六十八、爺さんの涙
それから二日後、俺は東雲の爺さんの家へ行った。
俺は伊豆見に案内され、爺さんの寝室へ入った。
爺さんは痩せ細り、布団で横になっていた。
「時雨くん・・」
爺さんはゆっくり起き上がり、身体は一回り小さくなっていた。
「和樹を・・和樹の居所を見つけてくれたそうですね・・」
「見つけたけど、あいつ・・アル中になってた・・」
「えっ・・」
爺さんは力のない声で、そう言った。
「今、病院に入院させてる・・」
「そうですか・・」
「時雨!」
そう言って、慌てて柴中が入ってきた。
「柴中さん・・」
「時雨、坊ちゃんはどこだ!」
「和樹は入院してるよ」
「どこの病院だ。案内しろ」
「柴中さん、ちょっと待てって」
「なんだ!」
「和樹は、爺さんにも、柴中さんにも・・誰にも会いたくないって言ってる」
「そんなっ・・」
柴中は、その場にへたり込んだ。
「和樹は・・私にも会いたくないと言ってるのですか・・」
「うん・・絶対に会いたくないって・・」
「和樹・・」
爺さんはうな垂れて、涙を流した。
「俺、考えたんだけど、今は和樹を刺激しない方がいいと思う。とりあえず身体を治して、元気になってからでも遅くねぇと思うんだ」
「和樹は・・どんな様子ですか・・」
「うん・・すごく痩せてて・・以前の和樹とは別人になってる・・」
「そうですか・・」
「栄養失調にもなってるし、とりあえず体力を回復させて、その後、アル中の専門医っつーか、専門の病院へ入院させた方がいいって・・」
「そう・・ですか・・」
「時雨、坊ちゃんには誰が付き添ってんだ」
柴中がそう言った。
「完全看護だから、付き添いは必要ねぇらしい」
「そうか・・」
「俺と翔が、毎日様子を見に行ってるから、心配ねぇよ」
「坊ちゃんは、おめぇたちとは話しするのか」
「いや・・殆ど話さないぜ・・」
「そうか・・」
「あいつ・・魂が抜けたようになってる・・」
「時雨くん・・」
爺さんがそう言った。
「はい・・」
「一目だけでも・・会わせてくれないか・・」
「それは・・」
「いや・・話せなくてもいい。見るだけでもいいんです・・」
「俺だってそうしてやりてぇけどよ・・」
「時雨くん・・」
「なんすか・・」
「私は・・この通り、もうあまり長くありません」
「え・・」
「和樹の快復より、私が先に死んでしまうかも知れません」
「爺さん・・なに言ってんだよ。そんなこと言うなよ・・」
「いえ、これは逃れようのない現実です」
「・・・」
「私はあの子に会って、詫びなければなりません。詫びることさえ許されないのなら、一目だけでも会わせてくれませんか・・」
「爺さん・・」
「時雨、俺からも頼む、この通りだ」
柴中はそう言って、俺に頭を下げた。
「柴中さん、そんな・・やめてくれ」
「御大の仰ることは、事実だ。もうあまり時間がねぇんだ」
「柴中さん・・」
「坊ちゃんだって・・本当は御大に会いたいと、思ってらっしゃるに違ぇねぇんだ・・」
「・・・」
「俺は・・坊ちゃんが赤ん坊のころから、ずっと傍で成長をみてきた。坊ちゃんは、本当に御大のことがお好きで、御大も同じ気持ちでらっしゃる。それは俺が一番よく知ってんだ。だから本心では・・会いたいと思ってらっしゃるに違ぇねぇんだ」
「・・・」
「坊ちゃんはお一人だ。孤独だ。だからこそ、会わせてやりてぇんだ・・」
「でも・・」
「そりゃよ、おめぇや翔の存在は大きいし、ありがてぇ。でもな、御大と坊ちゃんの絆とは、また違ぇんだ。坊ちゃんにとって御大は、祖父であり父であり母親なんだよ・・」
「・・・」
「頼む・・なんとか会えるように、おめぇが取り計らってくれねぇか」
俺は柴中に懇願され、断ることができなかった。
爺さんも、マジで長くねぇかも知んねぇ・・
死んでしまったら、そこで終わりだ。
後悔しても、もう遅ぇんだ・・
「わかった。俺、なんとかしてみるよ」
「そうか!時雨、恩に着るぜ」
「時雨くん・・また、きみに面倒をかけますね・・ほんとに申し訳ない・・」
爺さんが頭を下げた。
「いや、いいんだ。それより爺さん。以前みたいに親分な爺さんに戻ってくれな。元気になってくれな」
「うん・・ありがとう・・」
そして俺は、屋敷を後にした。
俺は次の日の通学途中、昨日のことを翔に話した。
「翔、どう思う?」
「うーん・・和樹くん、突発的にキレたりしないだろうか・・」
「でも爺さんは、一目見るだけでもいいって言ってんだ」
「例えば?」
「そうだな・・和樹が寝てるところを会せるとか」
「それしかないよね・・」
「でもな・・爺さんはそれでいいかも知んねぇけど、和樹がさ。柴中さんが言うように、和樹も本心では爺さんに会いたいと思ってんじゃねぇかな」
「でもさ、今の和樹くんに、それが可能かな・・」
「でもさ、爺さんが死んでしまった後では、遅ぇんだよ」
「じゃ、無理にでもってこと?」
「和樹は反発するかも知んねぇけど、後で後悔するよりいいだろ」
「そうだけど・・。でもさ・・和樹くんアル中なんだよ。やけになって飲んだりしないかな」
「病院だぜ?酒なんてねぇよ」
「うーん・・そうなんだけどぉ・・」
翔は和樹と爺さんが会うことに、消極的だった。
俺も半分は、翔と同じ気持ちだった。
「やあ、きみたち」
後ろから紫苑が歩いてきた。
「おう」
「おはよう、紫苑くん」
「その後、東雲くんの容態はどうなんだ」
「今は、点滴で栄養摂ってるぞ」
「そうか・・まあ栄養の方は時間が経てば快復するが、問題はアル中だな」
「ああ」
「アル中の治療は、容易ではないぞ」
「そうなのか・・」
「覚せい剤と同じで、自分の意思ではどうにもならない病気だ」
「・・・」
「そのうち、禁断症状も出るに違いない。あ、そういえばドラッグのことだが、そっちの方は依存症はなかったようだ」
「お前・・ドラッグのことも調べたのか」
「僕は関心があることには、納得するまで調べなければ気が済まないのでね」
「まあな。お前らしいよ」
「紫苑くんは、和樹くんの様子を見に行かないの?」
翔がそう訊ねた。
「それは僕には関係ない。きみたちが行けばいいだろ」
「え・・お前、そういうとこ、冷てぇんだよな」
「僕は、東雲くんの友人でもなんでもない」
「紫苑くん、でもきみが色々と動いてくれたこと、僕、感謝してるんだ」
翔が嬉しそうに言った。
「か・・感謝など必要ない。ぼ・・僕は自分がやりたいと思って動いただけだ」
すると紫苑は、少しうろたえた。
そうなんだよ・・こいつは感謝されたり褒められたりすることが、超、苦手なんだよな・・
「俺からも礼を言うぜ。紫苑、ありがとな」
「しっ・・時雨くんまで・・何を言うんだ・・」
「いいじゃねぇか。俺、もうお前のことダチだと思ってっから」
「なっ・・なにっ・・。ぼ・・僕の友達はこれだ!」
そう言って紫苑は、鞄から教科書を取り出した。
「あはは、お前、合宿の時もそう言ってたな」
「ふんっ。失礼する!」
そう言って紫苑は、先を歩いて行った。
「紫苑くんって、変わってるけど、あの行動力には恐れ入ったよ」
「あいつは言いたいことも言うが、動くんだよな。口だけじゃないんだよな」
「そうだね」
「あいつ、将来は、なんになるつもりなんだろうな」
「普通のサラリーマンじゃないことは、確かだね。あはは」
「あいつの家って、代々、官僚なんだってさ」
「へぇ~、いかにもって感じだね」
「あいつもきっと、その道へ行くんだろうな」
「外交官なんて向いてるんじゃない?」
「外交官か、なるほどな」
「だってさ、どんな相手に対しても、絶対に言いたいこと言うよ?」
「あいつ、ハイッ!って手をあげて言うのな」
「あはは、そうだね」
確かに紫苑は変なやつだ。
だけど、良くも悪くも自分が信じたことには、猪突猛進っつーか、その行動力は、妙に説得力があるんだよな。
危なっかしいことに、変わりはねぇけどな。
そういう意味じゃ、俺って保守的なのかな。
紫苑といる時は、俺はいつもあいつの後を着いて行ってたもんなぁ。
変なやつだけど、いいやつだ。