三話
布団の中で、町での出来事を思い出す。おそらくは、セリアの悲しそうな笑顔と直結しているのだろう。しかし、俺は他人でしかない。ここに流れ着いただけの通りすがり。
寝返りをうつ度に、自分がどうすればいいのかわからなくなる。
彼女の顔と、彼女を嫌う青年たちの顔と、ミラノさんの顔が、脳内を順繰りする。
日差しが目蓋を刺激して、目が覚める。眠ったと思ったら起こされて、調子が出ない。考えすぎた結果がこの有様だ。
窓から見える太陽は高く、昨日よりも起床が遅いことを示す。階段を下りてみるが、セリアはどこにも見あたらない。その代わり、テーブルの上には書き置きと朝食が用意されていた。
「ミラノさんにお礼をしてきます。ご飯を食べて待っていてください、か」
キッチンがよく見える場所。最近の定位置に腰掛け、とりあえずはスープを飲む。食欲がなかったので、パンは半分しか食べなかった。
サラダに手をつけ始めたとき、こんなにも暢気に食事をしていいのかと、自分自身に問いかける。それはなぜだ。こうしていてはいけない理由は、どこから湧いてきた。
「クソっ……」
サラダを八割残して、俺は急いで家を出る。
わかりきっているじゃないか。彼女が町に出れば、少なからず嫌な思いをする。
「だからなんだ。だからって俺には関係ないだろう」
口から出る言葉は水の沫。意味などなく、この行動は止められるはずもない。
森を抜け、草原を駆け、町に着いた。昨日出会ったミラノさんと同じように呼吸を整えた。
入り口から見渡しても、平凡で緩やかな時間の流れしかわからない。躊躇せず町に入り、また全力疾走の体勢に入った。
しばらくすると、前方にある人だかりが目にとまった。直感だが、中央にはセリアがいるのだと思った。急いで駆け寄り、人垣を縫うように進む。
「セリア!」
彼女はびしょ濡れだった。そして尻を地面に着けたまま、赤くなった瞳を俺に向ける。その瞳もまた、濡れていた。
「ゼレットさん……」
セリアの下へ行き、袖で涙を拭いてやる。彼女の対面にいた人間の影が、俺の身体に覆い被さった。
「また来たのかお前」
「昨日の奴か」
俺が胸ぐらを掴んでやった奴が、手にバケツを持っている。その後ろには取り巻きと思われる何人もの青年が並んでいた。バケツからは水がしたたり、セリアの身に起きたことを容易に想像させる。
「魔女がこの町に来るなんて、不幸を振りまきに来たに決まってる! 野放しにしておくわけがないだろう!」
後ろの青年たちは「そうだそうだ!」と口々に騒いでいる。いや、青年だけでなく、周りにいる人間も皆賛同しているのだ。拳を天へと突き出し、爛々とした目でセリアを貶す。
我慢の、限界だった。
「やめて」
震えていた俺の左手を、セリアが両手で包み込む。
「私のことはいいの。だから、町の人を傷つけないで」
こういう性格の娘だと知っていたではないか。俺はなにを一人でいきり立っていたのだ。本当は今すぐにでも、周りにいる人間を殴り飛ばしてやりたい。でも、彼女の気持ちを尊重するのなら、得策でなかった。
「――わかった」
右手で彼女の左手を掴み、力強く引き上げる。「ううっ」っと、くぐもった悲鳴を上げながらも、俺の身体にしがみつく。
「礼は済んだのか?」
「いえ、ミラノさんは朝からお出かけのようで……」
それがこの有様か。
周りにいる奴ら一人一人を睨み付け、黙らせる。何事もなかったかのように人と人の間を抜けようとした。セリアが望んでいるのは、きっとこういうことだと自信を持って言える。
「勝手に帰ろうとすんなよ!」
殺気を感じ取り、勢いに任せた拳をなんなく避けてみせる。しかし懲りることなく、何度も拳を振り上げては、敵意をむき出しで攻撃してきた。
「魔女はここで殺す!」
一瞬、セリアの身体が震え上がった。縮み上がってしまい、今は声さえ出せずにいる。
俺はこんなところでなにをしているんだ。
反射的に、俺はそいつを殴っていた。あまりセリアに見せたくはなかったが、この際仕方ない。セリアには自己防衛と思ってもらう他ないな。
「お前――」
「行くぞ」
あえて無視を決め込む。抱きついていたセリアを抱え、早急にその場を去る。個人としてはやりたりないが、腕の中で小さく震える彼女のことを考えれば、それこそが正解なのだ。
帰り道では、双方が各々の思慮を持ち、会話は交わされない。ただ、彼女が静かに泣いていることだけは、伝わってきた。
夕焼けが部屋に侵入し、一日の終了を告げる頃、彼女は面と向かってこう言った。
「明日には、ここを出た方がいいと思います」
「今日のことを気にしているのか?」
「それもありますが、これ以上私といれば、貴方を不幸にしてしまいますから」
薄く笑みを向けたセリアは、キッチンとは対面に位置するドアに入っていく。そこが彼女の部屋だから。
ドアを閉める直前、思い出したかのように動きを止めるセリア。
「それと、もうここには戻って来ない方が、貴方のためです」
夜の湖に、人知れず沈んでいく。彼女の表情は、そんな情景を俺に刻みつけた。
俺は自分の部屋のような感覚で電気を消し、二階に上がる。
ベッドに寝ころんで、これからどうしたらよいのかを、目を閉じて考えた。
「これ以上ここにいても、セリアの迷惑にしかならない……か」
彼女の性格からして、気負いを抱く限りは胸を痛めるに違いない。徐々に心身を包み込む微睡みの中で、明日この場を離れる決意を、静かに固めた。