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天井知らずの明日に向かって

ISインフィニット・ストラトスをイメージ元とした独立作品です。既存の作品との関わりは一切ありません。感想、評価大歓迎です。ドッロプアウトした場合もどのあたりか記入していただければ今後の作品作りの参考になります。モラルの範囲内での辛口コメント期待しています。

「ISっぽいもの(仮題)」


「ない?ないって名前がですか」

この時少年が受けた衝撃は人生で最大のものだった。眼前にみえる大きな学舎は要塞のようにそこに立ち。自分の横を喜々とした表情で闊歩していく青草の少年少女たち。目の前の校門ゲートを超えた先では卸たての学生服を見せびらかすように跳ね回る初々しい姿も飛び込んでくる。けれど少年は自身が彼らの仲間ではないことを今しがた知った。

「もう一度言います。獅童燐です。本当にありませんか」

「何度も確認しましたが『シドウリン』という名前は今年度の入学者名簿には載っていませんね」

受付係のお姉さんはこともなげにいう。

「手違いの可能性もありますので一度教務部に問い合せてみますね」

「お願いします!!」

燐は前のめりに手をついていった。鬼気迫る迫力だった。


獅童燐は今年から高等学校に通う予定の16歳の少年である。倍率何十倍といわれるこのナントカ学園の特進科入りを目指しこれまで惜しみない努力と気力を勉学に注いできた。そして、念願の合格通知を受け取ったのが1か月前。晴れてこの「ナントカ学園」の入学資格を得て本日入校式に趣いたのだった。親元を遠く離れ西の故郷に別れを告げ単身、輝かしい未来を夢見てここまで来たというのにいざ入場受付を済まそうとしたところ合格の事実はないと知らされた。目の前の未来絵図が今、音を立てて崩れていく。

「獅童さん、獅童燐さん?」

そんな幻覚にとらわれていると自分の名を呼ばれたことで一瞬にして現実に引き戻される。

「は、はい」

「教務に確認したところ、補欠合格者リストのなかに名前があったそうですが心当たりは?」

「補欠?ですか」

「はい。合格通知書にも明記されていると」

「そういえば通知書は受け取って家族が読み上げたきり自分では一度も目を通していませんでした。事実にただただ興奮して」

「そうですか」

「そうだ、そこの電話お借りしてもいいですか」

そういうと燐は受付横に置かれた固定電話を指差す。

受付係は一度逡巡してから燐に受話器を差し出す。

「ええ」

Trurururuururururu

流れる呼び出し音が一巡するたびに焦りが膨れ上がる。

「もしもし獅童ですが、どちら様ですか」

「もしもし、亜美か。おれや兄ちゃんや」

「あんちゃん?どないしたん?」

「母ちゃんは?はよ代って」

「おかあちゃん、いま回覧板まわしに・・・」

「まじか。じゃあ亜美でええから、おれの合格通知、あるか?」

「あんちゃんの合格通知って多分神棚に置いとお思うけど」

「せやったらはよとってきて、頼むわ」

「ようわからんけど、そのまま待っててな」

電話口のむこうから忙しくバタバタと動き回る物音が聞こえる。

「あんちゃんあったで」

「なんて書いてある?」

「難しい漢字多くてわからん」

「なんでやねんな。じゃあ「補欠合格」ってだけどっか書いてない?」

「待って・・・えっとな「この度、獅童燐さんをなんとかかんとか・・・補欠合格とし本校にお迎え致します。補欠合格の詳細につきましては別紙さん・・・」」

そこまで聞いて受話器を耳から離した。

「いかがでしたか?」

無言で頷く燐。

一瞬、白いもやが頭を染め燐は黙りこむ、そして受付係に問いかけた。

「補欠ってことは欠員がでれば、ですよね?」

「今年は辞退者が0、ナシだそうで」

告げられた事実を前に燐は手をついてうなだれた。ようやく知る自分の現実に脳が考えることを放棄しかけたその時。

「君が、獅童くんかい」

声の方へ顔を起こす。人影の向こうから日が照らす、逆光でよく見えない。

「獅童くんでいいんだよね」

二度目の呼びかけで燐は意識を呼び起こす。

「はい、獅童燐です」

「私は教務部の五十嵐というものなんだがさっき話を聞いてね。いやあ今回はすまないことをした。こちらも補欠合格者への後日通達を疎かにしてしまってね、欠員もでなかったもので」

言葉尻、燐から目をそらす五十嵐。

「あの、僕いまさら帰れと言われてもそういうわけにはいかなくて」

「わざわざ遠くから来てくれたそうじゃないか、そうか、今回はこちらの不手際でもあるわけだしね」

五十嵐は顎に手をあて考え込む。

「一応、学園長には話を通してあるんだ。直接なんらかの処置を高じてくるとおもんだけれど、一緒に来てくれるかい」

「はい」

身を翻し歩を進める五十嵐に続き気力の抜けた重い体をひきずりながらも燐は校門をくぐっていった。

綺麗に設えられた廊下は土足で歩くことに罪悪感を味わうほど立派だ。

「綺麗ですね」

「まあね、自慢の一つでもあるからね」

とりとめのない会話を繰り返し、札が掲げられた学園長室前にたどり着く。

2回トントンとノックをして取っ手を回した。

「学園長、ご案内しました」

先を行く五十嵐に続いて燐が中に入ると奥の大きな机の向こうに男性が立っていた。窓の外を見ていた男性は「ご苦労さま、五十嵐くん」

と、五十嵐の声に振り向き労いの言葉をかける。

軽く会釈したと思うとすぐさま燐を部屋に残して五十嵐は退出してしまった。借りてきたねこのように縮こまっていると学園長が燐に声をかける。

「君が獅童、燐くんか」

「は、はひぃ」

恥ずかしくも緊張で声が裏返ってしまう。

「す、すいません」

「きにしないでくれ。まあそこに座って」

応接用のソファに促される。

「失礼します」

見た目から高級そうなソファに浅く腰をかけると感じたことのない柔らかさに戸惑う。それがさらに燐を緊張させる。学長は戸棚から何かを取り出すと燐の対面のソファに腰掛けた。

「災難だったね、いやこちらの落ち度でもある。すまなかった」

そういって手に持ったグラスに水差しの中身を注ぐ。

「緊張しただろう、気にせず飲みなさい」

もてなしに戸惑いつつも、緊張で乾いた喉を潤おしたくて、グラスに手を伸ばす。

「普通は事前にわかるものなんだろうけどね。ただうちは物販も正式な手続きも入学式後に行うのでね。といっても私も新任なんだ」

驚きを隠さすことなく燐は聞き返す。

「そうなんですか」

「今年から叔父のかわりにね。わたしも一年生ってことだね」

グラスをコースターの上に置き、改めて学長の顔をまっすぐ捉える。しっかりした眉、若くて柔和な顔立ちに優しそうな印象を受けた。

「本題だけど、今回は本当にすまなかった。それで考えてみたんだが君もこのままとんぼ帰りは本意ではないだろう」

「はい、もちろんです」

学長の言葉に被さるように燐は肯定した。どうにかしてでもここに残らなければ、強く思った。

「そこでだ折角私が学長になったわけだし初っ端から特例を出してみてはどうかなと、もちろんみんなが納得する方法でね」

「ホントですか!?します!なんでもします!」

「おいおい、肝心の中身を聞かなくてもいいのかね、とはいえもうじき式が始まる。よし、詳しいことはあとで話すとしよう。とりあえず君は教務部へ行って制服を受け取りなさい。さっき君を案内した五十嵐くん、彼に言ってある」

そのあと何度も何度もお礼の言葉とお辞儀を繰り返し燐は学長室を後にした。しつこいほどの感謝の波に窒息しそうになっていた理事長。燐が退出した後、ボスンと音を立てソファに座り込む。


学長の指示通り、教務部へ向かい五十嵐を呼び出してもらった燐は制服を受け取り更衣室へ案内される。着替えを済ませると息つく暇もなく講堂へと向かった。

「私はここで。君はあそこの空いている席に座り給え」

あらためて五十嵐に礼を述べると、周りの邪魔にならないようにそろっと空席に腰を落とす。どうやらまだ開会まで間があるようで周りの生徒はひそひそと談笑していた。聞き耳を立てるとその多くが英語を含む外国語、受験英語をガチガチに詰め込んだ燐には節々を理解するのが精一杯だった。

そしてしばらくして入学式が始まった。壇上に登った先ほど面会したばかりの学園長。壇上を離れた位置から眺めると先程よりも堂々として着任したてとは思えない風格を漂わせている。

「皆さん、ご入学おめでとう。知ってのとおりこの学園はいずれ世界規模で活躍できる人材を育むために建てられたAWの特殊訓練校です。カリキュラムのなかにはほかにはない特殊なものも多く存在しますが気負うことなく精一杯頑張ってください。かくいう私も学園長の職を継いで日が浅い身、皆さんと同じ一年生ということで仲良くしていただけると幸いです」

このあとももうしばらく学園長の挨拶は続き入学式らしいありふれた内容で進行していった。

「それでは、最後に在校生による空中演舞をご観覧下さい」

司会の言葉に新入生が少しざわつく。空中演舞、ここにいるものの多くはこれを期待していたといっても過言ではない。それは燐も含めて。この学校がなぜ全世界的な名門校なのかそれはAWアーマードウェア、高性能マルチプラットスーツの実地カリキュラムが取り組まれている世界でも数少ない学園の一つだからである。生徒たちのザワつきが収まらぬまま講堂の天井がゆっくりと2つに割れていく。そこから覗く澄んだ青空に一瞬目を細めるとまたしてもアナウンスが流れる。

「これから在校生による空中演舞をはじめます。安全には十分配慮していますが新入生の皆さんは決して立ち上がらないでください」

アナウンスの終とともに舞台袖に控えていた吹奏楽団が壇上にひしめき円舞曲を奏ではじめた。そちらの音色に気を取られていると、今度は上空から空気を震わす音が、会場に届く。一列に固まった鉄の塊が、空いた空間から、屋内へ飛び込んできた。そして生徒の頭上3メートルくらいの高さで停止すると、何らかの軌跡を描くようにまい始めた。鳥のように優雅に隊列を形成して、さながら空中パレード式典用に飾り付けされた、AWはさらに華やかさを引き立てていた。演舞が終盤に差し掛かると、隊列はゆったりとしたスピードで新入生の周りを超低空飛行でぐるりと周回し、そのまま抜けた天井から飛び立っていった。そして最後の一人を見送ったのを確かめたように、そこで演奏は終了していた。つかの間の静寂の後、どこからともなく乾いた拍手がうまれ、つづくようにそれは大きな波になって会場を包んだ。ただ見ているだけだった燐も、心の内から打ち震え感動し、この学園に入学したことの喜びをかみしめていた。

式が終わり、順々に新入生たちは、教師の指示に従い会場を後にする。自分の番がきた燐もそれに倣い廊下を歩いて教室まで向かう。教室のある廊下は、教職員棟と違い絨毯は敷かれていない。その違いに驚きながらもたどり着いた教室の前で表札をみる。

「よし」

燐の期待通り彼のクラスは、当初の希望通り特進クラスのようだ。この学校の特進クラスは2クラス有り、燐はそのうち特進クラスBに在籍することになる。

意気揚々と入口をくぐるとすぐさま不穏な空気を感じる。なんというか、ギスギスしてるという、なんというか、いろんな空気が混ざり合った不協和音を、肌で感じた。さすが多国籍マンモス学校。いろんな国の人間が集まればこんな空気になるのかと一人納得する燐。周囲を見回し空いてる席を探すと、ひとつだけ誰も座っていない場所を発見。近づき椅子に手をかけると

「待て、そこは私の席だ」

英語で話しかけられすぐには理解できなかった。なすすべなく遅れて入ってきた女子生徒に席を奪われる。少女の目の前で立ちすくんでいると、担任教諭らしき人物がづかづかと入ってきた。

「おまえ、なにやってんだ名前は」

「はい、獅童です。獅童燐」

「あ~おまえが補欠の」

ボリボリと気だるそうにタブレットで頭を書きながら男はそういう。そのまま教室を見回す教師。

「ああ。後ろのアレ予備の机あんじゃん。端末ねえけど」

すべての授業が電子端末で行われるこの学校。すべての教室の机と教卓には電子端末が備え付けられている。

「さっき、事務員さんが持ってきてましたけど」

「そうか、そうか」

燐を除いて現在すべての会話が英語を含む外国語で進行している。

「じゃあ獅童おまえそれ使っとけ」

燐に支給された机は、ほかとは比べ物にならないくらいみすぼらしい、木造の机。他が真っ白なパソコンデスクを使う中、この落差に人知れず心の中で泣いたのは、誰も知る由もない。

その後も出席、授業説明など外国語で進む中、なんとか単語だけを聞き取っていた燐だが、さすがに耐えかねて挙手した。

「なんだ獅童またおまえか」

「すいません、内容をうまく聞き取れなくて」

「おまえ外国語わかんじゃねえのか?」

「いえ、受験英語くらいしか」

燐の言葉にクラスメイトがどっと笑い出した。あまりの恥ずかしさに顔を赤くしてうつむいてしまう。

「ならおまえ、通訳機つかえよ」

呆れ声で言われてしまう。

「通訳機ですか?」

「わかんねえやつはみんなしてんだろうよ」

言われて周りを見渡すと全員ではないが何人か耳に補聴器のようなものをかけていた。

「あれが通訳機ですか」

「入学案内であったろう、自信のないやつは買っとけって」

そんな便利なものがあったことに、燐はいままで気づかなかった。その入学案内ですら、今日の午前中の物販の前に、配られてたものらしい。つくづく燐は後手に回ってしまっている。

「すいません、あとで買っておきます」

そう答えたあとに担任の口からため息が漏れるのを、それからクラスメイトから嘲笑をうけるのを感じて、意気消沈のまま腰を落とした。その後も脳をフル回転してオリエンテーションを聞き取り、各々自己紹介もこなした。幸いなことに翻訳機をつけていれば大多数に言語は理解できる上、その他の学生も3カ国語以上を要しているものまでいたため、自分の番が回ってきたときは、開き直って全文日本語で自己紹介した。それでもばかにされていないかとは内心ひやついていたが。その反面向こうの話し言葉は英語、スペイン語、その他の母国語で、最後の方は強くこめかみを押さえつけていた。ようやく終了の合図がなる頃には、実際よりも三倍時間が経っている心地であった。


その後、クラスメイトが入寮式に向かう中、呼び出しを受けた燐は再び学長室に向かった。今度は担任の教師とともに。

「ところで先生、お名前伺ってもいいですか」

「はあ?お前聞いてなかったの?」

「いえ、言ってなかった気が」

「そだっけ?・・・まあいいや。桐生。下の名前は勝手に調べろ」

「は、はあ」

「それにしてもおまえも大変だな」

「ええまあ」

「学内年間ランキング10位死守のうえ学校の雑用とか」

「ええ・・・ってなんですかそれ!?」

「聞いてないのかよ、おまえを入学させる条件」

学園長との会話を思い出す燐。条件を出すとは言っていたが、話を聞かずに二つ返事した上に、時間がなくそのままになっていたことをおもいだした。

言葉をなくす燐。

「まあ短い付き合いだろうがよろしくな」

その言葉には言外に、可能性の否定が込められていた。

そうこうする間に再び学園長室前についたふたり。

「おれはここでな」

ひらひらと手を振って去っていく桐生。

「案内ありがとうございました」

今のところ燐は桐生に対してあまり良い感情を抱いていないが、それでも深く頭を下げて礼を述べた。

「失礼します」

ノックをして数秒。返事がないのを了解の合図と受け取り入室した。中では紅茶片手に応接卓の上で書類とにらめっこしている学長の姿があった。

「学園長、返事がないので勝手に入らせていただきました」

燐の声にようやく訪問に気づき顔を上げる。

「おお、すまないね、かまわないよ。ちょうど書類に目を通しててね。こっちに来てかけたまえ」

「はい」

おずおずと近づき対面のソファに腰を落とす。

「これが君の書類だ。簡単な同意書になる。ほかの分はおうちに郵送しておくから今日はこの数枚にサインしてくれればいい」

差し出された数枚の書類には、同意書の言葉のもといくつかの文言が添えられていた。

「そのまえに学園長」

「ん?」

視線を燐に移す。

「その、ぼくの条件ってのを確認したいんですが」

「ああ、そうだったね。時間が経ってすっかりわすれていたよ」

「なんだかランキングがどう、とか」

「すでにきいてあるのか」

「いえ漠然とだけ」

燐は不安を押し殺すように片方の拳を、空いた手で強く包み込んだ。

「そこまで怖い顔をしなくても。まあ多少無茶は承知の上なんだがね」

学園長の顔は柔和だが、それでも何を言おうとしているのかは匂わせない。

「うちも含めて関連校で行われているんだけどね、学校ごとにAWを用いた実技テスト、定期大会での成績で査定を行い、一年を通して成績を競い合うんだよ」

「そのランキングで10位以内ですか」

「そうだね、もう少し甘くてもいいんだろうけど仮にも特進クラスだし、特進クラスは必然的に上位にくる。君も特進クラスに入りたくて受験したんだろう」

「ええまあ、それで結果はいつ」

「定期的に公表されるけど君には中期と年度末をパスしてもらおうかな」

「2回ですか」

「けどほかの考査も極端に悪ければこちらも考えを改めるつもりだよ」

生唾を飲み込んだ、首筋にもじわりと脂汗が浮いている。

「わかりました。自信はまだないですがその条件で頑張ります」

「そうか、そういってくれてうれしいよ。それと」

「まだなにか」

「君には放課後事務員として従事してもらうことになった」

「なんですかそれは」

いくぶんカタコトっぽくなってしまった。

「まあ簡単な手伝いだと思ってくれればいいよ。これはその、特例による学校側への体裁というか」

先程までとは違い居心地悪く切り出す学長。

「年間ランキングはあくまで外に向けたもので、これは学内の教職員をなっとくさせる手段なんだ。君も特例合格のせいで風当たりが強くなるのは困るだろう」

「言わんとすることはわかりますが具体的には」

「そのことは教務の五十嵐くんに一任してある。彼にまかせておけば大丈夫だろう。君のプライベートが削られることは目をつむってもらいたい」

いままでのことを頭の中で噛み締めながら燐は学長を見つめる。

「二つ返事で頷いたことを後悔はしていますがほかに残る方法がないなら、その条件謹んで受けさせてもらいます」

深く頭をさげた。

「そうか、そういってもらって助かるよ。期待しているよ」

学園長はほんとに喜んだ、というよりホッとした表情だった。彼にとっても悩みの種だったのだろう。

「あとの詳しい話は五十嵐くんに聞いてくれるかな」

「はい」

退室間際もう一度深くお辞儀をしてから燐は部屋を後にした。燐が去ったあと、カップ片手に学園長は自分の椅子に席を移した。大きな窓からカーテン越しに外を眺める。ぬるくなってしまった紅茶を一口すすり、目を細め期待を込めて青空を見つめた。


両手に山積みの書類を抱えて燐は、仕事のできる場所を求めて学内をさまよっていた。本当は自室で片付けたかったがどうにもそういうわけにはいかなかった。さきほど教務部の五十嵐に当面の住まいを紹介してもらった。当面というのは燐が本来の入学生ではない以上、当然彼のための寮も手配されておらず、それが用意されるまでの仮の住まいということだ。案内されたそこは今はもう使われていない旧校舎の宿直室。中に入って燐は唖然とした。パンフレットに載っていたお洒落な寮の写真とは似ても似つかない、旧時代的な宿直室の内装。掃除の行き届いていない畳敷きに、丸い輪っかがぶら下がった電灯。田舎の祖母の家を思えば住めない環境ではないが、大きく期待をはずされ、さすがにショックを隠せなかった、そのためそのまま外で仕事をすることにした。学内を歩き回り、空調の効いたカフェラウンジを見つけると、テーブルの上にどさっと書類の束を置きさり、セルフサービスの飲料水で喉を潤した。交通費で所持金をほとんど使い果たし、残りも心もとない。数日後に用意される学生証があれば学食を自由に利用できるらしいが、それまでは節制せずにはいられない。この学園は比較的富裕層が多く集まるなか、できることなら恥ずかしい振る舞いは避けて通りたいが、それも今は仕方ない。そう自分に言い聞かせて仕事に取り掛かる。仕事の内容は、合格者名簿と今日の入場者名簿の照会。コンピュータでなんでもできる社会でもこういう人力仕事はわずかながら残っている。名簿を照らし合わせ。本日の欠席者や2重記帳など間違いがないか地道に探していく。そのまま20分ほど作業に没頭していた。

「きみ、なにしてるの?」

また英語で話しかけられた。どうも話変えられる瞬間は身構えてしまうようだ。けれど英語だけならわからなくはない、あくまで日常会話は、落ち着いて声の主に振り向く。

目を奪われた。綺麗だな、髪が。さらさらと金色の髪がひらひらとゆれてその奥の宝石のような青い目が燐をとらえる

「えっと、あなたは誰ですか」

「わたしはリズベット、リズでいいよ」

「はじめまして、僕の名前はシドウリンです。よろしくおねがいします」

「ぷっ!」

挨拶をしただけなのに突然少女リズは吹き出した。

「なにかおかしかった?」

「いや、おかしくないけど。言い方が固いよ」

「ああ、そう。学校で習った英語だからさ」

「ごめんね、わらっちゃって」

「気にしてない」

「ところで・・・」

リズは燐の前に小高く積まれた書類に目をやった。

「それ何?」

「仕事。ごめん、うまく説明できない(英語で)」

リズはしばしなにか考えこむ。

「ふ~ん。ねえ、ワタシ暇してたんだ手伝ってもいい?」

「いいの?」

「同じクラスなんだしさ」

「そうだっけ?」

「うっそ?聞いてなかったのワタシの自己紹介」

「あ~、ごめん。色々とさ・・・」

「いいや、それよりやろやろ」

「うん、ありがとな」

それから半分に分けた仕事を、しばしば談笑しながら、片付けていった。燐には、リズの言葉をすべて理解することはできなかったが、彼女の優しさと明るさに触れられた気がして、今日一番の充実感を得た。その後もなんとか仕事をこなし1時間後には予定よりも早く仕事を終わらせていた。

「ありがとな、リズ」

「えへへ、今度お礼してね」

「安いもので頼む」

「冗談だって、私も楽しかったし。さて、お腹すいたから寮に戻ろうかな」

「そっか、じゃあまた明日」

「うん、またね」

手を振りながらその場を去るリズ。だが、途中で足を止め振り返る。

「そういえば、明日から早速面白くなりそうだよ」

「なにが?」

「いひひ、じゃあねリン!」

元気に駆けていくリズの後ろ姿を見送ってから、燐はその場を後にした。


翌日の教室でリズの言ったとおり驚きの発表があった。今から一週間後に新入生によるクラス対抗の交流戦が開かれるというのだ。

「今言ったとおりクラスの中から2名の代表を選出、出場してもらう。まあ新入生歓迎イベントの一環だ。気楽にやれ。このクラスならそこそこいいところまでいけるだろうさ」

桐生はどうも人ごとのように言う癖があるらしい。

「先生、自分たち初心者なんですが」

クラスの中から声が上がる。

「嘘つけ。どうせジュニアハイスクール時代になんかしらの特殊カリキュラムに参加してんだろ」

燐にとってこれは初耳だ、けれどほかのクラスメイトたちは大して驚いていない様子。

「まあ安心しろ、今日から一日2コマちゃんとした研修があっから」

昨日の失敗を活かし燐は既に通訳機を手に入れていた。けれど感心すると同時に妙な感覚だ。人の言葉が聞こえると同時に、内蔵されているボイスサンプルが自動生成され再生される。これはすごい、確かにすごいが。

「せんせえ、一週間でなんとかなるんかいな」

「そいつぁ強制参加なんですかい、だんな」

どうにも翻訳言語が標準語からかけ離れているようだ。これは制作上のミス、もしくは開発者の意図もとい趣味なのか。どうやらこれに頼ってばかりいないで、早く外国語をみにつけたほうがいいようだ。

「いっただろう、ふたり代表だせばいいんだよ。ほかの連中は観戦でもしてな」

「それはないでしょう、桐生先生」

教室の外から声が聞こえた。

「あなたはほんとにいつも適当なんですから」

入口からスーツに身を包んだブロンド美女が入ってきた。

「お努めご苦労さんベッキー、今帰りか」

「学校ではレベッカと呼んでください桐生先生」

突然入ってきた女性に、微かに、教室がざわつく。

「みなさんははじめましてですね、私はこのクラスの担任のレベッカ・アルジーンです」

「このクラスの担任は桐生先生では」

「俺も担任さ、うちの学校はダブル担任でな。どちらかが副担任というわけでもない。理由はまあいいさ、そういうもんだって思ってれば」

「キリュウはあいかわらずですね。私は昨日まで海外の関連校に研修に行ってました、今日からあらためてよろしくねみんな」

担任が二人という事態に驚きはしたものの、そのあとの進行はほとんどレベッカが担当するということで、何事もなくホームルームはおわった。当分は桐生が副担任の形に収まりそうだ。


そうこうするまに初めての実技研修が始まった。

燐にとってはもちろんはじめての実機を使った研修である。まずパワードスーツ専用のフィッティングスーツを直に着込む。その後、簡易操作法を口頭で学んだあと、試乗である。専用カタパルトに固定された機体に乗り込み装着を行う。装甲の胸にあたる部分の裏側はタッチパネルになっており、それを操作してOSを起動させる。パネル操作を何度か操作して、武装の関連付け、搭乗者のパーソナルデータを入力していく。最後にオートフィッテングモードを起動させればあとは為すがまま。腕パーツに内装されたグリップ端末を握ることでスーツのあらゆるところに付けられた電極から電気信号が送られる。そしてフィッティングモードがはじまると、機体内部に収納されたバルーンが膨らんで肉体を圧迫し、体型にあった最適処理がなされる。5分ほどすると最適化はおわり電極からの信号で機体各所が手足のように操作可能になる。

一巡目のグループが、最適化が終わったところでレベッカから号令がかかる。

「とりあえず最適化はうまくいったようね。きょうはまず歩行から始めてもらうわ。たかが歩行といっても竹馬に乗っているようなものだから、バランスがとれないとすぐにコケるわよ」

そうは言っても、特進クラスはさすがだった、誰一人として初歩の歩行でコケる者はいない。燐を除いては。

「くそっ、なんでうまくいかないかな」

3度目以降苛立ちが如実に表れている。

「シドウ、もっと力を抜きなさい。足の筋力で動かそうとしないの。全身の呼吸で歩くのよ」

「そうはいってもレベッカ、そう簡単に、うぉお!!」

体制を崩し4度目の転倒を覚悟し前に倒れこんだ。

ガシッ

「大丈夫?リン」

倒れかけた体を誰かに支えられた。だれだっけか、外人の声は覚えづらい。そう思いながら顔を上げる。

「リズか、ありがとう助かったよ」

「これだけ転ぶとか才能ね」

「なんだ、馬鹿にしに来たのか」

「私が教えてあげよっか」

「いいのか」

「みてて、こうやるのよ」

燐の目の前でリズはすいすいと歩いてみせた。更には小気味よくはねて見せてもいる。

「すごいな、ホントすげえ」

思わず、感心してしまった。そのあと、授業が終わるまでリズにつきっきりで指導してもらう燐。

「シドウ、リズベットほかの子に変わりなさい」

「もう少し、もう少しだけ」




「ふぅ~、疲れた」

更衣室でシャワーを浴びたあと廊下に出るとリズが待っていた。

「どうした、リズ」

「リンは遅いからね、これ貸してあげる」

そう言ってリズが差し出したのは指導教本用の記録メディアだった。

「これで勉強しろって?」

「そういうこと、私もう全部できるし」

そのメディアにはbeginnerと書かれていた。

「なあこれ・・・」

「もちろん英語よ、字幕なし」

「げ、まじ?」

「ちなみにリージョンフリー♪」

「聞いてないよ」

それでもこの気遣いは素直に嬉しかった。

「サンキュ。見てろよ、一日で上達してやるから」


その夜、全教室のゴミの収集という雑務をこなした燐は、宿直室でぐったりしていた。

「ゴミ集めとか、普通は清掃業者がやるもんじゃ・・・仕事の基準がわからん」

大きな伸びを何度も繰り返しリラックスしていると、昼にリズに借りた教本を思い出した。

「今のうちに見ておくか、えっと再生デバイスはっと」

辺りを見回してもそれらしきものはない。10分かけて更に隅々まで家探ししたが、出てきたのはVHSと書かれた大きな黒い箱だけだった。

「なんだこれ?これじゃないよな」

大きくため息をついて、仕方なく今夜は諦めることにした。


翌日、昼休みを見計らって視聴覚室の使用許可をとった燐は、昨夜見れなかった資料データを見ていた。パッケージの中にはびっしりと要点が書かれたメモも添えられて

「けど、英語なんだよな。はあ」

リズベットは気の利くいい少女なのだが如何せん燐の英語は中学英語の上位受験レベル。小難しい用語ばかりの専門書を読めるレベルではない。それでもなんとか、自前のポータブル辞書とメモとモニターを交互に見比べながら頭に叩き込む。

「ああ~、やっぱこういうのは実践が一番だよな。けど理屈も理解しとかねえと。せめて字幕さえついてりゃもう少しは・・・」

ウィーン。その時視聴覚室の自動扉が静かに空いた。

反射的に振り向く燐。黒髪の見慣れない少女が入ってきた。

こんな時間にほかに利用者がいるとは思わなかったものの、無視するのは感じが悪いと判断し、

「こんにちは、君もビデオみにきたのかい」

とぎこちない笑顔で話しかける。

「わたしは、日本人よ」

英語の問いかけを英語で返されてしまった。しかも日本人だという。

気まずさに拍車がかかる。燐の作り笑顔に対し、彼女の少し長めの前髪と照明で乱反射するメガネで、表情が読み取れない。

「この学園にほかの日本人がいたのか」

「そりゃいるでしょうね、ここは日本だもの」

「そうだけどさ、クラスにもほかのクラスにも・・・いやいたっけ?」

「あなた、Bクラスの補欠さん?」

「知ってんの?」

「ええそこそこ有名だもの」

「なにかした覚えはないんだけど」

「噂ってものは勝手に広まるのよ」

「そういうあんたはどこのクラス」

「特進Aよ」

「Aってまじか、すげえな」

「すごくないわ、別に」

「そういやどっかで見たな」

何も答えない少女。

「もしかしたらだけど入学式で・・・」

「私よ」

「やっぱり。やっぱすげえよ、日本人で主席って」

「主席じゃないわ、次席よ。あれは代役。主席の人はまだ一度も来てないんじゃないかしら」

「なんで」

「さあ、そこまでは知らないわ」

「そっか、それでもすごいよ。おれは補欠だったから」

「それであなたはここで何を」

「これ。操作教本みてんだけどさ」

燐のそばまで歩み寄りモニターを覗き込む。

「これ初歩中の初歩じゃない」

バツが悪く頬を書く燐。

「昨日初めてだったんだけど俺だけうまくできなくてさ」

「あなた素質ないんじゃないの」

「そういうこと言わないでくれる、割と本気で落ち込むから」

「こっちは英語のメモね」

「そうなんだけどところどころ分かんなくて・・・そうだ、あんた次席なら英語もできるよな」

「ここでは困らないくらいにはね」

音を立てて手を合わせる燐。

「頼む、翻訳手伝ってくんない」

「私も用事があってきたんだけど」

「わかってる、そこをなんとかちゃんとお礼するから。そのうち」

呆れ声をあげる少女。

「さすが問題児ぞろいのBクラスの補欠くんね」

「問題児ぞろい?なにそれ」

「そう言う噂があるってこと、で、どこがわからないの」

「あ~そっちも気になるけど、今はこっち」

少女の協力のおかげで、独力の四分の一の時間で、内容を把握できた。

「理屈はこれで良し。いや~ほんと助かったよ。えっと」

「なに?」

「えっと、名前」

「名前がどうしたの」

「だから教えてくんないかな名前」

「嫌よ」

あっさり断れた。

「いやいやいいじゃん名前くらい」

「いやよ教えたくないもの」

「なんで」

「嫌なものは嫌」

「ん~ん」

唸り声を上げる燐。

「わかった、じゃあ今度の交流戦でそこそこいい成績出したら教えてくれ」

「なんでそういう話になるの?」

「なんとなくだけどあんた俺のこと認めてないみたいだし、要するにプライドの問題なんだろ」

「そういうわけじゃないけど・・・まあいいわ勝手にして、どうせ無理だろうし」

「言ったな、なんかよくわからんがやる気出てきた」

「まあせいぜい頑張ってね」

一人やる気に打ち震えている燐をよそに、少女はさっさと教室を後にした。


その日の実技研修。

「やるじゃん、リン」

「昨日よりはマシになったわね、シドウ」

授業開始時はまだぎこちなかった歩行術も、回をこなすごとになめらかに正確に早くなっていった。

「ビデオもよかったけどリズが書いてくれたコツのほうが効果あったかな」

「そう、よかった。リンには難しすぎると思ったけど」

「おまえなんだかんだで俺のこと小馬鹿にしてるよな」

「そんなこと、あるかも」

満面の作り笑顔を燐に向ける。

「おまえなあ自分が美人だからって調子に乗って」

「うわあ、褒めてくれるんだうれしい。リンもまあまあイケてるよ」

腕を前に垂らし脱力する燐。

「つきあいきれんわ、おまえにゃ」

「でも。実際結構大変だったんじゃない」

「いや、幸運なことに凄腕の助っ人がいてさ」

首をかしげるリズ。

「そういや妙な噂聞いたんだけどさ、うちのクラスが問題児ぞろいってやつ」

途端、急に声を潜めるリズ

「ダメだってリン、大声で言っちゃ」

「なんかまずいのか」

「まずいっていうか、まあいいわ。問題児っていうかねうちのクラスはね素質はすごいけど何らかの理由でやる気がないコが多いの」

「なんだそれ、特進クラスなのに」

「みんなそれぞれ事情があるってことなのかもね。かくいう私もじつは、・・・だったりして」

「おまえはないだろ」

「ひどい、そうかもしれないじゃん」

「お前みたいなやつまでいわくつきならおれ、もう誰も信用できねえもん」

「ま、いっか」

「さ、次。ステップの練習いくか。その次はホバー走行。じゃんじゃん覚えてくぞ」

意気揚々と走り出す燐だった。



翌日の朝、ホームルーム前の穏やかな時間、生徒たちは何事もなく授業の準備を進めていた。そこへ静寂を破る訪問者が現れる。

「ここがBクラスの教室か、まるでお通夜みたいだな。まあうちもだが」

一人の男子生徒を先頭に、数人の学生が教室へ流れてきた。訪問者に対して未だ静観をきめるBクラスの面々。燐も黙って訪問者の行動を観察していた。

「せっかく来たのに誰も反応しないのか。つまらねえな」

それでもだれも口を開こうとしない。張り詰めた静寂が心地悪くなった燐は教室の前へと歩み出た。

「なにか用ですか」

「やっと反応してくれた、おれてっきり幽霊にでもなっちまったかと思ったぜ」

どうにも尊大な態度な男である。

「今度対抗戦があるだろ、その敵情視察というか宣戦布告というか。なんせうちの代表が俺だからな」

この男がいくら口を開こうがBクラスの様子は変わらない。

「すいません、その前に誰ですか」

「ああ、そうだったな。俺は特進Aクラスの代表、ディック・ポールマンだ。お前ら噂の問題児集団だろ、紛いなりにも同じ特進組だからな、宣戦布告に来てやった」

「ということはあんたがAクラスの主席か」

「いや、俺はクラス3位だ。けどまあ大して変わらねえよ。いずれ主席の座はもらうしな」

まるで自信の塊のような男である。よくもここまで自分を過大評価できるものだ。

「あいさつに来てくれたのは結構だが、さすがにさっきのはないんじゃないか」

「あ?」

「噂だかなんだか知らないがよく知りもしないで人のことを問題児扱いするのはどうなんだ」

「ああそのことか」

すると後ろで控えていたほかの男が口を挟んできた。

「おまえ、もしかして例の補欠か?」

「なんだそれ」

「補欠合格のくせにお情けで入学したっていうマヌケ」

「そんな奴がいたのか、それでそれがおまえか」

まるで値踏みするかのようにじろじろと燐を舐めまわすディック。

「なんだかいちいち癪に障るやつだな、おまえは」

さすがにいらだちを覚え始めていた燐、けれどここで騒ぎを起こすのもまずい。

「うちのクラスに文句があるならそれこそ対抗戦で決着つけたらどうなんだ」

「いうねえ、日本人」

互いに相手を牽制し合う二人。そこへ始業のチャイムが割って入る。

「時間か、それじゃ本番を楽しみにしてるぜ。せいぜい楽しませてくれな」

ディックたちは去っていった。入れ違いに桐生とレベッカが入ってくる。

「なにかあったの」

「おまえら面倒起こすなよって、またおまえか、獅童」

「またってなんですか、なにもしてませんよね」

「お前は問題児顔なんだよ、なんとなく。まあいい座れ座れ、ホームルームはじめっぞ」

おとなしく自分の席に戻る燐。

「そろそろ本番も近い、いい加減うちも代表を決めときたいんだが、立候補いないか」

静まり返る教室。誰も関心を示そうとしない。

「おれやります」

そこへまだ興奮が冷め切らない燐が名乗りを上げた。

「獅童か、ほか誰かいないか。どうせやるならもっと勝ち目がありそうなやつ」

「なんですか、それ」

「キリュウ、悪ふざけも程々に」

「このクラスはほんと主体性がねえな、おまえら負けてもいいんだな」

「おれが出たら負けるみたいなのやめてください」

「わかった、うちの代表は獅童できまりな、でもうひとり」

そのまま二人目が決まることなく朝のホームルームは終わった。中休み、屋上から臨海部を眺めている燐。

「なんであそこまで消極的なんだろうな」

他クラスの浅はかな挑発、相手をしないに越したことはないが、誰も反応しないのも気になる。みんなAWが嫌いなのだろうかそんなことにまで考えが及ぶ。

腕時計を見つめ踵を返す燐。屋上の扉を開け階段に足をかける。そこへ下から登ってくる人影。

「よお、休み時間おわりだぜ」

「ん、ああ、あなた」

黒髪めがねの日本人、先日の彼女である。

「そう、屋上で本を読みたかったんだけれど」

残念そうに燐に背を向ける。

「あのさ」

「なに」

燐の言葉に振り返る彼女。

「朝、うちにAクラスの連中がきたんだけど」

「そう」

「そうって。なんか感じ悪くてさ、なんであいつが代表なんだ」

「さあ」

唇を引き結ぶ燐。

「アンタとか主席とか他にいなかったのか」

「・・・」

「俺の話聞いてる?」

「私は彼が出たいというからどうぞといっただけよ。それに今現在での順位なんてあくまで入試の結果でしょ」

「そりゃそうだけど」

「で、あなたがでるのね」

「ああ・・・。え、なんで」

「彼に対して目くじらを立てそうなの、あなたくらいしかいないでしょ、あなたのクラスには」

「おまえさ、なに知ってんだよ。教えてくんない、頼むから」

燐の言葉を袖にするように少女は階段を下っていく。燐から姿が捉えられなくなる手前で足を止める。

「なんにでもドラマを求めるものではないわ」

彼女の言った言葉の意味を理解する間もなく、彼女は去っていった。つかの間、彼女の言葉を反芻する燐。

「要するに、大した理由じゃないってことか」

それでも、真実を知らなければ胸のもやもやは消えない。燐の知りたがっているそれはきっと、三流推理小説のオチのようなものなのだろう。それでも知らないままでは納得のしようもない。燐の胸のしこりは完全にはとれない。



「頼む」

カフェテリアのテーブルで燐は頭を下げていた。

「学生証もらったんだ」

「ん、ああさっき教務部で」

手元の烏龍茶で喉を潤す燐。

「でさ、俺と組んで欲しいんだけど」

スプーンを口元に運ぶリズに対し燐はそういった。リズの顔色を伺いつつ丼をかきこむ。

「ふ~ん、で寮は」

口に溜まった米粒を喉に流し込む。

「もうしばらくかかるってさ」

丼をテーブルの上に置きお茶を飲みながらリズを見据える。

「はぐらかさないでくれるか」

「わかっちゃった?」

愛らしくはにかんでみせるリズ

「ごまかすなって」

「わかった」

目を伏せて一拍置く。

「いいよ」

屈託ない笑みを返してよこす。

「まあなんとなく言われるとは思ってたけどね」

「ほかに頼れるやついないし今回は。な」

リズの返事を聞いたきりしばらく黙り込んでしまう燐。

「噂のことでしょ、聞きたいのは、そういう顔してるよ」

「今はいい」

「そう?」

「なんか今は目の前のことだけ考えてりゃいいかなって」

再び丼に手をかけた。箸を持ったまま開いたり閉じたりを繰り返す。

「それじゃ行こっか」

りんの箸が止まる。

「演習場の使用許可とってあるんだ」

浅い溜息が溢れる。

「見透かされてるようで釈然としないな」

「いいからいいから」



入学後初めての週末がやってきた。古びた目覚まし時計がやかましい鈴の音を撒き散らす。めざましどけいに鉄槌が振り下ろされる。

「きょうは半休だっけか」

窓から射す柔らかな日差しが、宙に浮いた塵を可視化させる。布団の中でもがくようにして姿勢を変え、燐は天井を仰ぐ。手早く支度を済ませた燐は、まだ開店前のカフェテラスへと足を運んだ。昨日のうちに五十嵐から仕事を頼まれていたからだ。約束通りカフェテラスへやってきた燐だがカフェテラスの扉は錠がかけられたまま。

「朝早く済まないね獅童くん」

うしろから声をかけられる。

「おはようございます、五十嵐さん」

「うん、おはよう。じゃあ行こうか」

「はい?」

そのまま燐を連れ立って五十嵐は歩き出した。

「仕事の内容きいてませんけど」

「来週から対抗戦だからね、今日の午後に外の業者にスーツのシステムチェックをしてもらうんだけど、その前に軽い起動テストをね」

「でも授業でも使ってますよね」

「だから君にしてもらうのは使用頻度の低い予備の機体」

そう言って二人は学内第三格納庫にやってきた。扉横のシステムパネルにカードキーをスライドさせると重い自動扉がゆっくりと開き始める。朝の光が薄暗い格納庫に流れこむ。

中に足を踏み入れるとそこには十数台のAWが横並びに格納されていた。

「結構ありますね。奥にあるのって」

「一世代前の機体だよ」

ふたりはその機体の前まで歩みを進めた。

「授業ではもう使われてないけどね、本校にも格好だけの研究施設があるからそこのために残ってるんだ」

「触っていいですか」

「興味あるかい?」

「こういうの触れる機会ってほかじゃないでしょ」

五十嵐の了承を取ると燐はその機体を立ち上げ始めた。

「ん、これって」

「うん、一口にAWもそれぞれ違ってて面白いでしょ」

起動後、授業でやった簡単な歩行動作を試したあと、当初の仕事に取り掛かった。

「おつかれさま」

仕事を終えた燐は格納庫前で五十嵐と別れ、一度宿直室に戻り、それから午前の授業に出かけた。



「うん、ホバー走行もなかなかいい感じじゃない」

「そういうおまえもうまいな」

午前授業が終わると、対抗戦を控えた選手たちは演習場へ流れた。対抗戦間近ということもあり、本日の午後は、3つある演習場の一つが自由解放されている。ただし使用は登録選手に限られていた。

「確か今回に限って特殊装備は使えないんだよな」

「そうね、AWで殴り合うおさむい試合になりそう」

「授業でも基本操作しか教わってないわけだし当然だろうな」

そんな会話をしながら、互いの間に円を描くように二人は対面走行をしている。地表から30センチにも満たない高さに浮かせ、砂煙を静かに巻き上げながら、旋回飛行を繰り返す。

「上級生も観戦に来るんだよな」

「恥はなるだけかきたくないわね、けど心配しなくても大丈夫よ」

「ん?」

「たかだ新入生のお遊びだもの」


訓練後更衣室で汗を流したあと、カフェテリアでお茶をする燐とリズ。ガラス窓の外を見ると、作業服で道を往来する学生らしき姿が、いくつも目に入る。

「あれって先輩らだよな」

「設営の準備をしてるんでしょ」

「学生でもそんなことやるんだ」

「向こうの学校では外注がほとんどみたいだけど」

リズの言葉を聞きながらストローをすする燐。

初めてだらけの日常、そして来週は初めての対抗戦。既に自分と同じ道を通った諸先輩の姿を眺めながら胸に宿る期待と不安を積み重ねていく。そして入学後初の実戦がはじまる。




「新入生のみなさん、入学から一週間経ちましたが学園には馴染めましたか。今日は入学後はじめての実戦イベントということで、選手のみならず観戦の方も期待を膨らませているかと思います。幸い天気にも恵まれ青い空の元、大いに楽しみ奮闘してもらいたいと思います。在校生の皆さんも入学当時を振り返って暖かく応援してください」

学長の言うように清々しい春の晴天の下、対戦アリーナには、学長の挨拶が会場に広がる。天井が吹き抜けた円状の建築物。さながらスペインの闘技場かローマのコロッセオのように、戦士の闘志を高める空気が、選手たちを包み込む。観客席で開会式を迎えた燐は、すぐさま試合の準備にとりかかるため観客席を後にした。

今回の試合はすべてこの闘技アリーナ一箇所で執り行われ一試合ずつ順繰りに進められる。これから一日五試合が数日にかけて進められる。選手控え室に入った燐は、専用ロッカーでフィッティングスーツに身を包む。

「いよいよ本番か」

念入りにスーツの着心地を確かめながら時間とともに湧き上がる緊張を瞑目して鎮める。

「ようBクラス」

顔を見ることなく声の主がだれなのかわかった。一度しか言葉を交わしていないが、この挑発的な言葉遣いはAクラスのディッツ・ポールマンしか思い至らない。

耳に通訳機をつけて振り返る。

「そういや試合中は通訳機は使えないんだっけな。おかげでおまえの挑発は気にせずに済みそうだ」

「なんの心配をしているんだ?俺と当たる前に負けるお前が」

ディッツは上半身を逸らし伸びをしている。

「ルーキー同士なんてやってみなきゃ結果はわからないだろ」

ディッツの横をすり抜けながら視線をそのままに言葉を紡ぐ。

「わかってないなあ、できるやつってのは生まれた時からきまってんだって」

口の端を僅かに引き上げて燐は答えた。

「おまえの自信の源泉はいったいどこにあるんだか」

ディックに背を向け更衣室を後にする。



「そんなふうに喧嘩売ったんだ」

更衣室とは別にある選手用ラウンジ、スポーツドリンク片手にリズに先のディックとのやり取りを語って聞かせた。

「少しは見えきっとかないとな、かっこつかないし」

ボトルに刺さったストローを指先でコロコロといじくりまわす。

「どうせ勝算なんてないんでしょ」

「あるなら俺のほうが聞かせて欲しい」

まもなくはじまる第一試合をラウンジに置かれたモニターをみつめながら待っていた。周りにはほかの選手たちもいる、だが幸い先ほどのディックはいないようだ。

「できることは一通りこなしたからいいんじゃない」

「ああ、勝とうなリズ」

燐のその一言は珍しく、妙に、気持ちがこもっていた。


「時間終了、勝者ベーシックHクラス代表」

第一試合、第二試合とも決定打のないまま制限時間切れの判定審査になった。AWには種類の異なる二つの内蔵エネルギーが使われており、主に演算処理を行うメモリエネルギーと姿勢制御、追加武装に回される動力エネルギーがある。動力エネルギーが底をつくと搭乗者の力では動かせなくなる鉄の塊になるため、それを防ぐための補助エネルギーもわずかながら備え付けられている。そして試合において重要なのはこの動力エネルギーで、それが底をつくと搭乗者の負けとなる。前二試合の場合においては機体制御に注力しすぎたため、攻防が疎かになり、結果がつく前に時間切れによる試合終了になってしまった。

「次は俺たちだな」

「緊張してる?」

燐の横顔を見つめながらリズは問いかける。

「してるさ、けど同時に興奮もしてる。デビュー戦だからな」

「そうね、わたしもじつは楽しみだったりして」

「さあ行くか」



出場口の奥はそのままカタバルトと繋がっていて加速装置によって会場まで送り出される。

「機体の最終チェックを行います」

整備担当者が数人で装着後の機体各部を点検していく。

「さあ、あなたたちの出番ね」

関係者通路からレベッカが姿を見せる。

「桐生先生はいないんですね」

「さあ?どこかで観戦しているんでしょうね」

「各部異常なし、カタパルトデッキに進んでください」

「行ってきますよ先生。リズよろしくな」

軽く手を振ってレベッカは観客席に戻っていった。

「カタパルト射出します、衝撃に備えてください」

係員の指示に従い、燐とリズは射出態勢に入る。

「AW獅童機、リズベット機射出しますどうぞ」

合図とともに脚部を固定した滑車が音を立て滑り出す。ゴオと鈍い音と火花を散らす甲高い音が混じり合い、光指すその先にからだが突き進められていく。徐々に視界を占める光の面積が広がっていき、それが眼前いっぱいに広がると、機体はステージへと飛び出していた。

「すげえなこの感覚、ゾクゾクするっ」

斜め上方へと打ち上げられた機体は、空中で制御装置から噴出される推進剤をまき散らしながら、舞台中央へと滑り降りていく。ドスンと地を叩く音と共に脚部のショックサスペンダーが駆動し、機体に伝わる衝撃を軽減する。

「ふう」

ドスン

「なんかクセになりそう」

「その感想はわからなくもない」

遅れて着地したリズの方へ振り向く。

「これより第三試合、スタンダードCクラス代表対特進Bクラス代表の試合を始めます」

スピーカー越しに司会の案内が会場いっぱいに広がる。

「さあ一発かまそうか!

試合前の緊張を吹き飛ばすように、また闘志を限界まで高めるように、燐は自信を鼓舞した。

ブォォゥン

試合開始の合図が天井を突き抜け鳴り響いた。合図と同時に燐は前傾姿勢に切り替え、ホバーによる突進を仕掛ける。

「いっけえ!」

ホバーをさらに加速し一気に相手との間合いを詰める。眼前まで迫られた敵は回避行動を取ろうとするも逃げ道を決めかねその場を動ききれずにいる。

「く、くんなあ!」

「うおああ!」

バゴン

燐が仕掛けたショルダータックルは見事に相手の胸に多大な衝撃を与えた。そのまま相手十メートルほど後方へ吹き飛ばされる。対する燐は攻撃を命中をさせたものの、勢いを殺しきれず同じく数メートル流される。流れに逆らうように脚部の推進装置をフル稼働し、制動エネルギーを相殺させる。そして相手チームを正面に捉えるように胸を開き、目の端に収まる距離まで後退する。

「開始早々やるわね」

頭部マスクからリズの声が流れる。このマスクは通信機が内蔵されているが、通訳機能はついていないため、会話はすべて英語でなければならない。

「文字通り先手必勝だ。いまのでどれくらい効いたかな」

そういって吹き飛ばした相手を見やる。相手はまだ起き上がる途中だ。それを確認すると即座にリズに視線を向ける。向こうもこちらを見ている。互いに一度だけ頷くと次の瞬間、残り一人にめがけて三角系の二辺を同時に駆け抜ける。ブゥン、地上の砂が後方へと巻き上がる。

「リズ!」

刹那、リズに目配せをし燐はさらに加速した。相手は先ほどの燐の攻撃を警戒して防御体制を取る。両腕を交差させレッグパーツをフィールドに固定する。戦闘時は通常時よりもさらに期待制御は難しい、咄嗟に避ける判断や操作は新人には難易度が高い。そして敵が突進してくる今回の場合、多少の衝撃を覚悟の上で防御行動をとる方が手堅くまた、高速で近づいて来る相手には、反動ダメージを与えることもできるいい判断である。だが、それは燐たちにとって作戦通り、むしろそう誘導した結果である。そして燐は接触数メートル手前で、上昇飛行を始める。そのまま相手の頭上を通過。虚をつかれた相手は姿勢そのままにほんの少しの間、固まってしまう。そこへ側面に位置する形でリズが直進してくる。相手がリズの存在に気づいたときはもう目と鼻の距離、そのまま両腕を振り回す。その攻撃は敵の頭部にクリーンヒット、人体への衝撃は機体性能でカバーされるが機体自体へのダメージはそのまま、多大な制動エネルギーは一人目と同じく相手を吹き飛ばす。そして数メートルの壁に打ち付けられる。

「グァア!!」

うめき声を上げる相手選手。息つく暇もなく相手が起き上がる。燐たちはまたしたも相手を対面に距離をとって合流する。

「Great!!リズ!」

燐の賞賛にリズは微笑みで応える。見事に決まったふたりの攻撃。けれど相手チームを機動不能ににするにはまだまだ足りない。



「レッベカ、なにかないか」

放課後の教室、凛とリズはレベッカに戦術指南を受けていた。

「そうね、今の時点で高度な機体操作を伴う戦いは諦めたほうがいいわ。火器がつかえれば行動の幅は増えるだろうけど今回のケース、一番のオススメは格闘による電撃戦ね」

「電撃戦、特攻か」

机の上に腰をかける燐はレベッカの言葉を促す。

「単純だけど、開始早々の突撃は場馴れしていない相手には有効のはず、そして一度で畳み掛けようとせず、慎重に何度も機会を伺う」

「特攻とは真逆じゃないの」

リズの反応も最もだ。

「これは電撃戦とは別よ、いや決まってもそうでなくてもね。まだあなたたちにとってAWは手足とは言い切れないわ。そのことに十分注意して」



「次のては」

「どうしよっか」

相手から目を離すことなく戦況を確認し合うふたり。

つかの間の逡巡の後リズが口を開く。

「今度はわたしにまかせて」

そういうとリズは飛び出した。蛇行走行のようにゆらゆらと敵の視界いっぱいに左右に動きながら距離を詰めていく。緩慢な動きのリズに対して相手も動きに出た。燐に倣うように突進を仕掛けてくる。それに対し、ほんの少しの加速を加えするりと避ける。相手の背後を取ったあとも仕掛けることなくまた緩慢な飛行を繰り返す。リズの動きを真剣な目で観察する燐。繰り返しリズは、二、三相手の動きを躱したその時、相手の機体が音を立て煙とともに吹き飛んだ。煙の中から姿を見せたのは燐。何が起きたかもわからず倒れふしたまま動かない相手機体。



「面白いな、Bクラスにはもったいない」

観客席の群衆の中、そんな言葉が浮かんでは歓声にかき消された。


互いに親指を突き立て健闘をたたえ合うふたり。まずはひとり確実にダウンした。起き上がるそぶりもない、燐はなにをしたのか。リズが狙っていたのは自身によるワンヒットより、もうひとりによるより大きなワンヒットだった。リズに振り回されている敵の死角から初撃と同じように突撃し今度も初撃とほぼおなじポイントに衝撃を加えた。重撃によるダメージで胸から肩にかけての伝送系と駆動系にダメージを与えた。ただそれだけで壊れる代物ではない。訓練機はあくまで訓練用であるための軽装甲、反対に搭乗者への肉体的負担は限界まで軽減できるよう設計されている。ともあれまずは一機を撃退した、特進Bチーム。

「まだ気は抜くなよ」

「それ自分に言ってる?」

通信から聞こえるリズの声は柔らかい。

「ああ、そうだよ。リズゥ」

試合中にも限らずリズをジト目で睨む。未だに手玉に取られてる感じが気に入らない。

「さあ残り一機!」

ブゥウン!

「搭乗者戦闘不能により勝者、特進Bクラス代表!」

勝利のアナウンスが鳴り響く。

「搭乗者が伸びちゃったみたいね」

「なんだよ、それ」

壁に打ち付けられた敵の機体は損傷を受けているがまだ稼働可能な状態にあった。けれど搭乗者は気を失ったきり目を覚まさない。これは機体性能とは別に搭乗者の身体的能力の高さ精神力の高さが勝利を決める、一つの例であった。

「勝ったんだからいいよね」

「文句はいってないだろ、勝ちは勝ちだ」

今回の対抗戦初の、戦闘不能による勝利判定に会場は湧き、生徒たちの歓声が飛び交った。会場を見回す燐、自分たちに向けられる歓声に素直に喜びを感じていた。

「うれしいもんだな、こういうの」



機体をカタパルトに戻すとちょうどそこへレベッカが笑顔でやってきた。

「おめでとう、シドウ、リズベットよくやったわね」

レッグパーツを脱ぎ地に降り立った燐。

「サンキュウ、レベッカ!」

燐の弾んだ声からは、いまだ試合の興奮と勝利の喜びが覚め切らないのが、存分に伝わった。

「一回戦では負けたくないしね」

続けてこちらへ近づいて来るリズ。

「私の授けた作戦が当たったのは嬉しいけど、正直あなたたちの頑張りが大きいわね」

喜びを顕にしようとするふたり

「ぺーぺーにしてはって意味だがな」

そこへ水を差すようにのんきな男の声が届く。

「キリュウあなたも祝福?には聞こえないいいようね」

担任の桐生がのっそりとやってくる。

「いいよレベッカ、こういう人みたいだし桐生先生は」

喜びを抜かれた燐は落ち着いた顔に戻っていた。

「ふん、次もその調子で頑張んな」

手をひらひらふりながら桐生は踵を返す。

「桐生先生」



その後も順調にその日の試合を消化し今日の全5試合は終了した。一次試合は今日明日の二日、二次試合は二日後だ。何かと因縁をつけてくるAクラスのディックの試合は明日である。

「みるの?」

「気になる試合だけかな」

試合終了後着替えを済ませた二人はほかの試合もほどほどにカフェラウンジでティータイムをとっていた。

「3位くんのはみないの?」

「正直興味ない。当たった時のためにも見たほうがいいんだろうけど」

「ふうん」

アイスティーのレモンを噛みながら生返事をするリズ。

「次も勝てると思う?」

リズの何気ない問いかけ、これといった意図も含まれてはいない。

天井のファンを仰ぎ見る燐。くるくると回る羽は送風目的よりもインテリアとしての向きが強い。

「運、なのかな。それか・・・」

再びリズの顔に目を移す。

「入学したての今勝敗を分けるのは実力というより地力だろうな。先んじてどんくらい力があるのか」

「かもね」

リズも柔らかく言葉を返す。肘を付きながらストローをすする姿は行儀良さにいささか欠けるがそれがまた海の向こうの女性らしさを際立たせる。細い毛束の金毛は照明をうけ煌びやかに他者の瞳に映る。

ガタン

椅子を引いて立ち上がる燐。

「程々に疲れてるし今日はもう休むか」

「こんくらいでバテるなんておじいいちゃんみたい」

「うるせえ」

そう言いながらリズも腰を浮かせる。

「次も勝ちたいな」

ぼそっと呟いた燐の瞳に確かな闘志が宿っているのをリズは覚えていた。


その夜、普段より少し早く床に就いた燐だったが、興奮が冷め切らぬためかなかなか寝付けずにいた。

「この煎餅布団がわるいのか」

宿直室に置いてあったその一式はとても薄く、その上若干かび臭い。加えてシーツも真っ白とは言い難い白さで燐の悩みの種の一つでもある。これでもほぼ毎朝登校前に窓干ししていているのだが簡単な話ではないらしい。

布団から抜け出てカーテンのない窓を開ける。まだ少し肌寒い夜風が中に染み入ってくる。

「4月だもんな、さみぃ」

そういいながらも窓のさんに肘をつき星空を見上げる。そこまで多くないが比較的澄んでいいるのかぱらぱらと星も見える。臨海部にほど近いこの学園からは目を凝らせば黒光りする海面が少しだけ見える。

燐は窓を開けたまま宿直室を出て行く。

「自販機動いってかな」

校舎への出入り口のうち一箇所だけ開閉できる鍵を燐は特別に貸与されていた。それども夜間の出入りは好ましくはないのだが。

非常通用口から外へ出た燐は正面口が使えないため大きく迂回する形で食堂エリアに向かう。道中、薄着で出歩いたことを僅かに公開しながら人気のない敷地内を外灯を頼りに歩を進める。

「よく言うけどやっぱ夜の学校ってかでかい建物は不気味だよな、今更だけど」

ぶつぶつ人いごとを口にしながら両腕を寒さから守るように抱きながらようやく自動販売機を見つけた。

「何にしよっかな、寒いしあったかいもの・・・ココアでいいか」

ボタンを押すとガタンと缶が転がりでる音がする。その音が真夜中のためかいつもより大きく聞こえゾクリとさせる。そのまま近くにベンチを見つけ腰をかける燐。

「寮だと門限とかあんのかな、今度誰かに聞いてみるか」

プルタブをあけ喉に温かいココアを流し込む。

「あまっ」

買ってはみたもののそこまで甘いものが好きなわけではないようだ。

再びのどに流し込む。缶を脇に置いてぐるりとあたりを見回す。当然のように人の気配はない、不思議な優越感に浸る。

カツカツ

ビクッとすぐさま目を彷徨わせる燐。誰かの足音のようだ、ゆっくりとこちらへ近づいて来る。どうやら学生寮の方からくるようだ。逃げるか隠れるか悩みはしたものの結局しれっとココアを飲むことにした燐。缶へ腕を伸ばすが、奇しくも手元が狂い指で弾いてしまった。ベンチから転げ落ちる。カランコロン、音を立てそのまま転がり続ける。急いで拾いに駆け出す。

「こんな夜更けに誰だい」

暗闇から燐へ向け声が掛かる。缶を手に声の主の方へ振り返る。次第に外灯のもとへその姿が浮かび上がる。

「返事がないということはゴーストかな、それとも」

「わるいわるい、脅かしっちゃった?」

慌てて燐は答えを返すが、脅かされたのはむしろ燐である。

「こんな時間に人に会うなんてね。ゴーストも捨てがたかったんだけれど」

「あんたこそ夜遅くに何を、学生のようだけど」

相手の身なりをみて燐は学生であろうと判断する。赤褐色の髪、綺麗な形の鼻に立体的な目元が特徴的であった。

「きみも、だよね。僕は寮に少し用があってね今から帰るところさ」

「帰るって外にか?寮生じゃないのか」

「まあね。君は、夜の散歩かな」

朗らかな表情で燐の手元に目を移す青年。

「僕はコーヒーの方が好きだな」

「え、ああ」

視線に気づき自分の手元に一瞬視線を向ける。

「けど、夜眠れないっていうぜ」

「たとえそれでも飲みたいものは飲まなきゃね」

目を細めて笑を返す、どことなく不思議な雰囲気漂う青年であった。

「それじゃ、僕はもう行くよ。警備の人に見つからないようにね」

「おまえはいいのかよ」

片手を上げ校門の方へ去っていく青年。燐はその背中を怪訝な目で見つめていた。

ガサッ

缶をカゴに放り捨て燐もまた元来た道を引き返した。

「変な奴」


翌日、少し遅めの目覚めを迎えた燐はのんびりとした所作で支度を済ませる。リズとは昨日の段階では自由行動ということで話はついていたがおそらくは彼女も会場に向かっていると燐は考えていた。

「それでも急ぐ必要はねえわな」

会場近くまでたどり着くとホールからの歓声が外にまで漏れ出ていることに驚く。

もうすぐ11時になろうとしている頃、早ければ今日の第一試合は既に終わっていることであろう。入場口までの少し長い一本道を黙々と歩いていると同じくこちらに近づいて来る一段が目に入る。ディックだった。取り巻きを引き連れ少し浮かれた表情、まだ燐には気づいていないらしい。先に取り巻きの一人と目が合う、男の視線に気づきディックもこちらを向いた。

「よう、モンキー。遅かったな」

「今日もまた嫌味がきてるぜディック」

一定の距離を保ってその場に立ち止まった両者。

「あんまり遅いから俺の試合終わっちまったよ」

「その浮かれようじゃ残念ながらお前の勝ち上がりらしいな」

「まったく残念だな、これで完全にお前の勝利の芽を摘んじまった」

「浮かれるのは結構だが、浮かれついでに足元掬われないようにな」

すれ違いざま視線で怒気を飛ばし合う二人。

「大丈夫さ、AW着てりゃ空もスイスイだからな」

仲間と楽しげに笑い合いながらディックはその場を後にした。

しばらくしてから背後を振り返りディックの背中が見えなくなるのを確認するとフゥっと息をはいて肩の力を抜いた。燐もなかなかつよがりな性格らしい。どうにも嫌悪感より負けん気の方が強く燐を動かしている向きがある。

「負けたくはないよな」

晴れ渡った天を仰ぎ誰に言うでもなく燐はそう呟いた。



「昨日はどうしたの、先に帰っちゃって」

翌日AクラスとBクラスの試合の日がやってきた。初日と同じく支度を済ませた二人は選手ロビーで自分たちの順番を待っている。

「作戦会議、かな」

昨日ディックとのやり取りのあと燐は会場でリズと落ち合った。けれども少し観戦をしただけで用事があると言い出し燐はリズを置いて一人そそくさと帰ってしまった。その時の様子が気になっていたリズは燐を問いただした。

「ふうん、何かいい案でも浮かんだ?」

いつもにも増して入念にストレッチをするリズ。

「なくはない、ないよりはマシ程度には」

燐もリズに倣い体を伸ばし始める。

「よくわかんないニュアンスね、ちょっと強いかも」

自分の分は程々にリズを手伝う燐。

「それでも勝つつもりだよ、俺は。イタッ、ちょリズ」

今度はリズに背中を押してもらう。

「なにそれ、これでも私も勝つつもりなんですけど?」

「言葉が悪かった、ゴメン謝るよ。だから痛いって」

尚も強く押しつけるリズに対したまらず燐は悲鳴を上げる。互いに起き上がりドリンクを手に取る。

「勝とうね」

燐にはリズの表情が珍しく真剣に映った。どうやらリズも気合が入っているらしい。

「もちろん、絶対に勝つ」

気合十分の二人のもとへ招集のアナウンスがかかる。

「行くか」

「ええ」

引き締まった表情で二人は歩き出した。


「二人共頑張ってね」

今日も担任のレベッカが応援に駆けつけてくれている。レベッカとの会話もほどほどに着々と装備を整えていく二人。関節の可動範囲や指先の感度を念入りに確かめていく。最後にヘッドバイザーを装着するといよいよ燐の顔つきは変わってきた。緊張よりも勝負に対する闘志が全身から溢れているようである、それは初日の日ではない。負けず嫌いの燐にとってディックとのいざこざは良い方向で元ベーションの向上に働いたらしい。それはそばで見ているリズも感覚で理解していた。昨日のディックとの煽り合いを知らないリズでさえ何かあったことは察している。

「シドウ、顔こわいわよ」

普段見せない燐の表情に事のいきさつにさほど明るくないレベッカ心配そうな表情で尋ねる。

「大丈夫よベッキー、リンは気合が入りすぎちゃってるだけ。ね、リン」

「え、あ、うん」

ぼんやりしてリズの話を聞き逃してしまった。

「あれ、やっぱり大丈夫じゃない?」

「違う、違う。作戦を頭の中で反芻する」

慌てたようににこやかな表情を作る燐。ごまかしのように聞こえるセリフもそれほど間違いではなかった。

ようやく開始前のアナウンスが流れると二人はカタパルトゲートへと姿を消す。

「行っちまったか」

そこへ一足違いに桐生がひょっこりとやって来る。

「キリュウ、激励のつもりなら遅いわね」

「俺がそんな殊勝なタマか?見物に来ただけだよ」

「そう。どっちにしろ一言かけてあげれば良かったのに」

少し残念そうな顔でレベッカは言葉をこぼそた。そこにはこわばった表情の燐の姿が残っているからだ。

「なに、これが最後ってわけじゃねえ。むしろこんなもんは入口だろ?これから伸びていくんだから勝とうが負けようがさほど後には響かねえよ。この三年で俺たちが使いもんになるように仕上げていくんだからな」

「それもそうね。シドウの雰囲気に当てられちゃったみたいね、私」

「人に移しちまうほど緊張してたのかアイツ」

可笑しそうに片頬を引き上げ笑う。今はいないカタパルトゲートの方をみやってこう言った。

「頑張りな」

Buuuuuuu!!試合開始のブザーが鳴り響く。



カタパルトゲートの射出装置にレッグパーツをしかっりと固定させ燐はその時を待っている。りんの緊張は既にそれではなく高揚感に変わっていた。全力でぶつかり戦える喜びに期待を募らせている。やれることはやった、自分にそう言い聞かせる。実際は一年のこの時期に選手が準備できることなど無に等しい。それでもそう言い聞かせることで手ぶらの自分に自信という装備させることはできる。それが勝敗を分けることがあるかもしれない。

限られた空間の中で燐は限界まで己の感覚を研ぎ澄ます。

Buuuuuuuu!!

入場の合図が鼓膜を揺らす。

ゲートが解放されると明るい光が閉じた瞼をいやがおうにも刺激する。ゆっくりと見開き係員の合図の元出撃体制を取る。

「行きます!!」

足場が稼働し全面へ機体が押し出される。自重がひとりでに動く衝撃に体制を崩すことなく前面を見据える。前回と同じ感覚、加速とともに視界に占める白の面積が増していく。世界が広がっていく感覚、このままどこまでも飛び出せそうな感覚。その感覚に心躍らせ燐は再び戦いの舞台へ飛び立つ。


ガッシャアァン。

つかの間の静寂。対面に位置する二つの影、自分の傍らには頼もしい相方、燐は表情を崩さず敵方を見据える。今日は少し風が吹いている。会場の砂が煙とともに足元を漂う。

「いよいよだな、正直おまえと当たるのを一番楽しみにしてたぜ」

「そいつはどうも。実は俺も今か今かと待ってたところだ」

「なんだ意外と気が合うな。けど仲良くするつもりは微塵も無いがな」

「こっちのセリフとってもっちゃ困るな」

凛とディックは互いに視線を交わしたまま外さない。

「おいおい、俺の言葉は聞きたかないんじゃなかったのか」

今の燐は通訳機を付けてはいない。それでも応酬は止まらない。

「あんたの安い強がりも負け惜しみだと思えば心地よくてな」

「言うねえ、見かけに似合わずヒールが似合うじゃねえか」

「ヒールはオタクの領分だろ」

「ほざいてろ」

「行くぜ」

ふたりの会話にアナウンスが割って入る。その間もリズはふたりの掛け合いをただ見つめていた。

「これより第2試合第3戦、特進Aクラス対特進Bクラスの戦いを始める。両者合図があるまでそのままの姿勢で待機」

身をこわばらせる両陣営。こちらは凛とリズ。相手方はディックと同じくAクラスの男子生徒。

「なんかいつものキャラと違うんじゃない」

リズが呆れ気味に声をかける。

「高ぶってんのかもな、俺も自分でノリが違うのを自覚してる」

「けど、そういうリンも面白いかも」

「俺もそう思ってた」

視線を交わしてハニカムふたり。いよいよ試合の幕が開ける。

「それでは・・・・試合開始」

Biiiiiiiiii!!

燐は全速力で飛び出した。目の前の勝利を求めて。


「なんで、俺のとこなわけ。ベッキーでいいだろベッキーで」

試合前日、観戦を終えた燐はその足で教職員室に趣いていた。目的はひとつ桐生に戦術指導をしてもらうためだ。

「レベッカ先生には聞いたよ。だから先生の意見も聞きたいんだ」

「めんどくせえガキだなお前は」

言葉の通りめんどくさそうな態度で桐生は頭を掻き毟る。

「いいか、今の時期の対抗戦、買っても負けても成績には影響しねえんだから気楽にやりゃあいいんだよ」

真剣な目で桐生をみつめたまま燐は動かない。

「聞きゃあしねえ・・・」

諦念のぼやきを漏らす。

「わかったよ、少しだけな。少しだけだぞ」


開始の合図とともに燐は駆け出した。

『いいか、初心者同士なんて初めのうちは早いもん勝ちだ。速攻かましてぶっ飛ばせばいい。緊急時の姿勢制御が完璧にできる新入生なんてまずいないからな』

桐生の言葉を頭の中で思い起こす。

「先手必勝、速攻をぶちかますっ」

目前のディッツに向かってホバーで突撃していく。けれど双方の距離は縮まらない。ディックは改装早々の燐の初動を確認するとすぐさま後退を始めたからだ。ほぼ同様のスピードで後ろへ下がり燐を近づかせようとしない。焦れた燐はさらに加速を重ねる。その時ディックはおもむろに走行をやめその場に立ち止まり、低めの前傾姿勢を取る。そこへそのまま燐が突っ込む。ディックは両手を正面重ね待ちかねる。

ドゴォォォゥン

燐の機体後方に弾き飛ばされた。初撃を制したのはディックだった。燐は自重の衝撃をそのまま返される形になった。緒戦で燐たちが使った戦法とほぼ同じである。宙を舞った体は勢いを殺しきれず重力のまま大地に叩きつけられる。激しい衝撃音が響く。

「ちょっと!!リン、大丈夫」

すぐさまリズが燐に駆け寄る。見かけの上では相当激しい倒れ方をしていた。

「リン、聞こえる?リン」

「ゴホン、ゴホン。ぜぇぜぇ」

荒く咳き込んで燐は覚醒した。一瞬の出来事で身を庇うことができずわずかながら気を失っていたようだ。

「ああ、びっくりしたけどな。次はねえ」

けれどもいまだに息は荒い。

「まんまとやられたわね。デッィックだっけ?彼口だけじゃないみたい、そりゃAクラスだものね」

「なめてたつもりはなかったんだけどな。早く次の手を考えないと」


『初撃を決められなかったらどうするか・・・負けだな』

『それじゃ困りますよ先生』

『うるせえなあ、万が一カウンターでも食らってみろ?綺麗に入っちまったらそのまま試合終了だ』

桐生は首元で手を水平にブンブン振る、首切りのポーズだ。

『それじゃ運良くまだ動けたら』

『そりゃ大した根性だが・・・ほんとしつこいなおまえ。そんなんじゃ女にモテないぞ』

『今は関係ないでしょ!!』

深くため息をつく桐生。ため息は桐生のクセ、習慣のようなものだ。

『そんじゃ次の手な』


「リズ、挟撃行けるか」

「え、いけるけどどっち狙うの?ディック?それとも」

燐が対象に視線を向ける。つられてリズもその方向をみやる。


『数の暴力?ですか』

『ああ、そうだお前らの段階だとみんな仲良く同程度か毛が生えた程度だ。だからそこでまず一人仕留める。そのあとに二人でボコりゃ大丈夫だろ』

そこで一度言葉を切り桐生はくるくると椅子を回す。2,3回転したところでピタッと止めて真剣な目で燐を睨む。

『けどな、一人目はとっととやれよ。相手も馬鹿じゃないからな』

そう言葉を付けた。


「OK、行くよリン」

そういうと合図もなしにリズは駆け出した。続くようにすぐさま燐も駆け出す。二人は元の位置から三角を描くようそれぞれ別方向に駆け出した。

「どうした、どうした。距離をとるなんてもうお手上げか」

ある程度距離を稼ぐと推進器をフル稼働させて減速させる。脚部を地表ににこすりつけ限界まで勢いを殺す。体の自由が効き始めると瞬間、大きくワンステップを踏んで体の向きを急反転させる。と、同時に最大加速で目標めがけ突っ込んだ。ディックも相方もその奇行に数秒気を取られたがふたりの交差地点を見定めると燐たちの思惑に気づく。

「やってくれるなぁっ!!」

「今からじゃ間に合わないぜ」

勝機を見出した燐は声高に叫ぶ。

「なめんなよ、ジャップ!!」

そう叫んだあと相手は覚悟を決めたようにどっしりとその場で防御姿勢のまま待ち構える。ダメージ必至の覚悟で耐え忍ぶつもりだ。

次第に縮まる敵との距離。すると、燐は背面のバインダーを小刻みに操作して体制を変え始める。両足を広げ直立姿勢を挟むと今度は脚部を前面に押し出す形をとる。水平飛行から地上走行に切り替えるとだんだんと足を先にして体を倒し始める。それとは反対にリズは地上から1メートルほど浮く形で前傾姿勢で突っ込んでくる。腕を正面で交差して構える。対称的な姿勢のまま接触地点へ向け一直線に流れていく。中へ吹き上げる砂しぶきが美しい。

激突、衝突、接触。

ドガァァアン、バゴォオォゥン

相手も覚悟していた相当量の攻撃エネルギーであろうことを。構えも隙のないものだった。けれどそのさらに上を行く攻撃いや戦法だった。直立の一本の棒を上下逆方向から押しつぶされるその結果どこにも衝撃を逃がすことが適わない。インパクトを旧sっ風できなかったボディは二人が交差したあと宙へ投げ出され下半身が高く持ち上げられる。浮き上がった体は頂点を迎えると上半身を地にし落下する。攻撃を受けた当人にとってはまるで時の止まる感覚である。我が身に起こったことを理解するが早いか倒れ落ちるが早いか反転した視界が世界が突如青に染まり蒼穹の空を瞳に焼き付ける。

バダァアン

砂煙にその姿を隠し相手はフィールドに沈んだ。

「はぁはぁはぁ」

洗い吐息を漏らす燐とリズ。

「フゥー」

肺に詰まった空気を吹き出して張り詰めた心を解きほぐし一瞬だけ思考と心をカラにし目を細め漂う雲を視界の端に捉える。そんな燐を会場を包み込む割れんばかりの歓声が現実に呼び戻す。

「やったよな、リズ」

振り返ることなく燐はそう口にする。

「手応えあったはずよ」

言葉を返すリズもまだ少し苦しそうだ。

「そう、か」

交わす言葉は平坦で、ぼやける意識のなか現状確認をするのがやっとだった。それだけ今の一撃における精神的疲労と肉体に帰る負担は視覚的衝撃に見合うものだったのだ。けれどそんな二人が余裕を取り戻す間を与えるほど事態は易しくない。

「やぁったぁなぁあ!!」

電光石火のように感じたそれはふたりの隙が生んだ錯覚の類、怒号が耳に届くと間を隔てずしてリズの体は宙を舞う。背中からすくい上げるように弓なりに舞った体は画になるほどに美しく儚い。その瞬間を燐が目にすることもなくパートナーは固いベッドに身を落とした。息を呑む観客、静まり返る会場。客席からは控えめな感嘆の声が静かに沸く。

「リズゥゥゥウウ!!」

倒れたリズの姿を確認した燐は考えるよりも早く感じるようにリズの名を衝動的に叫んだ。すぐさま駆け寄りその体を抱き起こす。

「リズッ、意識はあるかっ」

燐の声に反応を示すように薄くまぶたが開かれる。

「聞こえてるみたい」

弱々しい声で返すと体を起こし起き上がろうとするリズ。けれど痺れがからだを支配し一人では直立も難しい。燐に支えられてようやく体を起こす。

「やれないよなこれじゃ」

「やれなくはないわよ、やりたくはないけど。すごいわね体がビリビリしてるわ」

「さすがにあの攻撃には驚いたが実質これでタイマンだよな」

離れた位置からディックがこちらを見つめていた。余裕をたたえたその表情けれどやはり彼の声もまた楽な反撃ではなかったことを物語っている。するとディックは燐たちに背を向け離れていく。彼もまた仲間のもとに駆け寄るのだった。

「派手にやられたな。なめてたか」

「まさかジャップだとは言ったがこっちは真剣だった」

リズとは違いこちらは立つことさえ難しい状態だ。地に体重をあずけたまま声だけは元気を装う。

「だよな、手を抜いてたなら俺も黙ってない。まあ一減った隙に一減らしたから及第点だな」

仲間をそのままにディックは燐に視線を飛ばす。

「面白くなってきたなモンキー」

「リズが一撃なんてなにかの冗談だと思いたいぜ」

「医者紹介してやろうか?これが実力だっつうの」

「クラス3位は飾りじゃなかってことか」

互いに視線を外さない。怒りと殺気を込めた視線は互いを刺激し互いの神経をひりつかせる。

「こっからが本番だな」

「悪いがリズがやられた以上おまえを潰すことしか考えない」

「ちょっと、私痺れてるだけなんですけど」

リズの拳が燐のヘッドバイザーを冗談めかして軽く叩く。

「けどしばらくは動けないだろ?その間に終わらせとくよ」

リズの介入で殺気を潜めた燐は柔和な笑をリズに送る。リズに安心を自身に鼓舞を、闘志を何倍にも燃え上がらせて。リズを離れた場所で休ませるともう一度ディックに目を向ける。待ちかねたように佇むディック。無言の牽制が始まる。一秒二秒、体で感じる時の流れと現実のそれは二人には全くの別物。最高の一秒を求めて呼吸を整える、次第にふたりの呼吸が重なっていく。完全に一致したその時張り詰めた空気が割れた。

「うぉぉぉおおおお!!」

「あぁぁぁああああ!!」

相当広がっていたふたりの距離が一秒また一秒と時を重ねるごとにみるみる縮まっていく。まるで磁石に吸い寄せられるような急速なスピードで。

バァアン

ガァアン

互いが互いの顔を殴り合う。激しい音を立て拳を打ち付け合う。その激しさは衝撃吸収サポートがなければ首の骨がへし折れていたであろうほどである。三度会場を完成が包み込む。一撃目で事切れることなく続けて一撃、一撃を相手に叩き込む。もはや戦術もなにもない。ただただ自分の思いを機械の腕に乗せて解き放つ。重機がぶつかり合う音が歓声をかき消すほどの音量で響きあう。燐とディックの表情からは夜叉のような鬼気とした殺気を感じる。今は目の前に相手を打ちのめすことだけを考えている。

「倒れろぉお」

燐が言の葉を乗せて右腕をディックの胴に打ち込む。

「ブッ。舌噛むだろうがぁあ!!」

腹に加わる衝撃を意識から追い出しすかさず攻撃に移るディック。反撃のラリアットが燐の顔を歪ませる。反動を活かし、勢いのまま脱力し足先を前に押し出す。脚部噴射口からガスを吹き出しディックから距離をとるように後退する。足を引きずるように移動した燐の後とはえぐられた地面にその軌跡が残る。

「しぶといな」

「おまえもな」

疲弊した色を露骨に顔に出す両者。肩が呼吸で上下するのが傍からでもよくわかる。

「気持ち悪い」

「あん?」

なおも続く先頭でヘッドバイザーの中は汗で蒸し、その汗が頬を伝わり流れ落ち体はずんと重く感じる。

「決め手がないんだよな」

ぼそりと燐はつぶやく。激しい拳での応酬を経てここでようやく燐の頭は冷静さを取り戻しつつあった。呼吸を整えまぶたをとじる。そして桐生、レベッカから教わった戦い方を思い返す。けれどすでにやり尽くしたものばかりでこの場において有効な手段に行きあたらない。この間ディックの追撃も懸念されていたがそのディックも余剰な体力は残されておらずつかの間の安らぎに心を落ち着けている。燐の一挙手一投足を見逃さぬよう。

「よし」

目を見開きディックを捉えると駆け込み姿勢をとったままタイミングを見計らう。同じくディックもどう出るかわからない燐の行動に決して警戒の色を薄めない。

ドュウンブリュリュウ

意を決しディックめがけ突撃を開始する燐。数拍の間をおいてディックも駆け出す。格闘戦の間合いに入ったところで燐は体を右前方に傾けた。それに合わせるようにディックは進行方向に立ちふさがる。けれど燐はそこで右足を大地に擦りつけ内体重を乗せる。そして全身の推進装置を駆使して逆方向に急旋回を始めた。最短ルートで左旋回するとディックが目で追うより早く背後に回り込む。

ガキィイン

ぶつかり合う金属音、燐のその剛腕がディックの体を強く抱きかかえる。両腕ごとホールドされたディックは思うように動けないでいた。

「ぐっ、フェイントなんてかましやがって」

時と共に締め上げる力がさらに加わっていく。しかしまだこれでは決定打にはかけている。そして拘束した状態で燐はスラスターを点火。腕の中にディックを収めたまま前進を始める。唸りを上げる推進装置、前を確認することもなく機体は加速を続ける。全身で風を受け止めながらディックは呪縛から抜けるすべを模索する。けれどそれよりも先に視界を覆うように壁面が眼前に近づいて来る。

「そういうことかっ、このクソモンキィイ!!」

バゴォオウン!!

ディックが言葉を吐き捨てると同時に彼は正面から壁と激突する。砕かれた壁面、飛び散る瓦礫。この一撃は相当量のダメージをディックの体に刻んだ、凛とともに。そう、燐もただでは済まなかった。ディックを盾にする形とはいえディックごしに伝わる衝撃に燐も消して軽くはないダメージをその身に受ける。会場を支配する空気。目を見張る観客たち。声を出すことさえ忘れて目の前の光景をただ呆然とみつめる彼ら。激しすぎる攻防に生唾をただ飲み込む。しばらく経っても瓦礫から姿を見せない二人。するとぷしゃあと白い煙が二人の一帯を包み込む。冷却装置が作動し熱を放出し始めたのだ。白く染まる景色の中がれきを押しのけ浮かび上がる影。その影はそのまま音を立て仰向けに倒れこむ。ざわつく場内。もうひとつの影ものっそりと煙から姿を現す。腕をぶらんと下げ立ちすくむそれはディックの姿だった。顎を上げ空を見上げる薄く開いたそのまぶたに光はなかった。気を失っている。一分ほど身動き一つ取らずただ立ちすくみ。倒れこんだ燐に起き上がる気配はない。見かねた審判がふたりのもとに駆け寄る。審議の結果、意識不明先頭続行不可能ということで両者失格。勝敗は判定に持ち越されることになりひとまず試合は終了した。

Biiiiiiiiii!!

試合終了のブザーが鳴り響く。歓声が沸くかとおもわれたが壮絶な死闘を目にした観客たちからはざわめきが起こった。フィールドに残されたリズは動くことなく運ばれていく燐の姿を見つめていた。

「頑張りすぎちゃって、もう」

呆れともとれる言葉を選手のいなくなった会場でこぼすリズだった。こうして特進クラス同士により対抗戦の一幕は一応の終わりを迎える。


重いまぶたを開く。白天井と照明器具が視界に入る。アルコールの匂い、燐は自分が医務室にいる理由を知らない。視線を走らせると人と姿はなくその代わり隣のベッドに誰かが寝ていた痕跡だけが残っていた。すると音を立てて医務室の扉が開く。顔をのぞかせる人影。

「なんだ、おまえかよ」

「俺で悪いかよ」

声の主は中へ入るとゆっくりとこちらへ近づいて来る。そのまま隣のベッドに腰をかける。

「俺の隣おまえだったのかよ」

とても嫌そうな顔で吐き捨てる燐。

「女でも期待していたのか」

声の主はどこかぼんやりとした声で返す。

「なあ、ディック・・・」

「ん?」

うつむき加減で言葉を続ける燐。

「どっちが勝ったんだ」

ディックは答えない。無言の返答はディックの勝利を示すのかはたまたその逆か燐にはわかりかねていた。横目でディックの様子を伺う燐。いまだどこか遠くを見つめる目をしていた。まるでどこかに心をおいてきてしまったように。ふたりの間に沈黙が続く。するとまたしても扉が開いた。

「やっと起きた?リン」

長い金髪をなびかせて彼女が入ってきた。

「さっき起きたとこ」

顔を上げリズに顔を向ける。リズは燐の傍らにまで歩み寄ってくると近くに置いてあった椅子を手に取り腰を落ち着かせる。

「二人共調子はどう」

そう聞かれると布団にもたれかかってため息を漏らす。

「重いな。試合のこともぼんやりとしか思い出せないや」

「相当激しかったからね。まだ記憶が混乱してるのかも」

そう言うとリズはちらりとディックの様子を伺った。

「おまえもか」

首だけディックの方へ向ける。

「まあな」

「どこいってたんだ?」

「便所」

「そ」

数秒天井をみつめまたリズに顔を向ける。

「どっちが勝ったんだ」

ディックが答えなかった質問を今度はリズに向けた。

数秒時が止まったような奇妙な沈黙がすぎる。ゆっくりとリズが口を開いた。

「私たちよ・・・けど実質引き分けね」

言葉の意味が理解しきれず燐は眉根をひそめた。勝った、けれどひきわけとは

「わかんないって顔してる」

可笑しそうにはにかんでみせるリズ。

「判定でね。二人共気を失っちゃって、唯一意識があったのが私だけ」

言葉を区切るリズその様子に言葉を促すように視線に力を込める。

「けど私もろくに動けなかったし次の試合も一人じゃ出れなかったから棄権した」

そこでリズの話は終わる。けれど最後の言葉がどうにも引っかかった。

「したってのは?」

「脳震盪ていってたけど燐二日も寝ちゃってて試合も昨日だったから」

目を点にしてリズの顔を見つめる。言葉の意味を寝起きのぼおっとした頭に少しずつ染み込ませる。白い天井をみつめ理解する。

「そっか」

不思議と何も感じなかった。悔しいとか惜しいとかそんなことは微塵も思わない。ああそうなんだと事実だけが鮮明に記憶された。だがまだ気にかかることが残ってた。

「ごめん、じゃあ俺とディックの戦いは」

そういってリズではなくディックに視線を向けた。ディックは上体を起こして虚ろな目をしている。

「引き分け、かな。その時のことを話とリンは倒れちゃってディックは立ったまま気絶して」

「そうか」

燐も上体を起こしぼんやり思い耽る。

「モンキー、いやおまえなんつったっけ」

虚ろなディッツを燐がみつめる。何が言いたいいんだこいつは。

「獅童燐だ」

間を置くことで意味がわかるまだぼんやりしているのか言い方が悪いのか。するとディッツがこちらを向いた気持ち目にも意思が戻ってる気がした。

「獅童楽しかったぜ」

ふたりの険悪だった関係にあまり似つかわしくない言葉が返ってくる。当然の様に燐は驚いた。

「さっき電話してきたんだ本国の親と」

「便所じゃなかったのか」

呆れ声を漏らす燐。

「ボーイズトークだったら席外そうか?」

リズが気を利かせようと立ち上がる。

「いいそのままで」

一度だけリズに視線を向けるディッツ。

「青臭いもんでもないしな」

言葉を続けるディッツ。

「イエローモンキーに。これももうやめるか、シドウに引き分けたって言ったら怒鳴られてさ向こうの学校に編入させるって。手元に置いて監督するんだとよ、せっかく外国で面白おかしくやろうとしてたのにな」

燐でもわかった、そう話すディッツの言葉には寂しさが宿っていることを。

「らしくないな」

なぜか燐もうつむいてしまう。親に従順なディッツにではない。編入を嫌がっていることでもない。プライドの高い彼が敵意を向けていた燐に愚痴にも聞こえるような言葉をこぼすことにだ。

「そんなペラペラしゃべるやつだったか」

「自分のことだが口は回る方だぜ。けど、ちがうな・・・そうじゃないよな」

横目でうつむいたままの燐を確認する。なぜこいつまでうつむくのかはわからないけれど自分と似た感情なのかなと思っていた。

「すっきりしたよな」

「ああ」

「興奮したよな」

「ああ」

「燃えた」

「おう」

「空っぽだな」

「おう」

一連の流れが止まる。その光景をリズは黙って見つめている。

「次は俺の圧勝だ」

「おれはもっと強くなる」

互いに相手に向けた言葉ではない。どちらもきっと自分に向けた言葉だ。自分への誓い、相手への誓い。強くなって次は必ず決着をつける。つけられなかった決着を次はつける。そう、再会を果たす言外の約束。


数日後、学園を去っていくディックは最期に言った。

「シドウ、俺は俺だ。お前との間に友情はねえ、倒すべき敵だ。けど短い間だったが歯ごたえがあるやつに会えて無駄じゃなかったなここに来たのも」

決して強がりはやめない、プライドは捨てない、馴れ合いはしない。一度敵と決めた相手には。それがディックというNo.3の男だったと燐は記憶に焼き付けた。



「シドウもういいのか」

無事新入生対抗戦は幕を閉じた。AクラスBクラスと特進2クラスは大会を盛り上げる熱戦を繰り広げたが奮闘の末、尾を引く負傷で残りの試合はこの2クラスを除くことに。その後いささか盛り上がりを欠くも順調に試合は進行していった。

しばらくは体を引きずっていた燐も試合期間と終了後の余暇のおかげですっかり元気を取り戻していた。

「おかげさまで」

「俺はなんもしてねえぞ」

久しぶりの授業、この教室も久しぶりだと思うと懐かしい。授業の遅れも特にない。それよりかは試合から通常の授業への切り替えの方が大変だ。思い返してもディックとの戦いは燐に小さくない影響を与えていた。ディックは強かった当初考えていたよりもずっと。そしてAWというものをより深く感じることができた気がしていた。あの時の興奮が、熱がまだ燐なかで残り火として燻っていた。

「さて対抗戦もおわってもうすぐGWだ。うちの学園はいろんな国から生徒が集まってるからな休みもまとまってある。規制したり寮で過ごしたりいろいろあるだろう・・・」

桐生の話を耳半分で聞いていた燐は登校時のクラスの様子が気になっていた。以前よりも若干空気が柔らかくなっていたような気がするし、クラスメイト同士の会話も増えている気がしていた。


「それって私たちの試合に触発されたからじゃない?というかリンたちの」

昼休みいつものカフェテリアでいつものように昼食をとる燐とリズのふたり。いつの間にか二人で行動することも当たり前になりかけていた。

「そうなのか?わからなくはないけど」

「イマイチやる気がない人の集まりみたいなもんだしうちのクラス。けど初めてに近いあんな激しい試合見ちゃったらね。わたしもふたりの殴り合いみて引いちゃったもん」

「引いたのかよ」

これまたいつものようにはにかむリズ。

「はいはい、冗談な」

「そろそろかな」

「ん?なにが」

「つぎ、LHRだよね」

食後のレモンティーをのんびりと啜るリズ。燐は無理に先を促すことはしなかった。

「職員室いこっか」

カップをソーサーに戻すとリズは立ち上がった。


「その話ね、いいわ次はHRだし。気になってるみたいならかまわないわよ。けどそれなら私のところに来れば・・・」

レベッカのところに訪れたふたりの用件は置き去りにされてたクラスの噂についてだ。けれどレベッカはこれといって渋る様子を見せなかった。となると燐は結果たらい回しにされたことになる。

「問題児ってほどでもないの。というか面白い子が多くてね」

「面白いって?」

「うちのクラスってAO入試でしょ?その時の面接がいろいろとね」

その面接とやらが曲者らしくその時の話が教官の間で広まり生徒まで広まったらしい。具体的には質問に対して1から10まで理詰めで長々と話し続ける生徒。ひさすら趣味の重火器の性能について事細かく語り続ける生徒。AWの歴史を問題形式に逆に面接官に出題する生徒。人間観察が趣味で面接中問いかけに一切答えず試験管の一挙一動を静観する生徒。そのほかにもいろいろととにかく問題児という言葉の他に変人奇人という言葉の方が似合う生徒の集団だということらしい。話を聞いた燐はただ呆れた。けれど同時にいつかの少女が言っていた言葉を思い出す。

「なんにでもドラマを求めるな、か」

妙に納得していた。

「なら隠すことなかったんじゃ」

そこで燐はリズを睨めつけた。

「わたしも聞いた話だったし」

どうにか誤魔化そうとするリズ。けれど言及は避けた。リズにはリズの考えがある。考えすぎだとしても今まで言わなかったのはリズなりに言わない理由があった、そう思うことにした。実際なんだかんだそれが理由でディックといがみ合うことになったがその結果得たものはマイナスではなかった。そう思う燐である。けれどまだ疑問は残る。

「話はわかった。ならなんでみんなディックの挑発にあんな、なんというか。それに対抗戦へのやる気も」

「それはみんなに聞いてみましょ。私もそこまではさすがに知らないの」

次の時間。

「俺が聞くんですか。先生が聞いてくださいよ」

予鈴のなった廊下。

「いいからいいから」

「先生本当は知ってるんじゃ」

「ううん、全然」

根負けして燐は教室のドアに手をかける。教壇まで進むとクライメイトたちの視線が燐へと向かう。緊張の面持ちの中静かに口を開く。

「よお、みんな元気か。この間の試合どうだった。頑張ったんだけどな負けちゃったよゴメンな。でもでも次は勝つから、絶対。次、いつかは知らないけどさ」

関係のない話ばかり続けてなかなか本題を切り出せずない。それをみかねたレベッカがおもむろに近づいて来る。

「みんな。シドウがねみんなに聞きたいことがあるんだって」

クラスが静まり返る。


「なんだって!?」

燐は驚きを顕に声を荒立てた。レベッカの問いかけの後しばらくは誰も口を開かなかった。けれど沈黙が長引くと観念したように誰かが話し始めた。

「待ってくれよ、試したかったって。ひどいよそれは」

「いやあだってなんか面白い子が入ってくるっていうしどうせなら実力みてみたいなって話になって」

「シドウが嫌がったらほかの連中から代表出すつもりだったんだぜ」

「そうそう」

「それにAクラスの宣戦布告もなあ」

「ほとんどの奴が変人って自覚してることだし」

「けどおどろいたよね。あの手のキャラは雑魚って日本のコミックで」

「そうだよなあ、あの試合は見ててまじ興奮したし」

「シドウスゲーってなったなった」

クラスメイトたちが好き勝手言い合う。顔を伏せ複雑な感情を処理しきれずにいる燐。

「シドウ」

そって肩に手を載せるレベッカ。

「みんな好き勝手いってるけどつまりはあなたのことをクラスメイトとして認めているってことなの、きっとね。個性的な子達ばかりだけどねいい子よみんな」

「シドウ、おまえ日本人ならコミック詳しいよな。こんど最新のオススメ教えてくれよ」

「ねえ和服興味ない私コレクションしてるんだけどいくつか着てみない。やっぱり日本人の方が似合うと思うの」

あらためて教室を見渡す燐。みんなの表情がにこやかでとても華やいでみえる。これが素の彼らなのか今まではそれを隠していたのか。それとも燐が見過ごしていただけなのか。思えばリズ意外のクラスメイトと積極的に話した覚えもないことに気づく。新生活に慣れることに精一杯でAWを学ぶのでいっぱいいっぱいで学園生活自体を疎かにしていたのか。そこまで何も見えてないわけではないつもりだったが。

燐は教壇にて手をついて静かにそして大きく息を吸い込んだ。

「みんな俺獅童燐。改めてこれからよろしく。みんなで一緒に頑張っていこうぜ」

全員に聞こえるように喧騒の中大声で叫んだ。言葉が教室に飲み込まれていく。教室が静まり返る。そして次の瞬間。

「「うおぉおおお!!」」

歓声、指笛、拍手喝采さまざまな音が燐を抱き込む。みんなの顔は先にもましていい顔をしている。この時ようやく自分がクラスの一員であるように感じた。

「面白いクラスになりそうだ」

「リンもその一人ね」

心の中で唱えたつもりの言葉が意図せず口から溢れてしまう。燐はリズに振り向く。

「おまえもな」

燐は入学して一番の心からの喜びの微笑みをその顔に宿した。




あの和解劇から数日後、燐は対抗戦前と変わらない学園生活を送っていた。とはいえ先日の一件以来クラスの大部分と打ち解け燐に対し遠慮がちだった生徒も積極的に話しかけてくるようになった。燐もそれにはとても満足しており文字通り充実した学園生活を送っている。対抗戦のような刺激的なイベントも楽しいが取り立てることのない日常も燐には大事なのだと彼自身感じている。

「ということで獅童はあとで職員しつこい」

それは帰りのHRでのことである。

「え、なんですか」

「聞いてなかったのか前にも言っただろう」

「すいませんなんのことだか」

桐生は大きく息を吐いた。彼の顔には誰が見てもわかるように面倒臭いという文字が書かれていた。そんな桐生の代わりにレベッカが話し始める。

「次のGWにね1年を対象に課外活動があるの。それで前回の対抗戦参加選手の中から特に成績の良かった何人かが資格を得るんだけど」

そこまで聞いて全容がわかってきた。

「シドウもリズベットも頑張ったからねうちのクラスからもふたりのうちどちらかに参加してもらうことになるんだけど」

そこで桐生が話を引き継ぐ。

「で、だ。この間その話をしてだな。お前は聞いてなかったようだが」

じろりと睨めつけられる燐。

「うちのクラスの枠はひとつだ。だから行けるのはお前かリズベットのどっちか、先にリズベットに意思確認をしたらおまえに譲ってやっていいっていうからだな」

リズの席に目をやる。リズは振り向きはにかむ。

「おまえに決まったわけだが、研修は外部の施設で行われるよって参加するに至って申込書を書かなきゃならんのだ。だからあとで職員室に来い」

話し終えると再びため息をつく桐生。

「すいませんでした」

平謝りをする燐。その後指示通り職員室に向かい参加申込書に記入そして提出今年のGWは課外活動の特別研修を燐は受けることになった。この時点では詳しい内容を聞かされていない。桐生が説明をめんどくさがったからだ。レベッカからも行けばわかるとだけ言われていた。

そしてすぐさまGWはやってきた。長期休暇をフルに使った研修ということで。授業を終えたその日のうちに学園を出ることになった燐は前日からまとめていた荷物を取りに戻り学園所有のバスが置いてある駐車スペースへ向かった。

学園所有というだけあってなかなか大きくこじゃれた外装のバスである。燐自身これからどこへ向かうかは知らないがそれでもどこか遠足気分で弾んだ気分でいた。運転手に荷物を預けて車内に乗り込むともうすでに大部分の生徒が座席についていた。中もなかなか広く間取りをとっていて内装も豪華だと改めて感心する。前方の空いた座席は教職員のスペースだろうがまだ教師は来ていない様子。奥へと進み空席を探すとふと見知った顔を見つけた。

「ここいいか」

「お好きにどうぞ」

気のない返事を流し座席に腰を下ろす燐。隣に座った黒髪の少女は文庫本片手に読書中のようだ。

「それ小説か、そういうのも読むんだ。専門書とか勉強ばっかのイメージがあったけど」

皇睦海すめらぎむつみ

「え?」

すると少女は本に栞をはさんで本をたたむと燐を見つめる。

「対抗戦楽しませてもらったわ。思ったよりは」

その言葉で合点がいった。

「あの言葉覚えていてくれたんだ」

彼女の律儀な性格が愛らしく思えて燐は笑いを浮かべた。

「なにかおかしい?」

「いや、いいやつなのかなって」

「いわれたことないわそんなこと」

顔を背け彼女睦海は窓に視線を向けてしまう。そこで燐の頭に疑問が浮かんだ。

「あれ?でもなんで?ここにいるってことは皇さんも研修参加するの?」

「疑問符が多いわね。じゃないとこのバスに乗っている説明がつかないでしょ」

「そうなんだけど、皇さん対抗戦出場してなかったよね」

「例の彼が編入しちゃってほかに誰もいないから押し付けられたのよ」

「でもディックと一緒に出てた・・・」

「その彼が興味ないって言うんだもの。私も行って損はないと思ったから引き受けたのよ」

「へえ、そうなんだ」

「あなたおかしな顔をしているわよ」

言葉の通り燐の顔はなぜか少し緩んでいた。

「ごめん、クラスでの皇さんを想像しちゃって」

「別段今と変わらないわよ」

「うん、そんな気がする」

「なにそれ」

燐の言葉の意味がいまいちわからない睦海はそんな表情を浮かべる。

「近くに日本人少ないからかな。おかしいなここ日本なのに。おれ皇さんとおしゃべりするの好きみたい」

そういって今度は燐が窓の外に視線を向ける。そんな会話をしていると運転手が点呼確認をはじめた。

「それではこれより出発します。道中何度か休憩を挟みますので・・・」

そこでようやく気づく。いまだ教師らしき人物は誰も乗りこんでいないことに。

「引率いないのか?」

燐が疑問を口にする。

「そうなんじゃない」

睦海は再び本を開き読みふけっていた。引率がいないことに疑問を持つ燐にお構いなしでバスは発車した。道中多少賑やかなものの決して騒がしいというほどではない、この学園の生徒は比較的物静かな人間が多いようだ。しばらく走っていると後部座席から声がかかる。

「君、スメラギさんだよね学年次席の。代表挨拶よかったよ。言いづらい名前だから覚えてて。それから君は」

目を細めて燐を見つめる。

「Bクラスの代表の子か。いやあ、Aクラスの彼との試合はなかなか白熱したね」

突然の挨拶に戸惑う凛とそれとは対称的に静かに活字を目で追う睦海。愛想のない隣人を気にかけながらも切り返す。

「名前聞かせてもらってもいいかな」

「ああそうだね。僕の名前はザック、Gクラスに在籍してる。知らないかな?これでも一応この間の恥ずかしくも優勝者なんだけど」

「そうなんだ。それはすごいな。俺試合のあとはずっと医務室で寝てたから」

「そうらしいね、正直君たちのおかげで決勝は盛り上がりに欠けてしまってね」

「悪いことしたのかなそれは」

「いやいや君たちが凄すぎたんだよ。新入生の試合じゃなかったねあれは」

「過剰な物言いだな。こっちは必死だっただけなのに」

「だとしてもね、だから僕は名ばかりのウィナーなんだ」

とりとめのない会話をしばらく交わした後ザックは自分の席へと帰っていった。一人心地を付いていると隣人が気になった。彼女は未だに物語に埋没したままだ。

「そんなにその本面白い?」

「面倒なだけ」

「面倒ってザックのこと?」

「わからないな。凄いって言ってくれてる相手だよ」

「わたしは誰かに認められたいわけじゃない自分を認めてあげたいだけだから」


数時間休憩を挟みながら走り続けたバスはようやく目的地へとたどり着いた。バスを降りた燐たちは眼前にそびえ立つ長大なビルを見上げる。

「ここって」

「ここはGIC社の日本本社のようね」

「GICってAWのハードウェアからソフトウェアまで開発してるっていう海外の大企業だっけ」

「説明ご苦労様、そうよ。それでここがあなたたちの研修場所」

燐たちの会話に割り込むように離れたところから声がする。そちらへ振り向くと燐たちの乗ってきたバスと同様のバスから流れてくる人影がみえた。バスの向こうには大型のトレーラーも数台止まっている。人並みの先頭を歩く女性が声の主のようだ。

「あなたたちが今回参加するなんとか学園の学生さんね」

この女性以外は学生服のようなものをまとっている。つまりこの女性は教員かなにかなのだおろう。

「はい。えと、僕ら何も聞いてきてないんですが」

「それなら問題ないわあなたたちの面倒は私が見ることになっているから。私はドイツにあるどいつ学園で教師をやっているユーディット・エーベルよ。よろしくね」

「よろしくお願いします。それでなんで俺たちGICに来たんですか」

「ここで研修を行うからよ、なんとかとどいつの合同でね。うちとそっちは姉妹提携してるからね」

「AWの企業で研修って一体何を」

「それはおいおい分かるはまずは荷物を持ってついてきて」

ユーディットの後を追うように燐たち学生たちは荷物片手に歩き出した。正面ゲートをくぐると大勢の警備員が並ぶ中スーツを着た男性が立っている。

「こちら今回お世話になる日本支社の後藤さんみんなあいさつして」

「みなさんようこそ日本支社で統括の仕事をしている後藤です、それではみなさんまずはこれを」

そう言って後藤の後ろで控えていた数名の社員から何かしら手渡されていく学生たち。

「それはゲスト用のセキュリティパスです。機密を扱ってる場所も多いので」

入館者ゲートにパスをかざすとバーが上がって通れるようになる。次々と門をくぐっていく学生。その後一同は大きな会議室のような場所に通された。

「まずはここで今回の研修の概要を説明します」

壁に設置された大きなディスプレイの前に立った後藤はそばにある装置でモニターを操作し始めた。

「今回はみなさんのGWを活用した我が社と学園との合同プログラムになります。初日の今日はまず弊社の様々な施設を見学してもらいます」

後藤がスクリーンに映し出した画像にはGIC社のさまざまな研究施設が写っている。

「翌日からは本社の裏手にある演習場で実技演習と研究棟での座学のカリキュラムになります」

つづいて演習場の映像も映された。そこには広大な演習施設と隣接する工場がある。演習場の周りは森林地帯で覆われている。

「なにか質問はありますか」

一度話を区切ると後藤はモニターの電源を落とす。暗くなっていた室内に明かりが灯る。どこからか声が上がった。

「自分たちの宿泊場所は?」

「本社の施設の一つに来客用の宿泊施設も用意されています。こういう機会は近年何度かあるのでそのために用意されました。施設の出入りにはいろいろと制約はありますがそちらはユーディット先生の指示に従ってください。ほかに何か」

「座学ということですがそれはユーディット先生が?」

ユーディットが壇上に歩み出る。

「心配しないでそっちの方は私ではなく客員を招くことになっているは海外で活躍されてる優秀な方よ。明日こちらに見えるはずだからそれまで楽しみにしててね」

「質問がないようなら早速施設見学に参りましょう。荷物はこちらでお預かりしてみなさんの部屋に運び込んでおきますね」

その後施設見学が始まった。支社ビル内部の見学かと思いきやビルを一旦出たあと専用のバスに乗り込む面々。このバスで敷地内を行き来するようだ。これから向かうのは第3研究棟と呼ばれるところだ。再びバスに乗り込んだ燐たち。走り出したバスの車窓から望む景色に声を漏らす。いくつもの建物を繋ぐ広大な敷地。背の高い建物や幅広な工場が敷地内にいくつも見える。遠くに見える演習場には本格的な設備も設置されている。研究棟に到着するとそこにもセキュリティゲートが設置されている。それを通過して内部へ入っていく。

「ここでは主にソフトウェア開発を行っています。海外からの優秀な研究者を集めて。現行のシステムの改良から違った特徴を持つ新規OSの開発までその規模は実に幅広くやっています」

「そんなにOSの種類が必要なんですか」

「AWの活動目的に最適化されたOSを用いた方がより効率的に本体を動かすことができますからね。それはこれからいろんな実践を重ねることで実感していくと思います」

研究室内では研究者たちが専門的な言葉を用いていろいろと議論している姿も目に入る。他にも何台ものコンピュータに向かって作業している人の姿も。

「次は工場の方を案内しましょう」

先と同じくバスに乗って工場に移動する。

「こちらでは本体の整備を行っています。弊社製のAWの国内シェアは42%、海外では28%です。それらのうち国内の機体はこちらに運び込まれ整備されます」

後藤の説明を聞きながら工場内に歩みを進めると整備士たちがいくつものAWを解体している姿が目に入る。すると

「あれあの機体は」

ひとつの期待の前で足を止める燐。

「どうかしたの?」

終始隣で歩いていた睦海が声をかける。

「いや、ちょっと気になってね。気にしないでいこう。置いてかれちゃう」

再びふたりは歩き出す。

その後もいくつかの施設を見学したあと今日の宿舎へと向かった。


「ユーディット先生、これは」

部屋割りが済んだあと困惑した面持ちで燐はユーディットをみつめる。

「大丈夫、大丈夫。私のモットーはジェンダーフリー、男女隔て無く愛することだから」

自然と脱力する体に燐は頭を持ち上げることさえ面倒に感じる。

「意味がわかりません。そっちはいいのか」

横に並び立つ睦海を伺う。彼女からの返答はない。

「だって段取りの都合で部屋が足りなくなったんだもの、文句なら半端な仕事をしたベッキーに言ってちょうだい」

「なぜそこでレベッカ先生の名前が」

「あら知らなかったの?この研修彼女と新学期前に打合せしたものなの」

「新学期前って、そういえば海外でなにかやってたとか」

「その一環ね。そのあとのそちらの選抜は彼女の担当だったから。ギリギリまで男女の頭数が分からくて困ったわ」

「あの、ほかに部屋は」

ようやく睦海が口を開いた。便乗するように燐も口を添える。

「そうですよいくらなんでも男女同室なんて」

燐たちがいま直面している問題は研修の間ふたりが同じ部屋で寝泊まりしなくてはならなくなったということだ。そもそもはAクラスから参加する予定だったディッツが突然編入することになったことその代理が対抗戦に参加していなかった睦海になったこと。さらにBクラスでもギリギリまで参加者が決まらず申し込みが押してしまったこと。それらが原因とはいえこの段階まで解決されていないのはやはり問題だろう。

「いいじゃない、研修中の思い出作りだと思えば」

「先生、俺たちここへ何しに来たんですか」

「そりゃ研修よ、私たちなんてわざわざドイツから来たんだから。けど決まったことは仕方ないでしょ、なにも全日程一緒に寝ろとは言わないから」

「その間に別の部屋を用意してくれるということでしょうか」

「ちなみに先生の部屋に皇さんを泊めるというのは」

「ああそれは無理ね。私は市内のホテルとってあるから。生徒は生徒同士仲良くね。私は私でお楽しみが待ってるし」

燐はこの時大人の身勝手さを痛感してしまった。

「皇さん、先生はこう言ってるけどどうにかしてもらおうよ」

隣の睦海に顔を向ける。同時に睦海をこちらを見つめ返してきた。そのあとユーディットに向かい直る。

「わかりました、その代わり早急に代わりの部屋を手配してくださいね」

睦海の出した答えに燐は戸惑ってしまう。安心したせいかこっそりと息を漏らすユーディット。

「よかったわ物分りがよくて、さすが優等生ねムツミ・スメラギは」

謙遜してみせる睦海。

「ほんとにいいの皇さん?俺と一緒の部屋で」

「大丈夫よ。あなたもいかがわしいことをするつもりはないのでしょう」

問いかけに答える睦海の視線は鋭く言外に妙な気を起こせばただでは済まさないと目で物語っていた。

「しないしない。うん、しない」

バツが悪そうに顔をそらす燐、本当のところは睦海の視線の鋭さにたじろいだだけだった。

そのあとようやく自分たちに割り当てられた部屋へとむかう燐と睦海。ほかの学生たちはユーディットと言い争っている間に各々の部屋へと散ってしまっていた。

部屋の前までたどり着くと先ほど渡されたカードキーで施錠を解き中へと踏み入る。真っ暗な室内ですぐさま扉脇にある照明ボタンに手を伸ばす。部屋が明るかなり部屋の全貌を確認するとまたもや戸惑ってしまう。てっきり簡易ベッドが置かれたビジネスホテルのような間取りかと思えば和畳が敷き詰められた旅館のような純和風の装いだったのである。これには睦海の顔にも少し驚きの顔が見える。

「まあ中学の卒業旅行とかってこんな部屋じゃなかった?」

「私のところはホテルだったから」

「そうなんだ。とりあえず中に入ろうか」

いつまでも入口付近に立ち尽くしている様子を見かねて燐が促す。なかに歩み入り部屋の端と端を互いに陣取ると荷を降ろし人心地つこうと隅にある座布団に手を伸ばす。睦海の分もしっかり手渡すと互いに少し距離をとって腰を下ろす。

「お茶、呑む?」

「ええ、いただくわ」

部屋には湯呑や電気ポッドも備え付けられており何から何まで本当の旅館のようである。流石にお茶菓子まではなかったが。

「あれかな、やっぱ海外の企業だから日本のものに憧れとかそういうのがあるのかな」

「そうなのかしらね」

内心の緊張を紛らわそうと会話を絶やさないよう努める燐とは対称的に表面上は穏やか口調で言葉を返す睦海。互いのよそよそしさが部屋いっぱいに広がっていた。睦海の前に湯呑を優しく置く燐。

「ありがとう」

またもや距離をとって燐も腰を落ち着ける。

「このあと食事だっけ」

「ええ、研修の為に社員食堂を使わせてもらえるみたい」

「そうなんだ。あ、宿泊施設の中に共同浴場もあるんだってね。ここまで来る途中で案内板があったよ」

「そう」

「なにからなにまで本当にすごいよね」

「そうね」

あっという間にお茶を飲み干し湯呑を卓へと置くと室内の壁掛け時計に目を向ける。

「ご飯だね、行こうか」

「ええ」


食堂で食事を済ませたあとユーデイットからあす以降の予定が説明がなされると本日は解散となった。部屋へと戻ったふたりはそそくさと仕度を済ませると共同浴場へと向かう。

「ふぅ~」

湯船に浸かるとようやく燐の心が軽くなる。今日一日の見学以上に睦海と同室とわかった後の方が燐には気まずく締め付けられる感じがしたからだ。

「けどやっぱり大きい風呂はいいなあ」

入学してから未だに燐の住まいはあの旧時代的な宿直室だ。風呂もついてはいたが湯を張って浸かるには窮屈でずっとシャワーで済ませていた。

「明日から本格的な研修か、実習ってどんなことするんだろう。座学も学校の授業とはやっぱ違うのかな」

湯で顔を拭う。壁に背を預けると湯気で霞がかった天井に視線を漂わせる。

「皇さんと同室か、なにかあるわけじゃなくても緊張するよな」

ほどほどに疲れを癒すと浴場をあとにし部屋をもどる。部屋の扉をあけると睦海はまだ戻っていないようだった。これといった娯楽のない部屋でカバンを漁り一通り翌日の仕度を済ませるとゴロンと畳に横になった。

「布団でも敷いておくか」

布団の配置にしばし頭を悩ませたが結局卓を隅に追いやり人2人分ほどの幅を空けることで落ち着いた。

「近すぎても変に遠くても意識してるみたいで嫌だしな。気になるなら自分で動かすだろう」

そして布団の上で再びゴロンと横になる。

20分後部屋の扉が開いて睦海が帰ってきた。寝転んだまま部屋に入ってくる睦海を見上げた。睦海の姿を見てしばし燐は戸惑う。

「どうかしたの」

「いや」

かわいらしいパジャマ姿。まだ乾ききっていない髪に上記した肌。燐の胸のドキドキは止まらない。

「メガネどうしたの」

「そこまで目は悪くないの。就寝前は特に必要ないから」

普段とは違うメガネをかけていない姿もまた燐の瞳には新鮮で魅力的に映る。自身のカバンまで歩み寄る睦海。睦海の通った跡から漂う鼻を刺激するかすかに甘りが更に燐を興奮させる。おそらくはシャンプーの香りではと推察する。

「布団、勝手に敷いちゃったけどよかった?好きに動かしてもらっていいから」

「ありがとう、このままで構わないわ」

座り込んだ姿勢から顔だけこちらに向ける。その顔がまた一段と艶っぽく何もしていない燐の方が恥ずかしさでいっぱいになる。その後胸の高鳴りをごまかすため何杯も茶を口にする。対する睦海は、洗面所で歯磨きをしている。沈黙が部屋を支配する中同じくあすの支度を済ませた睦海は柱に持たれて本を読んでいる。時計が10時を指した頃燐が就寝を促した。

「そうね、寝ましょうか」

メガネを外し本とともに枕元に置くと布団に潜り込む。枕元の間接照明を残し部屋の明かりを落とす。

「こっちの電気も消していいかな」

間接照明のも手を伸ばした燐。真っ暗になった部屋で秒針の微かな音だけが耳に届く。すぐには寝息は聞こえてこない。睦海に背を向けるように体を横にする。背中からでも睦海を意識してしまうこの状況がなかなかにつらい。燐の体感時間で10分ほど経ってもまだ寝付けない。向こう側の寝息も聞こえてこない。

「ひとつだけ言っておくわ」

背中の向こうから声が飛んできた。またもや鼓動が早まるのを感じる。

「私もかなり緊張しているのよ」

それっきり言葉は途絶えた。

「(寝れるか~!!)」

そのまま悶々としたまま燐の研修初日の夜は更けていく。いつのまにやら気づけば燐も夢の中眠りの中に漂っていく。

「なんでこんな、はぁ」

それは珍しく睦海が人前でため息をついた瞬間であった。そのため息は眠りの森を彷徨う燐には決して届くことはない。


研修2日目。翌朝燐が目を覚ました時には既に睦海は支度を済ませ制服に着替えた後だった。布団もきっちりたたんである。

「おはよう」

朝の挨拶を交わす。

「おはよう、寝癖ついてるわよ早く支度したら」

朝食を昨日と同じく社員食堂で摂り一同は研究棟にある研修室の一室へと向かった、食事食事を終えたタイミングでユーディットも合流していた。室内で午前研修が始まるのを待っていると扉から一人の男性が入ってきた。目のくぼみが特徴的な壮年の男性だった。

「おはよう諸君。気分はいかがかな」

つづいてユーディットが紹介を始める。

「みんな、彼が昨日話した今回の講義を受け持ってくれるエゴール・パザロフよ。知っている人もいるでしょうが彼は機械工学の専門家でAW開発の第一人者でもあるの。今では海外の大学や研究機関で客員も務めているわ。この数日、彼のもとできっちりAWのことを学んでね」

説明を終えるとユーディットは部屋を後にしてしまった。

「それでははじめようか、とはいえ畏まることはない。君たちに知りたいという欲求さえあれば決して難しい話ではないはずだ」

そしてエゴール氏のもとAWの特別講義は始まった。初日の今日はAWの歴史から始まることになる。その始まりは建設土木など重機を伴う現場での効率化のために開発されたことによる。そして高所での作業、水中水上での作業と活躍の場を増やして行き同時にAWも姿や装備を変え多くの派生型を生んでいった。AWが競技的な側面を持ち出したのは当然の様に兵器利用へと使用用途が移っていったことによる。AWを兵器化できれば現行の軍事兵器をいくつも凌ぐ成果を上げることが期待できた。それゆえさまざまなところでAWの存在を危険視する動きが高まった。その解決策としてAWの競技運用が現実化してきたのだ。奇しくも一部では既に兵器として利用されているAW。けれど世界規模での戦争に発展することを避けるためAWを用いた競技種目を設けることで各国間の緊張を保ち軍事バランスを調整することに相成った。これは功を奏しここしばらく長い年月において大規模な戦争に発展した例は希だ。国家軍が大々的に持ち出したという事例はない。それでもさまざまな国家では有事に備えてAWの特別部隊が編成されているのが現状だ。そしてこれからの課題は技術の進歩ととも発展していくAWをどのように人類に役立て尚且つ争いの種になるのを防ぐかにある。

「というのがAWの歴史にあたるんだが、わかったかね」

エゴール氏の講義内容はとても興味深く、概略に触れた後に個々の項目に細かく触れていく。一般的な見解に自身の見解を織り交ぜさらには時代における変化をも語ってみせた。まるで世界のAW事情全てを把握しているようなその言葉に燐も含め学生たちは関心と尊敬の念で瞳を輝かせる。終の見えない氏の弁はなおも続いていたが時計の針は既に正午を過ぎておりそして口惜しくも終わりを告げるようにアナウンスが流れた。声の主はユーディットであった。講義が終わってもしばらくは学生が群がって氏は帰る気配を見せなかったが学生たちも今後のスケジュールがあるためなくなく後日へ持ち越しとなった。

「すごかったね、皇さん」

燐も今回の講義に大変な刺激を受けた。始まるまでは座学よりも実技演習の内容に期待の比重を傾けていた彼だがそんな燐を虜にするほど氏の話はAWを携わる者には神の教えのように聞こえたようだ。

「すごいってのは彼らが?それとも」

「もちろんエゴール教授だよ!!いやほんと勉強なんてほどほどになんて思ってたのに、惜しいよなクラスのみんなにも聞かせてあげたいくらいに」

「やけに興奮してるわね、あなた」

「あはは、ごめんなんだか恥ずかしくなってきちゃった」

「けどそうでもないわ。正直私も興奮してしまったことを自分を自覚しているもの」

「えっ!?皇さんが?いやそうだよね、うんわかるよ。だってほんとすごかったんだから」

僅かに恥ずかしそうな顔を見せる睦海。彼女のこんな表情はなかなかお目にかかれない。燐も講義への興奮とは別のところで睦海の貴重な瞬間を目にして驚きを感じていた。けれどもそれを勝るエゴール氏の講義は意義あるものであった。


午前カリキュラムの後学生たちは皆お昼を取るために社員食堂へと流れた。研修中の食事は全てここでとることになる。大手企業というだけあって提供される食事の質も種類も実に幅広い。ここが日本支社のと同時に海外企業であるのも事実で、よって各国から出向している社員のためにいろんな国の料理が振舞われることになる。それでも燐はほかに目移りしながらも日替わり和食定食を注文する。昼からは体力を要する実技演習の時間である。高カロリーの食事で腹を満たしては満足に体を動かせないだろうし何より日替わりの鯖煮が彼の目には美味しそうに映ったからだ。質がいいということは素材もいいということ。調味料をふんだんに活かした料理よりも素材の味を楽しめる和食の方がこの社員食堂のすばらしさを体感することができる。今回の研修に参加している学生は相手校も含めて外国籍の者も多い。にもかかわらずやはり日本食は人気のようで皆の盆の上は似たような並びである。

 定食を受け取り空いている席で睦海が来るのを待っているとふいに声をかけられる。

「ねえ、一緒していい?」

声の方を見るとそこには華やかな笑みをたたえた褐色肌の女性が立っていた。燐とは異なる制服を着ていることから姉妹校の学生だと簡単に推察できる。燐が答えるより先に彼女は燐の隣に腰を下ろした。

「向かい空いてるけど」

八人がけのテーブルで自分の右隣に陣取る彼女に疑問を感じる。

「有名な話で対面よりも隣に座ったほうが親密になりやすいんだって」

「そうなんだ」

今なお活動している間は耳から通訳機を外すことはしない燐。学園に入学してからというもの日本語以外で話しかけられることが段違いに多くなったからだ。通訳機は片耳につけているため自然相手が話すそのままの言語も耳に入ってくる。なので彼女が英語を話していないことも感覚でわかる。ちなみに彼女も耳には通訳機らしきものを装着している様子。

「えっと、それスペイン語かな。あまり詳しくはないんだけど」

なんとか学園では一応言語学習の授業もある。いわゆる第二外国語と言われる授業の他に常用語としての頻度の高い英語とスペイン語、加えて日本校ゆえ日本語の授業がそれとは別枠で必修のように存在する。まだ一ヶ月も授業は受けていないがそれでも言語ごとの特徴というものは感覚で学びつつある燐であった。けれど少女は燐の問いかけに首を振る。

「似てるんだけど違う。私が話してるのはポルトガル語なの」

「そうなんだ?似てるんだねスペイン語と」

「まあね」

「ということはポルトガルかヨーロッパの人かな」

「残念、私はブラジルからドイツに留学中」

「ごめん。そういうことは無学で」

「気にしない気にしない」

そう言って少女は正面を向いて食事に手をつけ始める。彼女の食事も燐と同じ日替わりの鯖煮定食だ。けれどやはりというべきか箸を使わずスプーンとフォークで食している。

「うん、美味しい。日本はいい国ね。ご飯が美味しい国に悪い国はないわ」

「あはは、すごく美味しそうに食べるよね君」

燐の言葉の通り食事をしている彼女の顔は実に幸せそうであった。

「そう?」

気にする様子もなく彼女は次々に口へ食べ物を運んでいく。真横に座っているせいで顔を凝視することはないが度々見る横顔は同年代にしては大人びて見える。けれどそれは単に燐が日本人の感覚で彼女を見ているからに過ぎないのだろう。

「美味しそうに食べてるのにごめんね、せっかくだから名前教えてよ」

彼女のスプーンを持つ手が止まり食物を喉に流し込もうと口をもぐもぐさせる。燐は彼女が咀嚼している間黙って待っている。ごくんと小さく音を鳴らして彼女が口を開く。

「ペドラ・マリア・シルヴァよ。ペドラって呼んで欲しいな」

「ペドラか、よろしく。俺はリン・シドウ。リンでいいから」

互いにようやく挨拶を交わす二人。そこへようやく盆を持った睦海が登場した。

「ああ、皇さんこっちこっち」

こちらの呼びかけにも変わらずゆっくり歩いてくる睦海。彼女はペドラとは違い自然に燐の対面に腰掛ける。対面とはいっても左斜め対面だが。

「遅かったね」

「社員の人達と時間がかち合っちゃったようね」

「そうなんだ」

睦海の昼食は一見燐たちと同じ鯖煮定食のようだが雑穀米のご飯に副菜に菜食が多い健康志向の献立のようだ。睦海は燐の真隣に陣取るペドラの姿にさして気にかける様子もなく食事に箸を付ける。

「そういえばペドラはなんで俺に話しかけてきたんだ。普通は一緒の学園の子と食べないか」

「せっかくの機会だから知らない子とも仲良くしたいと思って。今だけじゃないのよ昨日も今朝もそうしてたし」

「社交的なんだなペドラは」

「だから、あなたの名前も教えて欲しいな」

優しい笑顔でペドラは睦海に話しかけた。そして互いに簡単な自己紹介を交わす。

「じゃああなたのことはムツミって呼ばせてもらっていいのかな」

「ええ結構よ」

こうして三人は共通の知人になる。

「へえ向こうでは英語で会話してるんだ」

「そう、ほとんどの生徒が留学生だからね。あっちの子はあんまりこれ使わないから」

そういって自身の耳を指差すペドラ。これとは通訳機のことを指している。

「すごいな、俺なんか英語もまだたどたどしいし」

「いいんじゃない、便利なものは使わなきゃ損よ。ね、ムツミ」

「そうね、言葉なんて所詮手段だもの。話せる話せないで人の価値を判断するのは良くないわ」

「そうだよねえ」

他愛ない話を重ね親しげに食事を続ける三人。直にペドラが一足先に食事を済ませると別れを告げ席を立つ。

「ごちそうさまでした。それじゃリン、ムツミ。お昼にまたね」

手を振って去っていくペドラ。その後ろ姿を眺めながら睦海が言葉をこぼす。

「すごいわね彼女」

啜りかけの汁物をおいて燐が問いかける。

「確かにすごいよな。社交的っていうか物怖じしない感じが」

けれどすぐさまその言葉を睦海は否定した。

「違うわ、あの臀部よ」

思わず吹き出しそうになるのをなんとかこらえる燐。

「臀部って、尻のことだよな」

そういって改めてペドラの尻を凝視する燐。風船のように膨らんだ臀部が制服の生地を押し広げている。

「意外だな。皇さんってそういうの関心あるんだ」

「そういうことって」

それこそ意外そうに睦海は聞き返す。

「いや、尻とか胸とかの大きさみたいな?女の子として」

微妙に視線を外し答える燐。こういった話題は女性の前で口にするのをはばかられる気がしてほかならないからだ。

「誤解しているようだけど私が言ってるのは個人差ではなく彼女の人種的特徴よ。よく聞くでしょ臀部の発達が著しいって」

「ああ、一般論ね」

「なにかしら、なぜか不愉快に感じるわね」

決して語調を荒げずに睦海はそう口にした。

「ごめんなさい」

視線を合わせずに燐は謝罪の言葉を呟いた。


食事も終わり迎えた午後からの実技演習。学生たちはフィッティングスーツを身にまとい演習場に集合した。かんとか学園のフィッティングスーツは傍からみてもわかるように燐たちのものとは色もデザインも異なっている。それでも基本形状は同じようだ。午前の講義とは違いこちらの演習ではまだ指導教官が知らされてはいない。今はとりあえず集合場所でユーディットが現れるのを待っている状況だ。するとしばらくしてユーディットが姿を見せた。彼女の背後には長身の男性がついてきている。

「お待たせみんな。まず先に紹介するわね。彼が実技演習の教官を務めてくれるジャイルズ・バクスターよ」

ユーディットの紹介に応じて一歩目に歩み出て挨拶をするジャイルズ教官。

「みんな教官のジャイルズ・バクスターだ。GIC社製品のテストパイロットがここでの主な仕事だ、よろしく」

「今はテストパイロットをしているけど彼は以前アメリカ空軍に所属していたの」

「空軍ですか」

誰かが疑問を口にする。

「そうね、元軍人だからAWの操縦が秀でているとは言わないけれど今回の研修では彼の凄さを実感できると思うわ」

「持ち上げないでくれミズ・エーベル。ハードルが上がっては俺もやりづらい」

「ごめんなさい、けれど口で説明するより先に見せてあげて頂戴。ちなみに今からやってもらうのはカリキュラムの一部に過ぎないわ。期間の半分でこれくらいはやってもらうからね」

ユーディットが話を続けている間にジャイルズ教官は屋外に運び出された教官用のAWを装着し始める。

「なんとか学園のみんなはあれが普通のとどこが違うのかわかる?」

なぜかなんとか学園の生徒に向けてだけユーディットはそんな質問を投げかけた。

「どこが違うってあれ、パーツが少ないというか装甲が」

「飛行特化型のの軽装甲仕様ね」

すぐさま睦海が正解を口にする。確かに教官が装着しているものは装甲が全体的に薄い。AWの特徴的な大型のレッグパーツがおよそ三分の一ほどの密度しかない上に。各関節を覆うパーツもない。反対に背面のバインダーが身の丈ほどに大きく燐が学内で使用したものと比べ断然重量感が劣っている。あれでは機体にかかる衝撃を吸収しきれないのではと燐は危惧する。

「AWはね換装次第でいくらでもその姿を変えるものなの。なんとか学園での基本ウェアは安全性を追求したモデルなんだけど彼が装着しているものはその逆。まあ見てなさい」

あれこれ言い合ってる間に完全にジャイルズの準備は整ったようだ。

「じゃあお願いミスター・バクスター」

手を挙げてユーディットはジャイルズに向け合図を送る。

「了解だ。ジャイルズ・バクスター、テイクオフ」

駆動音を響かせジャイルズの機体は運転を開始する。脚部と背面の噴射口から蒸気を噴出させながら機体が宙に浮く。その姿だけで燐は気づいた。燐もAWに搭乗したことのある身だひと目でわかった。燐が学園の機体に乗った時よりも実に軽やかに宙に浮き上がるのを。学園の機体が宙を浮き地から足を離すまで4、5秒かかるのに対しジャイルズのそれは僅か1秒ほどで風船が舞うような軽やかさで重力を無視するように浮きあがった。

「これからみんなにしてもらうのは飛行訓練よ。そしてこれが元空軍パイロットの操縦テクニックよ」

ユーディットの目配せを受けジャイルズは上昇を始める。まるで機体が空から引っ張られるように青空に吸い寄せられるジャイルズの機体。地上30メートルほどまで上昇するとゆらゆらと旋回を始めた。機体は文字通り泳ぐように空を駆ける。そして加速度的にその速度を上げていく。一瞬空気を割るような音が燐たちの耳にまで届く。そしてジャイルズの姿が消えた、ようにみえるほどその速度は速かった。数秒ほんとに消えたかと思ったジャイルズの姿が次第に視認できるようになる。燐の目にはジャイルズが点在的に瞬間移動しているように映った。点ばかりでしか彼を捉えることができず彼が駆け抜ける軌跡が線として目で追えない。続いてジャイルズは地上めがけ急降下を始めるそして地上2メートルほどまで高度を落とすとUの字に急上昇を始める。それを蛇の如く幾度となく繰り返す。その後も平面、垂直問わず上空で∞の軌道を描いて飛び続ける。

「あれ、ただ速いようにもみえるかもしれない。けどねミスターの体には想像以上の負荷がかかっているの。その上一瞬でも判断を誤れば事故につながる可能性は十分にありえるわ。それだけ高度な飛行技術だということよ」

ユーディットの言葉にただただ息を飲んでジャイルズを見つめる。

「すげえ」

誰に言うでもなくひとりでに言葉が口をついて出た。数分後、ジャイルズの機体は静かに地上に降り立った。

「ありがとう、ミスター」

「期待に添えたかな」

「ええ、充分よ。わたしもあそこまではとても無理ね」

「それはよかった」


その後燐たちはGIC社が用意したテスト機に順々に搭乗していく。準備の傍らドイツ組の方をみるとそちらは初日の合流時バスの後ろで待機していたトレーラーから別の機体を搬出している。どうやら彼らはこちらとは別に機体を用意していたようだ。外観が多少異なるものも基本構造は共通している点が多い。あれも飛行特化型のモデルのようだ。機体のフィッティングを済まし装着した感覚を確かめる。AWは関節フレームの作用で重量のあるパーツ、特に脚部などの重さはさほど感じないのだが装甲が削られているにもかかわらずこちらの機体は多少重みを感じる。けれどその反面総重量はノーマルモデルの比にならないくらいに軽くなっている。腕も胸の装甲も訓練機ほどの重量感を感じない。着ただけですでに違いを実感できることに燐は驚いていた。

「さあ、かんとかのみんなは高度10メートル以下での低速遊泳をはじめて」

その言葉に燐は驚く。

「向こうはもう飛べるのか!!」

なんとか学園ではこの時期まだ地上歩行、地上走行を主体で授業が行われている。とにかく地上での運用を重点的に学んでいる状態だ。それにくらべドイツ組はおなじ一年で既に飛行訓練が始まっているという。けれどそれはあちらがより高度な授業をしているというわけではない。あちらとことらでは単にカリキュラムの構成が違うのだ。その説明をユーディットから受けてようやく燐は安堵する。

「なんだ、そうだったのか」

安堵のため息を漏らす。

「ミスターはウチの子たちを見ていてちょうだい。わたしはこっちを」

ユーディットの指導のもと燐たちの飛行訓練が始まった。

「まずは地面から浮くことから初めてちょうだい。変に力まないで何かに引っ張られる感覚で。浮きすぎないでね、落ち着いてそう」

さすがに研修に参加しているメンバーだけあって皆飲み込みが早い。いわば彼らはなんとか学園の選抜組のようなものだ。学園を代表する身として醜態は晒せない。

「機体が違うとここまで違うのか。不思議な感じだ」

「よければ感想を聞かしてくれる」

睦海が問いかける。

「スメラギさんも授業で乗ってるだろ?」

「ええ、けど対抗戦でAWを乗りこなしていたあなたの意見が聞きたいの」

「乗りこなしてなんかいないさ。あれは機体を暴走させただけ、現にあとで先生から機体を酷使しすぎだって小言を言われたしな。けど」

言葉を続ける燐。

「やっぱり軽いって感想が真っ先に出てくるな。なんというか学園のはよっこいしょって感じだけどこっちはふわっとっていうか」

「実に端的ね。けどわかる気がするわ」

「みんなどうかしら空を飛ぶのって簡単でしょ。でもね・・・シドウ、姿勢制御の設定をマニュアルに変えてちょうだい」

「え?はい」

指先のコントローラで機体の設定タスクを起動させる。バイザー越しの液晶に次々と文字が表示されていく。そして姿勢制御の項目をマニュアル制御に切り替え適用を選択した瞬間。

「うわぁ!!」

ドスン

瞬く間に体の自由を失った機体は宙で振り子のように前後にユラユラ揺れると背中から地面に落下した。

「このように私たちはシステムの恩恵を最大限受けて飛行しているの。飛ぶっていうことはそれだけ大変なことをしているのよ」

「せんせえぇ~!!口で言えばいいのに人を実験台にしないでください」

あたりからドット笑いが起こる。幸い衝撃はあったものの痛みはほとんどない。けれど相当に驚いた。空中で自由を失うのはまんま恐怖につながる。自身の存在が消失するかのようなそんな危うさを燐は感じた。


 そのあとも訓練は続いた。

「そうよ地面から30センチくらい浮かして、水平に」

たった数十センチ足が地面から離れているとはいえそれでも宙に浮いていることに変わりはない。足が接地しているのとそうでないのとでは体のバランス重心の取り方は全く違ってしまう。皆その違いに戸惑いながらも懸命に訓練を続ける。基本的な姿勢制御はすべて機械が行ってくれている今まるで平均台の上を歩く感覚を味わっている状況だ。


「それでもやっぱり所々青くなっちゃったな」

その日の夜宿所で患部をさすりながら燐は今日の演習を振り返る。

「骨が折れてないだけマシかもなんだけど、ああ腹筋いたい」

畳座敷にゴロンと寝転がり今度は引きつった腹に手をやる。

「流れに逆らおうとして力むからじゃないかしら」

卓の上でなにやら筆を動かす睦海を離れた位置から見つめる燐。

「皇さんさっきから何書いてるの」

畳に手をつき四つん這いの格好で睦海へと這いよる。睦海の肩ごしに彼女の手元を覗き込む。

「それ、今日の講義の」

卓の上に置かれたA4大のレポート用紙には整った文字で均等にびっしりと今朝の講義の内容が書き込まれていた。隣にも台紙から切り取られた紙が何枚か積まれておりそちらにも目を向けると実技演習での実習内容から指導内容、個人の問題点やら課題、考察などが一枚一枚埋め尽くす容量で埋め尽くされている。

「恥ずかしいからあまり見ないでもらえる」

「けどすごいね。こんなに事細かに。これコピーさせてよ」

「ごめんなさいこれは私用だから」

「そんなこと言わずに頼めないかな。歴史の方も実習の方も皇さんはやっぱりすごいよ。今ってさ手書きで何か書くってみんなあまりしないのに」

「こちらのほうが自分にとって都合がいいからよ。覚えるのも理解するのもね。何より書きながら頭の中でいろいろと整理できるし。それならあなたもやってみたら」

「ダメダメ俺は字がきたないし」

顔の前で手をひらひらと降る。

「そう」



研修三日目、午後に実習でのこと。

「どうしたのシドウ。もっと体の力を抜いて期待に体をまかせるの。考えちゃダメ、フィーリングよフィーリング」

「フィーリング、フィーリング」

前日に引き続き何とか組は体を宙に浮かせた状態から水平飛行の訓練を繰り返していた。

「はあ、難しいなやっぱ」

度々休憩を挟みながら練習を続けるもいまいちコツをつかみきれずにいた。

「リン、調子はどう?」

そんな燐のところにふわふわと中を漂いながらペドラが近づいて来る。

「ペドラか、すごいな君は。どうすればそんなに」

「ん?ああ、リンは頑張りすぎなんだよ。泳ぎを習うとき脱力から始めるでしょ。それと同じ。水の上を漂うみたいに空気の層に体を預けるの」

「けど水みたいに抵抗があるわけじゃないし」

「ん~慣れかな。次第に分かると思うけど。ほらみてあっち」

ペドラが指差す方では睦海が飛行訓練を続けていた。まだ完璧ではないだろうが実に自然な感じ宙を舞う姿は実に美しい。

「ムツミはまだ好きに移動できないみたいだけど浮くことに関してはリンより上ね。ああやって思い通りに動くことより体を楽にすることを優先させてる。先生に言われるより先に自分で気づくあたり彼女は優秀なのねきっと」

ペドラの言葉と目に映る睦海の姿を重ね合わせながら燐は瞑想する。

「やってみるか」

改めて地から足を浮かし燐は飛行訓練に入る。完全に宙に浮かんだ状態でおもむろに燐は手の先から足の先まで体中の全ての力を抜いてみた。しかしこれは口で言うほど簡単ではない。恐怖が付きまとうからだ。例を挙げれば水に溺れる恐怖に似たそれ。なので燐は思い切って目をつむってみた。視界からの情報が自信を不安にさせると思ったからだ。視覚を断ち全身の感覚それだけを頼りに宙を漂う。崩れそうになる体を筋力で支えようとせず期待の制御機能にすべてまかせる。そうすると予想とは反対に反転することなく背中を上方に押し出される形で宙に浮きことができた。

「そういうことなんだ」

ゆっくりとまぶたを上げると入ってくるのは空の青、雲の白。澄み切った青空だけが司会を覆う。

「言ったそばからなんてリンってよくわかんないね」

「二人のアドバイスがよかったからだよ」

天を仰いだ姿勢のままで燐は礼を述べた。

「あらそう、私は何も言った覚えがないけど」

ビクッとして体に力が入るとりんの体はぐるりと反転してしまった。その姿勢のまま声のする方へ顔を向ける。

「いたんだ驚かせないでよ皇さん」

真っ逆さまのままで足の先から睦海をみあげる。

「ぷっ、面白いねリンって。ピエロみたい」

本当におかしかったのか腹を抱えて笑うペドラ。目元にはうっすらと涙が浮かんでいる。

「見世物のつもりはないんだが」

ため息一つ、笑われることに納得のいかない燐は不貞腐れる。

「けどなかなかみてて飽きないわよ。その格好」

「スメラギさんまでえ」

情けない声をあげる燐であった。


それから数日午前中は教授によるためになる講義を受け午後になるとAWの機動訓練がつづいた。

「慣れるときもちいいなこれ」

すっかり飛ぶことが板に付いた燐は今日もふわふわと距離を伸ばし8メートルほど上空をまるで泳ぐように待っていた。

「病みつきでしょ、一度空飛ぶこと覚えちゃうと」

「ほんとそうですね」

遊び実際にクロールの真似事をしてみても今の燐は不意を疲れない限りそうそう姿勢を崩されない。それはほかの生徒も同じらしく衝突しないよう間隔をとってあちらこちらでほかの生徒たちも空中遊泳を楽しんでいた。

「ん?あれなんですか先生」

空をとぶことに付随して自然と視野が広くなった燐は敷地全体を演習場に点在する独特な建物が気になった。燐が指差す方にユーディットも目を向ける。

「ああ、あれね。あれはセキュリティ用の電磁ネットよ。あなたたちは気づかなかったかもだけど夜間は防犯上敷地を上空から特殊なバリアで覆っているの」

「そんな大層なものが」

「大企業だからね。あらゆる非常事態を想定してのことらしいわ」

各所から天を目指し伸びる電波塔見えない壁が今日もGIC社を守っていた。


「本日はモニターテストも兼ねて弊社が開発したAW用兵器の運用訓練を行う」

そういったバクスター教官の背後には昨日まで使っっていた軽装タイプのAWとそれとは別のGIC社製重装AWが並び立っていた。

「そして今日に限り実技演習にはパザロフ教授にも解説員として立ち会っていただく」

紹介の後現れたパゾロフが挨拶もそこそこに解説を始めた。

「まず2種類のAWが用意されいるわけだがそれにはわけがあって一般的な兵装の系列としてAWにはハンマーやメイスなどの鈍器が用いられることが多い」

工場の奥から次々と運び出された武器の数々、それぞれ鈍器という共通点を除いて形が様々だ。しばらくしてAWを装着したバクスターとユーディットが武器の中からひとつずつ手にとってみせる。

「こういった武器は外観通りの重量から生身の人間が振るうことはまず不可能だ。けれど補助関節機能の備わったAWでは筋力を補助して容易に持ち上げることができる。バクスターは持ち上がたハンマーを傍から見る限りピコピコハンマーでも持つように軽々と振るう。けれど反してその周りで空気の層がなぎ払われ重重とした質感が傍目でもわかる。空気が振動しているさまだ。

「バクスターくんが用いているのは簡素なハンマーだがただのハンマーを開発しているわけでは決してない。エーベル女史が持つ方には推進装置が備わっておりそれによって従来の衝撃を何倍にも増幅することもでき、このタイプは軽装型でも地上において用いることが可能だ。しかしいかんせんその重量から空中に持ち上げるのは難しく飛行を得意と知る軽装型の利点を殺すことになってします。では実際に諸君にもお使っていただこうか」

彼らの目は好奇心でいっぱいだ。何分武器を扱うのがこれが初めてとなるのだから。みな少しばかり緊張した面持ちで武器を手に取る。

「剣とか槍とかそういうのかと思ったけど」

「そういうのもあるらしいわ」

「でも切ることが目的の剣より叩く方がAWには向いてるんだって」

「そうなのか」

「剣を開発する会社も剣を扱う操縦士もいるにはいるそうだけれど。精密な挙動が苦手なのがAWの欠点でもあるから」

弾みで誰かに当てないように周りとは距離をとって燐はAW用メイスをブンブンと振り回してみた。重みこそ感じれど実際の質量はその手からは感じない。

「GIC社では軽装用の装備も開発されていてね、これがそう」

ユーディットが手にとったのは長い棒状の兵器。

「スタンスティックよ、電流を流している棒なんだけどこれならそこまで関節が丈夫じゃない軽装型にも楽に扱えるし空にも携行できるわ」



「そもそも軍事利用が問題視されてるのに軍需産業が盛んってのも変な話だよな」

白米の上に盛られソースのかかったカツをひと切れフォークで串刺し燐はそんなことを言う。

「いくら声高に戦争批判しようがそれで潤う人たちがいるのだから仕様がないわ」

対する睦海は膳のなかの漬物に箸を伸ばしぱくりと口に放り込むと音を鳴らし食感を楽しみながら咀嚼する。

「薬物もギャンブルもよくないのはみんなわかってるのになくならないもんね。ん、これ美味しい」

南蛮酢の染み込んだ鶏肉はあたりに甘酸っぱい香りを漂わせる。毎度のことのように食事をしているペドラの顔は幸せに満ちている。

「AWの場合は競技種目という建前もあるからそういった企業の参入はさほど後ろ指をさされないのが現状よ」

「軍事系の企業っていまはどんな具合なんだろう、知ってる皇さん」

福神漬けを口の中でジャリジャリ音を立て噛み砕きながら燐は問いかけた。

「今私たちがお世話になってるここGIC者はほかの企業と首位を争ってる状況ね。GICは軍事メインではないのにこの成績だから嫉妬している企業も多いと聞くわ」

「嫉妬ってそんな情報どこから」

「AW関連の記事はネット、紙面問わず幅広くチェックしているの」

「勉強熱心だねムツミは」

「そこまでのAWファンだとは知らなかったよ」

「オタクっていうんでしょそういうの」

「専門校の学生としては当然の習慣だと思っていたのだけど」



人々が寝静まった丑三つ時、すっかり明かりを落としたGIC社の一角で尚も夜を徹して作業をしている場所があった。そこへ乾いた靴のを音を鳴らし暗闇から現れるひとつの影。

「おや、どうしたんですこんな時間に」

作業員は真夜中の来訪者に声をかけた。

「遅くまでご苦労様、この子の様子を見に来てね」

青年は自分よりも年上の作業員に親しげに労いの言葉をかけた。

「セレモニーが近いですからね。なんとか間に合わせようと皆頑張ってますよ」

照明を浴びて装甲を煌めかせる一台のAWに歩み寄りその冷たい肌を優しくなでる青年。

「せっかくの晴れ舞台だからさ。念入りに頼むよ」

彼のAWに向ける表情は家族に向けるそれのようにとても穏やかだ。

「それはそうとあっちには顔出さないんですか」

そう言われて青年は青黒く染まって外の世界に目を向ける。

「僕は呼ばれてないからね、別の機会かな」

水平だった視線をそのまま終の見えない真っ暗な空へと移す。

「嵐が来そうだね厄介だな」

「みたいですね。どうにも明日明後日にも降るみたいで」

作業員は手を休めることなくそう返した。

「実に厄介だ」

そのあとも黒から白に空が移り行くまで明かりが灯り続けた。



GIC社での課外研修も残すところ今日明日と明明後日の午前の部のみその日の夕方には帰路につくことになる。実習に関していえばあと二日だ。曇天の空の下始まった本日の研修。

「実技もあと2回か、ここの暮らしも慣れてきた頃だな」

昼間にもかかわらず空は薄暗く覆う黒雲でまるで既に夕方のような光景だ。

「みんなとももうすぐお別れかさみしいな」

暗い空を見上げながらペドラは心境を吐露する。

「まだ2日もあるわ。明後日も講義はあるんだし」

「天気が悪いと実習は中止なんだろ?今日はなんとかもってるけど」

「この分じゃ明日はわからないね、今にもって感じだし」

「ほらほらそこさっさとこっちに来て並びなさい。始めるわよ」



「このところGICの株価の伸びがすごいわね、噂通りなにかあるのかしら」

「あれ?ここ携帯端末使えないんじゃなかったっけ?」

風呂上りまだ乾ききらない頭髪をバスタオルでゴシギシと荒く拭きながら燐は疑問を口にする。ここでの演習中、企業の内部情報漏洩のためネットワークを介した外部接続は著しく制限されている。

「ニュースを見る分には問題ないわ。情報発信は検閲が入るけども」

「そうだっけ?」

ボンと座布団の上にあぐらで腰を下ろす。

「皇さんそう言うのも見るんだね。株価が上がると何かあるの?」

依然小型の携帯端末の画面に目を落としたまま睦海は答えを返す。

「企業がなにかしらアクションを起こすということよ」

燐と睦海ふたりっきりの空間。はじめの2,3日は互いに僅かな緊張を漂わせていたものの何日も共に寝起きしているうちにふたりの間はもはや同居人のような距離感にまで達していた。基本的に朝は睦海の方が早く目を覚ますため燐が起きる頃にはすっかり支度を整えているのが常だ。睦海のパジャマ姿という少し特別なエッセンスも妹のそれを見るのと同じ感覚に近づいていた。

「今日はヘアピンつけてるんだね」

ちょっとした異変も気兼ねなく尋ねる。

「読み物をするのに邪魔だったから」

「なんか新鮮だけど似合ってる。うちの妹もさ寝る前はいつもヘアピンしててさ」

とりとめのない言葉も軽く口からこぼれ落ちる。

睦海は読み物を終えると端末を卓上に置きメガネを外した。

「彼には感謝しなくちゃね」

「彼って?」

「ディック、だったかしら?」

「疑問形はかわいそうだよ。ディック泣くよ?泣かないだろうけど」

「彼のおかげでこの研修に参加できたわけだし」

「おかげって言ってもあいつは編入したくなかったろうな。あいつが一緒だったら」

手を畳について上体を少し反らせる。天井の一点を見つめそれから睦海に視線を向けるとはにかんだ。

「互いに意地張って張り合って険悪だったろうな。俺も皇さんと一緒で楽しかったよ。なんか最後まで同じ部屋みたいだし」

「そのへんは先生に文句を言いたいところだけどこの際もういいわ」

寝支度を済ませ布団を敷くふたり。横に並んだ布団は初日と比べると明らかに距離が縮まっていた。それは互いが無意識に意識しなくなったことそ意味している。改めて口にしなくても共同生活を通してふたりの間に友情が芽生えていることを表していた。

「ここに来てすっごい勉強になったって思う」

「そうね学内では学べないことも多かったと思う」

「社員さんに話を聞けたりしたのも大きかったよね」

「そうね」

「ペドラとかほかの学校の子とも知り合えたし」

「そうね」

「教授とか教官とかその道のプロにも会えたし」

「そうね」

「皇さんとも仲良くなれたしね」

「・・・」

言葉は帰ってこなかった。気になりそちらへ顔を向けると目を閉じ安らかな寝息を立てる少女の姿が。しばし優しい顔でその寝顔をみつめる。

「ポーカーフェイスでもやっぱ疲れるもんは疲れるか」

起き上がり部屋の明りを消し続いて枕元の間接照明に手を伸ばす。

「おやすみ皇さん」

寝室が穏やかな暗闇に包まれた。



びゅうびゅう

朝から憂鬱な顔で箸をつつく燐の姿にペドラが声をかける。

「元気だしなよリン。台風なんだからしょうがないじゃん」

対面に座った睦海は顔色一つ変えない。

「実技の最終日に屋内トレーニングはないよ」

尚もブウたれる燐。味噌汁を啜る睦海に目を向ける燐。

「皇さんもそう思うよね」

「確かにせっかくの研修が屋内でというのもそうね」

睦海から共感を得られたことで僅かながら燐の表情に光が射す。

「けれども天候に文句を言っても始まらないわ。気象には抗えないもの」

すぐにまた落胆の色を示す。

「そうだけどさ」

社員食堂の窓から外の景色を眺める。横殴りの雨が激しくガラス窓を叩いていた。びゅうびゅうと勢いを変えない風の音が屋内にまで入り込んでくる。テーブルの上に肘をつき窓の外を見つめ誰に言うでもなく燐はこぼす。

「雨か」


「mission start」



それは午後のことであった。生憎の暴風雨のため屋内トレーニングとなった彼らは施設の中にあるジムで筋力トレーニングに励んでいた。度々文句を挟みながらもトレーニングを続ける燐。ほかの学生らも口々に残念そうに不満を漏らしている。

「みんな文句言わないで頑張る。AWには当然技術だけじゃなく基礎体力もいるんだから」

そんな中、一人の学生がユーディットに声をかけた。

「先生、アボットがいないんですけど」

学生が一人いないという。

「そういやフレッカーもさっきからみないな」

別のところからも声が上がる。どちらの学生もドイツ校の生徒でアボットは男、フレッカーは女生徒のことを指している。

「トイレなんじゃねえの」

「それがトレーニング前から見ないんだよな」

わずかにざわつき出す室内。

「はいはい集中して。二人はあとで先生がきつく言っておくから」

そこへスピーカー越し社内アナウンスが流れた。

「緊急放送、緊急放送。A15格納庫に侵入者アリ。繰り返すA15格納庫に侵入者有り」

途端凍りつくトレーニングルーム。次の瞬間堰を切ったようにざわつき出す生徒たち。

「侵入者って大げさだろ。一企業なんだから」

当然燐も驚きを顕にする。

「この放送全館に流しているようね。ただ事じゃないわ」

しばらくして敷地全体を覆うように大きなサイレンが鳴り響く。

「先生、どうするんです?」

「どうするって私に聞かれても、とりあえず様子を見に」

「俺たちも」

「ダメよ危険だわ」

「部外者は何もしない方が」

「でも気になるよ」

どんどん騒がしくなっていく室内。ほかが騒ぐさまを黙って見ていた燐も落ち着いていられなくなってきた。

「とりあえず誰かに指示を仰いだほうが」

「そうね」

そこへまたもやアナウンスが割って入った。

「侵入者はAWに搭乗している模様。隔壁破壊後、格納庫内の装備を持ちだしほかの施設を攻撃中。警備舞台は至急スクランブル」

学生たちの騒ぎ声と鳴り響く警報、止まないアナウンスで収拾がつかなくっている。

「見に行こう見に行こう」

何人かが物見遊山で出て行ってしまう。

「まって、ここにいなさい」

慌てて後を負うユーディット。その姿に釣られて何人も後に続いていく。

「どうする獅童くん」

部屋に残された燐らとあと数名。

「どうするってこうなったらしょうがないだろう」

「それもそうね。逃げるにせよここにいたら何もわからないわ」

「行こう二人共」

ペドラが先頭を切って駆け出した。後について駆け出す燐と睦海。

外に出ると風が吹き荒れ雨が視界を覆っていた。腕でひさしを作りあたりを確認する。遠くに人だかりが出来ているのがうっすらとわかる。少し離れているが走っていける距離のようだ。すぐさま燐は駆け出した。

走っているうちに少しずつ状況がわかってきた。大雨の中上空を飛び回っている影が見える。間違いなくAWだ。けれどその数は多くて2つ。先程からのアラウンスですでに警備部隊のAWが出撃していてもおかしくないはずだがその姿は確認できない。状況がわかっても状況が飲み込めない。今目の前に広がっている光景だけでは情報が不足していた。

「なんでほかに誰も出撃しようとしないんだ」

「トラブルかな?」

「おかしいわね、社内で機体トラブルは考えにくいけど、それも一斉に」

しばらく走り続けようやく人だかりと合流した燐たちは改めて空を見上げる。どうやら侵入者は格納庫を破壊して回っているようだった。

「やっぱりおかしいわ」

「なにが」

雨音が会話を邪魔するなか声を張り上げる燐。

「さっきから気になってたの。夜間、電磁ネットが防衛しているとして侵入は昼しかないとしても日中は全方位の監視システムがあるから外からの侵入は未然に気づくはず」

「なら生身で侵入したとか」

「クーデターとかじゃないの?」

「社員の犯行?なのかしら」

そうこうしていると人だかりの中に後藤を見つけた燐は彼に歩み寄った。

「後藤さん」

「ああ君はなんとか学園の」

「獅童です。後藤さん、なんで誰も出撃しないんですか」

「しないんじゃない、できないんだよ」

「え?」



「こちらツェット。イクス、イプシロンそちらの状況は」

GIC社からほどなく離れた高台。大型のトレーラーの中、その声は響く」

「こちらイプシロン予定通り格納庫襲撃後装備を奪取、破壊任務を継続中」

「了解だアレはうまく機能しているか」

「迎撃部隊が出てくる気配はない順調のようだ」

「では作戦の第二段階に入る。準備に入れ」

「了解」

通信が終わるとおもむろにトレーラーのコンテナ部分が展開を始めた。開かれたその中から拠点制圧用の重火器が装備されたAWの換装パーツが姿を現した。これほどの装備はAWの国際的取り決めで違法扱いされている。なぜなら爆撃装備はそのまま軍事兵器と認識されるからだ。

発射台に固定された換装パーツは旅立ちの時を待っている。

「射出」

男が右腕を上げた。続けて作業員が復唱する。

「了解、装備射出」

けたたましい音を鳴らし換装パーツが空高くロケットのように飛び立った。


「出撃できないってなんで?」

「よくはわからんが技術者の話では突然システムエラーがおこってOSが起動しなくなったらしい。状況から考えて外部からなんらかの干渉を受けているのだろう」

「干渉?外部から?」

話を聞いても燐は未だ事態を飲み込めないでいた。

「そんなそうすれば」

燐が俯き黙り込んでしまった時だった。

「なんだあれは」

誰かが上空を指差し大声で叫んだ。GICの敷地外から謎の飛行物体が高速でこちらに向かってくる。それはまるで流星のような速度で。

「イクス、これより換装シークエンスに入る」

そういうとイクスと呼ばれた機体は飛行物体と相対速度を合わせ徐々に距離を縮めていく。そして手の届く距離まで届くと両手両足の外装パーツをパージし飛行物体とドッキングした。巨大なパーツとの換装を終えたその期待の全長はおよそ二倍にまで達している。巨大な人がたが空中を漂っている。

「換装したのか?」

「そんな無茶な」

「なんだあの装備は」

「あれで飛べるのか?」

辺り一帯から驚きの声が沸く。それも当然だあんな重装備で空を滑空することなど無茶だ。けれど滑空する必要などないただそこに浮いているだけどいいのだ

「換装完了。やはり推力に不安が残るようだ。だが作戦遂行に問題はない」

そういって謎の期待は両腕を前面に構えた。

いちはやく誰かが声を上げる。

「逃げろ!こっちを狙ってる」

その瞬間、全身に装備された重火器から火花がちった。全方位に向け放たれたミサイルは建物めがけ飛んでいく。幾重もの軌道をえがいて飛び散るミサイルは目標物に到達すると。

ドガアアアン!!バゴオオオオン!!ガシャアアン!!

破砕音、爆発音、衝撃音。さまざまな音を鳴らし何もかもをがれきに変えていく。逃げ惑う人々轟く悲鳴あたりが地獄絵図と化していく。

「なんだよ。めちゃくちゃじゃねえか」

たまらず声をあげたり燐。空手悠然と漂う期待を睨みつけ歯を食いしばった。怒りのボルテージが最高潮に達した燐は一目散に駆け出した。

「くそがぁ!!」

「獅童くん!?」

「リン!?どこいくの!?」

視界の外を一切気にせず燐は一目散に走る。そして目の前の格納庫に飛び込んだ。

「機体を機体をかしてください!!」

格納庫いっぱいに広がるくらいの大声で燐は叫ぶ。作業中だった技術者たちは驚いて振り開けった。一番近くの機体へと駆け寄る。

「何を言ってるんだ。無理だよどの期待もOS起動時にエラーが出る。おそらくはあの機体がなにかしかけてるんだろうが」

あの機体とは爆撃を仕掛けてきた機体とは別に更に上空で静止したままの機体を指していた。

「あの機体がシステムに干渉する電波か何かを」

「なんとかならないんですか!?」

「難しい、うちの機体はどれも共通のOSを使っている。ウチにテロを仕掛けるためにその電波も何か特殊な・・・」

「それに君は学生だろ。危険な真似はよして我々に、これは我が社の問題だ」

「けど!けど!」

燐の熱とはうらはらに手を動かしながらもどうにも空気は重苦しい職員たち。誰もが確固たる希望を見いだせずにいた。

「違うOSなら起動する見込みも・・・」

技術者の一人がそういった。

「違うOS・・・違う、違うOS」

燐の脳裏になにかがよぎった。何かを見落としている。なにか可能性が転がっていた気がする。なんだっかと懸命に頭を働かせる。そして思い行った。

「OS、確かに違う」

そう呟いた燐はまたしてもどこか向け駆け出した。


身を叩く激しい雨に視界を遮られながら遠く離れたある場所へと向かう。遠くから火器が火を噴く轟音が聞こえる。振り返りたくなる思いを振り切り燐はただ走る。

たどり着いたその格納庫にはオーバーホールのため集められた多くのGIC製のAWが置かれている。作業員は誰もいない騒ぎを聞きつけ飛び出してしまったようだ。多くのAWの中から迷うことなく一点を目指す。ただ一点を。

そこには燐がかつて学園で見たのと同じ旧世代型のAWが置かれていた。それはあの機体とまさしく同一のもので学園からメンテナンスのためにここへ運び込まれていたのだ。それを燐は初日の見学の時に見つけていた。

「これなら」

興奮した燐の視界にはほかのものは映らない。滾る怒りの中に一筋の希望が見えた。

すぐさまフィッティングを開始する燐。機体に乗り込みOSの起動を試みる。まだこの時点ではかけに過ぎない別のOSなら起動するという確証はないのだから。けれど燐は賭けに勝った。なんの滞りもなくOSは立ち上がる。液晶画面の指示に従い両手両足のフィッティングを順次済ませていく。しかしながら多少の時間がかかる。その時間が燐をイラつかせる。

「はやく、はやく」

そしてようやく最終段階に入る。

全身にランプが灯り機体が産声を上げた。

「いくぜ、いくぞおおお!!」

初速から最大加速で燐は格納庫を飛び出していった。


なおも風は激しく吹き荒れた。観衆の視界には雨粒というノイズが走り、風音が絶望を演出する。上空には灰色の雲たちが蓋をするように漂い木々がうるさいほど騒ぎ立てる。

謎の侵入者たちの攻撃は雨と同じく一向に止む気配がない。ミサイルの雨により多くの施設が被害を受け負傷者も少なくはなかった。黙々と任務を全うする襲撃者のもとに予期せぬ来訪者が現れる。

「イクス、こちらに近づく機影をレーダーが捉えた」

「機影だと?ここのAWは使い物にならないはず間違いないのかイプシロン」

「ああこれはAWの反応で間違いない」

「そうか、なにものだ一体」

「来る」

まもなくイクスの機体でもその機影を捉えることができた。そしてスコープでもその正体を確認した。

「あれは」

暴風雨の中、向かい風を押しのけるように燐が現場に姿を現す。地上の方でもようやく人々が燐の存在に気づいた。

「獅童くん?」

「えっ!?リン?」

実際は遠目で視認するのは難しい。けれど睦海は確信的にその機体が燐のものだと思った。

「誰だあれに乗っているのは」

「あの機体は確か」

「メンテナンスに出されてたロートルだよな」

「あんなもんで一体何を」

「動かしているのは学生なのか?」

敵機が視認できる距離まで近づくと燐は機体を制止させる。

「あんたら!!」

「おまえは確か」

「ああ、俺もだ。思ったとおりドイツ組の」

「何してんだ、なんでこんなこと」

「我々の任務はGIC社を襲撃し被害を与えること」

「俺が聞きたいのは」

「いうわけがないだろう。なぜ貴様にすべてを話さなければならん?」

「謎の侵入者、対峙するヒーロー。そこから相手が自分語りをはじめる。カートゥーンのようにはならないさジャパニーズ」

「その機体、そんなものがあったとは計算外だったが。それでどこまでやれる?」

イクスは砲門を燐に向けると躊躇なく斉射した。無数のミサイルが燐めがけ飛び立っていく。砲門がむけられ発射されるまでの数秒、発射を待たずして危険を察知した燐は回避行動に移った。けれどその動きはすごく緩慢ですべてのミサイルから逃げ切ることはできない。後ろに下がった燐をミサイルたちが興奮した猛牛のように追いかけてくる。

バアァン!!

「んぐ、ぐ、ぐぁ!!」

声にならない声を上げる燐。直撃を受けその身は弾き飛ばされる。衝撃が脳を揺らし爆煙が視界を覆う。海に沈むようにその体に重力が乗って地表へと降下の一途を辿る。虚ろな意識の中雲をつかむように天に手を伸ばすが届くはずもなくただただ落ちていく。混濁する意識の中遠く離れていく敵の姿を目の端で捉えると無意識に近い状態ながらも機体を制御して姿勢を保とうと身を動かす。雨の流れに逆らうようにゆっくりとふわふわと上昇を始める。いまだ朧げなその視界には世界の半分も映ってはいない。

「あの状態から持ち直すとはなかなかどうしてやるじゃないか」

短い息を繰り返し悲鳴をあげる体。睨みつけるように相手を見据える燐だったがその相手の言葉も半分しか耳に入ってこない。

「ミサイル、って、すごいん、だな。ハァ、まだ体がしびれているみたいだ、ハァ。いうことを、聞きゃあしない」

憔悴した燐を高みから見下ろすイクスとイプシロン。冷え切った目で行く手を阻む燐を見つめる。

「頑張るのは結構だがこちらも仕事だ。早々に片付けさせてもらう」

重器をかまえ打ち放つ。機銃放火が燐を襲う。数多のつぶてが刺すような勢いで銃口から飛び立つ。雨に混じって飛来する粒の嵐をおぼつかない挙動で懸命に躱していく。完璧とはいえなくても先程よりスムーズな飛行。けれどそのすべてを躱しきることは燐には到底不可能だった。小刻みに装甲を何度も叩く礫たち。無数の振動が燐を責め立てる。嵐の中の飛行は想像以上に困難を極めた。動くたびに気流によってその行く手を遮られ突風が壁を作り邪魔をする。機銃の一発一発の威力では到底AWの装甲を突破することはかなわないがそれも風を重ねれば着実に傷を残していく。その身に幾多のクレーターを作りながらも燐は飛ぶことをやめない。

「いつまで逃げる、どこまで逃げる。そんな機体でよくもまあ戦うものだな」


「リンに勝ち目はないの?」

瞳を潤ませ今にも泣き出しそうな顔でペドラは燐を見つめていた。痛々しく飛び続けるその姿に胸が締め付けられる思いだ。

「獅童くん・・・」

手助けひとつ満足にできない状況に苛立ちと歯がゆさが身を包む。観衆の前で機銃の雨に何度も燐は打ちのめされる。

「あの機体じゃあ」

「あの機体じゃ勝てないんですか獅童くんは?」

「あの機体はなん世代も前のものだ。カタログスペックじゃ現行機の3分の1にも満たない」

「3分の一!?そんなんじゃ勝てるわけ、リン・・・」


「彼もどうして粘るじゃないか。彼の相手はイクスで事足りるな」

悠然と戦況を観察しながらイプシロンはそんなことを口にする。

「イクス楽しむのはいいがこちらも任務だ早急に片をつけないとまたいらぬ邪魔が入るやもしれない」

「わかっている。こちらも遊んでいるつもりはない。ただ思ったよりもしぶといんでなこれが」

飛び続けながら燐は思考を巡らせていた。できることならすぐにでもイクスに飛びつきたいところだがこの距離を埋めることは大海原を岸まで泳ぎきるくらい難しいことだ。重装備の対価に手放した機動力。取り付きさえすれば形勢は変わる。けれどその対価に見合うだけのこの攻撃力を前に今の燐に成すすべがない。

「飛び道具相手に丸腰でどうすれば。それに重い、すごく重く感じる体が。訓練機とはまるで違うこれがクラッシクモデルの限界か」

まるでトタン屋根を雹がたたくようにいくら逃げても着実に弾は燐を襲い続ける。

「こうなったら」

逃げの一手から攻撃の一手へ。逃げることを諦めイクスとの直線距離を一気に加速する。格好の的となった燐に容赦なく鋼鉄の雨が打ち付ける。パーカーションのように甲高い破裂音が止むことなく鳴り響く。

「くぁ!!」

近づけば近づくほどその衝撃も威力も積算されていく。決死の特攻をあざ笑うように。一定の距離から先に進めない。そしてその衝撃に耐えかねて機体が弾き返される。弾き返されてもなおほかの打開策を見いだせない現状で懲りることなく燐は特攻を仕掛ける。打ちのめされても繰り返す。ほかに手がないから。だがAWも当然万能ではない。肉体への致命傷は免れても装甲を蝕む数え切れぬ傷跡。このまま続ければいつ重大な損傷ができてもおかしくない。目に見えないところで機体は悲鳴をあげていた。

「さっきから推力が安定しない。まともに攻撃を受けすぎたか」

「そろそろフィナーレかな。勇敢にもここに顔を出したことは賞賛しよう」

「けれど身の程を考えなかったようだな。一学生がどうこうできる事案ではなかった、到底。さよならジャパニーズ」



穏やかに勇ましくカツカツと靴音を響かせる者がいた。外の喧騒をないものと断じるように気高さを醸し出しながら歩みを進める。工場の一角、彼は悠然と参上する。

「若、どうしたんです?」

「いけるよね」

青年は当然のことのように言った。

「行けるってまさか若これに乗るつもりじゃ」

「そうだよ」

白銀の機体を前にして恍惚の笑みを浮かべる。

「無理ですよ。こいつは外部ネットワークと遮断してますし、こいつのOSも型が違うとは言え発展型ですからね。外があんなんじゃどんな影響が出るかわかったもんじゃ」

「大丈夫だよ、マニュアルで動かすし」

「マニュアル!?何いってんですか!!そんなもん四肢で全く違う動きをしながら右見て左を見るようなものですよ」

「例えがむちゃくちゃだな。でもわかってる。できるよ僕なら。ずっとこの子と一緒だったからね」

「若・・・」

青年の笑顔に工員は何も言えなくなった。

「僕はこの子のテストパイロットだから」



「さっきから彼の動き変じゃないかしら」

「ムツミもそう思う?わざとなのか知らないけど緩急のつけ方が不自然なのよね」

「もしかして・・・。あの」

「ああ、相当機体がいかれちまってるのかもしれない。あの様子じゃ推進機関か?」

「そんなあ」

「このままじゃあの子ただじゃすまないぞ」

「獅童くん、時間がないわ」



「イクス、作戦時間を超過している。早くしろ」

「わかってる、こっちだって必死だ。こいついい加減に」

再度ミサイルが怒涛の勢いで燐を八方から襲う。

「くっ!!今やられたら」

まるで天駆ける龍のようにクネクネとミサイルの追っ手から逃げる。今のコンディションで爆撃をまともに喰らえば身も機体も終わりかも知れない。ミサイルの誤爆を誘うように無秩序な軌道で相手の目をかく乱する。狙い通りひとつ、二つと燐に届くことなく消えていく追跡者。それでも生き残ったそれが食らいつくことをやめない。そこに機体トラブルがさらに追い打ちをかける。推力が大幅にダウンした。ミサイルの弾速が燐を上回った。それでも最後まで諦めない。その覚悟を鼻で笑うようにミサイルが燐を喰らい尽くそうとした。その時。

機銃音が耳に届いた。だがそれはイクスのものではない。ミサイルの横腹をつつくようにドラムロールが鳴り響く。たまらなく爆発していくミサイル。燐をおっていた追跡者はひとり残らずくず鉄と煙に姿を変えた。

その姿は曇天の空の下、光をはなつ太陽のようにそこにあった。太陽ではないいうなれば月、月明かり。白銀のボディに身を包み悠然と天空にあるそれ。白銀のAW。

「また邪魔が入ったか。ここまで作戦が狂うとは」

イプシロンの言葉にはあからさまな苛立ちが混じっていた。

「苛立つなイプシロン。私とて気持ちは同じ。だが」

イクスは闖入者を注意深く観察した。

「ちっ、あんな機体はデータにない。つまりは」

「ああ、あれが例の機体らしい」

「どうにも好き放題にやってくれたみたいだねうちの庭で」

バイザーでその顔は分からないが微かに覗かせる金色の髪色。落ち着き払った声色。この状況で現れた第三者はおそらく援軍なのだろう。燐はそう捉えた。

「あんた味方なのか。その機体なんで動いて、そんなもの」

「まあまあ、質問に答えるのもやぶさかではないけれどそれは後で」

「ニューモデル。既に実用段階に入っていたとは計算外だ」

「それにどうやら新型は電波干渉を受けつけないようだ」

「まあ殲滅対象が増えただけでやることは変わらない。目標を破壊すればいいこと」

イクスは目標を燐から新型機へ変え銃口を構えた。

「いいかい。君の機体であれとやり合うのはこの状況では無理だ。だからきみにはあちらを狙ってもらう」

新型機のパイロットはイプシロンに目を向けた。

「あれを墜とせば電波干渉は止む。そのあとならば十二分に救援を期待できる。いいかい」

「ああ、でもあんた」

「僕は大丈夫さ。それにこの子のデビューが実践ていうのもわるくない。さあ早く」

言われたとおり燐ははるか上空のイプシロンを見据える。

「そうはさせない」

燐に追撃をかけようとするイクスのまえに銀の君が立ちふさがる。

「君には僕の相手をしてもらう。さんざん家を壊してくれた礼をたっぷりしないと」

右腕に備えられたハンドガンがイクスを襲う。

「そんな装備で」

ミサイル掃射と同時に機銃放火を加えイクスは攻撃を開始した。その攻撃を銀は悠々と躱していく。それはイルカが泳ぐさまを真上から見ているようで優雅で美しい流線であった。

「くそ、新型というだけはある」

かわしては攻撃を幾度も繰り返していくそのさまは半ば一方的に嬲っているようにもみえる。機動性を犠牲にしたのが裏目に出たのか一点にとどまったまま放火を一方的に浴び続けるイクス。そこへ超近距離でのスタンスティックによる格闘攻撃も加わる。スタンスティックによって装甲を無視して確実に手傷を負わせていく。イクスはただただ悶え苦しむ。



「あんな機体みたことない」

地上の観衆は突然の白銀の君の登場に湧いていた。

「ニューモデルがなんで」

「えっ!?乗ってるの御曹司だって!?」

「ぼっちゃん何してんだか」

「嘘だろ、補助制御を切ってるってそれであの動きか!?」

社員たちが騒ぐ中、睦海とペドラは話のすべてを理解できないでいた。

「ねえみんな何言ってるの?」

「おそらくあれは近々GICが発表予定の新型よ」

「新型!?」

「それと彼、あれに乗っている人はどうやらここの関係者みたいね」

「ねえねえ制御切ってるって・・・」

「ええ、信じられないけど」

驚くのも当然である。空を浮かぶ銀の君の動きはどこにも無駄がない。補助制御使用時と遜色のない動きを見せていた。


白銀とイクスが交戦しているそのさなか燐はほかに目もくれずイプシロンに迫っていた。

「くっ、想定外が多すぎる」

燐の追撃を振り切ろうとイプシロンが回避行動に出た。非武装であるものの機動性は燐のクラシックモデルよりはるかに上、出力も同程度はある。寸でのところで燐の攻撃をことごとく躱していく。

「くそ。こいつさえこいつさえ落とせれば」

手を伸ばせど霞をつかむようにけしてその手は届かない。あと一歩の距離が縮められない。延々といたちごっこを繰り返す。雨に打たれているのにその体は熱を帯び伸ばす腕も重く感じられる。焦りばかりが募っていく。


ミサイルが銀の君めがけ突進していく。その全てをダンスのステップを踏むかのように鮮やかに躱す。

「なぜ当たらない。それほどの性能だというのかGICの新型はっ!!」

イクスの顔からは焦りの色がありありと見て取れた。

「そうだね。この子はとても感じがいいんだよ。けれどそれだけじゃないきっと。僕は開発当初からこの子のテストパイロットをやってたからね、クセはすべてわかるんだ。僕自信はまだまだ未熟だけれどこの子となら君に遅れをとることは決してない。そんなことありえないとだけいっておこうか」

歯を食いしばりイクスは湧き上がる怒りを懸命に抑える。鬼の形相で。すっと突如色を変え不敵に笑をこぼす。

「ふっ、ふふふ。正直驚いた。まさか傷一つ付けることがかなわないなんて白いの」

するとイクスはおもむろに全身の武装をパージし始めた。重力の導きに乗って水滴と共に地表に落ちていく鉄の塊たち。激しい轟音をたて地面にそれらは散っていった。

「プランを変更する。D装備をこちらへ」

演習場から程よく離れたその場所に通信を飛ばす。そちらではイクスからの通信を受けすぐさま射出準備に取り掛かっていた。

「ここに来てまだ隠し玉があるのかい。これは驚いたな」

「ミッションに則した装備を手配しただけだ。どうということはない。だがこれで貴様を退屈させることもなくなるだろう」

遠くで花火の打ち上げのように空へ登る光が確認された。その光はこの曇天の中でもはっきりと目視できる。

「イクスが装備を換装か。しかしこちらはそういうわけにもいかない。さてどうしたものか」

「ブツブツ言ってんな。とっとと落ちればいいんだよ」

燐の腕からすり抜けていくイプシロン。

「目標確認、これよりドッキング作業に移行する」

「悪いけどそうはさせないよ」

行く手を遮るように銀の君が前に立ちはだかる。

「無理にでも通らせてもらう」

イクスは銀の君の眼前で白煙筒に火をつけた。白い煙で視界を遮られ数秒判断が遅れてしまう。その隙にイクスは換装を開始する。

「ナビゲーション、ドッキングモード。これより換装を行う」

先ほどとは色の違う大きな鉄塊を次々と身に纏っていく。白煙を抜けイクスを追う銀。けれど彼が目標を見つけた時にはすでに換装し終えた後だった。身の丈の倍ほどある巨大な両翼。巨大な爪のような形をした左腕。そして右腕にはピザカッターのような大きな兵器が握られている。

「ひゅ~♪なんだいその装備は。実に興味深いね。これはますますどこからの回し者か知りたくなっちゃったよ、僕は」

「いい趣味だとは思わないか?いかにも兵器って感じがするだろう?」

「そうだね。で、今度はそれで僕を楽しませてくれるわけか」

「期待に応えられるよう努めるさ」

背面の羽は一般的なもののふたまわり以上ある。その羽に今火が灯る。急激な初期加速によって一気に銀の君に詰め寄る。

「速いね、とんでもなく」

風を切り裂く音が聞こえるほどの速さで襲いかかる。右手に持った円状のカッターが金切り声をたて迫り来る。その攻撃を変わることなく軽快なステップで身を翻しよける。

「残念だけど装備が変わったからといってそう簡単にはやらせないよ」

けれどイクスは表情を変えない。

「想定の範囲内だこのくらいは」

そして大きな旋回をへてまたしても襲い来る。その攻撃を二度三度躱していく。

「意図がわからないな。その機体の瞬間速度には目を見張るものがあるがそれでも」

何度目か攻撃同じように相手の攻撃をかわす銀の君。しかしこの時ばかりはイクスは目標をすり抜けても直線上を飛び続けた。

「一体何を?」

呆れの声をにじませ銀の君が言葉をこぼすが次の瞬間には己の浅慮を悔やんだ。イクスは銀の君を越えさらにその直線上にいるイプシロンと交戦状態にある燐を目標として見据えていた。

「そういう・・・」

すぐさまイクスの背を追って飛び立つが今更間に合うはずもない。旋回能力を犠牲にした愚直なまでの加速性能それによってみるみる間に燐に迫る。

「逃げるんだ、君!!」

叫べど嵐に遮られ彼の声は燐には届かない。

「いつまで逃げれば気が済む!!」

眼前まで迫ったところで風の音でようやく燐はイクスの存在に気づいた。間に合わない。横腹をなぎ払う形でカッターの一撃が燐を襲う。

「なっ!?」

金属が激しくぶつかり合い雨の中でも鮮明に火花が飛び散る。まるでバットを振り抜くように燐の機体は叩き飛ばされた。力を殺しきることができず抵抗虚しく地上に叩きつけられ地を滑り転がっていく。誰もが唖然とした顔で一部始終を見つめていた。

「獅童くんっ!!」

「リン!!」

目を丸くして睦海は叫んだ。彼女に似つかわしくない悲鳴にも似た叫び声を。周りの制止を振り切り睦海とペドラは燐に駆け寄る。

「大丈夫、獅童くん?しっかりして」

「リン起きてリン!!」

懸命に体を揺するペドラ。その装甲には割ったような亀裂が入っていた。

「そんな・・・」

惨状を前に既に睦海は冷静さを失っていた。愕然と燐を見つめる彼女の頬には雨によるいくつもの筋が浮かんでいる。

「くっ!!やってくれたね」

銀の君は飄々とした態度から一変、憤りを顕にした。

「ようやくその顔を見せたか。先までの態度は正直気に入らなかった。まさしく一矢報いた形だな」

「さて、これで数の上でこちらが優位に立った。終わりを始めようか」

「舐めてもらっては困るよ。僕はやれるよ一人でも」

そう告げると堰を切ってイプシロンに迫る。しかしそうはさせぬとイクスが間に割ってはいろうと攻撃を繰り出す。その攻撃をかわしながらひたすらイプシロンだけ狙う。こうなった以上是が非でも先に作戦の核を潰すのが先決だ。けれどイプシロンもそれを察してか寸でのところで攻撃をかわす。そこへまたイクスが攻撃を仕掛ける。2機を意識の端に置きながらの戦闘は徐々に彼を疲弊させていく。


「血っ!?」

言葉の通り燐は額から血を流していた。落下時に強くぶつけてしまったのだろう。ヘッドバイザーで切ってしまったようだ。他にもスーツで隠れたいたるところに打撲痕があることはみなくても明白だった。気を失った燐の姿に衝撃を受けた睦海は全身から血の気が引いていくのを感じた。そんな睦海をよそにペドラは懸命に声をかけ続ける。

「リン、起きて!!目を開けて!!大丈夫だから、ねえ!!」

雨に打たれた鋼鉄のボディーは凍ったように冷たい。その奥の燐の体もさぞ冷たいことだろう。ペドラはそっと燐の首元に手を伸ばす。

「あつい、なんで?」

燐の体は血の通わない機体とは対照的に雨に濡れているのもかかわらずとてもあつかった。


「彼はもうダメか・・・」

隙を盗んでは燐の様子を伺う銀の君。この状況下では燐の再起こそが唯一の希望だが望みは非常に薄い。如何せん一人でどうこうできる状況ではない。

「よそ見をするとは楽観視しすぎではないかっ!!」

イクスの左腕が銀の君を襲う。

「そこまで自惚れてはいないよ」

身を翻し間一髪のところで攻撃をかわす。反撃にハンドガンの雨を浴びせる。その攻撃もかすり傷と威嚇が精一杯といったところだ。そこへ別方向からさらに攻撃が加わる。

「困ったね、そちらにも武器を持たれたらいよいよ持って絶望的かな」

いつの間にかイプシロンの腕には小型の銃が握られていた。攻撃の最中またしても支援部隊からの補給が受けたようだ。

「ならこちらも打てる手は打ち尽くさなきゃグッドエンドは拝めないか」

「世迷いごとを!!貴様もその新型も今日が命日だと知れ!!そいつが日の目を見ることはもはやない」

2機による挟撃で戦場は更に加熱していく。


沈んだ意識の中燐は自身が昏倒していることを感覚で理解していた。まるで夢を見ているようなふわふわした感覚が彼を包む。あつい、彼は意識の海でそう漏らした。気を失っているにもかかわらず燃えるような熱さが燐を苦しめる。その熱さのなかでわずかながらの涼やかさを感じる。焼け石に水を浴びせるように飛沫が触れては弾け蒸発するように。燐は薄めを開く。真っ暗な空が変わらず暗闇にいるように錯覚させる。自分の体を懸命に冷やそうとする雨を表情をゆるめ全身で受け止める。

「リン、気が付いた?わかる?ペドラよ」

ペドラの声に茫然自失だった睦海も膝を折って燐に近づいた。

「ダメ、無理に揺すっては」

まだ完全には覚醒できていない燐だがそれでも誰かが呼びかけてくれていることには気づいていた。誰かが俺を呼んでいる。悲しそうな声で。よく見えないな、けど泣いているんじゃないかそんな気がするのはなぜだろう。おれはどうしていたんだっけ、なんで寝ているんだろう。燐の心の声は彼女たちには届かない。心配するな、泣かないでくれ。そう伝えたいけれど熱さ以外今は感じられない。

「君たちどきたまえ」

数名の社員が駆け寄ってくる。そばにはAW用の可動ハンガーと担架が置かれている。

「彼の装甲をパージする。だいぶ損耗が激しいようだ。最悪分解しないとダメかもしれない。すぐに確認したいからそこを開けてくれ」

言われるがまま睦海とペドラは燐から距離を開けた。白衣を着た男性が燐の喉元に手を伸ばす。

「だいぶ脈が荒れているね。点滴を用意しておいたほうがいいかもしれない」

「すいません、あの、いま通信が入って」

「見てわからないか、今はそんなことに構ってる場合じゃ。おいそっちは?」

「それが至急の要件だそうで」

作業着姿の整備員、白衣の医者、スーツ姿の社員が燐を取り囲むように忙しなく動き回っている。離れて様子を伺うことしかできない二人は自分たちの無力さを嘆いていた。

「仕方ないわ。あなた達はまだ学生。かく言う私もこの状況では見ているだけですもの」

びしょ濡れの二人に雨具と傘を差し出すユーディット。大人の彼女でさえ今できることは限られている。

「よし、なんとか外せそうだ。ハンガーに機体を固定、その状態からパージする。その後は指示通りに動け」

人の手では持ちあげられない燐の体を機械で吊り上げハンガーに誘導する。終始項垂れたままの燐。まるで人形のようで見ている人間に悲壮感を与える。その姿からは生気を感じられない。

「固定完了、パージします。」

「中身は意識がないんだ。慎重に扱え」

思い鎧を脱ぎ捨てた燐を男数人で抱え込む。そして流れるように担架へと運ばれていく。

「思ったよりも体温が高い。急がないと」

そこで燐の様態が急変した。身を震わせ這いずるように身を起こすと悶えるようにして胃の内容物を吐き出した。痛々しい苦しみの声を上げ透明に光る線を口元から伸ばす。

「リン!!」

「獅童くん!!」

たまらずかけより燐の背に手を掛ける。2,3度嘔吐を繰り返し荒々しい息を漏らす。落ち着きを取り戻したかと思うと今度は身を抱き震えだした。発熱から一変寒気が彼を襲う。急激に顔色も変化していく。見るに見かねた二人はたまらず燐を両側から抱きしめて少しでも彼を暖めたい楽にしてあげたいという一心で。

「なんだって!?そりゃあるにはあるが・・・」

「彼は病人なんだぞすぐに医務室に連れて行くべきだ・・・だからそんなことは」

まわりで雑音が聞こえる。寒さが容赦なく襲ってくる。けれどどうしてだろうそれを力強く誰かが抱きしめてくれている。

「・・・さん、・・・ラ」

今の燐には言葉を紡ごことすら難しい。ただ名前を呼ぶだけでも頭が働かない。

「・・が・・」

薄く開いた口から今の思いを投げかける。

「わかった、最善は尽くす。けどそんなこと無理に決まってる」

医務室には行かず雨を凌げる近場へと避難した燐たち。横たわった燐の手を両側から両手で包み込む。二人にとって今起きている惨状より燐の様態のことしか頭にはない。冷えた手を自身らも冷えきっているにもかかわらず温めようと握り続ける。早く目を覚ましてほしい。願わくばすべてが何事もなかったのように終わって欲しい。それはこの場にいる人間すべての願いでもあった。


孤軍で空中戦をなおも続けていた白銀。燐が倒れてからどれくらいが経っただろう。二機をあいてにこうも長時間耐え忍んでいるのは最新鋭機の性能ゆえかはたまた卓越した技能によるものか。

「いいかげんくたばりなよ。こっちもヒマじゃないんだからさ」

イクスの怒り節が飛ぶ。

「君たちが僕に優しく同一直線に並んでくれたら嬉しいんだけどね」

「甘えたちゃんだな、さすがに諦める気なったか」

両翼に挟まれ実際避けるだけで精一杯だ。ここまで来ると躱すのも完璧ではない。すでに幾多の縦断が白銀の装甲をかすめている。幸い能力に影響を与えるほどではないが。

「チラチラあちらを気にしているようだなぁ。貴様はアレが再起すると本気で思ってるのではあるまいな」

「期待するのはいけないことかい」

「そうはいわない。あいにく私は神に祈ったりはしないタチでな」

「僕だってそうさ。神を信じるんじゃない。自分とそして彼を信じるんだ」

「ついさきあったばかりの人間をなぜそこまで信じられる」

「そりゃはじめてじゃないからさ。それに僕もバカじゃない全幅の信頼なんか置いてない。期待を賭けてるんだ。こうみえてギャンブルは嫌いじゃないんだよ」

「そうかい、なら博打野郎は消し炭になりな」

イプシロンとタイミングを合わせるように左右から同時に距離を詰める。その間も銃撃はやめない。ギリギリまで惹きつけたところで白銀は上昇、二人を同一視野に誘いこむ。けれど折角の機会も今攻撃を仕掛ければただの的にされる。ここは神経を一点に集中できたというだけでよしとする。

「わたしは実力主義のチェスが好きでね。そんで取れるコマはとことんとってから勝つのさ。後顧の憂いは残しちゃまずいからね」

「そうなのかい、でも欲張り過ぎは身を滅ぼすよ」

威嚇用に数発反撃をしたところでいよいよ残弾が心もとなくなってきた。

「知ってるかい、日本には碁という遊びがあってね」

「なんだい、何の話がしたいんだ」

「君がチェスを持ち出すからだよ。日本に行くことがあれば極めてみたいと思ってるんだ」

「そうかい、じゃあそれはかなわぬ夢だね」

イクスは最大加速で垂直上昇した。右腕の巨大な爪を前に突き刺すように。同じく真上に登っていた白銀、浮力を上昇に傾けているためこればかりは回避困難だ。

「幕は閉じるんだよぉ!!」

イクスの叫びが加速を後押しした。



医務室から持ちだした簡易レスキューセット。横に寝かせられた燐に点滴が注がれる。

「よかった、さっきより顔色良くなったんじゃない?」

「そうね、最初の数分は度々痙攣で、ほんと・・・」

「大丈夫だってムツミ」

この間も二人は燐の手を握ったまま、現にかなわなくても力を分け与えようと気持ちを込めていた。

「どうです、容態は」

傍に立つユーディットが医師に問いかける。

「点滴は効いてるでしょう、血色は戻ってますし。重体かはないでしょうが絶対安静ですね」

燐に付き添う数名以外は上空の大激突に夢中だった。目が離せない戦い、GICの御曹司が前線にいるともなれば社員として気にならないわけがない。皆、自分が何かできないかとバタバタとまわりを行き交っている。

「ちょっと!!静かにしてよ。燐が休めないでしょ」

ペドラが檄を飛ばが誰も聞いちゃいなかった。

喧騒のためかどうかはさておきピクリと指先に反応が生じた。ずっと手を握りしめていた二人にはすぐに分かった。

「獅童くん!!」

「リン!!」

薄まぶたを幾度と無く瞬きさせ光を感じ取ると燐は半目をあけた。続けて燐に呼びかける二人だがまだ完全には意識が定まらない。それでも何か応えようと握られた手に力を込める。その反応にわずかな安堵を示す。口をパクパクと動かす燐。ペドラは耳を近づけた。けれどペドラは何度効いても聞き取れない。不自然に感じた睦海は自分に代わるよう促す。しゃがれた声で精一杯、音を紡ぐ燐。燐の言葉を聞いて睦海はハッとする。目の前に誰がいるのか認識できない燐は返ってこない反応に力を込めて行った。

「みずっ!!みず、くれぇえ!!」

それほどではないにしろ予想以上の声量に睦海は跳ね上がってしまう。

「水、水よ。誰か持ってきて」

戸惑って自分が日本語で言ったことに気づくとすぐさま英語で反復した。

哺乳瓶を飲ませるように口に水を注ぐといよいよ燐の覚醒が促され。握られた手を振りほどき自分の手で飲み始めた。体に水が染みわたるのが心地良いのか浴びるように飲み干すと。ようやく目をはっきりと開き現状を確認する。今までの行為全てが本能であったかのように顔に疑問符を浮かべ戸惑う。

「えっと、あ~、う~」

咳払い一つ。

「スメラギさん、ペドラ。えっとこれはどういう」

「もう!!リン何言ってるかわかんないよ!!」

当然全快ではない燐は会話に思考を回す余裕がまだない。

「はい、コレ」

そこへ傍に立っていたユーディットから通訳機が差し出された。

言われるがままソレを装着する燐。

「もう、いっぱい心配したのにひどいよリン」

「ごめんペドラ、それに皇さん。ふぅ、少しずつ思い出してきた。どうしてかはぼんやりだけど、やられたんだなオレ」

「急に熱出すわ震えるわで、私もムツミも泣いたんだからね」

「私はっ!!」

「そうみたいだね。意識なかったはずなのに体が覚えてるんだ。オレのために誰か泣いてくれてるって。誰かまではわからなかったけど、今は二人だったんだって確信できる」

「リンっ!!」

燐の首に抱きつくペドラ。

「ぐっ!!」

「ちょっとペドラ、ダメでしょ!!」

「ぐふっ、なんかあれだね。皇さん、こんなんだったけって」

「それはその」

ふぅ、と大きく深呼吸を繰り返した後、身を捩り体の調子を確かめる。

「痛いなやっぱ」

顰め面を浮かべそう言うがそれもそのはず全快にはまだまだ時間を要する。

「当然でしょ、獅童くん。あなた無茶が過ぎるのよ。いろんな人に心配も迷惑もかけて」

「そうだね」

ムツミの話を聞いているのか聞いていないのか燐の頭はソレ以外のことに向いていた。ひと通り体の調子を確かめた後、

「あとでいっぱい聞くから」

睦海に優しく微笑んだ。隣のペドラに合図を送り体を起こすのを手伝ってもらう。渋る顔をみせつつも望み通り肩を貸すペドラ。みかねてもう片方から支える睦海。

「先生、当然まだなんですよね」

ユーディットは複雑な表情で答えた。

「あれよ」

数歩先へ進み外界が覗ける場所から空を見上げた。なげやりなため息をつくともう一度奥へ引っ込む一同。

その行動を疑問視し口にする。

「おとなしいわね、そうね、あなたはそのまま回復を待ちなさい。他も動いてるだろうしもう少し待てば・・・」

そうはいってもユーディットには全く情報が入ってきていない。何一つ正確なことは言えないのだ。

腰を落とし、安静にしていると。どこからか重機のような騒音が聞こえてくる。社の作業員たちがAWハンガーを運んできたのだ。燐の覚醒を聞きつけ手配したらしい。ハンガーにはちゃんと燐が乗っていたクラシックモデルも乗せられている。

「ちょっとあなたたちそんなもの持ってきてどうするのよ」

激昂するユーディット。睦海もペドラも不快感を露わにする。

「リン、行かなくていいからね」

「あなたは頑張ったわ」

燐が変な気を起こさないように懸命に諭す。それに笑って返す。

「わかってる、もう無茶はしないよ。体も動かないしね」

そういって燐はゴロンと寝転がる。背中を床に預けスースー息をする。まぶたを閉じ数秒。けれど眠るためではない自分に問いかけるためにそして答えが出たようにゆっくり眼を開く。まわりの人間を確認する。

「皇さん、ヒミツだよ」

それだけ言って通訳機を睦海に預けた。

横になったまま突然低い唸り声をあげる。ぅぅうぅぅぅぅうぅぅ、と。

そしてクレシェンドぎみに大きくなり終いに腹の底からうぅうぅう唸り跳ね上がった。当然のように周りは奇異の目を向ける。だが構わない。上半身をだらんとうなだれさせそこから腰に手を当てる直立。首を軽く動かし。そのまま歩き出す。

「ああ、なんでだよ」

肘を曲げ両肩を交互にグルグルまわし

「いたいわあ、まじいたいわあ」

作業員の腕からスーツをひったくる。

「寝起きでまだ頭ぼんやりしてんのに」

袖口に腕を通していく。

「なんでおれがやらなあかんねん」

ハンガーにのぼり

「楽しい研修旅行やろ?」

AWにのりこみ下半身を固定させる。

「勉強して終わりでええやん」

睦海に対し指をくいくいとする。

「あいつらなんなん?まじなに?」

眉間のシワが深くなる。

「だるいわあ」

睦海から通訳機を手渡されそれをAWに組み込む。

「やりたくなんかホントはないけど」

腕、胸部装着。システムのセットアップに入る。スクリーンに無限のような文字列が川の流れのように流れ続ける。

「けど、オレがやらなきゃだよね。いつだって男は、ヒーローになりたいもんだから」

睦海の目をみつめてそういった。セットアップ完了の通知が流れる。

それだけ言い残すと燐は作業員との会話に専念した。

燐の気持ちが測りきれす困惑気味に横顔を見つめる睦海。

そしてハンガーは射出体制に入った。

「いいか、頑張ってくれるところ悪いが性能はさっきと一緒。どっちもみち使えるのはコイツだけだからな。破損箇所の応急修理はしたが数字は低下傾向にある」

「了解です」

それだけ返す。

「ゴー、いつでもどうぞ」

燐の乗るAWは唸りを上げるようにゆっくりとその身に浮力を蓄えていく。体は痛むであろうにその顔はいたって冷静。

「ファイブカウントください」

「OK、Five,Four,Three,Two.One・・・GO!!」

まるで空に吸い寄せられるようにAWは飛び立った。その離陸はいままででもっとも美しくそれは痛みから全身の力を極限まで抜いた結果であった。

不安そうな顔で飛び去っていく燐を見送る女達。きっと皆が同じ心境だったに違いない。



「幕は閉じるんだよぉ!!」

急襲するイクス。その攻撃を白銀は反転起動によってかわそうと試みる。一時的に脚部の推進を高め。上体を反らし足りない時間をイクスの加速力で埋める。巻き上げられた風圧でくるんと180度の垂直回転で際どくも直撃を躱す。けれどその風圧によって完全に機体の制御を失い。不規則に吹き飛ばされながらも結果、致命傷だけは避けた。直撃はなくとも相当のG衝撃を受けて相当消耗してしまった白銀。いよいよ追い込まれる。

「がぁあああああ!!ファックファックファッック!!なんなんだよお、もう!!」

「取り乱すなイクス、いまのでも相当無茶をしたようだ。奴にもうさっきまでの動きはできまい」

イプシロンの言葉で暴れ狂う自我を抑えこみ乱れた呼吸を整える。

「さて、散々手こずらされたが妙技も尽きた頃だ。消えてもらおう」

「そうだね、エンディングは近いようだ。でもぼくたちのじゃない君たちのね」

「ジョークセンスがないな」

「それは残念、でもジョークじゃないんだよ」

そこでようやく彼らは自分たちに近づく新たな機影に気がついた。

「待ってたよ。君は僕の期待通りの素材だったみたいだ。嬉しいよ」

「勝手なこと言わないでくれ。いまはそこまで寛容になれない」

「なるほど、君がすこしずつ見えてきた」

「機体も中身も平気なはずは」

「うちのクルーは優秀だ。仮にも大企業、この産業を支えているんだよ」

敵に目もくれず白銀を見つめる燐。

「だいぶつらそうだね。けど今度は僕を信じてもらおうか。時間は掛けさせないよ」

「死にぞこないとへろへろがそろったとこで、多少の疲弊があるとはいえ我々とは比べるまでもない」

「さっきの話なんだけど碁ってどんなゲームか知ってるかな?」

ビシリと指を付きつ毛津。

「まったくおまえの思考は、なんだというのだ貴様は」

「碁はね石を置いて領土を奪い合うゲームなんだけど。そこから日本では『布石』って言葉があるんだよ」

あからさまに疑問の顔を浮かべる二人。

「それじゃあ行こうか」

短く首肯する燐。途端二機は動き出した。相手を囲うように回りこみ両端から詰め寄る。先の相手方と同じ動きだ。挟み込まれた二機は上に逃げ口を見出しまたも同じような行動に出る。そこで燐たちは腕部に仕込まれたワイヤーロープを同時に射出、敵の機体に取り付ける。追走劇を予想していたイクスたちは初速を出しきれずにワイヤーの射程から脱しきれなかった。ひるんだ二機に対応の時間を与えることなく水平に急加速。二機を引っ張り回す。そして更にワイヤーを射出。その目標は敵機ではなく敷地内に張り巡らされた防護柵。すかさず白銀は下で待機しているクルーに合図を送った。

「さあて、地獄のダンスを踊ろうか。空のステージで」

次の瞬間防護柵がキラリと光る。柵に侵入者撃退用の電流が流されたのだ。ワイヤー越しに燐たちを経由し敵機へ高圧電流が流れこむ。

「ぐぅああああ!!」

「なんtぉおお!!」

もだえ苦しむ敵機、だがそれはりんタチも。

「残念だがこの程度で我々は、それは貴様らと手」

「そうだね、正直つらいよ」

「なんて柵考えやがる。畜生だなアンタ」

作戦はここで終わりではなかった。

「もう少しこらえてね」

スタンスティックを取り出すとそれにもワイヤーを取り付けそれを捕獲用のソレに取り付ける。そして空高く投げあげた。

「なにを?」

「そうか、雷を。だがそんな都合よく」

「そうさ、だから少しでも顔を出しやすいよう電気まみれにしたのさ」

白銀は燐に合図を送る。

「死にたくなければ」

「いわれなくても死にたくないさこんな無茶な作戦で、それに」

下を見下ろす。

「このあとは説教の予約が入ってる」

「そうかいそれはキャンセルできないね」

ピカ!!空が光った。

光より先に計器で予見していた二人は次の行動に映る。

一筋に降る注ぐ雷。導かれるようにスタンスティックを始点に電撃の連鎖をうむ。

「「ぐぁああああ!!」」

断末魔の叫びを上げるイクスタチ。その流れは当然燐たちにもしかしそれは同等ではない。直前に柵へのワイヤーをカット、地表に別のワイヤーでアンカーを打ち込んでいた。よって電流は滞留することなく地面へにげていった。

そして

「ぎぃ、ざま、ぐぁ・・・・」

ショックで酩酊状態のイクスとイプシロン。

燐たちも衝撃を受けた結果ダメージは相当だ。

「そしてもうひとつ、・・・この機体の伝送回路は・・・・従来のものとは違う・・・外部装置として扱うこともできるため・・・身に受ける電流を軽減することに成功したんだよ。当然・・・かれのにも同じのを付けさせた・・・うちのクルーは一流だからね」

「ばっかじゃねえの・・・死にかけの人間をホントに殺す気かよ・・・・けどまあ・・・」

「そうdね、まだおわりじゃない」

地上ではクルーたちが作戦の成功に喜んでいた。クルーも乗り気ではなかったが他に策らしい策がないなかでの御曹司の奇策にはいたく感心している。だがその一方で女性陣は開いた口が塞がらないでいたが。

「次だね、いや楽しかったよ。でも、うん。ここはお別れの言葉だ。話はあとでゆっくりと。いい夢をみてね。ナイトメアじゃないことを祈ろう」

地表カタパルトから巨大な投擲物が打ち上げられた。よれよれの身を鼓舞して目標と動態速度を合わせる。機械の腕にしっかりと構えられたそれはAW用巨大ハンマー。空中ではAWの性能を殺すため用途が難しいシロモノだ。それを構えると制動の流れに機体の推進を加え目標を襲う。バゴォォオオンン!!

耳を覆いたくなるような爆音がインパクトの瞬間に生まれる。解体クレーン用のハンマーに車で体当りしたような衝撃がイクスとイプシロンの身に降り注ぐ。彗星のような早さで地面にたたきつけられた二人は不格好なランディングで滑り続け防護柵にぶち当たりようやく止まった。柵は壮絶にえぐられコンクリートの地面に凄惨な傷を植え付ける。まさにオーバーキルの所業。予見していたかはさておき白銀が手配していた医療班と消防犯が間を置くことなく現場に駆けつけた。すぐさま救助作業にとりかかってる。

「オニ・・・・」

ジト目で睨みつける燐。

「大丈夫さきっと。AWはそれくらい頑丈だから、保証はしないけどね。過ぎた仕置だとは思うけど」

「あんた、あれか?そんなふうでいてほんとはブチギレてるとか」

「えっ!?何言ってるのさ君?あたりまえじゃないか」

「え!?」

「自分の家を襲われたんだよ?怒らない理由がない。この子にも苦労を掛けたしね」

「アンタ、そうとういかれてんな」

「君もフツウというには無理があるね。語調が乱れたままだ」

言われてようやく燐は築く。それでもそれは大した問題じゃない。

命がけの激闘を制した二人は緩慢な足取りで地表に降りたる。すぐに睦海たちも駆けつける。しかし、睦海はいつもの読めない無表情、かたやペドラは顔中に文句をタラタラと書き綴って、そしてユーディットは見たこともない鬼の形相だった。

疲れた体を癒やす暇が用意されていないことを悟ると白銀とならんでハンガーに身を預ける。

すべてのパーツを剥ぎ取りこのときようやく彼の素顔がお披露目になったがその顔を見て燐は言葉に詰まった。

「え?え?え!!」

「なにをそこまで驚いてるんだい?まあいいさ。あらためて自己紹介しよう。父はGIC社CEOで僕自身は今度から日本のナントカ学園特進Ⅰ科に通う、ジェミニ・カールトン。よろしくねリン・シドウくん。僕のことはジェミーとよんでくれ」

あんぐり口をあけたままかたまる燐。だけではなく一同。

「アンタ、いや君、え?社長の息子??え?学校で、よる、え?」

「OKOK、クールダウンしなリン」

目を閉じ深呼吸瞑想だ。

もやもやする頭は情報を処理しきれないでいる。みるみる血圧が上がる。

にっちもさっちもいかないとなると全てを放棄することにした。

「OK、わかった。ジェミーだな。よしよし今はそれだけでいい、それだけでいいん・・・」

そこで燐の思考はシャットダウンした。過労、疲労、知恵熱。あらゆる要員が燐にストップを掛けた。またしても顔面蒼白になる一同。

すぐさま救護班が駆けつけ今度こそ燐は救護室で缶詰となった。


日が明けまだ完全ではない燐はベッドにくくりつけられたまま。病院に運ぶという話もあったが時折目を覚ました際の問答でそれも見送られその代わりGIC社によって優秀な医師が手配された。講義には参加できなかった燐だがそもそも講義自体つぶれるはずがGICサイドからの提案により通常通り行われた。これには賛否わいたが事後処理はすべてGIC内部で薦められた。これは外部にもれてマイナスイメージが就くのを防ぐため、また外部機関に捜査を任せるつもりが無いためである。よって襲撃者の扱いは顧問弁護士立ち会いのもと社内で決をとるとのこと。

それら一連の話をジェミニから聞いたのは夜が更けてからだった。

それまでは交代でユーディット、ペドラ、睦海の順で病室に訪れ、見舞いという名の説教を受けていた。

「それは大変だったね。でもいいことじゃないか女性に心配してもらえるってことは君が魅力的な男性である証拠だよリン」

「ジェミー、アンタはなんでそんなに口がペラペラなんだ」

「そうでもないと自分では思うんだけどね。まわりからはそう見えるようだ。で、どうなんだい?ペドラは女性らしい肉体の持ち主だし、ユーディットは年上だがそこがまた面白くもある。けどやはりムツミ・スメラギが君のガールフレンドではないかと睨んでるんだが」

「女友達って意味ならイエスだがステディじゃあないさ」

「そうなのかい、学園であった彼女と君を気遣う彼女は別人に見えたが。女をあそこまで変える要因はひとつしかない」

ずいっと迫って燐の瞳を覗く。

「残念だがハズレだジェミー。皇さんはここ数日一緒に過ごした仲だけど。そこまでの関係じゃない。あの取り乱し用は意外でもそれは誰も知らなかっただけでおれがどうこうじゃないと思う。そうだな変えたというより露見したとみるべきか」

ひとりで考察に入るリン。

「君が女性をわかってないだけにも取れるけど。存外僕も同意見だな。人っていうのは面白いよ。多面的に見ることではじめて人は人であるからね。どんな人間でも一面だけでは測れないさ」

「あ、そうだ」

そこで燐は枕元から何かを取り出す。

「ほらよ」

ジェミーに投げ渡されたのは缶コーヒー。

「おれのオススメのメーカーだ。さっき買ってきてもらった」

「リンはもしかして男色家なのかい?これでもぼくは御曹司、コーヒーにはうるさいんだよ?けど好意を素直に受け取るのが僕の美徳でもある。ありがたくいただくよ」

プルタブをあけ口をつける。

「ほう、缶コーヒーも捨てたもんじゃないね」

「だろ?」

「だけど所詮は缶コーヒー」

「仕方ないだろ?おれの有り様見て高級品求めんなって」

「いやいや肝心なのはドリップだよリン。そうだね友情の証として今度ボクがごちそうしよう」

「ほんとか!御曹司が飲むコーヒーってすごいんだろうな」

「期待を裏切って恐縮だがコーヒーは金を積めばいいわけじゃない言ったろうドリップが命なのさ」

「なんだよぉ。んで、いつから学園に?」

「そうだね一応今回の一件には僕も関わっちゃったからね落ち着くまでは。それと新作の発表も控えてるんだ。ぼくに会えなくてさみしいだろうからできるだけはやく片付けるよ」

「だからおれはそっちじゃねえ!!けど」

「?」

「待ってるぜ、また一緒にとぼうな」

握りこぶしを突き出すリン。

「なるほどこれが君流の挨拶か、いいね」

倣うように出された拳が中央でコツんとぶつかった。

燐にまたひとり好敵手ができた瞬間である。


最終日の午前研修を終え、最後はあっけなく幕を閉じた合同研修会。なんとか最後の講義だけには出席できた燐。内容の理解度はほどほどだったがそれでも得難い経験をしたことは確かだ。ジェミーとはサラリと挨拶を交わし、海外組とのわかれではペドラから熱烈なハグを受けた。別れを惜しみつつも再会を誓い合う一同。そして凛と睦海は自分たちの居場所、ナントカ学園へ向けたバスに乗り込んだ。

「それにしても今回はすごいことになっちゃったね皇さん」

「ええ、そうね」

いろいろあったが結局最初の距離感を保ち続けたふたり、意外とふたりにはこれがシックリ来るのかもしれない。

「しどうくん」

「ん?なに?」

「前も言ったけど。ああいうのは控えるべきだと思うの。結果、大いに貢献したことになるけど私達はまだまだ未熟で、あの場合上に対処を仰ぐべきで」

「わかってるよ。おれが浅慮だったっていいたいんでしょ」

「そうじゃないの」

「けど、とまらなかったんだよね。いけないことだって後でようやくわかるぐらい」

「・・・。あなたは頑張ったわ。それでも誰かに心配を掛けるのは関心しないわね」

「そうだね先生やペドラにも言われたよ。皇さんを泣かせっちゃったわけだし」

「ちょっと待ってあれは動揺しただけで」

「でも嬉しかったよ。言葉にするのはむずかしいけど誰か、皇さんとペドラに泣いてもらってこれはオレの命だけど何をしてもいいわけじゃないって」

「・・・」

「ありがとう」

「あの、シドウくん。わたし考えてたことがあるんだけど。皆はあなたのことをファーストネームで呼ぶしあなたも呼ぶわよね。それが向こうの文化だからおかしくはないんだけど。その。だから。私達も変えてみてもいいのではないのかなと。呼び名などを。よ、呼び捨ては礼がないしだけど・・・」

そこまで話してようやく睦海は自分が一人相撲していたことに気づく、肩にかかる心地良い重みで。疲れのためか、安心感からか糸がキレたように深い眠りのなかに潜り込んだ燐。その姿に行き場のない思いを浮かべたが安らかに眠る顔に許してしまいたくなってしまう。やさしくブランケットをかけると静かに本を取り読書をはじめる。片時、車窓向こうの暁の水面を見つめながら。


(エピローグ)

休み明け、学園の登校風景は休暇前と何ら変わらない。その人並みに紛れ教室に向かう燐は不思議な心地でいた。ただの勉強会でおこった命がけの大事件。そこでできた新たな友人たちと得難い経験。今、目の前の景色とかぶせるとあちらが夢だった気さえするが。あの興奮と痛みはこころと体がしっかりと覚えている。休み明けみんなどうしているだろうか。今日からまた学生生活で頭がいっぱいの日々、わずかな気だるさが休暇を思い出させる中それでも足は進む。すると久方ぶりに聞く懐かしい声が耳に届く。

「リン、おはよ。休みどうだった?研修の話聞かせてよ!!」

その声に振り返る。

「よお、ベッキー。久しぶり」

「ひさしぶり!!リン!!」

連れ添って歩く二人。

「けど、リン、変だよ。なんだろうめちゃめちゃひさしぶりって顔してるよ」

「そうか?よくわかったな」

「う~ん、なんとなく??ねえリン、何かあった?」

「そんな顔してるか?」

「うん、してる。なんか前より・・・うん、そうだね。オトコって顔してるよ。イカしててかっこいいよ!!」

「勘弁してよ。慣れてないんだからそういうの」

「うんうん、これは・・・」

「なんだよ?」

「リンにモテ期到来の予感・・・メイビー?」

「疑問符つけんなっ!!」

「よしリン教室まで競争だよ!先行くね」

「勝手なことばっか言ってんなって。おおい待てって、ベッキー!!」

そして昨日までと同じ、昨日とは違う今日が始まる。

天井知らずの明日に向かって。


(終)


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