十四、見回り
俺は数日後、もらった五万円の中からカツラと眼鏡を買った。
というのも、変装してあの商店街へ行こうと考えたからだ。
商店街の人達は、日頃どんな風に生活しているのを知りたかったし、東雲組に対しての「本音」もこっそり訊き出したいと思っていた。
翔にも声をかけようと思ったが、ややこしいことになるのを避けたかったので、俺は一人で行くことにした。
街の公衆トイレでカツラを装着し、メガネもかけた。もちろん伊達だ。
さて、行くぞ。
やがて商店街に到着し、俺はとりあえず歩いてみることにした。
人通りはそれほど多くなく、とても繁盛しているとはいえない状態だ。
「おや、若いお兄ちゃんがこんなところで珍しいね」
乾物屋の婆さんが、店先から声をかけてきた。
「あ、どうも」
「ここに、なんか用事でもあるのかい」
「まあ、そんなとこですかね」
「そうかい。気をつけてな」
顔見世の時、あの婆さん確か、奥にいたな。
俺の顔を見て、ニコニコ微笑んでたよな。
でもやっぱり、あの日の俺とは気がついていないようだ。
俺は一軒のお好み焼き屋へ入ることにした。
「いらっしゃい」
あ・・俺、このおっさんに、挨拶したな。
俺は中へ入り、汚い鉄板の前に腰かけた。
「なんにしますか」
おっさんは水を運んで来て、注文を聞いた。
「えっと・・豚玉」
「あいよ」
しばらくすると、中年と若い男性二人が入って来て、俺の後ろのテーブルに座った。
俺は何をするでもなく、豚玉が焼けるのをボーッと待っていた。
「でも、坊ちゃん。相手は相当らしいですぜ」
後ろの席で、中年の男がそう話していた。
「そんなもの、恐れる必要があるのか、蘇芳」
「いえ・・坊ちゃんならなにも・・」
「なら、そんなこと言うな」
「でもですよ・・この機会を逃したら、やつらはのさばり続けますぜ」
「蘇芳、口を慎め」
「へい、すみません」
なんだ・・こいつら。
この会話って、ただ者じゃねぇな。
俺はトイレへ行く振りをして、その二人を改めて見た。
坊ちゃんと呼ばれていたやつは、まだ未成年か・・?
成人だとしても、二十歳そこそこって感じだな。
身なりはジーパンとTシャツで、普通の若者だな。
しかし中年の蘇芳ってやつは、汚ねぇジャージを着て、髪もボサボサで顔もジャガイモみたいだった。
俺はトイレから戻り、再び席に着き、二人の会話に聞き耳を立てていた。
「それにしても、ここのお好み焼きは美味いな」
「潰すには惜しいですかい?坊ちゃん」
「蘇芳・・口を慎めと言ったはずだ」
潰す・・?
今、確かにジャガイモ野郎は潰すって言ったよな・・
「へい。すみません」
「食ったら行くぞ」
「へい」
ほどなくして、二人は店を出て行った。
今のやつら・・何者なんだ・・
「あんちゃん、ここらでは見かけない顔だね」
おっさんが話しかけてきた。
「偶然ですよ」
「そうなのかい。美味しいかい?」
「あ、はい。美味しいですね」
「そうか。それはよかった」
「あの・・」
「なんだ」
「さっきの二人は常連なんですか」
「ああ・・時々来るね」
おっさんには、さっきの会話は聞こえていない風だったが、なんだか表情が暗くなった。
「顔見知り・・ですか」
「ああ・・まあね」
この話しぶり・・やっぱり変だ。
ジャガイモは潰すと言ってしたな・・
やっぱりなんか関係があるに違いねぇ。
「おじさん」
「なんだ」
「東雲組って知ってますか」
「知ってるよ」
「あの組、どう思いますか」
「どうって?っていうか、なんでそんなことを、あんちゃんが訊くんだ」
「いや・・ちょっと噂を聞いて・・」
「東雲の親分はいい人だよ。四代目もいい人だ」
「へぇ」
「あの人たちがここを仕切ってくれているおかけで、俺たちは何とか生きていけてるんだよ」
「そうですか」
「あんちゃんよ・・」
「なんですか」
「さっきのな・・二人組いただろ」
「はい」
「あいつら西雲組のやつらでな」
やっぱりか・・
「最近、この辺りをうろついて、色々と偵察してるのさ」
「へぇ・・」
「でも心配ねぇ。東雲には四代目がいらっしゃる。それだけでここは安泰だ」
おっさんは、そう言いながらも、半分は不安そうな顔をしていた。
やっぱり西雲がこのシマを狙ってんだな・・
それで偵察を・・
俺はお金を払って店を出た。
その後も、商店街の端から端まで歩き、様子を伺った。
どの店も繁盛なんてしてないが、みんなそれなりに幸せそうな顔をしていた。
顔見世に来た時は、作り笑いかとも思っていたが、ここの人たちは本当に笑ってるんだな。
汚ねぇ商店街っだってのに、人間まで汚れているわけじゃねぇんだな。
「お兄ちゃん、これ落としたよ」
振り返ると五歳くらいの汚ねぇガキが、俺に声をかけてきた。
「なんだ?」
「これ」
そのガキは汚ねぇ手で、俺にハンカチを渡そうとしていた。
「あっ・・」
俺はズボンのポケットに手を入れ、自分のハンカチがないことを確かめた。
「拾ってくれたんだな。ありがとうな」
「いいよ」
「お前、この商店街で住んでるのか」
「そうだよ」
「へぇーどの店だ?」
「あそこ」
そのガキは魚屋を指さして、そう言った。
あ・・あの店は源さんの。
「そうか」
「うん」
ガキは俺の顔をじっと見たまま、離れようとしなかった。
「もう帰れよ」
「うん・・」
「母ちゃんが心配すんぞ」
「母ちゃんなんていないもん」
「えっ・・」
おい、マジかよ・・
「いないって、どういうことだ」
「死んだんだ」
「マジかよ・・」
「うん・・」
「じゃあお前、父ちゃんと暮らしてるのか」
「うん。父ちゃんと爺ちゃんと」
「そっか・・」
俺はガキの手を引っ張って、店まで連れて行った。
「あっ!大和!どこ行ってたんだ」
源さんがガキを見つけ、怒鳴った。
大和ってのか・・
「兄ちゃん、ありがとな」
「いいえ」
「ほら、店に入ってな」
源さんはそう言って、大和を店の中へ入れた。
「あの、あまり怒らないでやってください。こいつ・・いや、大和くん、俺のハンカチ拾ってくれたんです」
「そうだったのか。うん、わかった」
「大和、またな」
俺は店の奥にいる大和に手を振った。
すると大和も手を振って、笑って応えた。
あんなガキなのに、もう母親がいないのか・・
きっと淋しいんだろうな・・
俺は大和の気持ちを想うと、自分が少し恥ずかしいような気がした。