入学式と。
桜の舞い散る中で、わたしは醒めた。
わたしはあの日。一人で校門前に立ちつくしていた。
一面の桜色。
校門に飾られた、校名を記す「玉泉学園」の文字。
錆びてなお、どっしりとした校門。
権威を示すがごとく、広々とした校舎前の広場。
――すべて、知っている。
奇妙な、デ・ジャヴュ。
家の関係と受験会場の問題で、おそらくこの学園にきたのはこれが初めてだ。
なのに、寸分たがわない『この光景』を知っている。
本当に気持ち悪いことに、校門の錆びの一つさえ鮮明に、知っている。
「なに、なんで……?」
パニックを起こしかけたが、今までにも何度かこんな場面に出くわしたことがある気がして、そちらに気を取られた。それが、いけなかったのかもしれない。
一旦過去に意識を向けた、その瞬間。
世界が、回った。
後になってから冷静に考えたら、目が回ったんだよなあ、というだけなのに、入学式ということで緊張していたわたしの意識は簡単に振り切れた。ブラック・アウト。
―――
わたしは醒めた。
これだけ聞いたらイギリスの児童文学の登場人物の暗号日記のようだけれど、とにかく、わたしは醒めた。
目の前に広がるのは、真新しい制服を着た、玉泉学園の生徒たち。その中でもとびきり目立つのは――。
『あ、あの。わたし、編入生なんですけど、第一講堂ってどこですか……?』
『……花里小鞠』
そう。人間離れした美貌の少女……花里小鞠。嬉々としてわたしを追いかける面影なんて、そこにはまったく無い。だって彼女は、『ヒロイン』なのだから。
そして彼女の傍らに立つ、美しい青年――いや、少年と言って差し支えないのかもしれない――は。彼の、名は。
『え? どうしてわたしの名前……』
『今年度の高等部編入はお前だけだ、花里』
彼女の目が大きく開かれる。ありえない、と言いたげだ。
青年は、笑う。
『お前は、試験をすり抜け、申し分ない成績で入学を許可された。オレはお前の案内役だ。名は……緋賀園。緋賀園聖。自己紹介はいらん。時間が惜しい。着いて来い。はぐれても捜さないからな』
きよ。わたしの名前の読みと、同じ。そう思った瞬間、頭の中でスパークと共に【ルート2】の文字が躍った。
また、世界が回る。
今度は、あの子と一緒にいる人が違う。色素の薄い、緑がかった髪の少年。
彼にも、既視感。彼の名前は、そう。翠周。
次は【ルート3】。
一緒にいるのは、また違う男の人。彼は、明日黄千里生徒会長。
そろそろこの異常な現象に、背筋が冷たくなってきたけれど、ブラックアウトは待ってくれない。
続く【ルート4】【ルート5】も同じような感覚で、会話と人だけが違う。けれどきっと、同じ時刻の同じ場所。けれど違う場合の、何か。
次の瞬間走ったスパークは、今までで特大のもの。
巨大なテロップが現れると共に、わたしは絶叫した。
それは、あのふざけたゲームの名前で。
わたしはそれを、『思い出した』。これは、乙女ゲームの世界だと、認めた。
絶叫には、『わたし』の知らない情報が頭に流れ込んできたことへの抵抗のようなものもある。けれど、このゲームは、だめだ。
わたしの名前が【きよ】だから?
違う。それもあるが、決定的にだめなのは、このゲームのミニゲームだ。ミニゲームは本来おまけ要素だが、この乙女ゲームでは、実技と称したアクションミニゲームが強制イベントとして起こる。ただのアクションならいい。わたしだって護身術くらい習っている。
この学園に通う特科生は、すべてが何がしかの人外の血を引いている。彼らに逆らえば、学園追放ではすまない。人に狩られた経験から恨みを持ち、普通科や他の科の生徒を無差別に襲うものだっている。その人外を取り押さえるのが【実技】のミニゲームだ。ルートによっては、関係の無い生徒が大量に死亡する。また、学園が半壊したりする。冗談じゃない。そんなことに巻き込まれてたまるか。そう思った瞬間、だ。
「ひさしぶりだね。えーと、今の名前は、緋賀園、雪ちゃん。だったかな」
思い出したくない、声が聞こえた。
この世界を作った男。わたしの友人にして、天敵。
名前は、たしか。
「飛燕、憂」
「あー、なんだ。思い出したんだ。ぼくが出てきた意味ないね」
「ふざけっ……!」
思わず拳を握り締めたわたしを見ると、ふざけた態度はひっこめた。けれど、突拍子も無いことを言うのは相変わらず得意なようだ。
「前のとこでは、きみもぼくも、死んだことになってるみたいだよ」
静かで読めない、無表情も変わらない。
ていうか、死んだ?
「そう。記憶はないけど、いま君はこれを夢だと認識しているし、今までの身体と心での記憶も軌跡もしっかりと残っている。ぼくもそう。いわゆるこれは、生まれ変わり現象だと信じ込むことにしたんだよ」
「心を読まないで。ていうかそこ、定義した、とか言ったほうがいいんじゃない?」
「無理。思い出したのはぼくも今なの。だから無理」
こいつにこの手のことを言っても通じた覚えがないのでスルーする。
「で、今思い出したって?」
「あ、やっぱり気になる? 変なとこ細かいよね、きみ。まあいいや。ぼくもたぶん、きみと同じ世界に生まれ変わった。死に際のことは覚えていないんだけれどね? で、入学式の日に校門見て、記憶こじ開けられて……でも詳しいシナリオ覚えてないし。困ったね。実技大量死亡ルートは回避したいんだけど。家族のこととか、自分のことは覚えてないかな。名前とゲームとラノベくらい」
「ああ、こっちもおんなじ。名前は覚えてないけど。てことは、あんたほとんど役に立たないね? 思い出してることが同じならさ。でも、なんでわたしの名前知ってたの」
「ああ、それ? 緋賀園雪が倒れたとこを教室から見てて、それから急に眠くなったんだ。で、記憶を」
頭が痛くなってきた。けど、良かった。こいつはこんな感じだが、頭の回転は速い。協力できるなら、心強い。
「……で、雪ちゃんはどうするのかな?」
「どうって?」
急な問いかけ――それも真剣みを帯びた声音に身体を硬くする。こいつのこの雰囲気が苦手だった気がする。
「えー、だってせっかく乙女ゲームの世界なんだよ? 攻略キャラとお近づきになったりしたくないの? まあ従兄弟とか、もう面識あるみたいだけど」
「何でそんなことまで知ってんの気持ち悪い。……攻略キャラとヒロインには、なるべく近づかない方向で」
「へえ?」
三日月みたいに、口の端が上がる。うん、やっぱりこいつ、苦手だ。
「目指すのは、わたしたちの実技死亡ルート回避の方向でいくつもり。どうせもてる容姿でもないし、細心の注意を払って行動すればいけるはず」
「ふうん。じゃ、そういうことなら協力しないでもないかな、うん」
「もしかして、試した?」
「別に? ぼくは二次創作だって楽しませてもらってるよ。最強設定はいただけないけどね。ま、向こうにちょっとした心残りはあるけど、こっちで成就できないわけでもなし」
「そうなの? じゃ、そういうことで、お願いね」
「うん。きみも目立たないようにがんばってね」
? 何を言っているんだろう。あんな濃いメンバーばかりの特科のある学園で、わたしが目立つことがあるとでも思っているのか。あ、醜態を晒す的な意味か。失礼にもほどがある。
考えているうちに、どこか思考に靄がかかってきた。目覚める合図だろうか。
「じゃあ、雪ちゃん。また、現世で」
「うん。憂、また」
こんな挨拶でいいのかと思うほどに軽く言い合って、くるりとわたしは踵を返した。が、大切なことを忘れていた。
この世界での奴の名前を、聞き忘れた。憂で通じるから忘れていた……!
けれど、靄の向こうに彼の気配は無かった。時、既に遅しである。
目覚めたのは保健室のベッドの上で、もう放課後だった。目立たないように、ってそういう意味か!
養護の先生によると、男の子が連れてきてくれたらしい。あ、あいつではないな。あいつは人の不幸を笑うタイプだ。
その人に会ったら、ちゃんとお礼、しないとな。
友人
???(前世名:飛燕憂)
他人をからかうことが好き。特に親友である雪が犠牲になる。
少なくとも前世雪に対する恋愛感情は皆無。
多趣味で多才。ラノベ・ゲームシナリオ作家はその延長。
雪ちゃんは本気で嫌ってるわけじゃないし頼りにもしている。ギブ&テイクのドライな関係だったと記憶するが、傍から見れば相当仲良かった。