五十、紫苑慶太というやつ
俺は紫苑と同室だった。
紫苑は授業が終わっても、寝るまで勉強に没頭していた。
俺も特に口を利く理由もなく、できるだけ復習に勤しむのだった。
俺は少し休憩を取って、和樹に電話をかけた。
「もしもし、俺」
「あ、健人くん。合宿はどうだい?」
「まあな~、疲れるけど、そこそこ頑張ってるよ」
「そうなんだ。でも、最初聞いた時は、びっくりしたよ」
「なんでだよ」
「健人くん、マジでやる気なんだなって」
「はっ。今までだってマジだったぞ」
「でも、お正月も帰って来られないんだよね」
「ああ」
「残念だな。一緒に初詣、行こうかと思ってたのに」
「由名見がいるじゃねぇか」
「え・・まあ・・」
「ちょっと、静かにしてくれないか!」
そこで紫苑が、怒鳴ってきた。
「あ、和樹、悪い。そろそろ切るわ」
「うん。わかった。またね」
俺は電話を切った。
「きみ、電話なら外ですればいいだろう」
紫苑は俺を睨みつけて、怒っていた。
「外は寒いだろが」
「廊下に出ればいいだろう」
「廊下だって、寒いじゃねぇか」
「とにかく、僕たちは遊びに来たわけではないんだ。電話に現をぬかしている暇があるなら、きみも勉強したらどうなんだ」
「ったく・・お前、ダチいねぇだろ」
「ダチってなんだ」
「けっ。友達だよ、友達」
「友達?それなら五万といるよ」
「へぇー」
「これが僕の友達だ!」
紫苑はそう言って、教科書をかざした。
「げっ・・マジかよ・・」
「なにか、おかしいか!」
「お前、頭おかしいぜ」
「なんだとっ!」
「いや~お前、この先、苦労するぜ」
「苦労しないために、勉学に励むんだ」
「そりゃそうだけどよ、やっぱりダチくらいいねぇと、ぶっ壊れんぞ」
「それよりきみ・・きみの言葉遣い、それはなんなんだ」
「こっちのセリフだぜ」
「下品な・・まるでヤクザじゃないか」
「今な、俺、電話してたの、ヤクザの跡目だぜ」
「やはりな・・類は友を呼ぶとは、よく言ったものだ」
「でもさ、そいつE高校通ってんだぜ」
「えっ・・」
紫苑はそれを聞いて、顔が引きつっていた。
「嘘だ・・そんなこと、あるものか」
「あはは。嘘言ったってしょうがねぇだろ」
「ヤクザなんて、ろくでもない連中だ。それがE校へなどと・・あり得ないことだ」
「ヤクザだろうが、なんだろうが、できるやつは、できんだよ」
「くっ・・」
「お前みたいな、教科書がダチってやつが、できるとは限らねぇんだよ」
「なにっ・・」
「俺は絶対にE高校へ行ってやる。お前なんて目じゃねぇんだよ」
紫苑はそれ以上、言い返すことはなかった。
俺は兄貴に貰った、東雲色のマフラーを巻き、もうひと頑張りするのであった。
「えー、合宿も明日から後半を迎えます。今日は前半の仕上げのテストを行います」
赤梅がプリントを配りながら、そう言った。
「五教科、全て満点を目指してください」
げっ・・満点かよ・・それはさすがに・・
「これくらいのテストで、満点を取れないようでは、志望校へは行けませんよ」
みんなはそう言われ、早くも緊張していた。
「特に、E高校を目指している時雨くん。絶対に満点取ってください」
「あ・・はい・・」
「時雨くん~、きみなら大丈夫よ!頑張って~~」
奈津子が腕をあげて、そう言った。
「大家先生、静かに願います」
奈津子はまた、赤梅に制された。
「はい!」
そこで、紫苑が手を挙げた。
「なんですか、紫苑くん」
赤梅が紫苑に答えた。
「テストの前に、訊きたいことがあります」
「なんですか」
「このテストで満点を取れば、僕もE校へ行けるのでしょうか」
「それは、なんとも言えませんが、満点を取るのが最低の条件になりますね」
「そうですか」
「きみは確か、K高校でしたね」
「はい」
「満点取れば、K高校合格は間違いないでしょう」
「・・・」
「さ、いいですか。始めます」
それから約二時間半、五教科のテストが始まった。
俺は嘘のように、問題のほとんどが理解できた。
しかし・・満点は、さすがに無理だと思った。
それでも、空白個所は一つもなかった。
よし・・とりあえず全部回答したし、結果は結果だ。
今、自分ができることを精一杯やった。
それから採点が済むまで、休憩時間となった。
それにしても、今日は大晦日かぁ・・兄貴は葵ちゃんと年を越すのかなぁ。
和樹や翔は、どうしてっかなぁ。
俺はロビーで缶コーヒーを買い、椅子に座って飲んでいた。
「僕もE校へ行くからね」
後ろで紫苑がそう言ってきた。
「知るかよっ。勝手にしろよ」
「きみになんて・・負けやしない」
「だから!勝手にしろよ。俺にいちいち報告すんな!」
「なんで・・きみ如きが、E校なんだ」
「うるせぇよ!あっち行け!」
「僕は、疑っているんだ」
「はあ??」
「きみ・・大家先生に贔屓してもらっているね」
「いやいや、もらってねぇし」
「賄賂でも、渡したんじゃないのか」
「てめぇ・・いい加減にしろよ・・」
俺は立ち上がって、紫苑の前に行った。
「なっ・・なんだよ・・殴るとでもいうのか」
「けっ。てめぇみたいな虫けらは、殴る価値もねぇよ」
「どう考えても僕は、おかしいと思っている。きみ如きがE校へなど行けるはずもないのに、それでもきみは行くという。なにか裏があると考えるのは当然だと思うのだが」
「あ~あ。話になんねぇよ。バカバカしい」
「大人はみんな汚い。金さえ渡せば、どんな汚いことにも手を染めるものなんだ」
「ふーん」
「きみは・・それを巧みに利用しているとしか思えないのだが」
「俺はな!ここの合宿の費用を払うのだってさえ、四苦八苦したんだ。それがなんで賄賂なんて渡せんだよ!」
「ここの費用は、たった六万じゃないか。そんなはした金で四苦八苦だと?笑わせないでくれ」
「てめぇ・・マジで許せねぇ」
「それはこっちのセリフさ。ヤクザみたいな脅し、僕には無意味だ。きみのような、汚い手を使う者には絶対に負けるわけにはいかない」
「お前の家ってさ・・なにやってんだ」
俺はあまりの言いがかりに呆れ果て、親父がどんな仕事をしているか気になって訊いてみた。
「僕の家は、代々、官僚として国を支えてきたんだが。それがなにか」
「官僚・・なるほどな」
「妙に納得したようだが」
「納得したよ。政治家とつるんで、私腹を肥やしてきたってわけだ」
「僕の家はそうじゃない!ただひたすら、国のために働いてきたのだ」
「だからお前の頭の中は、そんな貧弱なんだな。憐れなやつだぜ」
「なんだとっ!」
「まあまあ、図星をつかれたからって、怒るな。とにかく俺は、お前がEだろうとKだろうと知ったこっちゃねぇ」
「なにをっ!」
「どこへ行こうが勝手だが、お前みたいな貧弱脳は、官僚になんかならねぇこったな」
「なにっ!」
「あ、俺のダチな。この間の電話の相手。あいつなら官僚は適任だと思うぜ。おめぇと違って、頭も超いいし、超優しいし」
俺はそう言って、蔑むような目で紫苑を見た。
「言わせておけば・・勝手なことを・・」
「そいつ、マジで秀才。E高校でも成績優秀」
「っんな・・」
「はあ~~・・お前に爪の垢でも煎じて飲ませてやりてぇぜ。まったくよ」
「うるさい!」
そう言って紫苑は走って行った。
はあ・・疲れるぜ。
なんなんだ、あいつはよ。
まったく、救いようがねぇな。
それからテストの結果が発表された。
「時雨くん、惜しかったですね。大変惜しかった。合計点数が四百九十点でした」
赤梅が、悔しそうにそう言った。
「え・・そうなんすか」
おいおい、マジかよ。俺、四百九十点も取れたのかよ!
「このまま後半も頑張れば、望みはありますよ」
「そうっすか!頑張ります!」
紫苑は俺を睨んでいた。
「えっと、紫苑くん。四百七十二点でした。K高校なら、この点数でも入れますよ」
「な・・なにかの間違いじゃないんですか」
「どういう意味ですか」
「僕が・・時雨くんより下だなんて・・なにかおかしいと思うのですが」
「きみが時雨くんより下だからといって、それが、どうしておかしいことになるのですか」
「だって・・時雨くんから賄賂を貰ってやしませんか・・大家先生」
奈津子は紫苑にそう言われ、呆気にとられていた。
「ちょっと待って。紫苑くん、どういう意味かな」
奈津子は紫苑に、食って掛かった。
「別に・・意味など。ありのままを言っただけですが」
「賄賂って・・それちょっと看過できない発言ね」
「・・・」
「どうして私が、時雨くんから賄賂を貰わなきゃいけないの?証拠でもあるの?」
「証拠?そんなもの必要ない。大人とはそういうものです」
「バカにしないでよ!許せないわ!」
「まあまあ、大家先生。落ち着いてください」
赤梅が奈津子を、なだめていた。
「でもっ、赤梅先生・・私、こんな侮辱受けたの初めてです」
「紫苑くん、証拠もないのに、いい加減なことを言っては困りますよ」
「・・・」
「きみは、余計なことを考えるより、することがあるはずですよ。それから、また同じようなことを口にすると、その時点で帰っていただきますので」
「えっ・・」
「覚えておいてください」
赤梅にそう言われ、紫苑は何も言い返さなかった。
「時雨くん、嫌な思いをさせて、ごめんね」
教室から出て、奈津子がそう言ってきた。
「別に気にしてねぇよ」
「しかし、なんだろね、あの子」
「さあ。俺には関係ねぇよ」
「でも時雨くん、よく頑張ったね。ほんと惜しかった。あとちょっとだったのにね」
「うん」
「後半も期待してるね。頑張って!」
奈津子は俺の背中をバーンと叩いて、歩いて行った。
やがて夜になり、俺は外へ出て、新年を迎えることにした。
見上げると、満天の星空が広がっていた。