五十一、ライバル心
それから正月も勉強漬けで、俺たちは最後の追い込みに掛かっていた。
「よーし、今日はここまで。明日は最後の総仕上げテストを行いますから、みんな頑張ってください」
赤梅がそう言い、俺たちは食堂へ向かう準備をした。
やっと終わりか・・ああ~~しんどかった。
でも俺には、はっきりと手応えがあった。
翔や和樹には申し訳ないが、俺はこの合宿で、プロのすごさを実感していた。
学校の先生も、もっと教える方法を考え直した方がいいんじゃね?
奈津子は授業以外ではあんなだけど、授業中は「鬼」のようだった。
わからないところは、徹底的に指導してくれた。
それは、他の先生も同じだった。
俺たちは食堂の席に座り、最後の晩飯を食った。
「時雨くん~、淋しくなるわね~」
奈津子が俺の傍に寄り、妙に色気づいた声でそう言った。
「まあ・・」
「E高校、絶対に合格するのよ」
「たりめーだ」
「あ、その後、島田くんどうしてる?」
「元気みたいだぜ。バイトもしてるらしいぜ」
「そっか~、よかったね。あの時は、死ぬ一歩手前だったもんねぇ」
「まあな」
「会ったら、よろしく言っといてね」
「ああ」
「あ、始まった・・」
・・ん?何が始まったんだ?
奈津子がそう言って、海棠の方を見た。
海棠は立ち上がって、歌を歌い始めた。
「は・・?なにこれ」
「合宿の恒例なのよ。海棠先生、いつも歌を披露するのよ」
「へぇ」
海棠は、俺が全く知らない昭和の演歌を歌っていた。
「はっきり言って・・下手なのにね・・」
奈津子は小声でそう言った。
確かに、聴くに堪えない歌唱力だった。
「さあ、次の方」
海棠はそう言って、みんなの方を見回していた。
げっ・・マジかよ・・
「これって・・俺たちも歌わなきゃいけねぇのか?」
「うん。指された人が歌う決まりよ」
「マジかよ!」
冗談じゃねぇ。っんな、こんなところで歌えるかよ!
「じゃあ~とりあえずは、先生ってことで。そうだな~大家先生」
「えっ!私ですか・・ええ~~」
「はい、どうぞ」
奈津子は俺の傍で立ったまま、何を歌おうか考えていた。
「ではっ!残酷な天使のテーゼを歌います!」
すると生徒たちは、「おおー」と言って、盛り上がる始末だった。
奈津子はなぜか、俺の手を握りながら、身振り手振りで歌っていた。
なんなんだ・・これ。
「では~次は、生徒から選んじゃうわよ~」
奈津子はそう言って、当然のように俺を指名した。
バ・・バカめ!あり得ね~~。
「さっ、歌って。時雨くん」
「おめぇ・・ぶっ殺す」
俺は小声で囁いた。
「ほら~早く~」
マジか・・くそっ・・
歌うっつったってよ・・ええ~~・・
「じ・・じゃあ・・紅蓮の弓矢・・」
すると、みんなは「おおおー」と、更に盛り上がる始末だった。
俺は顔から火が出そうになりながらも、とりあえず歌い始めた。
やがて手拍子なんかも起こっていた。
マジかよ・・やめてくれよ・・
「イェーガー」の箇所なんて、みんなは声を揃えて叫ぶ始末だった。
「終わり」
俺は一番だけ歌って、終えた。
「ええ~二番は?」
奈津子がそう言った。
「っんなもん、二番まで覚えてねぇし」
「そっか~、じゃ、次の子、指名して」
ええっと・・俺はそこで、ふと紫苑を見た。
紫苑は俺から目を逸らし、下を向いていた。
ククク・・そうはいくかよ。
「では、紫苑くんに」
俺がそう言うと、紫苑は「やりやがったな」という風に、睨んでいた。
「じゃ紫苑くん、歌ってください」
赤梅が促した。
「ぼ・・僕ですか・・僕は歌なんてくだらないと思っています。よって却下」
「おい、なに言ってんだよ。指名されたら歌えよ」
俺は急かすように言った。
すると、生徒からも「歌えー」と催促されていた。
「こ・・こんなっ、バカバカしいこと、時間の無駄です。僕は歌いません」
「紫苑くん、そう固いことを言わずに。さ、歌ってください」
赤梅が更にそう言った。
「先生!人が嫌がることを強要するのは、パワハラです。訴えてもいいんですか」
「え・・」
赤梅はそう言われ、少し引いていた。
「これ以上、強要すると、訴えます」
「おい、紫苑。おめぇ、なにわけのわかんねぇこと、言ってんだよ」
「きみも、訴えるよ。いいんだな」
「バカかっ!たかが歌くらいで、なに言ってんだ!」
「これはパワハラなんだ。社会問題にもなっているんだが」
「けっ!これだからダチのいねぇやつは、平気で雰囲気を乱すんだよ!」
「これは僕の権利だ。きみは・・人権を蔑ろにするというのか!」
「おめぇ、ケツの穴小さ過ぎんだよ。パワハラだかなんだか知らねぇが、グダグダ文句つけて、ラリってんじゃねぇよ!」
「時雨くん・・もういいですよ。確かにパワハラかも知れませんでした。申し訳ないことをしました」
そう言って赤梅は、紫苑に謝った。
「バカ言ってんじゃねぇよ!みんなも楽しそうにしてたじゃねぇか。どこがパワハラなんだよ!」
「僕が嫌だと感じたら、パワハラになるんだが」
「くっだらねぇ!おめぇはそうやって、一生一人でいろ。そしたらパワハラも受けねぇで済むよな」
「心外だな。僕は嫌なものを嫌と言ってるだけなんだが」
「じゃ、おめぇよ。俺が大家先生に賄賂渡したとか、言ってたよな。あれはどうなんだよ。俺もお前を名誉棄損で訴えんぞ」
「そっ・・それは・・」
「証拠もなしに、犯罪者扱いした責任は、どうとるつもりなんだよ!」
「・・・」
「てめぇは言いたい放題。で、てめぇが嫌なことはパワハラで訴える、と。これじゃ道理が通らねぇな」
「・・・」
「どうなんだって、言ってんだよ!クソがっ!」
「失礼する!」
紫苑はそう言って、走って逃げた。
当然のように、場の空気は悪くなった。
そして翌日、総仕上げのテストが行われた。
俺は全力を尽くして、全問回答した。
満点は・・難しいかも知んねぇけど・・
「えー、それでは結果を発表します。時雨くん、惜しいっ!四百九十五点でした」
赤梅がそう言った。
えっ・・あと五点・・たった五点だったのか・・
「でも、よく頑張りましたね、時雨くん」
「俺、E高校、受かりますかね」
「ここで学んだことを、家に帰ったらもう一度、一からやり直してください。そうすれば希望はありますよ」
「そうっすか!ありがとうございます!」
やった!
よーーしっ、受験まで、まだまだ日がある。
ぜってーやってやる!
「そして・・紫苑くん。四百六十七点です。以前より落ちていますね。もっと頑張らないと、K高校も危ういですよ」
「・・・」
紫苑は下を向いたまま、返事もしなかった。
「絶対・・絶対・・きみになんか、負けるものか」
紫苑は俺の隣で、ブツブツ独りごとを言っていた。
「きみ如きに・・この僕が負けるはずがないんだ・・」
「お前、まだ言ってんのかよ」
「う・・うるさい!きみ如きに・・」
紫苑は唇を噛みしめていた。
「俺は、ぜってー受かるからな。悔しかったらお前も受かれよ」
「当たり前だ。言われるまでもないことだ」
「但し・・俺は専願だからな」
「えっっ・・」
「おめぇもそうしろよ」
「ぼ・・僕はっ・・」
「なんだ、逃げんのかよ。俺は退路を断ってんだ。だったらおめぇもそうしろ」
「くっ・・」
「けっ。できねぇのかよ。ま、別にいいけど」
「わ・・わかった・・。ちゃんと勝負してやるさ。僕も専願にする」
「おっ、いいね。約束だぞ」
「ああ。約束だ」
そして一週間の合宿も終わり、俺は家に帰った。