十六、決められたレール
「あ、もしもし、時雨だけど」
俺は放課後、柴中に電話をかけた。
「おう、なんか用か」
「用があるからかけたんだよ」
「ほう、なんだ」
「俺、集会に出るよ」
「ほーう。もうケツ割ったんじゃねぇのか」
「うるせぇ。やるっつってんだよ」
「またケツ割るようだったら、次はただじゃ置かねぇからな」
「ああ」
「わかった。また連絡する」
俺は翔と約束した。
和樹のためになんとかするって、約束した。
この話を「反故」にするってことは、裏切るってことだ。
俺はバカみたいに、覚えたての「反故」という言葉が頭をよぎるのだった。
俺は帰りかげに本屋へ立ち寄り、国語辞典を購入した。
今までろくに、教科書も開いたことがなかったが、一つでも知らない言葉を覚えようと思った。
前に兄貴が言ってたな・・
勉強は頭に叩き込むだけで、得をすることはあっても損することはない、と。
俺はその意味を、少しずつ実感し始めていた。
それから数日後、和樹の手術が行われることになり、俺と翔は見舞いへ行くことにした。
「和樹くん、大丈夫かな・・」
「大丈夫に決まってんだろ」
俺たちは病院へ行く道すがら、そんな話をしていた。
「だよね、成功するよね」
「ああ」
俺たちが病室へ入ると、和樹はベッドに座って本を読んでいた。
「あ、健人くん、翔くん」
和樹は嬉しそうに微笑んだ。
「こんにちは!お見舞いに来たよ!」
翔はすぐに和樹の傍へ行き、明るい笑顔を見せた。
「よう、和樹」
俺も遅れて挨拶をした。
「来てくれたんだね、ありがとう」
「当然!で、手術はいつなの?」
「三日後だよ」
「そっかぁ~~、絶対に成功するから頑張ってね」
「うん、ありがとう」
翔と和樹は、昔からのダチみたいに親しく話していた。
「俺さ、今度の集会、頑張るから・・お前も頑張れよ」
「健人くん、本当に迷惑かけて申し訳ない」
和樹は頭を下げた。
「和樹くん、頭を下げることなんてないよっ!友達なら当然だよ、ね?たけちゃん」
「なに読んでたんだ?」
俺は和樹の読んでいた本が気になって、訊いてみた。
「あ、これ?」
和樹はそう言って、ブックカバーを外した。
「これだよ」
「あああ~~~」
本の表紙を見て、翔が叫んだ。
そう、和樹が読んでいたのは、あのヤクザ漫画だったのだ。
「僕、これ好きなんだよ~~和樹くんも愛読者だったんだ~~」
「まあね」
それから二人は、漫画の話に没頭していた。
その光景を見て、翔もそうだけど、和樹は本当に楽しそうに話していた。
こんな何気ないダチとの会話なんて、したことがなかったんだろうな・・
俺はこれと言って、気の利いた話ができるわけでもないし、ましてや漫画なんて全く興味がない。
俺は翔がいてくれてよかったと、改めて思った。
俺を見てくれる人を俺も見る・・か。
確かに、俺は翔をずっと見てきたつもりだったが、実は見てなかったのかも知れない。
俺って・・変われるのかなぁ・・
「たけちゃん、たけちゃん!」
「え・・あ?どした」
「どした、じゃないよ。あさっての方、ボーッと見てさ」
「あさって・・?」
「あらぬ方向を見るってことだよ」
「ほうー」
変な例え。なんだよ「あさって」って。
俺はそれが可笑しくて少し笑った。
「健人くん、初めて笑ったね」
和樹がそう言った。
「え・・そっかあ?」
そうか・・俺は和樹にも、笑顔なんて見せたことがなかったんだな。
和樹も翔も、いつも笑ってるのにな・・
そんなことにも気がつかないほど、俺は誰も見てなかったんだな・・
「その漫画、面白れぇのか」
「うん、面白いよ」
和樹は俺に漫画を差し出した。
「たけちゃんも読めばいいよ。絶対にはまるから!」
「そっか・・」
翔は学校での話や、俺との小さい頃からのエピソードを和樹に話していた。
俺はペラペラとページをめくりながら、見るともなく絵を見ていた。
「和樹・・」
「なに?」
「おめぇ、絶対に跡目を継げよ」
「うん」
「そのために、俺は頑張るんだからな」
「わかってるよ」
「手術が終わったら、また来るからな」
「うん、ありがとう」
和樹の目は、ほんの少し潤んでいた。
それから俺たちは病院を後にした。
「たけちゃん・・」
「なんだよ」
「なんか・・雰囲気がいつもと違うんだけど」
「はあ?」
「なんていうか・・前を向いてるって感じがする」
「っんなことねぇよ」
「僕さぁ・・和樹くん見てて、つくづく思うんだ」
「なにをだよ」
「身体が丈夫で元気なことって、和樹くんにとっては普通のことじゃないんだよね」
「まあ・・な」
「でもああやって、前を向いてる。っていうか・・向かざるを得ないのかな・・」
「どういうことだよ」
「たけちゃん、考えても見てよ」
「あ?」
「自分の身体が思うようにならない、そのせいで身代わりまでしてもらわなくちゃならない、でも敷かれたレールを走らなきゃならない。もう和樹くんの将来は決まってて、電車から降りることができないんだよ」
「お前、なに言ってんの」
「たけちゃんが和樹くんの立場だったら、どう思う?」
「そんなの、わかんねぇよ」
「そっかあ・・。僕は和樹くんはすごく強い人だと思うな。自分の将来が決められてるって、普通は窮屈だし逃げたいと思うよ」
「・・・」
「でも和樹くんは逃げないもんね。だからすごいよ」
「うん・・」
「たけちゃんも、僕も、自分次第でなんとでもなるんだよ。やりたいことがあれば、それができるんだよ」
「・・・」
「だって僕たち、まだ中学生だよ?好きなことやりたい放題だね!」
翔はそう言って、明るく笑い飛ばした。
俺は勉強もできない、どうしようもないバカだけど、翔が言いたいことは、なんとなくわかる。
諦めるには、早すぎるってことだな・・