四十一、マリアさま、葵さま
俺は兄貴に「監視」されて以来、もう随分長い期間、大人しくした、と思う。
E高校で和樹と会ってから、一度も会えずにいる。
もちろん兄貴に隠れて会うこともできるが、それは止めようと思っていた。
その代わり、和樹を俺んちへ連れてきて、兄貴に会わせるつもりでいた。
もう陰でこそこそ隠れてなんか、やってられっか!
と・・俺がこういう考えに至ったのも、兄貴と葵ちゃんが上手くいってるからである。
そう、兄貴は毎日、上機嫌なのだ。
そしてなんと!今日は葵ちゃんを連れて来ることになっている。
この機を逃す手はない。
俺は既に、和樹に連絡をし、今日、来ることになっている。
今は、和樹と葵ちゃんに晩飯を食わせるために、カレーライスを作っている最中だ。
よ~~し・・もう火を止めてもいいな。
飯も炊いたし、これで準備万端だ。
ルルル
あっ、誰だ・・
「もしもし」
「あ、健人くん、和樹だけど」
「よう、和樹、今どこだ?」
「駅前まで来たんだけど、ここからどこへ歩けばいいかな」
「おお、駅前まで来たか。そこから真っすぐ通りを抜けて・・」
俺は和樹に道順を教えた。
「わかった、じゃ今から行くね」
兄貴は怒るかな・・
でも隠れて会ってるのがバレる方が、怒るに決まってる。
「こんばんは」
あっ、和樹だ。
俺は急いでドアを開けに行った。
「よう、和樹、いらっしゃい」
「健人くん、お招きありがとう」
「っんな、お招きってほどのことかよ。こんなあばら家。さっ、上がれよ」
「うん。お邪魔します」
和樹は部屋に上がって、ちゃぶ台の前に座った。
「健人くん、これ、どうぞ」
和樹はケーキの箱を差し出した。
「バカだなぁ。気なんて使わなくていいのによ」
「これ、美味しいんだよ。健人くんにも食べてもらいたくて買ったんだ」
「そっか、ありがとな」
「お兄さんは?」
「もうすぐ帰ってくると思うよ」
「そっか・・僕、また怒られるかな」
「気にすんなって」
「うん。あ、カレー作ったの?」
「そうなんだよ。俺の手作りだぜ~」
「わあ~、楽しみだな」
和樹の表情は、以前よりだいぶ明るくなっていたことに、俺はホッした。
「爺さん、元気にしてるか」
「うん。でも・・今度の会合のことがあるから、あまり元気とも言えないんだ」
「そっか・・そりゃそうだよな。組の存続がかかってるもんな」
「うん・・」
「お前、会合、大丈夫か?」
「うん。僕はもう覚悟を決めているんだ」
「そうか・・」
「健人くんみたいに、全力でぶつかってみるよ」
「そっか・・うん」
和樹・・お前は、そんなに苦しまなくてもいいはずなんだ・・
ほんとは、自由に生きられる人間なんだ・・
しかも、お前はヤクザに向いてないし・・なんだかなぁ・・
「ただいまー」
あっ・・兄貴、帰って来た・・
「おかえりー」
「あっ・・」
兄貴は部屋に上がって、和樹を見て顔色が変わった。
「兄貴、今日は和樹を連れてきたんだ」
「こんばんは。お邪魔してます・・」
和樹は済まなさそうに、挨拶をした。
「健人・・おめぇ、どういうつもりだ」
「どうも、こうも、ねぇよ。兄貴、それより葵ちゃんは?」
「え・・ああ・・葵ちゃん、入って」
「こんばんは・・お言葉に甘えてお邪魔します」
狭い部屋に四人揃って、なんだか変な空気が流れていた。
「葵ちゃん、座って」
「健人、おめぇな、馴れ馴れしく「ちゃん」って言うな」
「あら、いいじゃない。私、嬉しいのよ」
かあ~~・・葵ちゃん、優しいなあ。
葵ちゃんは、和樹を見て、少し戸惑っていた。
「葵ちゃん、こいつ俺のダチで和樹。よろしくな」
「そうなのね。初めまして、水柿葵と申します。よろしくお願いします」
「東雲和樹です。初めまして。よろしくお願いします」
「和樹、葵ちゃんは、兄貴の彼女なんだぜ」
「健人、余計なこと言うんじゃねぇよ」
「もう、兄貴もほら、座れよ。俺、カレー作ったんだぜ」
俺はそう言って台所へ行き、カレーに火を入れた。
「もう食べれるからな~!」
「おい、健人。どういうつもりだ」
兄貴は俺の横に来て、小声でそう言った。
「グダグダうるせぇよ・・いいだろ、せっかく連れてきたんだし。今更、帰れって言うのかよ」
「ったく・・おめぇ・・後で覚えてろよ」
ククク・・兄貴は葵ちゃんの手前、かなり自重してるな・・成功、成功。
そして狭いちゃぶ台には、四人分のカレーが並んだ。
「わあ~、美味しそうね。健人くんが作ったの?」
「そうだぜ。たくさん食べてくれな」
「うん、ありがとう」
「和樹、食おうぜ」
「うん、いただきます」
和樹も葵ちゃんも、とても嬉しそうに、美味しそうに食べていた。
「お兄さん、コンタクトにされたんですね」
和樹が兄貴に話しかけた。
いいぞ・・和樹。
「そうだよ」
兄貴は不愛想に返事をした。
その兄貴の態度を見て、葵ちゃんは少し戸惑った表情をした。
「メガネよりいいですね」
「そうかよ」
「真人くん・・?」
葵ちゃんは兄貴の顔を見ながらそう言った。
「葵ちゃん、兄貴、こんな面もあんだぜ。それでもいいの?」
俺はからかった風にそう言った。
「健人、おめぇな・・」
「和樹くんは、高校生なの?」
葵ちゃんが気を使って和樹に話しかけた。
「はい、高校二年生です」
「そうなんだ。若くて羨ましいな」
「え・・水柿さん、とてもお若いですよ」
「あはっ。ありがとう。でもね、私二十九なの」
「えっ、そんな風に見えませんね」
「お世辞でも嬉しいわ」
「いえ、お世辞なんかじゃありません。二十歳過ぎくらいかなと思いました」
「和樹くんは優しいのね。ありがとう」
「いいえ・・そんな・・」
兄貴は二人の様子を見て、複雑な表情をしていた。
それから葵ちゃんは、何度も和樹に話かけてくれた。
和樹もそれが、とても嬉しそうで、話が弾んでいた。
葵ちゃん・・ほんと優しい人だな・・
「葵ちゃん・・」
急に兄貴が口を開いた。
なっ・・なにを言うつもりだ・・
「なに?」
「この和樹ってやつ・・ヤクザの跡目なんだぜ」
「へぇ、そうなのね。それで?」
「え・・それでって・・」
「それがどうかしたの?」
「葵ちゃん・・何とも思わねぇのか」
「何とも・・?えっと・・言ってる意味がわからないのだけれど・・」
げっ・・葵ちゃん、マジかよ!
「あのね、葵ちゃん・・こいつは健人のダチ。それがヤクザの跡目って・・普通はびっくりすんだろ」
「ああ~~・・なるほど。でもね、和樹くんっていい人じゃない」
「え・・」
「私、今日初めて会ったけど、いい人だと思ったわ。それだけでいいんじゃないかしら・・ダメなの・・?」
「そ・・それは・・」
「私、真人くんもいい人だと思ってるの。弟さんだっていい人。その弟さんのお友達でしょ。いい友達を持ってるなぁって思うわ」
「あの・・僕のことそんなに言ってくださって・・ありがとうございます」
和樹が照れくさそうに礼を言った。
「私ね、これでもお世辞とか言わないの。バカ正直っていうか・・。昔からよく言われてるの。少しはオブラートに包んで物を言いなさいって。あはは」
葵ちゃんは、あっけらかんと笑った。
「まいったな・・」
兄貴は降参したと言わんばかりに、ポツリと呟いた。
「お兄さん・・僕が健人くんの友達でいてはダメですか・・」
「それは・・」
「僕、ずっと友達がいなくて、それで初めてできた友達が健人くんなんです。僕はとても嬉しかった。こんな僕でも敬遠せずに友達になってくれたことが、とても嬉しかったんです・・」
「ねぇ真人くん。こんな礼儀正しい子、今時、珍しいと思わない?こんな子、いないと思うわ。もし真人くんが、偏見で和樹くんを見ているのだとしたら、それは損だと思うわ」
「損・・?」
「うん。大事な弟さんのお友達よ?もしかしたら、一生のお友達になるかも知れないのよ。私、みんなより先に生まれた先輩として言わせてもらうと、和樹くんは一生の友達に相応しい人だと思うわ。私、わかるのよ」
「そうなのか・・」
「私、人を見る目あるから、真人くんを好きになったのよ。でしょ?」
葵ちゃんは、満面の笑顔を兄貴に向けた。
「葵ちゃん・・」
兄貴は顔を真っ赤にしていた。
「おいおい・・二人の世界ですかぁ~」
俺はまた、からかうようにそう言った。
「あはは。健人くんったら」
「兄貴、俺からも頼むよ。和樹とダチでいさせてくれ」
「健人・・」
「お兄さん・・お願いします・・」
「しょうがねぇな・・わかったよ」
兄貴はやっと許してくれた。
「兄貴!やっぱり俺の兄貴だぜっ!ありがとな」
「ありがとうございます・・」
和樹は頭を下げていた。
「和樹くん、そんなに頭を下げることなんてないわよ。あなたはなにも悪くないのよ」
「あ・・はい・・」
「世の中には色々な人がいて、あなたに辛く当たる人もいるでしょうけど、あなたはなにも悪くないの。あなたは今のあなたのままで十分なのよ。わかるよね?」
「はい・・ありがとうございます・・」
葵ちゃん・・すげーな。マリア様みてぇだ。
「さっ、カレー冷めちまうぜ、食おうぜ」
俺がそう言って、三人もスプーンを持った。
カレーを食った後は、和樹が買ってきてくれたケーキを食べた。
それから兄貴は葵ちゃんを送って行き、俺も和樹を駅前まで送って行った。
「健人くん、今日はありがとう。とても楽しかったよ」
「いやいや、俺、葵ちゃんに助けてもらって、マジで嬉しかったぜ」
「僕も。水柿さんて、いい人だね」
「うん。マジでいい人」
俺たちは夜空を見上げ、心底喜び合った。
「これで堂々と、お前と会えるな」
「うん。また連絡してね」
「わかった。じゃ、気をつけてな」
俺は和樹が帰る後姿を見ていると、なんとも言えない複雑な心境になった。
正直、東雲から解放してやりたいと思った。