二十、和樹と由名見
「えー、それでは教科書23ページを開いて」
国語の授業で、桃田は文章の朗読を始めた。
「・・・そして弥之助は、領主の崇高に懇願した。しかし崇高は聞く耳すら持たず、弥之助の提言を却下するのであった」
桃田はそこまで読むと、教科書を机に置き生徒の方を見た。
「ここまでは昨日、やったな。えーっと、弥之助はなぜ、こうまでして懇願しなければならなかったのか、わかる人」
俺にはさっぱりわからねぇ。
でも「懇願」ってなんだ?
「あの」
俺はそう言って手を挙げた。
すると桃田は、狐につままれたような表情で俺を見た。
クラスのやつらも、俺が手を挙げたことに唖然としていた。
「な・・なんだ、時雨」
「懇願ってどういう意味っすか」
「え・・」
桃田は俺の発言に、絶句していた。
「懇願っすよ」
「えっと、それはだな・・自分の主張を聞き入れてもらうため、必死になって頼むことだな」
「そうっすか」
なるほど・・そういう意味なのか。
俺はノートに、漢字と意味を書いた。
「一体どうした。時雨。お前がそんな質問してくるなんて、明日、雪でも降るんじゃないのか。わっはは」
桃田はまるで、バカにしたように笑った。
その言葉に、クラスのやつらも笑った。
っんだよ・・勉強しろっての、お前が言ってたんじゃねぇのかよ。桃田!
俺はそう言いそうになったが、なんとか堪えた。
そしてこの間、本屋で買った、国語辞典も机の上に置いた。
「おおっ!時雨!お前、辞書まで買ったのか。これは雪が降るどころの騒ぎじゃないな。槍でも降ってくるんじゃないのか。あっはは」
桃田はまた笑い、クラス中が爆笑になった。
「あの、先生」
隣の由名見がそう言って手を挙げた。
「なんだ、由名見」
「先生、ちょっと酷いんじゃありませんか」
「え・・どういうことだ」
「時雨くんは、言葉の意味を訊いただけです。それと辞書だって生徒にとっては必需品です。それを笑うなんて酷いと思いますけど」
「いや、まあ・・冗談だよ」
「冗談??なんでそんな冗談を言う必要があるんですか」
由名見は、いつもの優しくて大人しい由名見ではなかった。
桃田を睨みつけ、食ってかかっていた。
「由名見、もういいって」
俺はそう言って制した。
「先生。先生は生徒が勉強する姿勢を、バカにしたりするものなんですか」
由名見は俺の言葉も届いてないのか、更に続けた。
「みんなも酷いですよ。時雨くんが勉強することが、そんなに可笑しいですか」
クラスのやつらは由名見の言葉に驚き、もう誰も笑わなくなった。
「私は以前から、先生の態度に疑問を感じていました。時雨くんは問題児かも知れませんが、時雨くんだって生徒なんです。先生は口先だけで指導する振りをしていましたが、私の目から見て、とても先生の役割を果たしているとは思えませんでした」
「由名見!なんだきみは。今はそんな話をする時間ではない。授業中だぞ」
桃田は顔を真っ赤にして、由名見に食ってかかった。
「図星をつかれましたか。先生、冷静になりましょうよ」
「なにっ!」
「とにかく!今の先生の時雨くんに対する態度は、明らかに侮辱に値します。時雨くんに謝罪してください」
「なんだと!」
「みんなもそうです。時雨くんに謝罪してください」
「おい、由名見、もういいって」
俺は由名見の腕を引っ張って制した。
「時雨くん・・」
「もういいって・・」
そこで由名見は着席した。
桃田はなんとか気を取り直し、授業を再開した。
こいつ・・なんか、すげーんだけど・・
いきなりどうしたってんだ・・
「由名見・・さっきはありがとう」
俺は休み時間になり、由名見に礼を言った。
「いえ、とんでもないですよ」
由名見はニコっと微笑み、いつもの由名見に戻っていた。
「でも、お前、どうしたんだ?俺、びっくりしたじゃねぇか」
「あはは。そう?だって私、間違ってないでしょ?」
「まあ、そうだけどよ・・」
「時雨くん・・」
「なんだよ」
「和くんを助けてくれてありがとう・・」
「え・・」
「私、心の底から時雨くんに感謝してるんです。だから、私もこれからは時雨くんを助けます」
そっか・・こいつは和樹が好きなんだったな・・
「お前、話、聞いたのか」
「はい」
「そっか・・」
「時雨くん、すごいですよ。龍太郎叔父様も褒めてましたよ」
「そっか。でも俺の役目はもう終わったけどな」
「そうですね」
「あ・・そうだ」
「なんですか」
「俺・・これから勉強することに決めたんだけどさ・・その・・よかったら教えてくんねぇか」
「はい!もちろんですよ」
それから俺は、時間の許す限り、由名見に教えてもらうことになった。
その後、クラスのやつらは俺たちが付き合ってんじゃねぇかとか、変な噂を流すやつもいたけど、由名見は全く気にする様子がなかった。
俺はそれが申し訳ない気がした。
それから二週間後、和樹が退院することになった。
俺と翔は、当然のように病院へ向かうことにした。
「和樹くん、どんなだろうね~」
「どんなって?」
「だってさ、歩く姿を見るのは初めてなんだよ?」
「ああ、そういうことか」
「元気になってるといいな~」
「そうだな」
病院へ到着すると、和樹と柴中はもう門の外へ出ていた。
「あっぶねーー入れ違うところだった」
「ひゃ~~」
俺と翔は急いで和樹のもとへ走った。
「おーい!和樹!」
俺の声に気がついた和樹は、こっちを向いて立ち止まり、大きく手を振っていた。
柴中も嬉しそうに笑っていた。
「健人くん、翔くん、来てくれたんだね」
「和樹、退院おめでとう」
「和樹くん、よかったね!おめでとう!」
俺たちは懐かしいダチに再会した気分で、心底、喜び合った。
「ありがとう。ほんとにありがとう」
「それで、身体はもういいのか。大丈夫か」
「うん、もうすっかりね。健人くんたちと同じ生活ができるようになったよ」
「そうか!それはよかった!」
それを聞いた翔は「和樹くん!」と言って、抱きついていた。
「よう、時雨。久しぶりだな」
柴中が俺の頭に手を乗せて、そう言った。
「柴中さんも元気だった?」
「たりめーよ」
「あはは、このがたいじゃ、病気も寄って来ねぇな」
「あはは、ちげぇねぇ」
「爺さんも元気にしてるのか」
「ああ。お元気だ」
「今日は、来てねぇのか」
「ああ。ご自宅で待ってらっしゃる」
「そうか。よろしく伝えてくれな」
「うん。わかった」
翔と和樹は、また漫画の話をしていた。
「そうそう、あの続きがね~~」
翔は目を輝かせながらそう言った。
「漫画の一輝も、元気になってホッとしたよ」
「そうなんだよね~、一時はどうなるかとヒヤヒヤしたよ~僕」
俺はその光景を見ながら、柴中に話を続けた。
「柴中さん、俺さ、高校へ行こうかと思ってんだ」
「ほう。そりゃいい」
「柴中さんも知ってると思うけど、由名見に勉強、教えてもらってんだ、俺」
「ほうー、そりゃいいな」
「やっぱな、高校くらいは行っとかないとな」
「それでいいんだ」
「あのさ・・それでちょっと訊きたいんだけど・・」
「なんだ」
「由名見って・・和樹のこと好きなんだろ」
「あ・・うーん・・」
「なんだよ」
「まあ・・色々あるわな」
「ふーん。和樹はどう思ってんの」
「うん・・まあな・・」
「ひょっとして、なんか事情があるのか」
「俺の口から言うことじゃねぇ」
「ふーん」
柴中は俺がいくら訊いても、口籠るだけだった。
ま、俺には関係ねぇからいーけど。
「坊ちゃん、そろそろ参りましょうか」
柴中が和樹にそう言った。
「あ、うん。じゃ、健人くん、翔くん、これで」
「和樹くん、また連絡してもいい?」
翔が淋しそうな表情でそう言った。
「もちろんだよ。僕からも連絡していいかな」
「もちろん!!待ってるね」
「和樹、また会おうな」
「僕も健人くんにまた会いたいから、連絡してもいいかな」
「たりめーだよ」
そして和樹は車に乗り込み、走り去って行った。
「和樹くん、ほんとに元気そうでよかったね」
「ああ」
そして俺と翔は、駅へ向かった。