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書き散らしの紙片

とけて消えた

作者: 秋沢文穂

 もうすぐ君の誕生日だね。今年は何をプレゼントしようかな?

 おととし、君の身体より大きなくまさんのぬいぐるみをあげたら、きょとんとしていたね。大きすぎて驚かせてしまったかな?

 去年、おままごとセットを贈ったら、嬉しそうにきゃっきゃっとはしゃいでいたね。

 喜んでいる君の姿が、瞼の裏に焼きついているよ。

 おままごとセットは大正解だった。だって、くまさんを子供に、僕は君の旦那になれたのだから。こんな大役は、幼稚園のお遊戯会以来だよ。

 君と築いた架空の家庭は、僕たちそのものだった。本来の妻に負けないくらい君はしっかり者の妻で、会社帰りに夕飯を済ませてきたと言ったら、とても悲しげな表情をして見せたね。そして、僕のことを「ちゃんと連絡してちょうだい」と、叱ったね。

 まるで、君のママに怒られているみたいだったよ。

 過ぎたことだから告白をすると、あれは僕の出来心いや、ちょっとしたいたずらだったんだ。困った君の顔が見たくてやったんだよ。ごめんね。

 僕のことを軽蔑するかな?

 でも、君のことだからバースディプレゼントを渡したら、けろっと忘れてしまうかもしれないね。

 やはり今年も一緒に遊べるおもちゃがいいと思っているけど、ママは君に勉強をさせたがっている。君にアルファベットだらけの絵本や、数字の並んだカードを見せても、喜ぶとは思えない。むしろ喜ぶのはママだけだ。

 勉強というのは、第三者が強制的にやらせるものでなく、自ら進んでやるものだ。

 だから、僕はママの意見に賛同できない。

 お外で一緒にボール遊びがしたいな。ゴムでできた柔らかい素材で、色は君の好きなピンクがいい。

 ボールを見てはしゃいでくれるだろう。ちょっと待てよ。ボールを持って一人でふらふらとしないだろうか。

 この辺は住宅街だけど、時折自動車やバイクが通る。もしはねられでもしたら……。

 やっぱりだめだ。ボールは来年にしよう。

 そうだ! 僕にはふたつ上の姉がいた。幼い頃、姉はよく人形遊びをしていたっけ。

 確かその人形は金色のさらさらした長い髪、きらきら輝く緑色の瞳をしていたはず。人形専用のドレッサーも持っており、僕がほんのちょっと触れただけでも怖い顔をして取り上げられた。

 もし、君に贈ったら喜んでくれるかな?

 お人形よりも目を輝かせてくれるだろうか。

 もしかしたら、あんなに夢中になっていたおままごとをしなくなってしまうかもしれない。となると、僕のポジション夫役はなくなってしまうのか。

 それはそれで寂しいが、君の喜ぶ顔が見られるのなら我慢しよう。


 来年、君は幼稚園に上がる。家族水入らずの誕生会は、今年で最後になってしまうかもしれない。

 君はとても愛嬌のある女の子だから、瞬く間にお友達をたくさん作り、僕の居場所がなくなってしまうかもしれないね。

 だから、今年は盛大にやろう。僕は君のために部屋を色とりどりの折り紙で飾り付け、ハッピーバースデーと横断幕を作成しよう。そして、ママに頼んで二段重ねのケーキを焼いてもらい、たっぷりホイップクリームを塗ってもらおう。

 きっと、君は食いしん坊だから、クリームの入ったボウルに小さな指を突っ込み、ぱくっとなめてしまうかもしれないね。

 ママは「メッ!」と呆れながら叱り、飾り付けをしている僕に君のことを見張っているように言いつけられるだろうか。

 その間、僕たちの会話を聞き流しながら、これ幸いにずっとボウルに指を入れてなめ続けているだろう。

 そんなことをしていたら、君は顔じゅうがクリームでベタベタになってしまうよ。

 昨年の誕生日は、生まれて初めてケーキを食べたね。あのときも、君はほっぺに白いクリームをつけて、食べていたっけ。とても、おいしそうに食べていたけれど、フォークを持ったまま眠ってしまったね。

 僕は眠ってしまった君をそっと抱きかかえ、ベッドに運んだんだよ。そしてベッドの傍らに腰を下ろして、君の食べてしまいたくなるような寝顔をずっと眺めていた。

 今になって写真に収めておけばよかったと、ちょっと後悔をしているよ。

 本当に……。

 今となってはどうしようもないことだけれども……。


 僕たち三人家族が暮らしていた住居は、白い壁に焦茶色の屋根が乗っている。まるでティラミスみたいなおうちだ。だけど、ここは建て売り住宅地。ご近所みな似たような造りで、僕もときどき自分の家がわからなくなってしまうことがあるんだ。

 このおうちは小高い丘に建っているから、電車の窓から見えるんだよ。毎朝、だいたいの見当をつけて、胸の内で「行ってきます」と言ってるんだ。

 君にもこの風景を見せたかったな。

 大きくなって自分ちが建っているところを電車から眺めて欲しかった。

 今、君はどうしているのかな?

 あれほど誕生日を楽しみにしていたのに……。

 そう、君の笑顔はとけてしまった。

「おかえりなさい」、「いってらっしゃい」、と声をかけてくれる妻も消えた。

 僕のスイートホームは一瞬で過ぎ去り、とけて消えてしまったんだ。


(了)

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