生徒会室
ひいこら言ってる受け身で苦労する主人公。
――忌まわしい
――忌まわしい
うるさい。
――この緋賀園に、黒髪など
――なんたること、なんたる不運
知らない。
――消すも無駄
――ならばいっそ外に晒さなければ
……。
これは、夢。だから、大丈夫。早く目覚めなければ。これは今じゃない。昔の話。
ああ、わたしはどうして眠っているのだろう。早く授業に出なければならないのに。さあ、早く起きないと。
―――
目を覚ますと、わたしは汗だくだった。空調の効いた部屋が寒くないのはよかった。寒いのは苦手だ。
ばくばくと大きな心臓の音が、部屋中に響き渡っているような気がしてしまう。
なにか夢を見ていたような気がするけれど、それがなんだったのかは思い出せない。ああ、気持ち悪い。けれど、この妙な動悸からするとあまりいい夢ではなかったのだろう。案外忘れていてよかったのかもしれない。
そういえば、ここはどこだ。
無駄に広い部屋で、わたしはソファに寝かされていた。体の上には誰かのブレザーがある。おそらく、わたしを眠らせた双子のどちらかが、どこからか持ってきたものだろう。あの二人にそんな紳士的行為をはたして行えるのかは不明だが。ん? ていうか、ちょっと待って。……眠らせた?
「あ……っ!」
勢いよく起き上がると、頭に鈍痛が走った。小さく呻いてソファに逆戻り。転がり落ちなかっただけ、まだましか。こめかみを押さえ、今度はゆっくりと身を起こした。
思い出した。わたしは双子に嵌められて、彼らに生徒会長に会わせるために連れて来られたのだ。なんてこと。
「……ということは、生徒会室?」
夢のことも脳内からほっぽり出して行きついた思考のゴールはそれだった。
わー、さっすが玉泉学園。生徒会室も無駄に広いなー。……なんて。
現実逃避してる場合じゃないじゃないっ! 生徒会長は攻略対象のキャラクターだ。それに、歩くトラウマ製造機だったような気がする。絶対に会いたくない。どうしよう、どうやってこの窮地から抜け出す? 双子がここにいないのはなぜ? ちょっと面倒なことになったって、何が? わからないことばかりだ。ああ、もうっ!
考えてみよう。抜け出す方法。外に出るには、人がいない状態でなきゃいけない。でも確認する方法はわからない。だから保留。
じゃあ、双子がここにいないのはなぜか。おおかた、明日黄生徒会長を呼びに行ったのだろう。そして、どちらかは見張りを……いや。それより彼らは花里小鞠に接触しに行くだろう。四月は彼らとの馴れ初めのシナリオだったはずだ。それに、悪意をまったく見せず素性も知れないままにわたしを構う特科編入生。彼らにしてみれば、好奇心を掻き立てられる存在だろう。だとしたら、ここには生徒会長が来るまで誰もいない、もしくは双子の見張りだけが残されている可能性が高い。それからわたしと。
壁時計からするに、今はまだ授業中のはずだ。だから生徒会長が来るまで時間がある。といっても、もうホームルームだからおちおちしていられない。わたしの仮説が正しいならば、たぶん、扉の外にも誰もいないだろう。
……よし。ソファの上から靴を探す。さいわい、すぐそばに揃えてあった。双子がやったとするとますますおかしいけれど、今はそれを考えている時じゃあない。
ブレザーはどうしようか迷ったけれど、ソファの背に掛けておくことにした。彼らのではないだろうし、わたしが持っていても仕方がない。靴を履いて、いざ立とうとしたとき。前触れも無く、扉が開いた。
どうあがいても絶望。
というテロップが、脳内を駆けめぐった。あーあ、でっかい死亡フラグが建っちゃったー。トラウマ製造機にだけは会いたくなかったのに!
「……女子?」
男子に見えるのかこんちくしょう。わたしは自暴自棄だった。だから、彼が扉を閉める音にも気づかなかった。
ああさようなら、玉泉学園。
「あんた、どうやってここまで来たんだ?」
は? あなた双子から聞いてないんですか?
そう言い返そうとして彼を見た。そして気づく。
藍色をスプレーしたような濡れ羽色の髪。怪訝にひそめられた眉の下、濃鼠色の瞳。間違っても生徒会長ではない。彼は、副会長の蒼風伊吹先輩だ。攻略対象の一人である。
そう理解した瞬間、身体が勝手に動いた。
ソファに背中を貼り付ける。本能的な部分で怯えているのだ。けれどそんなわたしを見て、さらに彼は首を傾げた。
「私は、あんたになにか怯えられるようなことをしたか?」
ああ、絶対に彼は副会長だ。彼の一人称も「私」だった。なにやってんだ、わたし。さっさと逃げればよかったんだ。彼や生徒会長に見つかるより、見張りに見つかったほうが対処できたはずだ。
「でも、わかった。あいつはあんたに会わせたくなくて、生徒会室に行くなと言ったのか」
あいつ? 彼の性格からすると、双子のことはあいつらと呼ぶし、生徒会長ではないだろうし。花里さんも論外。授業中だ。……誰のこと?
そんな心境が、顔に出ていたのだろう。彼は片眉を上げた。
「あんたは、私の質問に答えていないだろう? 質問したければ答えることだ」
いや別に質問したいわけじゃないんで。しかし、質問に答えなければ、扉は開けてもらえないだろう。ゲームでの彼は往々にして気まぐれだが、頑固な一面もあったのだ。仕方ない。話題を発展させなければいいのだ。
わたしがそう結論づける前に、彼はどんどんこちらへやってきていた。いやーこないでーと心の中で叫びつつ、わたしは言った。
「ひ、緋賀園紅蓮様と緋賀園焰様に連れてこられました!」
「……緋賀園?」
蒼風様が意外そうな顔をする。ですよねー、普通中等部生が高等部の生徒会室に人連れてこないですよねー。
「いや、私が会ったのは……ああ、なるほど。繋がったぞ」
「あの?」
「うん? あー、なんだ。大変だったな」
「……はあ。あの、わたしもう行ってもよろしいでしょうか?」
一人で納得した風情の先輩。彼に戻ってもよいかと許可を求める。ホームルームには間に合わないけれど、生徒会長と鉢合わせはごめんだ。わたしまだ死にたくない。
「ああ、大丈夫。面倒かけてすまないな」
「いえ。では、失礼いたします」
「いや待て」
「は、一体なに……」
急に腕を掴んできた先輩に、うっかり文句を言いかけた。慌てて口をつぐんだが、彼はそれに気づいていないようだった。高い位置にある顔は、一直線に扉を見つめている。
「……ソファに戻れ」
「はい?」
「聞こえなかったか。ソファに戻れ。そして目を伏せていろ」
「え、ちょ……!」
動かないわたしに業を煮やしたように、先輩はわたしをソファに放り投げると、「動くなよ」と言った。怖いんですけど。怖くて動けないんですけど。
そこまで考えて、わたしも気づいた。扉の向こうに、誰かいる?
ぎょっとして視線を下げたわたしに、彼が少し笑ったような気がした。顔は見えないけれど。
わたしが従ったからか蒼風先輩はそれ以上は言わず、わたしの髪を掬った。瞬間。
扉が開いた。
「……蒼風か。お前がいるとは珍しいな」
「ああ、生徒会長。ちょっと気が向いたから。ご機嫌よう」
げっ! 生徒会長……!?
蒼風先輩は、わたしを隠すように立っているわけではない。でももしかしたら蒼風先輩が連れてきたと思ってくれるかもしれない。こんな状況だし、そうであってくれ。
髪を掬った蒼風先輩は、小さく笑う。ゲームでも思ったけど、よく笑う人だ。
「ご機嫌よう。蒼風、ほかに誰かいなかったか?」
ほっ。わたしを捜しているわけではないようだ。一安心。こんなところで彼らと関わりを持ちたくはないのだ。
「誰かって……人でも捜しているのか?」
「ああ。中等部の、緋賀園の双子に聞いた」
ハイ? ごめんもう一度言っていただけますか? 緋賀園の双子?
「緋賀園、な。全校放送でもしたらどう? 明日から学校来なくなるかもしれないけど。で、名前は? 男子? 女子? 学科は」
「高等部普通科。一年女子。名前は……」
その先は、ぜひ言わないでいただきたいのですが。そんなわたしの願い虚しく、彼は薄い唇を動かした。
「姓は緋賀園。名は知らん」
「……訊かなかったんですか」
「緋賀園なんて姓はそういない。しかも普通科一年、女子の緋賀園といえば、学園でも噂の的だ。お前も知らないわけではないだろう」
「さあ。私は噂話が嫌いだから」
思いっきりわたしのことみたいですねー。だってほかに緋賀園がいるなんて、父も言ってなかったし。早く帰りたい。
……でも、それだとおかしい。先ほども言ったとおり、わたしの身体は生徒会長から丸見えなのだ。普通なら問い詰められているところだろう。なのになぜそうされない? ああ、最近はわからないことが多すぎて、なにから処理していったらいいのかわからない。
「どうしてもわからないなら、黒乃谷に訊いてみたらどう。私は本当に、そんな女子生徒知らない」
すみませんわたしです。この人、わかってやってるのかな。わかってやってるんだろうな。楽しいこと好きだし。
「あいつが生徒会に教えると思うか?」
「嫌われてるのは生徒会長だけどね。じゃあ私が今度訊いてこよう」
「お前……」
ああ、生徒会長が先輩を睨みつけているのがわかる。こわい。
先輩がわたしの髪を軽く引く。立てってことか。おとなしく立ち上がって、彼の後に続く。もちろん、視線は下げたまま。
「おい」
背後からした、生徒会長の声にびびる。所詮わたしは小物なのだ。チキンハートなのだ。
「このブレザーに覚えはあるか?」
ブレザー……あ、わたしがソファに掛けたやつか。わたしは知らないぞ。
わたしがそんなことを考えていると、こともなげに先輩が言う。
「ああ、これから返しに行くよ。それ貸してください。ありがとう」
行くよ。そう言うように髪を引っ張られ、今度こそ生徒会室から退出した。
―――
「ありがとう、ございました」
「いや。双子の尻ぬぐいも大変だな。あんたが緋賀園の編入生だろう?」
「……なんのことだか」
この後におよんですっとぼける。わたしは攻略対象たちと関わりたくないのだ。あの双子はもう仕方ない。あれは回避不可能だ。どんなに回避率とすばやさを上げても出てくる、回避率0のわざのような方々だ。無理。
そんなわたしを見て、やっぱり先輩は怒らなかった。ちょっと楽しそうに笑うのだ。ゲームと、同じように。
「まあいい。じゃあ、今度は絡まれないようにしろよ。緋賀園の従姉」
「はっ……!?」
あの生徒会室にいたときでも、こんなに心臓が跳ねたりしなかった。ばれている。出自がもろばれである。プライバシーの権利を、今この場で主張したい。
「ちょ、蒼風先ぱっ……!」
悲鳴に近い声をあげた時、もうすでに彼はどこかへ行ってしまっていた。言いふらしたり、しないよね……?
わたしがあの双子の従姉だということは、外部に洩らしてはいけないのだ。極秘事項ということになっている。
ううん。蒼風先輩、何者。とにかくこれからは、気をつけて行動しないと。
わたしはとにかく花里さんに会わないように、一目散に寮へと駆け戻ったのだった。
はい、死亡フラグが目に見えるようになりました。
フラグ
恋愛:?
死亡:1
基本的に、恋愛フラグは主人公には見えません。死亡フラグは主人公が把握してる数だけ。