七、漫画本
「時雨、そろそろ帰るぞ」
部屋を出ていた柴中が戻って来た。
「坊ちゃん、どうぞお大事に」
「柴中、いつもありがとう。それと健人くんもありがとう」
「あ・・うん」
俺と柴中は病院を出て、駐車場に向かって歩いていた。
「あ、そうだ。おめーに、これ渡しとくよ」
俺の手に渡されものは、携帯電話だった。
しかも使い古したような、ガラケーだ。
「なんだよ、これ」
「おめーのだ」
「は?いらねーし」
「バカか。なんかあった時に、連絡取れなかったらどうすんだ」
「ふーん」
「御大と、坊ちゃんと、俺と、伊豆見の番号は、もう入れてあるからな」
「はいはい、わっかりましたよ~」
俺は携帯電話をズボンのポケットにしまい、せめてスマホだろ、と少し不満を持つのだった。
俺は行きと同じように、車の助手席に座り、ため息をついた。
「なんだ、疲れたのか」
「疲れてねぇよ」
「坊ちゃん、どうだった」
「別に」
俺は外を見ながら、特に何も感じなかった風に返事をした。
「ま、いいさ。今後は携帯に連絡するから、それまで待ってろ」
「ああ」
それから車は走り続け、車内はずっと無言のままだった。
「おっさんさ・・」
俺は突然、口を開いた。
「なんだ」
「ずっとヤクザやってんのか」
「ははっ。変な質問だな」
「変か?素朴な疑問だろ」
「まあな。この世界に入って二十年近くになる」
「へぇー」
「なんだ」
「じゃあ、なにか。十八まではカタギってことか」
「そうなるな」
「ふーん」
俺は柴中が、ヤクザになったきっかけには殆ど興味がなかったので、それ以上は訊かなかった。
まあ、色々あんだろな。
「おめぇは、誰と暮らしてるんだ」
「兄貴」
「ほう。二人か」
「ああ」
「ってことは、兄貴が稼いでるってことか」
「そだよ」
「ほう。兄貴、偉いな」
「・・・」
信号待ちに差し掛かった時、ふと見ると、翔が歩いているのを見つけた。
「おっさん」
「なんだ」
「もう、ここでいいよ」
「え?」
「降りるぜ。じゃあな」
俺は急いで降り、柴中に礼も言わず勢いよくドアを閉めた。
そして翔が歩いているところまで走って行った。
「翔」
「あっ、たけちゃん!」
翔は俺を見て、嬉しそうに笑った。
「どうしたの、たけちゃん」
「別に。散歩」
「そっか。じゃ僕も一緒に散歩しようかな」
「翔こそ、こんなところを一人で歩いて、どうしたんだよ」
俺と翔が歩いているところは、地元のやつらもあまり来ることがない街はずれだった。
そんな場所を、翔が一人で歩いていることに、俺は少し疑問を持った。
「実はこの先に、この間オープンしたばかりの漫画喫茶があるんだ」
「へぇ」
「よかったら、たけちゃんも行かない?」
「えぇー」
俺は漫画なんて興味がなかった。
その点、翔は小さい頃から大の漫画好きだ。
俺に気を使って、俺の前ではあまり漫画の話をすることは無いが、ここで会ったが百年目と言わんばかりに、翔はしつこく俺を誘って来た。
「せっかくだからさ~行こうよ~」
「ええー、うっぜーよ」
「そんなこと言わないでさ。ね」
「ったく・・しょうがねぇな」
俺は仕方なく、翔に付き合うことにした。
約五分くらい歩いたところに、漫画喫茶があった。
外観は今風のお洒落な造りだったが、決して大きい建物ではなかった。
店の入口の看板には「漫画喫茶」と書かれてあったが、この程度の建物なら数も豊富そうには見えなかった。
中へ入ると、四人掛けのテーブル席が五つあり、俺と翔は入口に近い席を選んで座った。
翔は早速、棚に並べてある本探しに夢中になっていた。
「いらっしゃいませ」
中年の男性が水を運んで来た。
「おい、翔、翔!」
「あっ、ごめん、ごめん」
翔は急いで席に戻り、メニューを見ていた。
「たけちゃん、なににする?」
「翔と同じでいいよ」
「じゃ、ミックスジュース二つ」
「かしこまりました」
翔はまた席を立ち、本を見ていた。
ったくよ・・これだからオタクはうぜーんだよ。
しばらくして、翔が一冊の本を抱えて席に戻った。
「たけちゃん、これ知ってる?」
「あ?知らねぇし」
翔が差し出した本は、表紙に、いかつい男の絵が描かれてあった。
「これね、ヤクザの漫画なんだ」
「ふーん・・」
ヤクザの本って・・意外だな・・
「お前、こんなの好きなのか」
「うん」
翔は俺の顔も見ずに、本に見入って愛想のない返事をした。
それにしてもヤクザの漫画か・・
俺は少し内容が気になった。
それにしても、俺たち以外に客が一人もいねぇな。
店長のおっさんも、漫画読んでるし。
「くぅ~~・・このシーンたまんないなあ」
翔は本を胸に抱きしめ、乙女のように震えていた。
「翔・・大丈夫か」
「たけちゃーん、ここ見て、見て」
翔はそう言って、俺に本を差し出した。
そのページには、若い男二人が数人の男たちを相手に、乱闘している場面が描かれてあった。
「この二人ね、幼馴染なんだ。でね、こっちの細い方は身体が弱いんだ・・」
「えっ・・」
ま・・マジかよ・・
確かに細身のその男は、相手を睨みつけてはいるが、顔は青白く「ハアハア」と息が上がっていた。
「でね、こっちのいかつい方は、いつも心配しててさ。この二人ペア組んでるんだ」
「そっか・・」
「もうすぐ死ぬんじゃないかな・・一輝」
「えっっ!」
俺は思わず大声で叫んでしまった。
「ど・・どうしたの・・」
「あ・・いや、なんでもねぇ・・」
細身の男は一輝ってのか・・なんだこの偶然は。
「いかつい男は、なんて名前だ・・」
「一郎」
よ・・よかった・・
もしや「たけひと」って名前じゃないのかと、俺は少し不安に思った。
にしても、一郎って・・もうちょっと若々しい名前にしろよ、作者。
「でも、ヤクザって大変なんだね」
「そうなのか?」
「だってさー、いつも誰かに狙われてるし、縦社会だから規律も超厳しいし」
「・・・」
「いざとなれば、親分の身代わりになって撃たれたり、刑務所へ送られたり」
「・・・」
「・・ん?たけちゃん、どうしたの」
「あ?ああ・・いや、別に」
確かに翔の言う通りだ。
俺、気軽にバイトとして引き受けたけど、俺はその時点ではヤクザなんだよな。
ってことは・・その間は命を狙われるってことか・・