雑兵祭
「ただいまー。」
五月も中旬になり、高校生活にも大分慣れてきた頃、そのチラシは部屋のポストに入っていた。
「雑兵祭……ね。」
相変わらず狼雀新聞部が書いたチラシには、『雑兵祭参加者求ム』と記されていた。
「あ、お兄ちゃんおかえりー。」
ひょっこりと寝室兼居間から首出したのは、忍の妹で巴桜中等部のエース、中学二年生の桜だった。
「サクラ。また来てたのか。」
「シノブ……遅いよ。ヒマだったんだから。」
荷物をクローゼットにしまい、手早く着替えると、二人が座るちゃぶ台の前にあぐらをかいた。
「ヒマなら学校来いよ。」
「眠い……ふぁあ。」
「どっちだ。」
なぜ希は忍の部屋――男子寮にいるのか。いたって答えはシンプルだ。それは、『女子寮がいっぱいだから』。忍は常々この学校の保健の授業は何のためにあるのかと思っているわけだが、まぁそうなのだからそうなのだろう。
「ヒマだから眠いし、眠いからヒマ。」
「あのなぁ……。」
生物の力をその身に宿すものは、遺伝子的に優れた者が多い。身体能力、声帯、おまけに顔も、美少年や美少女が多い。忍はそのことを思い出しながら、ルームメイトと我が妹を見つめた。やはり、美少女ふたりである。なのに、なんとも残念な場所が多々あるのは、遺伝子に寄るところではないからだろうか。
「どうかした、お兄ちゃん?」
希はよく眠る。本当によく眠る。桜は男子に興味を持っていない。中学生と言ったら、もっと思春期のど真ん中ではないのだろうか。
「シノブ。」
「うぇっ!?」
忍はちゃぶ台の下で、希が伸ばした足により男の大事なところを思い切り蹴られた。痛みに悶えながら、抗議する。
「お前は手を出す以外の解決法を知れっ!」
「……でー? お兄ちゃんは雑兵祭、出るのー?」
「ん……。」
チラシに目を通した妹の発言に、忍はふいに神妙な表情になった。希もそれを見て、無表情のまま呟くように言う。
「今年も……出ない?」
「ふたりとも、俺をおちょくっているのか?」
苦笑しながら、忍はチラシを折り、紙飛行機を作った。
「でも! お兄ちゃんは強いよ!」
「俺が強いんじゃないさ」
紙飛行機をふわりと飛ばし、自らの頭を指で叩く。
「こいつが強いのさ」
「でも、黒駒……。」
「しつこいぞ、サクラ。」
桜は哀しそうな目で忍と希の部屋を去った。ただ、「じゃあね」とだけ言って。希は、妹に負けず劣らず悲しそうな表情を浮かべる忍に声をかけた。
「シノブは、一応伝説の動物の能力者なんだから、騎兵祭には強制参加だよ……。」
「あぁ。でも残念ながら俺は能力を登録してないんでね。それも適応されないさ。」
「宝の持ち腐れ……。」
「何とでも言え。俺はマレの目覚まし時計で十分さ。」
そう言い残して、忍は台所へ向かった。その日の晩御飯も忍はただ無言で、しかし時折ぶつくさと何かを呟きながら嘲笑し、希を寝かしつけてから自分も寝床についた。
その布団の中で、忍は寝つけずにいた。手には黒駒を握り、一人物思いにふける。
「……っ。」
何かをごまかすように、だが悔やむように、忍は駒を強く握りしめた。
「お前の炎は災いの塊だ。」
「お前なんていなければ。」
「お前のせいでみんな死んだ。」
「凶兆、不吉の具現め。」
「何が黒駒だ、人殺し。」
「お前の手に染みついた他人の血は絶対に拭えない。これからも、お前が死ぬまでな。」
「がぁ……っ!」
忍は目を覚ました。希はまだ上段のベッドで眠っている。カーテンの向こうも青く暗い。背を伝う脂汗の感触に、忍は気持ち悪くなった。
(人殺し……。)
目を閉じれば、まだ彼らの、汚物よりも汚れた物を見るかのような視線が思い出される。
「俺は……人殺しじゃ……ない。」
だが、あれは確かに自分――ひいては彼女の炎だ。全てを無に帰す、神の火。
「俺は……人殺し……なのか?」
いや、目を逸らしてはいけない。事実は目の前に非情にも立ちはだかっている。
「俺は……人殺しだ。」
忍はその瞬間、ありとあらゆる記憶が脳内を駆け巡り、吐き気を催した。
<軟弱者じゃのぉ……。>
そんな声が頭の中に響いても、そんなことも気にならないほど、忍はその日一日吐き気と頭痛に悩まされた。
「とどめッ!」
桜の刃が首筋にぶつかり、少年は紫色の炎を傷口から噴き出しながら宙を舞い、地に伏した。
「勝負あり!」
美佳子が宣告し、試合は終了した。雑兵祭。巴桜五祭のうちのひとつで、参加条件なしのトーナメントマッチ。数百ある各ブロックの優勝者には、夏に行われる『騎兵祭』参加券が与えられる、生徒同士の決闘大会である。今日も今日とて会場たる巴桜中央闘技場では、激しい剣戟の音や銃声が響き渡り、熱に浮かされた観客の歓声が絶え間なく上がっていた。
「Cブロック予選突破! 正しくエースソルジャー! 今川桜選手に喝采を!」
美佳子もその歓声や怒号に負けじと声を張る。そんな中、桜の身のこなしを淡々と観察する人物がいた。
「隙がありすぎだな。自分の得物の間合いくらい自覚しなくちゃな。」
「……高みの見物、だね……。」
「自分は戦いもしいひんくせにのぉ。」
妹の戦い振りを採点する忍と、それを皮肉る希と、エセ関西弁で茶化すのは忍の親友、轟将真だ。
「シノブ、おめぇホンマに出ないんか? こういっちゃ偉そうかも知れへんが、俺だっておめぇが戦っとるとこなんて見たことないで?」
「いいんだよ。目立つのは苦手でね。」
「ほぉー……ん。」
その時、ふいにアナウンスがやかましく鳴った。
「――本日三戦目は、Dブロック最終予選一組目――」
「んぇ……?」
「――鹿毛井希、対、跡田正輝――」
「ふぁあー……。」
あくびをしながら、無機質に希がふらふらしつつ準備室の方へ降りていく。
「高校生活初めての決闘だな。まぁ、マレなら心配いらないな。」
「いや……そうとも言い切れへんで。」
「は? マレがどこの馬の骨とも知れない噛ませ犬に負けるかよ?」
「せやない……あの跡田。」
選手入場口から現れたひとりの細身の少年を顎で示して、将真は腐った生肉を食べたような苦々しい顔で解説した。
「……キチガイや。」
その声が聞こえたかのように、土を少し蹴って、跡田は耳まで裂けるかのような三日月型に口を歪め、笑顔を作った。