六十五、固い意思
それから俺は、紫苑が待つファストフード店へ行った。
紫苑は俺に気がつき、本を鞄にしまった。
俺は席に着く前に、コーヒーを注文し、それを持って席に着いた。
「さて、話なんだが。あの女性、水花田早紀という名前だ」
「へぇ。フルネームわかったのか」
「僕の調査によると、彼女は財力でホストをたぶらかしているようだ」
「うん、知ってる」
「なにっっ!どうしてきみが、それを知っているのだ」
「ちと、情報があってな・・」
「なんということだ・・僕より先に、きみが・・」
「それは、いいんじゃね?話を進めろよ」
紫苑は、俺に先を越されたことを、酷く悔しがっていた。
「う・・うん。それでだ。彼女はどうやら東雲くんの頭脳を買って、パートナーにしようと企んでいる」
「えっっ、マジかよ!」
これも景須から聞いてて知ってたけど、俺はわざと驚いて見せた。
すると紫苑は安心したように、話を続けた。
「僕はその後、ネットを駆使して調べに調べた。すると、ある情報に辿り着いた」
「ほう」
「彼女のHPと思しきサイトを見つけた。それがこれだ」
そう言って紫苑は、俺にスマホを見せた。
そこには、「NPO法人/水辺に咲く花」と載っていた。
「なんだよ、これ」
「NPOとは、特定非営利活動のことだ。彼女はこの法人の代表だな」
「そうか」
「彼女が設立しているNPOは、情報化社会の発展を図る活動だ。つまりIT関係だ」
「そうか」
俺もそれは既に知っていたが、初めて聞くふりをした。
「問題は、彼女の人間性だ。表ではNPOの代表を務めながら、資産家の彼女は財力が豊富な上、無類の男好きだ。いわば彼女の「ホスト狩り」は今に始まったことではない。その証拠に、ネットでは批判も受けている」
「そうか・・」
「このページを見ろ。これは、ある男性、おそらくホストであろうと推察するが、この男性は水花田との男女関係を赤裸々に綴っている。それについてのリプライを読むと、まさに僕が潜入捜査した店と合致するというわけだ」
俺は、和樹が勤めている店には入ったことがないので、わからなかったが、それを読むと、確かにホストクラブとわかることが書かれていた。
「問題はここからだ。僕は東雲くんと水花田の関係を見誤っていたのだ。僕は当初、二人の様子を見て男女関係という印象は受けなかった。上司と部下の関係だと勘違いしてしまった。しかし、おそらくそうではないだろう。更に厄介なのが、東雲くんの頭の良さだ。彼女はホストとしての東雲くんのみならず、ITのエキスパートとして、彼を絶対に手放すことはないだろう」
「そうか・・」
「きみ、どうするつもりなんだ」
「どうするったって・・」
「このままだと東雲くんは、水花田の操り人形と化すぞ」
操り人形なんて、ヤクザの跡目と同じじゃねぇか。
和樹・・失踪は仕方ねぇにしても、てめぇの頭で考えろよ!
「紫苑・・」
「なんだ」
「解決策とか、ないのかよ」
「そこだ。僕も散々考えたが、今のところ、これといった得策は見出せない」
「もう、無理やりに引き離すしかねぇよ」
「だから、正面突破は愚策だと言ったはずだ」
「俺、和樹に水花田のこと話して、説得するよ」
「え・・」
「あいつはバカじゃねぇ。必ずわかってくれるはずだ」
「ちょっと待て」
紫苑は人差し指を立てたあと、一瞬、動作が止まった。
「なんだよ」
「それは僕がやってみよう」
「えっ・・」
「僕が店へ行き、東雲くんに話してみよう」
「ええ・・」
「もう僕は、東雲くんの上客だ。彼も敬遠はしないだろう」
「お前・・大丈夫なのか・・?」
「任せてくれ。きっと説得してみせる」
紫苑はどうも、俺を和樹と接触させたくない風だ。
なんとかして、自分の手柄にしたがってるとしか思えねぇ。
俺はとりあえず、紫苑の作戦を飲むふりをしたが、納得はしていなかった。
それから数日後、水花田が一人で歩いているのを、俺は出前の帰りに偶然見かけた。
俺は、チャンスだと思い、水花田に声をかけてみることにした。
「あの、水花田さんですよね」
俺に声をかけられた水花田は、けっして敬遠している風ではなく、むしろ俺に対して好意的な印象だった。
「そうだけど。なにか用かしら?」
水花田は、気持ち悪い笑みを浮かべながらそう言った。
「ちょっと、お話したいことがあるんすけど」
「あら、なにかしら」
「リュウのことなんすけど」
「あなた、リュウのなんなの」
水花田は、俺がリュウの名前を出したとたん、少し怪訝な顔をした。
「あなたはリュウと、どういう関係なんすか」
「いきなり変なこと訊くのね」
「リュウを、どうするつもりっすか」
「ち・・ちょっと待ってくれない?どういうこと?」
「その・・あなたはリュウを無理やり、自分のものにしようとしてませんか」
「あはは。なにそれ」
水花田は、呆れた風に笑い飛ばした。
「どうか、リュウを解放してやってください」
「いやいや・・だから・・あなた、なに言ってるの?」
「リュウは俺のダチなんす!」
「そうなんだ。まあ、それはいいけど、あなたが友達ってことと、私がリュウを解放云々と、なんの関係があるの?というか、解放とか、すごく心外なんだけど」
「あいつ・・行方不明者なんすよ」
「それくらい知ってるわよ」
「えっ、知ってるのか!」
「だからなに?」
「知ってんなら、家へ帰れとか言うべきだろ!」
「どうして?」
「どうしてって・・あんた、大人なんだし当然だろ」
「あなたね、帰りたくない者を、無理やり帰れって言うの?私だって事情を知った上でのことなのよ」
「だから!リュウはホストなんてやる人間じゃねぇんだ。あいつはまだ高校生なんだぜ?学校だって休んだままだし、このままだと、あいつの人生が狂っちまうんだよ!」
「あなたって、傲慢なのね。なに?あなたはリュウの保護者のつもりなの?あなたこそ勝手に決めてんじゃないわよ!」
水花田は、怒りを露わにした。
「あっ・・」
水花田は、俺から視線を逸らし、そう言った。
俺が振り向くと、そこには和樹が立っていた。
「健人くん、きみはなにをやってるんだ」
「和樹・・」
「それに、その格好。ラーメン屋でも始めたのか」
「お前・・もうホストなんてやめろよ」
「余計なお世話だ。それと、彼女になにを話していたんだ」
「お前な!はっきり言うけど、こんな年増のババアに、たぶらかされやがって、なにをやってるとは、こっちのセリフだ!」
「誰から聞いたか知らないけど、デマも甚だしいよ」
「嘘つけ!調べはついてんだ!」
「調べ・・?健人くん、妙な真似をしてくれるじゃないか」
「おめぇ・・どうしたってんだよ!目を覚ませよ!」
「目を覚ますのはきみの方だ。前にも言ったけど、もう僕を解放してくれ」
「バカかっ!おめぇ・・爺さんや柴中さんたちのこと、どうすんだ!」
「困ったな・・。だから僕と東雲は無関係と、何度言ったらわかるんだ」
「ちょっと待ちなさい」
水花田が、俺たちを制した。
「健人くんと言ったわね。きみ、なんか勘違いしてるんじゃないの?」
「なんだよ!」
「リュウは自分の人生は、自分で決めるって言ってるの。それを私は手助けしてるだけなの」
「嘘つけ!」
「たぶらかしてるだとか・・一体、何の証拠があってそんな下品なこと言ってるわけ?」
「おめぇ・・和樹の頭の良さをいいことに、ITかなんだか知らねぇけど、こいつを利用してんだろ!」
「なるほど・・そこまで調べがついてるってわけね」
「そうだよ」
「水花田さん、健人くんはデマに乗せられています。どうぞ行ってください」
「わかった。ったく・・頭にくるったらありゃしないわ」
そう言って水花田は、その場を立ち去った。
「和樹・・」
「きみが一体、何を調べているのか知らないけど、僕はもう帰らないと決めているんだ」
「お前・・それマジで言ってんのか」
「だから、こんな探偵ごっこみたいなこと、もうやめてくれないか」
「お前・・どこへ行こうとしてんだ・・」
「どこへ・・?」
「お前さ、東雲の爺さんに育てられたこと、組のみんなにかわいがってもらったこと、それを全部捨ててしまうのか」
「・・・」
「俺は、お前がそんな薄情な人間とは思ってねぇ。今はショックが大き過ぎて、自分を見失ってるだけだと思ってる」
「・・・」
「東雲と縁を切るならそれでもいい。ただな・・これまで爺さんたちに、世話になったたことへの義理は果たせよ。ちゃんと戻って話しろよ」
「・・・」
「それで家を出るなら出る。ちゃんと道理を通せよ。爺さんならきっとわかってくれるはずだ」
「道理・・?」
「ああ」
「僕はずっと東雲の跡目だと思ってた。でもそれは違った。東雲の道理ってのは、嘘で塗り固められたものだったんだよ。それで僕に道理を通せと。話が違うんじゃないのか」
「おめぇ・・なに言ってんだ・・」
「僕は!ずっと騙されていたんだ!十七年も!ヤクザの子として友達すらできず、いつも色眼鏡で見られ続け、それでも僕は跡目を継ぐことが僕の運命だと信じて疑わなかった。だけど!それは全部、嘘だったんだよ!道理??そんなもの、この僕が通す理由があるとでも言うのか!」
和樹は俺の前で、初めてマジ切れしていた。
「なに言ってんだよ!おめぇは捨て子だったんだよ。それを爺さんが拾って育てた。で、おめぇは身体が弱かった。おめぇ、爺さんが拾ってくれなかったら、もうとっくに死んでたんだぞ!」
「死ねばよかったんだよ」
「はああ??なに言ってんだ!」
「こんな僕なんか、死んでいればよかったんだ!どうして!どうして・・僕はヤクザの家に・・」
「てめぇ・・手術もしてもらって、元気になった。生かしてくれた爺さんに対して、自分は死ねばよかっただと??ふざけんじゃねぇぞ!」
「もう今更、何を言っても過去は変えられない。だから僕は、自分の足で歩くと決めたんだ」
「だから!」
「もういい!放っといてくれ。それと、ラーメン屋なんかでバイトして、僕を監視しているつもりだろうが、それもやめてくれ」
「和樹・・」
「僕は和樹じゃない。リュウだ」
そして和樹は、俺の前から去って行った。
和樹・・マジかよ・・
俺はもう、和樹を連れて帰ることに、限界を感じていた。




