六十九、ダチってのはな・・
和樹が入院して、一週間が過ぎた。
身体はだいぶ回復してきたが、和樹の魂は、どこかに飛び去ってしまっていた。
俺や翔が話しかけても、ほとんど返事もしない状態だった。
「和樹、具合はどうだ?」
俺と翔は、この一週間、学校帰りに毎日見舞いに来ていた。
「和樹くん、新刊持ってきたよ!」
翔は、あのヤクザ漫画を手にしてそう言った。
和樹はベッドの上に座り、窓の外を見ていた。
「和樹、顔色もだいぶ良くなったな」
「もうすぐ、おかゆとか出るのかな」
俺たちは返事を期待せずに、勝手に喋っていた。
「いや、おかゆは、まだなんじゃね?」
「でも今は流動食だけど、次の段階はおかゆだよ」
「まあ、なんにせよ、少しずつ良くなってるのは確かだな」
「そうだね~」
和樹の髪は、金髪と黒とが斑になり、肩まで伸びてボサボサだった。
髭も伸びきって、まるでホームレスみたいだ。
「和樹、櫛とかねぇのか」
俺はそう呟きながら、ベッドの横に据え付けられている、キャビネットの引き出しを開けた。
入ってるわけねぇよな。
「翔、売店行くか」
「うん」
俺と翔は、地下にある売店へ行った。
「着替えとかも、もっと必要だよね」
「そうだな」
俺は櫛を探していた。
えっと、ゴムも買わないとな。
歯ブラシや歯磨き粉は、この間買ったけど、あいつ・・歯磨きとかしてんのかな。
「和樹くん、まだ食べられないし、雑誌とか読むかな」
「とにかく一日中暇なんだ。雑誌もいいんじゃね?」
そして俺たちは、週刊雑誌、櫛とゴム、シャツとパンツを買い、病室に戻った。
「和樹~~、髪を梳かしてやるからな」
俺は袋から櫛とゴムを取り出し、和樹の髪に触れた。
和樹はそれでも無反応だ。
こいつ・・ほんとに生きてんのか・・?
「痛くないか、和樹」
俺はそう言いながら、ゆっくり梳かしていった。
「よーし、ゴムで括るからな」
そして髪を後ろで括った。
「和樹、髭はどうする?剃りてぇか?」
和樹はずっと目を瞑ったままだった。
すると、和樹の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「和樹・・」
「和樹くん・・」
それを見た翔は、何とも言えない切ない顔をしていた。
「和樹、なんでも言えよ。俺たち、退院するまで毎日来るからな」
「そうだよ、和樹くん。僕たち友達なんだから、なんでも言ってね」
「東雲の爺さんな・・お前に会いたいって言ってたぞ・・」
「・・・」
和樹の表情が、少し変わった。
「爺さんな・・もう、あんまり長くねぇぞ・・」
そこで和樹は目を開け、俺を見た。
しかしその目の表情は、明らかに拒否反応と見て取れた。
「お前に謝りたいと言ってたぞ・・」
「・・・」
「お前・・会ってやれよ。一目だけでいいって言ってたぞ。爺さん・・身体も小さくなってよ・・俺、見てらんなかったぞ・・」
「・・・」
そこで和樹が何か呟いた。
しかし聞き取れなかった。
「なんだ、和樹。言ってみろ」
俺は和樹の口に、耳をあてた。
「ぼ・・」
「ん?なんだ」
「ぼく・・に・・」
「うん、僕に、なんだ」
「僕に・・さ・・酒を・・」
「えっ・・」
なに言ってんだ・・
すると、和樹の手は震えていた。
「和樹・・」
和樹は俺の服を掴み、縋りつくように「酒をくれ」ともう一度言った。
「和樹くん、お酒はダメだよ」
翔が和樹の腕を掴んで、そう言った。
「酒を・・頼む・・一口でいい・・から・・」
「和樹くん!!ダメだってば!」
「あああああ~~~!!」
そこで和樹は頭を抱えて、突然叫んだ。
「ああああ!!あああああ~~~!!」
「和樹っっ!!」
翔は急いでナースコールを押した。
「和樹くん!しっかりして!」
「うわああああ~~~!!あああああ~~~!」
ベッドで暴れる和樹を、俺たちは必死に押さえた。
そしてすぐに看護師さんが入って来て、やがて先生を呼び、和樹の腕に注射を打った。
ほどなくして、和樹は眠ってしまった。
「一日に、何度か禁断症状がでるんですよ」
先生がそう言った。
「そうすか・・」
「アルコール依存症は深刻な病気ですが、周囲の人たちが、誠心誠意支えてあげられれば治りますから、気を落とさないでくださいね」
「はい・・」
そして俺たちは、病院を後にした。
翔は、和樹の変貌ぶりに、言葉を失っていた。
「僕・・アル中の症状って、初めて見たけど、あんなになるんだね・・」
「俺も初めて見たよ」
「かなり・・深刻だよね・・」
「そうだな・・」
俺は爺さんのことを口にしたけど、和樹はそれどころじゃなかった。
でもあいつ・・泣いてたもんな・・
やっぱり、どこかで自分のやったことを悔いてるんだ。
俺は、和樹のことを深刻に思いながらも、そこに一筋の希望の光を感じていた。
それからまた、一週間が過ぎ、和樹の体力はだいぶ回復していた。
食事も経口食に変わっていた。
それでも禁断症状は相変わらずで、手の震えやイライラは収まることがなかった。
「和樹、今日は院内の理容室へ行かねぇか」
「行かない・・」
和樹は少しずつ、口を開くようになっていた。
「そんなこと言わないでさ、髪、切ろうよ」
翔がそう言った。
「そうそう。髪切って、髭も剃ってさ、そしたらさっぱりすんぞ」
「行かない・・」
「お前、せっかくのイケメンが、台無しだぜ」
「・・・」
「さっ、和樹くん、ベッドから下りて」
そう言って翔は、和樹に手を貸した。
和樹はもう、ずいぶん歩いてないせいか、フラフラしていた。
「あ、僕、車いす借りてくるよ」
そう言って翔は、病室を出て行った。
和樹は病室の椅子に座り、うな垂れて肩を落としていた。
「和樹・・大丈夫だからな」
俺は和樹の横に座り、肩を抱いてそう言った。
「俺と翔は、お前をぜってー見捨てないからな。ってか、逃げたってすぐに見つけるからな」
「・・・」
「だから、逃げても無駄だからな」
「・・・」
「お前、前に言ってたよな。友達って、ただ仲良く楽しく過ごすことじゃないんだねって。憶えてるか?」
「・・・」
「ダチってのはな、こういう時のためにあんだよ」
すると和樹は、肩を震わせて泣いていた。
「俺たち、ずっとダチな。それだけは忘れんな」
「たけちゃん、借りてきたよ」
翔が車いすを運んできた。
「よしっ。さ、和樹、行くぞ」
俺は和樹を抱きかかえて、車いすに座らせた。
和樹の細い身体は、まるで骨がきしむように硬かった。
そして俺たちは和樹を連れ、理容室へ行った。
和樹は自分の髪が切られる様を、ぼんやり見ていた。
それでも、以前のように短髪に仕上がり、髭も剃られた和樹は、見違えるようになっていた。
翔は、その姿を泣きながら見ていた。
「和樹くんだ・・前の和樹くんだね」
「うん・・」
「これで体重が元に戻れば、ほんとに和樹くんだね」
「そうだな・・」
俺たちは和樹を車いすに座らせ、病室まで戻った。
そしてベッドに移動させた。
「和樹~~!いい男に仕上がったじゃねぇか」
「そうそう!かっこいいよ、和樹くん」
「・・・」
和樹はなにか言いたそうだった。
「なにも言わなくていいぜ」
「そうそう」
「ぼ・・僕・・」
和樹が口を開いた。
「ん・・?なんだ、和樹」
「僕・・生きてても・・いいのか・・」
「なに言ってんだよっ!たりめーじゃねぇか」
「そうだよ。僕、和樹くんがいなくなっちゃったら、絶対に許さないからね!」
「僕は・・なんで生まれてきたんだ・・」
「和樹・・」
「和樹くん・・生まれてきたとか、生まれたくなかったとか、そんなの考えても意味ないよ」
「・・・」
「和樹くんはこの世に生まれたの。これ事実ね。生まれたこと自体に意味があるだけ」
「・・・」
「僕さ、思うんだけどね。和樹くんって恵まれていたと思うんだ」
「え・・」
「そりゃ捨て子だったかも知れないけど、すごく大切に育てられて、勉強もできて、おまけに優しい人に育ったでしょ。これってすごく幸運なことなんじゃないのかな」
「・・・」
「両親がいて、なに不自由ない生活できてても、大切に育てられてるかっていうと、必ずしもそうじゃないと思うんだ」
「・・・」
「なんていうのかな・・実の親や実のお爺さんってことが・・そんなに大事かな・・」
翔はその言葉を、少し言いにくそうに発した。
「ようは・・どれだけ大切に育ててくれたか、じゃないのかな・・」
「・・・」
「東雲のお爺さんは、和樹くんを愛していると思うんだ。それってすごいことだよ」
「僕は・・ヤクザの家に育てられたんだよ」
「それがどうだって言うの?じゃあ、普通の家の人に拾われてたら、幸せだったと言えるの?」
「・・・」
「そりゃ東雲はヤクザかも知れない。でも僕は、東雲の人たち好きだよ。悪い人じゃないもん」
「きみには、わからないよ・・」
「え・・」
「僕の気持ちは、誰にもわからない・・」
「和樹くん・・」
「出て行ってくれ・・疲れた・・」
そう言って和樹は、布団を被って横になった。
俺と翔は、仕方なく病院を後にした。