五十五、和樹の正直な気持ち
入学初日に翔は、酷い目に遭ったが、その後は何事もなく平穏な日々が続いていた。
俺は、犯人は紫苑だと確信していたが、全く証拠がないので確かめる術もなかった。
それこそ「言いがかりだ」と、白を切ることはわかっていた。
それが高じて、更に翔への嫌がらせが続くことを、俺は避けたかった。
いつか尻尾を掴んでやるからな・・覚えてろよ・・
「さーて、今日は生徒会長立候補者の、演説があります。今から体育館へ行きますから、みんな準備してください」
鳥羽がそう言い、俺たちはシューズを持って、体育館へ向かった。
「たけちゃーん」
「おお、翔。お前も今から体育館へ行くのか」
「うん」
「翔、あれから何もないか?」
「うん、大丈夫だよ」
「そか。なにかあったら、すぐ知らせろよ」
「うん、ありがとう」
翔は元気を取り戻していた。
よかった・・
「それよりさ、和樹くん、生徒会長に立候補したんだよ」
「えっ!マジかよ!」
「偉いね~和樹くん。僕、絶対に和樹くんに投票するよ」
「俺だってそうするよ」
和樹・・あいつ、ヤクザの子って避けられてんのに、大丈夫なのかよ。
それから全校生徒が体育館に集合し、俺は一年一組の椅子に座った。
「では、ただ今より、今年度の生徒会長立候補者の、演説会を始めます。みなさん、しっかり聞いて、後日、清き一票を投票してください」
司会の先生が、そう説明した。
そこで立候補者が、舞台に姿を現した。
お・・和樹・・いるな。
全員で三人か・・
「それでは、最初は、東雲和樹くんから。東雲くん、どうぞ」
おお・・和樹からか・・
そして和樹はマイクの前に立った。
「三年一組の東雲和樹と申します。僕が生徒会長に立候補した理由は、高校生活も最後の年です。それで、勉強はもちろんのことですが、みなさんの思い出に残る行事や、ボランティア等を活発に実施したいと考えたからです。やはり地元の人、特にお年寄りと交流することで、我々、若者は学ぶことが多くあると思います。またそうすることによって、ジェネレーションギャップも解消され、地域の輪も広がり、それはやがて我々が社会に出た時、大変役に立つことだと思います。そういった企画を生徒会で練り、是非、実現したいと思いますので、どうぞよろしくお願いします」
おおお・・和樹・・さすがだな。
立派な演説だったぜ。
しかし、館内は拍手も起こらず、シンとしていた。
おいおい・・マジかよ。
俺は立ち上がって、思いっ切り大きな拍手をした。
「いいぞ~~和樹~~!」
俺はそう叫んだ。
すると翔も島田も、立って拍手をしていた。
っなんだよ!他のやつらは、一体どうしたってんだ。
すると同じクラスの、今鶴も立って拍手をした。
ほどなくして、一年生は全員拍手をした。
そうか・・みんな誰も拍手をしねぇから、静かにしてなきゃいけねぇと勘違いしたんだな。
でも、二年と三年はどうした・・
「はい!」
そこで大きな声で、手をあげるやつがいた。
げっ・・紫苑じゃねぇか。
なっんだ、あいつ。何を言うつもりだ。
「はい、そこのきみ、なにか質問ですか」
司会の先生がそう訊ねた。
「東雲くんの家は、ヤクザと聞きましたが」
すると一年生の席から「ええー」という声が上がった。
「きみは、何を言いたいのですか」
先生がそう訊き返した。
「そんな如何わしい、かつ、アンモラルも思われる家の者が、果たして生徒会長に立候補してよいのでしょうか」
「きみ、名前は?」
「紫苑です」
「紫苑くん、それは偏見というものです。東雲くんはこの学校の生徒であり、ここの生徒なら誰でも立候補する権利はあります」
「それはわかっています。しかしながら、道徳的見地から考えますと、少なくともここは学校ですし、不相応かと」
「それを決めるのは紫苑くんではありません。ここにいる生徒全員が投票で決めるのです。それは理解できますね?」
「民主主義と仰りたいのでしょうが、それ以前の問題だと言ってるのです」
そこで館内は、騒がしくなってきた。
「静かに!」
先生がみんなを制した。
「とにかく、きみの主張は民主主義を否定するものです。それは認められません」
「話が平行線ですね。始末に負えないな」
「きみ、口を慎みなさい」
そこでやっと、紫苑は黙った。
あいつ・・骨の髄まで腐ってやがるぜ。
「僕は・・」
そこで和樹が口を開いた。
「確かに僕の家は、紫苑くんの言う通りヤクザです。そのため、僕はずっと友達ができませんでした。でも自分の境遇を恨んだことなどありません。不幸だと思ったこともありません。しかし、そんな僕にもやっと友達ができました。友達のためになにかしてあげたい、楽しく過ごしたいという気持ちを生まれて初めて味わったのです。そして僕は三年生になりました。さきほども言いましたが、高校生活最後の年です。みんなのために、僕ができることって何だろうって考えました。みんなの心の中に残る思い出って何だろうって考えました。会長になってそれを考え出し、みんなの喜ぶ顔が見たいと思いました。紫苑くん、どうか僕と、僕の家のことは切り離してくれませんか。僕にはみんなを喜ばせる権利もないのでしょうか」
和樹・・ダメだ・・俺、泣けてきた。
なんていいやつなんだ・・
「東雲くん、そこまででいいよ」
先生が、和樹を舞台のそでに連れて行った。
あと二人の候補者の演説は、俺の耳には全く入ってこなかった。
そして演説会は終わった。
和樹・・俺は複雑だよ・・
お前は東雲のことを恨んじゃいないだろうが、お前は東雲の子じゃないんだよ。
だから、敬遠されることも、ほんとはなかったはずなんだ・・
なのにお前は・・全てを受け入れて・・ずっと辛い思いをして・・
「おい、待ちやがれ」
俺は廊下で紫苑を見つけ、そう言った。
「きみか・・なんだ」
「てめぇ、さっきのは、なんだ」
「聞いてたんだろ。あのままだが」
「ふざけやがって・・いい加減にしろよ・・」
「僕は自分の意見を述べたまでだ」
「その意見とやらが、おめぇはひん曲がってんだよ」
「心外だな。自由に意見を述べてはいけないと言うのか」
「おめぇのは、意見じゃねぇ。ただの差別だ。偏見だ」
「これだから・・友情だの、友達だのは困るんだ」
「なにが言いてぇんだ」
「友達なら、言いにくいことも言うべきだと思うが」
「はあ?」
「優しくするだけが友達か?そんなに薄っぺらいものなのか」
「おめぇ・・マジで頭おかしいぞ」
「何とでも言うがいいさ。僕は東雲くんが会長になったら、徹底的に抵抗するから」
「なんだとっ!」
「話はそれだけか」
「・・・」
紫苑は俺の前を去って行った。
俺は、はっきり言って、紫苑みたいな人間は、会ったことがない。
どうなったら、どんな環境で育ったら、あんな冷徹で卑怯な人間になれるんだ・・
俺は、あまりのことに、頭が混乱していた。
成弥は酷でぇやつだが、紫苑はまた違うんだ。
心ってもんが感じられねぇ・・
血が通ってねぇんだ・・紫苑は。
翔だ・・
あいつは、翔なんかが敵う相手じゃねぇ・・
この間のトイレなんかで、済む話じゃねぇぞ・・
なんだか、嫌な予感がする・・
そして放課後になり、俺は翔と和樹と帰ることにした。
「和樹くん、演説、すごく立派だったよ!」
「そうかな」
「そうだよ~僕、感動しちゃったよ」
「そんな立派なものでもないよ」
「そんなことないって~。僕、和樹くんに投票するね」
「あはは。ありがとう」
「たけちゃん、どうしたの?」
翔は、俺が黙っていることを気にかけてそう言った。
「あ・・いや、別に」
「たけちゃんも立派だと思ったでしょ?」
「もちろんだぜ。さすが和樹だと感心したぜ」
「ありがとう」
和樹は嬉しそうに笑った。
「和樹・・紫苑のことなんて、気にすんなよ」
「ああ~・・うん。気にしてないよ」
「それならいいんだけどさ」
「僕、ああいうこと言われるの、慣れてるから」
「そ・・そっか・・」
「でも、久しぶりに言われて、僕も自分の気持ちをみんなの前で言えて、よかったと思ってるよ」
「え・・そうなのかよ」
「僕ね、もっと自分の気持ちを聞いてもらいたいなって思ってたんだけど、その機会すらなくてね。ほら、避けられてるから」
「ああ・・そうか・・」
「だから、すっきりしたんだよ」
「和樹くん、強いなぁ」
翔が感心したようにそう言った。
「そうかな・・」
「僕だったら、あんな大勢の前であんなこと言われたら、絶対にへこんじゃうよ」
「そっか・・」
「だから和樹くん、強いよ」
「長年の間に、耐性が養われたのかな」
「そうなんだね」
「ま、和樹が会長になったら、俺、全力で応援すっからな」
「僕も~~!」
「二人とも、ありがとう」
俺たちが楽しそうに笑っていると、そこに紫苑がやってきた。
またかよ・・こいつ・・
「お手て繋いでお帰りか」
「紫苑くん、今日はありがとう」
和樹がそう言ったことで、紫苑は動揺していた。
「な・・なにを言ってるんだ」
「僕は、きみに感謝しているんだよ」
「わけのわからないことを・・」
「きみのおかげで、僕は気持ちを正直に伝えることができたんだ」
「ふん・・心にもないことを言わなくてもいい」
「とにかく、そういうことなんだ」
紫苑って・・人に感謝されたりすると、動揺するのか・・
攻撃はお手の物だが、防御は弱いのか。
いや・・相手が攻撃してくると、反撃に出るが、褒められたり、感謝されたりすると対処法が見つからねぇんだな・・
そうか・・こいつはずっとバリアを張っていることで、自分をなんとか保ってきたんだ。
これって・・以前の俺じゃねぇか。
そうか、そうか。
こいつには攻撃は効かねぇんだ。
「紫苑」
「なんだ」
「俺からも礼を言うよ。ありがとな」
「なっ・・なにをっ。とうとう血迷ったか」
「あはは。なに言ってんだよ」
「しっ・・失礼する!」
そう言って紫苑は走って行った。
あいつ・・俺たちに絡んでくんの、実は、かまってほしかったんじゃねぇのか。
それでも翔は、黙ったままだった。