六、和樹との出遭い
それから三日後、俺は約束通り事務所へ向かった。
特段、緊張することもなく、どちらかというと、これから始まるであろう「身代わり劇」に気持ちは少し逸るのであった。
古ぼけた汚いビルが見えてきた。
ヤクザの事務所って、普通、看板とか掛けてんだろ。
しかしこの「東雲組」は看板の類など、一切ない。
以前、見た限りでは室内にも「任侠」とか「仁義」などの文字もどこにもなかった。
単なる汚い部屋でしかなかった。
俺はエレベータに乗り、三階へ向かった。
ドアが開くと、以前と同様にタバコの臭いが充満していた。
「おう、来たか、坊主」
柴中がソファに座りながら、顔だけこっちへ向けて挨拶した。
「来いって言われたから来たんだよ」
「ふっ。相変わらず口の減らねぇガキだ。まあいい、ここに座れ」
俺は柴中の向かい側に座り、通学かばんを粗雑に置いた。
「で、なにすんだよ」
俺は更にぶっきらぼうに言った。
「今日は坊ちゃんのところへ行く」
「坊ちゃん?」
「和樹坊ちゃんだよ」
「ああ~」
ん・・?
ってことは、病院へ行くってのか。
顔合わせってことか。
「今日は、爺さんはいねぇのか」
「御大は自宅でお休みになっている」
「ふーん。伊豆見は?」
「御大に付き添っている」
「ふーん」
「さ、行くぞ」
「え、もう?」
「ここに二人でいてもしょうがねぇだろ」
それから俺は、黒塗りのでかい車に乗せられ、病院へ向かった。
やっぱ、ヤクザってのは黒塗りの高級車ってのが相場なんだな。
「おめーよ、ちったぁ目上の者に対して、言葉に気を使えよ」
「はあ?こないだ爺さんは、言葉遣いは完璧だって言ってたじゃねぇか」
「それは身代わりの時のことだ」
「そんなもん知るかよ。文句を言うなら俺はいつでも辞めるぜ」
「ったくよ・・生意気なクソガキだぜ」
そう言いながらも柴中の横顔は、笑っていた。
このおっさん、年はいくつくらいなんだ?
がたいがいいから、老けて見えるが、五十くらいか?
「おっさんよ、年はいくつなんだ」
「おっさん、かよ。まあいい。三十八だ」
「げっ!マジかよ!ぎゃっはっは!」
俺はおかしくて、思わず大声で笑い飛ばした。
「なにが可笑しいんだ」
「ぎゃはは。だってさー、五十くらいに見えるぜ?」
「うるせぇ、おめーだって中学生には見えねぇぜ」
「あははは、あ~~おっかし~~。老けすぎだろ」
「おめぇ・・調子に乗ってっと、ぶっ殺すぞ」
「はいはい~」
俺は笑いのツボに入ってしまい、ずっと笑い続けた。
「箸が転げても可笑しい年ごろってやつか・・」
柴中は、うんざりした口調でそう言った。
「ところで時雨」
「なんだよ」
「おめぇの親父さんやお袋さんは、このこと知ってんのか」
「・・・」
よりによって、なに聞いてんだよ、おっさん。
「どした・・?」
「いねーよ、そんなもん」
「いない?」
「そうだよ」
「死んだのか」
「捨てられたんだよ」
「・・・」
「あのな、そこ、黙るとこじゃねぇから」
「そうか。捨てられたのか」
「そうだよ!悪いか!」
「いや、別に」
柴中は、なんだか妙に納得した風に見えた。
「同情や憐みなんて、いらねぇから」
「けっ、誰がおめぇなんかに同情するかよ」
「ふんっ」
俺はそっぽを向き、外の景色を見た。
ちょうど陽が落ちる時間帯で、黄昏色に染まった街の風景が俺の心と重なるようだった。
「さ、着いたぞ。降りろ」
車から降りるとそこは、「A総合病院」という、バカでかい病院だった。
「着いて来い」
柴中はそう言って、俺の前を歩きだした。
和樹か・・どんなやつなんだ。
ヤクザの孫だから、相当、いかついやつかもな。
エレベータに乗り、着いた先は五階の病棟だった。
柴中の履いた靴の音が、コツコツと廊下に響いていた。
「ここだ、入れ」
508号室か。
入り口には「東雲和樹」という名前が書かれた札があり、和樹以外の名前はなかった。
ってことは、個室ってことか。
俺は言われるがままに入った。
「坊ちゃん」
柴中が妙に優しい声で、和樹のそばへ寄って行った。
「あ、柴中・・」
和樹というやつは、とてもヤクザの孫とは思えないほど、上品で優しそうな少年だった。
なんか・・予想外だな・・
「坊ちゃん、お加減はいかがですか」
「今日は、調子はいい方だよ」
「そうですか。それはなによりです。で、坊ちゃん、こいつが例のガキです」
「ああ、そうなんだ」
和樹は俺を見て、頼りなく微笑んだ。
「はじめまして、東雲和樹です」
「あ・・ああ・・」
俺は何と返事していいか戸惑い、口籠った。
「僕の身体が弱いせいで、きみに面倒をかけることになって、申し訳なく思ってるよ」
「いや・・俺は別に・・」
なんだ、こいつの・・この独特な雰囲気は・・
いつも威勢のいい俺が、調子を狂わされるほど、和樹には陰りのような物が感じられなかった。
こいつ・・親に捨てられたんじゃねぇのかよ。
「えっと・・時雨くんっていうんだよね、きみの名前」
「え・・ああ。時雨健人」
「そっか。健人くんか。いい名前だね」
「別に・・そんな」
「あ、柴中。悪いが健人くんと二人にしてくれないか」
「はい。坊ちゃん」
柴中は頭を下げて、部屋を後にした。
「立ってるのもなんだから、そこの椅子に腰かけて」
和樹はベッドの横に置かれてある椅子に座るよう、俺に促した。
「ああ・・」
俺は通学かばんをそっと床に置いて、椅子に座った。
「ほんとに申し訳ないね。面倒なことに巻き込んでしまったね」
「いや・・それは・・」
「きみは、いくつ?」
「十五」
「そっか。僕は十七だよ」
和樹は顔色が悪く、時折、ハァ~というため息をつきながら話していた。
「お前、どこが悪いんだ?」
「心臓だよ」
「そ・・そっか・・」
「生まれつきなんだ。だからもう慣れちゃったけどね」
「それって、一生治らねぇのか?」
「ううん。手術をすれば治るかも」
「そうか・・」
「今回の入院もそのためなんだ」
「へぇ・・」
俺には手術のことなんてよくわからないが、心臓と聞いただけで大変な気がしていた。
「お前ってさ・・ヤクザの跡目なんだろ」
「うん、そうだよ」
「それって、無理じゃねぇのか」
「そうかもね・・」
和樹は俺がそう言ったことで、現実を突きつけられた気がしたのか、とても悲しそうな表情をした。
「あ・・なんか、悪かったかな・・」
「あはは、いいよ。いつものことだから」
「あのさ・・お前って親に捨てられたんだよな」
「うん」
「俺も同じなんだぜ」
「そうなんだ・・」
和樹の目は、ほんの少し俺に親しみを覚えたような表情を見せた。
「いくつの時に捨てられたの?」
「小二の時」
「小二かぁ・・」
「お前は?」
「僕は両親の記憶すらない、赤ん坊の時だよ」
「えっ・・」
赤ん坊って・・
じゃ、俺の方がまだマシってことか?
「親の顔、知らねぇのか・・」
「写真で知ってるだけだよ」
「そうなのか・・」
和樹の境遇が、俺以上に不幸だということを知り、俺の中で何かが、ガラガラと崩れていくような心境に駆られていた。