌いだ。
「はいはい、静かに!」
桃田はそう言いながらも、自分の教科で百点取った生徒がいることに満足気だった。
「由名見は国語だけじゃなく、他教科も優秀だな」
「先生・・そんな・・」
由名見は更に恥ずかしそうに、下を向いて赤くなっていた。
「お前、嬉しいなら嬉しいって言えよ」
俺はイラついて、思わずそう口走った。
「え・・」
「ブリっ子してんじゃねぇよ」
「ブリっ子だなんて、私はそんなつもりはないですけど・・」
「はっ。それに、その丁寧な言葉遣いだよ。マジうぜーよ」
「え・・」
「おい!時雨。言いがかりもいい加減にしろ!」
桃田が怒鳴った。
「お前は人を批判する暇があれば、まず自分の成績をなんとかするんだな!」
そこでクラスはシーンとなった。
誰も桃田に同調する者はいない。
しかしそれは、単に俺にたてつくのが面倒なだけだ。
俺には一切、関わりたくねぇってわけだ。
「うるせぇよ!勉強なんてくそくらえだ!」
俺はそう言い残し、鞄を乱暴に手に取って教室を出た。
「おい!時雨!どこへ行くんだ、待ちなさい!」
教室の前のドアから廊下に出て、桃田は大声で叫んでいた。
しかし追いかけて来ることはなかった。
また「フリ」だけだ。
ま、わかってたけどな。
俺は校門を出て、なんとなく和樹と話がしたくなって、病院へ向かうことにした。
確か・・A総合病院前って駅で降りればいいんだな。
財布を確かめると、ギリギリの金しか入ってなかったが、とりあえず俺は電車に乗った。
いきなり行ったら、和樹は驚くだろうな。
俺は座席にも座らず、立ったまま外の景色を見ていた。
あいつ、心臓が悪いって言ってたな。
手術するんだろうか。
やがて電車は駅に到着し、俺は急ぎ足で病院へ向かった。
中へ入ると、俺の風貌に驚いたように、患者たちが見ていた。
見世物じゃねぇっつーの。ったく・・うぜーな。
508号室の前まで来て、俺は静かにドアを開けて中へ入った。
「あ・・健人くん」
「おぉぅ・・」
和樹は昼ご飯を食べていた。
そうか・・もうこんな時間か。
「よく来てくれたね」
嬉しそうに笑う和樹に、俺はなんだか照れくささを感じ、何も言えないでいた。
「学校はどうしたんだい」
「あ・・ちょいサボリ」
「あはは、そうなんだね。どうぞ座って」
俺は以前と同じ椅子に座り、なんで来てしまったのかと、少し後悔した。
「お前、身体はどうなんだ」
「まあまあ、かな」
「そっか・・」
「健人くん、お昼は食べたの?」
「あっ」
俺は弁当を食べ忘れていることに気がついた。
「ここで食ってもいいか」
「もちろんだよ」
俺は鞄の中から弁当を取り出し、包みを開けた。
中はいつも通りの飯たっぷりと、おまけみたいなおかずだ。
「俺の弁当、いつもこんなだぜ」
「いいじゃないか」
俺は和樹と翔が似ていると思った。
翔はガキの頃からの付き合いだから、今の俺にも偏見はないが、和樹はこの間会ったばかりなのに偏見が全く感じられない。
つか・・こいつヤクザの家で育ったんだもんな、まあ、俺みたいな風貌で驚くこともないし、まして偏見なんてないのが当然といえば当然なんだろう。
「お茶、どうぞ」
和樹は湯のみにお茶を注いで、俺に差し出してくれた。
「サンキュ・・」
俺はそれを受け取り、一口含んだ。
「健人くんって、お兄さんと暮らしているんだってね」
「ああ」
「いいなあ・・」
「えっ・・なんでだよ」
「僕、一人っ子だから、羨ましいよ」
「そうかー?兄貴なんて口うるさくて、うぜーだけだぜ」
「あはは、そんなものなのかな」
「そうだよ、そんなものだぜ」
「あ、これ食べる?」
和樹はおかずの煮物を指して、そう言った。
「は?病人の飯なんて、手を出せるかよ」
「いいんだよ。どうせ残っちゃうし」
「えー。残さずに食えよ」
「いいんだ。よかったら食べてね」
そう言われても、俺はとてもじゃないが、食べる気がしなかった。
「お前、小さい時から身体が弱いって言ってたけど、学校とかどうしてたんだ?」
「小学校の時は、普通に通えてたんだけど、中学になった頃からあまり通えなくなってね。って言っても出席日数は足りてたから卒業できたし、高校へも進学できたんだけど、少しずつ心臓に負担がかかってきてね。で、今に至るわけ」
「ふーん。ダチとかいねーの?」
「うん」
「えっ・・マジかよ」
俺の和樹の印象は、どこにでもいる普通の高校生だし、性格もよさそうなのにダチがいないってことが、あまりにも意外だった。
「僕の家はヤクザだろ。だから友達なんてできないよ」
「あ・・そっか・・」
ってことは、こいつはガキの頃からずっと一人だったのか・・
俺には兄貴も翔もいる。
少なくとも一人じゃねぇ。
でもこいつは・・
「お前、淋しくねぇのか・・」
「別に。もう慣れてるからね。それに組の者たちはよく面倒見てくれるし、祖父は優しい人だしね」
「そうか・・」
「健人くんが、友達になってくれると嬉しいな」
「えっ・・あっ・・あ・・うん・・」
「無理にとは言わないけどね」
和樹はまるで、気持ちとは裏腹かのように明るく笑っていた。
俺・・なんですぐに「うん」って言えなかったんだ。
こいつがヤクザの孫だからか・・?
いや、違う。ヤクザとかなんだとか関係ねぇんじゃんかよ。
でもなんで俺は・・ほんの少し躊躇したんだろう・・
「あ、それよりね、今度の日曜日「シマ」へ行くって言ってたよ」
「そうなのか」
「ほんとに申し訳ない。迷惑かけるね」
「いや・・それはいい。俺が決めたことだから」
「地元の人たちは、みんないい人ばかりだよ」
「へぇ」
「あまり僕の顔は知られてないから、バレることはないと思うよ」
「歩くだけでいいんだな」
「うん。それと商店街の人たちに、ちょっとだけ挨拶が必要かな」
「そうか」
歩いて挨拶すりゃいいんだな。
それくらいなら俺にだってできる。
「じゃ、俺、そろそろ帰るわ」
「ありがとう。来てくれて嬉しかったよ」
「また来るよ」
「ほんと?嬉しいな」
そう言って和樹は握手を求めてきた。
俺も手を差し出し、それに応え、病室を後にした。