六十二、女のマンション
それから数日後、紫苑から電話があり、あいつはどうやら、パトロンが住んでいるマンションを突き止めたらしい。
今日は、バイトは休みの日だが、俺と紫苑はマンションへ行く計画を立て、いつものカフェで待ち合わせをした。
紫苑の話によると、その後も店に通い、パトロンの女が店を出た後、どうやら後をつけたらしい。
それで、とあるマンションに、その女が入って行ったらしい。
紫苑の推理では、きっと和樹もそこに住んでいるに違いない、とのことだった。
「やあ、待ったかい」
やがて紫苑が現れた。
「いや」
「さて、本日の計画だが、決して僕らの正体を見破られてはならない。そのために、これを用意した」
紫苑は席に着いたとたん、紙袋を目の前に差し出した。
「なんだよ、これ」
「ふふ。変装グッズだよ」
紫苑は、紙袋から制服と思しきものを取り出した。
「これさ」
「なんだよ、これ」
「宅配業者の制服だ」
それは確かに見覚えのある、とある宅配業者の制服と酷似していた。
「これを、どうすんだよ」
「まだわからないのか・・全く。これに変装して業者として荷物を届けるんだ」
「荷物?なんの荷物だ」
「それがこれさ」
紫苑は紙袋から、小さな箱を取り出した。
「これを、あの女性の部屋に届けるんだよ」
「そんなもん、断られるに決まってんじゃねぇか」
「そんなことは織り込み済みだ。受け取るはずもない。いや、むしろ受け取られては困る」
「中身はなんだよ」
「そんなもの、入っているわけがないだろう」
「空なのか?」
「当然だよ」
「それで、どうすんだ」
「先日、店に訪れた時、確かではないが、みず・・なんとかという、女性の苗字らしき話し声が聴こえたのだが、今日は、苗字の確認へ行く」
「表札、あがってんだろ」
「きみは、最近の事情を知らないようだな。今時、玄関に表札などあげている者はいないぞ」
「そうなのか・・」
「個人情報の漏えいにより、犯罪に巻き込まれるケースもある。いわば防犯上の措置だ」
「そうか」
「それで仮名として採用したのが「水沢」だ」
「ほう」
「まあいい。これ以上の説明は割愛する。早速、行くぞ」
それから俺たちは、マンションの近くまで行き、公衆トイレで制服に着替えた。
「それにしてもお前さ、どこでこんなもん調達したんだ?」
「簡単さ。ネットだよ」
「へぇー」
「さ、行くぞ」
そして俺たちは、女が住んでいるであろう、マンションの中へ入った。
「女性の部屋は、306号室だ」
「お前・・そこまで調べたのかよ」
「当然だ。部屋に入るのを見届けた」
「すげーな・・」
やがて306号室の前に着いた。
「いいか。僕が対応するから、きみは靴を見てくれ」
「靴?」
「男性物の靴があるか、確かめるんだ」
「そうか。わかった」
それから紫苑はためらいもなく、インターホンを押した。
「はい」
すると、すぐに女は反応した。
「G宅配です。荷物をお届けに参りました」
紫苑は、はっきりとした口調で言った。
「お待ちください」
ほどなくして、女が姿を現した。
あ・・この女・・ピッチピチのスーツを着てた女だ・・
「こちら、お荷物です」
紫苑が女に、箱を差し出した。
「はいはい」
女はそう言って、ろくに確かめもせず、印鑑を用意した。
「こちら、水沢さんのお宅ですよね」
紫苑がそう訊いた。
「え・・うちは水花田ですが」
「えっ。これは失礼しました。水沢さんのお宅はどちらか、ご存じありませんか」
「水沢ねぇ・・うーん、ちょっと心当たりがないわ」
「そうですか。大変申し訳ありませんでした。こちらで調べなおします」
「いえ・・ご苦労様」
そう言って水花田はドアを閉めた。
「行くぞ」
紫苑がそう言い、俺たちは階段を下りた。
そしてマンションを出て、再び公衆トイレで着替えた。
「靴は確認したか」
「見たけど、なかったぜ。女物だけだったぜ」
「そうか。靴箱の中に隠しているのだな」
「でもあの女は、確かに店の客だな」
「ああ。僕はもう何度も遭遇している。水花田という苗字だったのか」
「それで、これからどうすんだよ」
「女性の身辺調査をする」
「は?どうやって」
「あの女性は、どうやら普通の主婦とか、OLの類ではない」
「うん」
「手掛かりは、きっとあるはずだ」
なんか・・どんどん和樹から離れて行ってねぇか?
俺は女の素性なんて、どうでもいいんだけどさ・・
「紫苑さ・・」
「なんだ」
「女の身辺調査なんかして、意味あんのか?」
「意味、だと?」
「俺は、和樹さえ戻ってくれればいいんだよ」
「そのための、身辺調査じゃないか」
「だから、その意味だよ」
「きみ・・東雲くんはあの女性と懇意にしているんだ。重要な手掛かりじゃないか」
「そうなのかねぇ・・」
「東雲くんに直接コンタクトして、きみは失敗したんじゃないのか」
「・・・」
「であるならば、別の方法を考えるしかないと思うが」
「まあねぇ・・」
「外堀から攻めることも、得策だと思うが」
「で、なんか方法あんのか」
「ふふふ・・僕に任せたまえ」
「っんだよ、不敵な笑いをしやがって。言っとくけど、お前、勝手に暴走すんなよ」
「暴走?それはこっちのセリフだ」
「っんだよ」
「もう二度と、東雲くんに接触しないこと。こういう正面突破は最も愚策だ」
「・・・」
「言っとくが、僕は暴走などしない。きみこそ、自重してくれ」
「はいはい」
それから俺はまた、バイトの日々に明け暮れた。
「時雨くん!出前頼むよ!」
「はい!どこですか」
「ホストクラブRだ」
「了解!」
俺はいつものように、Rの裏口から入り、ラーメンを届けた。
「まいど~埴輪で~す」
「どうも。そこに置いといて」
「はい」
俺は岡持ちからラーメンを取り出し、テーブルに置いた。
「つけといてね」
「はい、ありがとうございます~」
「あのさ・・」
俺が出て行こうとしたら、ホストに呼び止められた。
「はい、なんすか」
「きみ、一日だけでいいんだけど、ここでホストやってみない?」
「は?」
「まあ、無理にとは言わないけどね」
「俺、ホストやる気ないっすから」
「うん。知ってるけど。実は今度、コンテストがあってね」
「はあ・・」
「で、そのコンテストなんだけど、別に現役じゃなくてもいいんだ」
「・・・」
「イケてる子、連れてきたら、推薦者にご褒美が出るんだ」
「どういうことっすか・・」
「だから、僕はきみを推薦したいんだよ」
「え・・、いやいや、ないっす」
俺は後ずさりしながら、そう言った。
「まあまあ、逃げなくても。ね、僕のためにコンテスト、出てよ」
「いやぁ・・無理っす・・」
「ね、いつもきみんところの、ラーメン、贔屓にしてるんだし、お願い!頼まれてよ」
「それって・・どんなことするんすか」
「特にこれといって、特別なことはないんだよ。ちょっとお客さんの相手するくらいかな」
「げっ・・客の相手っすか・・」
「もちろん、きみ一人にはさせないよ。推薦者の僕が傍に着いてるから」
「はあ・・」
「お願い!これからも贔屓にするからさぁ~」
「まあ・・店長に訊いてみないと・・」
「うん。是非そうして。僕からも七両の親父さんにお願いするから」
そして俺は店を出た。
げぇ・・
ああは言ったものの・・お得意さんだし、無下にできねぇしな・・
でも、店長から断ってもらおう。
それしかない。
そして俺は店に戻り、早速さっきの話を店長にした。
「で、俺、店長から断ってほしいんす」
「そうかぁ・・」
店長は、なんだか迷っている様子だった。
マジか・・迷うってあり得ねぇだろ・・
「店長、俺、嫌ですから」
「そうは言ってもなあ・・お得意さんだしなあ・・」
「店長・・頼みますよ・・」
「付き合い、長いんだよ。Rさんとは」
「えぇ~~・・」
「時雨くん、ここは協力してあげてくれないか」
「そんな・・」
「その日のバイト代も払うから」
「マジっすか・・」
そして俺は仕方なく、一日ホストをやることになった。